第 3 章 研究課題
3.1 研究課題と仮説
3.1.2 存在場所「に」と範囲限定「で」の混同による「で」→「に」の誤用が現れる
「*クラスで2人韓国人がいる」における「に」→「で」の誤用は、2.2の先行研究 で見たように、中級レベルの日本語学習者を対象とした先行研究では誤用例として挙げ られていなかったものである。この誤用は、3.1.1で示したように中級レベルの日本語 学習者が書いた作文の中に現れたものである。
2.2の先行研究で示したように迫田(2001)、蓮池(2004)などでは、「に」と「で」の選 択に迷った場合に、日本語学習者は次のようなストラテジーを用いることが主張されて いた。
・ 「地名・建物を示す名詞+で」というユニットの形成と、「位置を示す名詞(例:
中・前)+に」というユニットの形成のストラテジー(迫田2001)。
・ 存在動詞「いる(ある)」を目当てに「に」を選ぶというストラテジー(頼 2002、 蓮池2004)。
だが、日本語学習者が単純にこれらのストラテジーを用いているならば、(1)のよう な誤用は現れないことが考えられる。
日本語学習者(中国語話者)
(1)*クラスで2人韓国人がいる。
(2) ホームヘルパーとは老人の家で世話をする人だ。
(3) *ホームヘルパーはいえにいたら、子供たちもとても安心だ。
(1)、(2)、(3)は 1 人の日本語学習者が同じ時期に書いた文である。(1)の「*クラスで
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2人韓国人がいる」と(3)「*ホームヘルパーはいえにいたら、子供たちもとても安心だ」
は共に存在動詞「いる」を伴う文だが、日本語学習者は(3)では正しく存在場所を表す
「に」を用い、(1)では誤って「で」を用いている。
これらの例はどちらも動詞が「いる」なので、単純に「いる」を目当てに「に」を選 んでいるとは考えにくい。また、格助詞の前の名詞も「クラス」という名詞であり、地 名または建物を表す名詞ではないので、名詞を判断の基準として格助詞を選んでいると も考えにくい。さらに、(2)「ホームヘルパーとは老人の家で世話をする人だ」のよう に、動作場所を表す「で」が正しく用いられている文もあることから、日本語学習者G は、動作場所には「で」を用いるということは一応理解していると推測される。
1.1で述べたように、(1)の「に」→「で」を用いる日本語学習者は、「クラスで誰と 仲がいい?」のような範囲限定を表す「で」を理解しているが、範囲限定を表す「で」
を完全に習得しているというわけではないと思われる。そのため、範囲限定を表す「で」
と類似の概念を持つ「クラスに2人韓国人がいる」の「に」が混同されてしまったこと が考えられた。類似の概念とは以下のような概念である。2.1.3.11で述べた格助詞「に」
の存在表現の「絶対存在文」(西山2003, pp. 394-395)、あるいは、「特定の集合におけ る要素の有無を表す表現」である「限量的存在文」(金水2006, pp. 13-14)における「に」
と、2.1.3.10で述べた格助詞「で」の限定の表現である(寺村1982、間淵2000)。
西山(2003)によると、「絶対存在文」(p. 395)とは場所表現を伴わない「太郎の好きな
食べ物がある」のような文だが、例えば、「君たちのなかに、洋子を殺した人がいる」
(p. 402)も「絶対存在文」(p. 395)であるという。「洋子を殺した人」という主語名詞句 は「変項名詞句」(p. 402)であり、文全体はその変項の値の有無を述べているだけであ って、その値がどこか空間的な一定の位置を占めていることを述べているわけではない からである(西山2003, p. 402)。
久野(1973)は、存在文の基本的語順についての議論の過程であらゆる存在文には場所
辞(locative)が不可欠であるし、例えば「米の嫌いなひとがいる」という表面上場所を
表す名詞句を欠く文であっても、「この世のなかに」と解釈しても良く「仮定的文法形
式」(p. 288)を認める必要があると主張した。
それに対し、西山(2003)は「米の嫌いなひとがいる」を言い替えた「この世のなかに は、米の嫌いなひとがいる」の「この世のなかに」を「米の嫌いなひと」の指示対象が 位置する場所辞と考えるならば、「米の嫌いなひとがいる」が「場所存在文」(p. 394) の一種となるが、「この世のなかには」は場所存在文ではなく、「この世界を構成するメ ンバーのなかには」という意味であって「絶対存在文」(p. 395)であるとしている。
また、西山(2003, p. 407)は存在文の曖昧性についても述べている。存在文「Aが存 在する」は、Aを指示的名詞句と読むか、「変項名詞句」(p. 407)として読むかに応じて 場所存在文と「絶対存在文」(p. 395)の解釈ができるという。例えば、「この村にフラン ス語を話すひとがいる」の「フランス語を話すひと」を「変項名詞句」ととり、全体を
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「絶対存在文」(p. 395)と解釈すると、「この村の村民のなかに、フランス語を話すひと がいる」あるいは、「この村の村民のなかの誰かがフランス語を話す」と言い換え可能 な読みになり、「この村に」が地理空間としての場所ではなく、「この村の共同体のメン バー」(p. 407)であって、「変項xの走る領域を表す機能」(p. 407)をもつことになると 述べている。
金水(2006)においても、「子供が公園にいる」は「物理的な空間と存在対象(主語の指
示対象)との結びつきを表す表現」(金水2006, pp. 13-14)であるのに対し、「授業中に寝 ている学生がいる/ある(寺村1982)」は「特定の集合における要素の有無を表す表現」(金 水2006, pp. 13-14)であると述べられている。
