第 3 章 金融システムショックと内生的貨幣供給理論 39
3.3 ストラクチュアリスト・ビュー
3.3.2 流動性選好
中央銀行がバンキングセクターからの準備需要に対し抑制的なアクションをとる、すなわち非借入準備によって フルアコモデーティブな公開市場操作を行わないとバンキングセクターが考えるとするならば、バンキングセク ターにとって総準備の利用可能性に関し何らかの制約が働くことになる。そうであるからこそ、バンキングセク ターにとって流動性を調節するため積極的にALMを行う根拠が生じることになるのである。仮に必要準備を超え る超過準備をバンキングセクターが保有すると、この超過分は資金の貸出需要や預金の予期せざる変動を吸収す るバッファーとして機能するようになる。前章で考察したように産業的流通に関わる貨幣の金融動機や、金融的流 通に関わる予備的動機はバンキングセクターにとって予期せざる預金の変動要因となるであろう。バッファーとし て保有する超過準備量はそうした動機が発生する確信の程度に依存することになる。こうした超過準備をベース レートの上昇をきたすことなくバンキングセクターに保有させるのも中央銀行の貨幣供給コントローラビリティー の表れと捉えることもできよう。
かを考察する。(3.2)と(3.3)より、
ai = ri−Ri
= (
P2i−P1i) /P1i·(
Qi2/Qi1)
; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.4) が導出される。この調整要因aiは、当該資産の実物表示の自己利子率Riを貨幣表示の限界効率riに変換する役 割を果たすことにより、様々な資産の自己利子率を単一の価値標準として比較可能にする機能を有する。個々の経 済主体はこうした共通の価値標準で測った自己利子率が等しくなるように資産を選択して、金利裁定メカニズム を通じ資産価格を均衡へ収斂させる諸力が作用するとしている。
さらに上式を
ri=(
P2i−P1i) /P1i·(
Qi2/Qi1) +(
Qi2−Qi1)
/Qi1; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.5) と変形する。P1i, P2iをそれぞれ現物価格、先物価格と置き換え、短期的に自己利子率を所与とすると、現物価格 と先物価格のスプレッドは、短期において貨幣収益率と実物収益率を均等化する調整要因として機能することが わかる。一方、長期では資産ストックの数量も変動することになるから、(3.5)の右辺第2項も調整要因として作 用することになる。第1項を資産価格調整要因、第2項を資産数量調整要因と考えれば、このことは当該資産の 貨幣収益率が価格変数と数量変数双方により構成されていることになる。将来が不確実なことを鑑みればriは価 格と数量双方の期待に依存することを示している。
次に、貨幣自身の自己利子率rmも資産同様以下のように定義する。
rm= (Qm2 −Qm1)/Qm1; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.6) このように貨幣自身についての自己利子率も、他の資産と同様、現物・先物価格体系により表される異時的な市 場価値の関係であり、将来のQm2 と引き換えに現在Qm1 が支払われる債券の一種と考えることができる。
上記設定から貨幣的均衡を定義付けることができる。均衡において貨幣自身の自己利子率rmは全ての資産の貨 幣表示の自己利子率riに等しい。すなわち、(3.5)、(3.6)より次の関係が成立することとなり、Rogers(1989)[79]
はこの関係を貨幣的短期均衡としている24。
rm = ai+Ri
(Qm2 −Qm1)/Qm1 = (
P2i−P1i) /P1i·(
Qi2/Qi1) +(
Qi2−Qi1)
/Qi1; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.7)
(3.3)から明らかなように、貨幣的短期均衡では自然利子率と市場利子率の間の関係についてのヴィクセルの分析
が、資本資産の限界効率と貨幣利子率との関係における特殊な場合に他ならないことを示している。さらに貨幣 的長期均衡も定義することができる。長期均衡においては全ての現物価格と先物価格が等しくなるので調整要因
ai= 0、すなわち次式に帰着する。
rm=Ri; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.8)
24Conard(1959)[15]ch.8は、貨幣、食品、衣料品という具体的事例を用い貨幣的短期均衡について詳細に解説している。
このような貨幣的均衡から因果性に関する重要な含意が導き出せる。何らかの外生的あるいは政策的な理由に より貨幣利子率のr0mからr1mへの上昇が生じて、長期均衡状態が撹乱されたとする。貨幣利子率上昇が資本財市 場に与えるインパクトは、他の条件を一定とすれば、(3.1)より資本財の現物需要価格は供給価格を下回ることに なる。資本財の現物需要価格が供給価格以下に下落するということは、当該資本の生産停止を意味する。なぜな らば企業は損失を生じながら生産しなければならないからである。こうした現物価格の低下は、短期において新 規資本財の産出量減少から資本財ストックの低下を通じ、現物価格の下方への動きを次第に逆転させていくだろ う。それゆえ当該資本財の短期供給価格は需要価格よりも高くなり、産出量減少の結果として自己利子率Riは増 加する。こうした過程が持続すると長期均衡がストックの減少を通じて達成される。ゆえに、