このように、存在文には「絶対存在文」(西山2003, p. 395)あるいは「特定の集合に おける要素の有無を表わす表現」(金水2006, p. 14)という解釈があるために、この「に」
と、範囲・基準を定める限定の表現(間淵2000)の「で」は類似の概念であり、日本語学 習者によって混同されるのだと考える。すなわち、「クラスに2人韓国人がいる」の「ク ラスに」は場所存在文(西山2001, p. 395)ではなく、「クラスを構成するメンバーの中に は」という意味であって「絶対存在文」(西山2001, p. 395)と読める。それは特定の集 合である「クラス」における「2人の韓国人」という要素が有ることを表す表現なので ある。一方、第2章の「で」の限定の表現で見たように、「日本でいちばんよいまちだ」
の「で」は範囲・基準を定める限定の表現である(間淵2000)。「日本でいちばんよいま ちだ」とは日本を構成するメンバーである町の中における一番良い町という属性を有す ることを表す表現なのである。
すなわち、両者に共通する類似の概念とは、「クラスに2人韓国人がいる」の「クラ ス」が「クラスを構成するメンバーの集合体」を表し、「日本でいちばんよいまちだ」
の「日本」が「日本を構成するまちの集合体」を表しているという概念である。そのた め、「クラスに2人韓国人がいる」が、「クラスで誰と仲がいい?」の「クラス」が「ク ラスの学生」という集合体の「誰と仲がいい?」と判断・決定する上での範囲・基準を 定める限定の表現と混同されてしまうのである。
本研究では1.4で定義したように、「日本でいちばんよいまちだ」の「で」を範囲限 定を表す「で」と呼んでいる。まずは、中級レベルの日本語学習者に見られた「*クラ スで2人韓国人がいる」の「に」→「で」の誤用が、中級レベルの他の日本語学習者に も見られ、その誤用が範囲限定を表す「で」と関係があるか否かを調べることが課題と なる。もしも、中級レベルの他の日本語学習者にも「*クラスで2人韓国人がいる」の
「に」→「で」の誤用が見られ、その誤用と範囲限定を表す「で」との間に何らかの関 係があることが示唆されれば、次には、より多くの日本語学習者を対象にして調査し分 析を行う必要がある。そして、より多くの中級レベルの日本語学習者に「*クラスで2 人韓国人がいる」の「に」→「で」の誤用が見られ、その誤用が範囲限定を表す「で」
との間に何らかの関係があること示されれば、中級レベルには存在場所を表す「に」と
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範囲限定を表す「で」との混同によって「*クラスで2人韓国人がいる」の「に」→「で」
の誤用が現れるという発達段階があることを示すことができるのではないだろうか。こ れが第一の研究課題となる。
研究課題1.
中級レベルには存在場所「に」と範囲限定「で」との混同により「に」→「で」の誤用 が現れる発達段階があるか。
この第1の研究課題を明らかにするために以下に示す仮説とその仮説検証項目Ⅰ~
Ⅲを立てる。それぞれの項目を検証した結果が第1の研究課題の回答となる。以下、仮 説とその検証すべき項目を示す。
仮説:「*クラスで2人韓国人がいる」の「に」→「で」の誤用は、存在場所を表す
「に」と範囲限定を表す「で」との混同によるものである。
仮説検証項目Ⅰ:数量詞、「中」などと共に用いられた場所名詞が集合体を表す ような文に、存在場所「に」を用いるべきところに「で」を用いる誤用が見られる。
なぜならば、日本語能力が中級レベルの日本語学習者には「*クラスで2人韓国人が いる」のような誤用が現れるからである。「*クラスで2人韓国人がいる」の「に」→「で」
の誤用は「クラス」は当該学習者にとって単なる場所ではなく「人の集合」と解釈され た可能性がある。そのような解釈は当該文に数量詞の「2人」、「韓国人」といった人に 言及する名詞が出現していることからも予想される。「クラス」が「人の集合」と解釈 された可能性がある誤用文には「*私のクラスの中で〇というひとがいる」もある。当 該文は「中」、「〇というひと」といった人に言及する名詞が出現していることから予想 されるのである。
仮説検証項目Ⅱ:日本語を学習する環境が異なっても日本語レベルが同じであれば、
数量詞、「中」などと共に用いられた場所名詞が集合体を表すような文に、存在場所「に」
を用いるべきところに「で」を用いる誤用が見られる。
仮説検証項目Ⅲ:日本語を学習する母語が異なっても「中位レベル」であれば、数 量詞、「中」などと共に用いられた場所名詞が集合体を表すような文に「で」を用いる 誤用が見られる。
なぜならば、発達段階とはある 1 つの項目の習得において、同じ言語を学習する学習者
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が辿る習得の道筋のことで、学習者の母語からの転移が習得の途上に出現することも分か っているが、学習者の母語や学習の方法などが異なっていても、同じ言語を学習する学習 者間に共通した発達段階が存在することも分かっているからである(Ellis,1985,Towell &
Hawkins, 1994,白畑・若林・村野2010)。
特に仮説検証項目Ⅲについては、〇で見た日本語学習者の誤用例から分かるように、
中国語話者に現れた「*クラスで2人韓国人がいる」の「に」→「で」の誤用と同様の 誤用が中国語話者以外の学習者にも現れている。「*ほかの韓国人の中でいた」は韓国語 話者に現れた「に」→「で」誤用である。「ほかの韓国人の中」は場所を表す名詞では ないが、人の集合を表す名詞句に「に」→「で」が誤用されていることから、韓国語話 者にも「*クラスで2人韓国人がいる」の「に」→「で」の誤用が現れる可能性もある ことが考えられる。
3.1.3 移動先「に」と動作場所「で」の混同による「で」→「に」の誤用が現