rm⇒Ri; ∀i, i= 1,2,· · ·, n (3.9) という因果の方向の根拠が見い出せる。ヴィクセリアンの言い方では、市場利子率が自然利子率に一致するよう に動くというものであるが、本論の分析の結果、自然利子率の代理変数Riが市場利子率である貨幣利子率rmに 一致するように動くであろうという逆の結論が導かれる。このように自然利子率の代理変数は長期均衡において 貨幣利子率に常に等しくなる。しかし、この等式は様々な水準の産出量あるいは雇用のもとで成立し得るし、そ の因果関係の方向は貨幣利子率から自然利子率に向かうのである。さらに、この場合成立する貨幣的長期均衡に おける利子率r1mあるいはrm0 が、完全雇用をもたらすのに十分であるという保証はどこにも見い出せない。
それでは貨幣自身の自己利子率rmの水準はどのように決定されるのだろうか。Rogers(1989)[79]は長期利子率
が慣行性(conventionality)に依存し、慣行それ自体は金融政策を含む制度的、先験的に特定化できない心理的及
び他の歴史的な諸要因を反映している外生性の強いモデル化が困難なものと捉えている。市場参加者たちがある 特定の正常ないし慣行的利子率に確信を抱くに違いないという意味で、心理的要因は一定の役割を演じるのであ る。そうした確信が存在する場合にのみ、期待は非弾力的になり、市場の逸脱は自己調節的となる。もし確信が失 われれば期待は弾力的になり、市場は不安定の兆候を示すであろう。利子率は客観的もしくは実物的な要因によっ ては決定されないので、中央銀行は確信を維持することに迫られる。すなわち中央銀行は潜在的に不安定な主観 的要因を制御する重責を担っているのである。
ストラクチュアリスト・ビューにおける貨幣の重要性は、貨幣自身の自己利子率を具有する貨幣が諸期待と資 産の自己利子率水準とのジョイントとして用いられることより生じる。貨幣の金融動機や投機的動機が資産保有 均衡に関するフレームワークに入り込むのは、資本の期待収益とともに、流動性プレミアムによって規定される 貨幣の自己利子率を通じてである。
期待と自己利子率のジョイントとして貨幣を捉えるに際し重要なのは、慣行性が果たす機能についてであり、
Rogers(1989)[79]が強調した点もまさにその慣行性であった。期待の慣行的性質は、金融資産および実物資本の資
産価値評価を通じて経済機構に本質的に入り込むからである。貨幣に対する利子率は、経済主体が資本資産価格 の将来の推移に関する不確実性に直面する際の流動性に対する願望から生じるものであり、それは貨幣利子率が
将来どのように推移するかについての慣習的な判断に依存することになる25。
こうした慣習的な判断はまた、投資者あるいは市中銀行が期待を形成するにあたっての確信の程度や市場におけ る群衆心理によっても影響される。それゆえ期待形成は極めて心理的要因に作用される脆弱性の強いものである。
そのため、1)金融市場は多様な意見の同時的な存在によって形成されることになる。そして、2)慣習的判断の確 信の程度が脆弱化する場合には貨幣利子率が不安定に変動し、金融市場は急激な変動を被りやすくなるといえる。
さらに諸資産は様々な個人による慣習的な判断に基づいて保有される。そうであるとすると、成立する資産市場の 均衡は、将来に関する現在の期待の基礎がディスターバンスされる場合には、即座に資産構造がシフトするという 意味で、潜在的に不安定な均衡といえるであろう。そしてシフトの大きさはそうした意見が共有される範囲と、新 たな慣行が確立されるまでの時間の長さに依存するであろう。このようにストラクチュアリスト・ビューにおける 資産市場均衡の考えは、利潤最大化行動をとる投資者あるいは市中銀行のポートフォリオ選択行動に依拠してい ると同時に、個々人の多様な意見の脆弱なバランスに基礎を置く動態的な貨幣的均衡にその本質があるといえる。
もし貨幣の本質が現在と将来とを結ぶジョイントとしての機能を有しているのだとすれば、貨幣は経済主体に よって将来期日に何らかの価値があると考えられる場合にのみ、そうした機能を果たすことができるにすぎない。
貨幣利子率が基礎を置くこの種の期待は、貨幣価格の安定に関して同意された慣行に依存している。実質的に経 済の実物サイドに重心を置くヴィクセル型フレームワークにおいてはこうした慣行要因は無視される。中立貨幣 からなる実物交換経済のもとで成立する自然利子率が分析の出発点ではなく、自己利子率理論が整合性を持つも のであるとするならば、貨幣経済では実物交換経済のような実物的要因によって規定される自然的価値は存在し ないことになる、とストラクチュアリストは考える。それゆえ慣行的な貨幣利子率rmに自然利子率Riが引き寄 せられるという因果の逆転が生じるのである。
次に、貨幣の長期非中立性については以下のことが言える。不完全雇用均衡が成立している状況下でも、企業は
(3.8)で表される長期貨幣的均衡において正常利潤を得ており、それゆえ操業水準を変更する動機を持ち得ない。
その場合の有効需要点においては、現在の富を将来の富に転換するあらゆる手段の収益率は均等化されているた め、企業は生産を拡大する動機を持たないのである。これは現代資本主義貨幣経済において、明らかに(長期)利 子率が完全雇用を保証するのに必要な水準に向かって自動的に調節されるようなメカニズムは存在しないことを 意味する。また慣行的利子率に確信を抱く程度に応じて貨幣的均衡がいかなる水準においても成立するため、産出 量がいかなる異なった水準においても均衡する可能性を示すものである。このことから貨幣の長期的非中立性が 導き出せるのである。これを前章で考察した貨幣需要分析と併せて考えると次のことが言える。投資者あるいは 市中銀行の資産選択構造が基本的にボラタイルであるとするならば、当該資産構造に占める高流動性金融資産で ある貨幣も、その需要量に関し移ろいやすい諸期待に左右されるボラタイルなものとなろう。そうするとマクロ の貨幣需要に占める取引的需要、金融的需要が産業的流通を経て投資あるいは消費プロセスを経て資本ストック や実質国民所得に関係したとしても、貨幣の予備的需要や投機的需要を含めた貨幣総量全体として一定の関係に
25詳細はRogers(1989)[79]ch.10およびDocherty(2005)[21]ch.8参照。