第 3 章 金融システムショックと内生的貨幣供給理論 39
3.2 アコモデーショニスト・ビュー
アコモデーショニスト・ビュー、ストラクチュアリスト・ビューともに分析上の主な経済主体は企業、市中銀行、中央 銀行である6。アコモデーショニスト・ビューに属する論者はカルドア、Moore(1989,1994)[61][62]、Lavoie(1996)[53]、
サーキット論者7、Arestis(1988)[1]、Eichner(1987)[25]等が挙げられる。アコモデーショニストの視座が構築され ていった1980年代はその批判の矛先がオーソドックス・ビュー、特にマネタリストに向けられていた。以下では そうした初期のアコモデーショニストの視座に関し、企業と市中銀行、市中銀行と中央銀行とに分けて特徴を示 していく。
3.2.1 企業と市中銀行
資本主義的経済活動を考えると、企業が投資を計画実行し、収益を獲得するまでには相当程度の期間が必要で ある。すなわち支出時と収入時にラグが存在するため、企業が事前的な期待と事後的な結果の間の不確実性にさ
6家計は賃金稼得者として経済システムに入り込むが、賃金として受け取った収入フローを消費に充てるという機械的行動を取ると仮定す ることによって捨象している。あるいは自己生産的主体と考え、企業と一体としている。
7サーキット理論に関してはGrazini(2003)[35]、Nell and Deleplace(1996)[64]が詳しい。
らされることは不可避である。投資収益の変動性が高いと予想されると投資の不確実性が増加し、企業は生産お よび生産計画を縮小するであろうとアコモデーショニストは考える。
市中銀行の貸出量はあくまでも投資へのファイナンスを想定した貸出需要決定的(demand determined)なもの であり、オーソドックス・ビューのように信用乗数を介した預金量に依存するものではない8。市中銀行において、
超過準備が1単位増えたときに、それをもとにどれだけ信用創造が可能かという議論は、貸出需要が無限大に存在 するという仮定の上に信用創造能力の限界を見極めるための理論であり、現実の銀行貸出量を表す理論ではない ということが言える。市中銀行は資産ポートフォリオの目標を定めた上で、所要資金を調達することにより、銀行 負債を目標資産増加に適合するように調整するのを可能たらしめる。その際市中銀行は無制限に信用を与えるの ではなく、適正な担保を徴収し市中銀行が信用適格と判断した場合に、あるクレジットライン内において信用を付 与するのである9。当然のことではあるが、市中銀行は借り手企業に対して無制限に完全受動的な主体ではない。
利子率の自律的変化が貸付資本の均衡をもたらすとするワルラス型調整と異なり、アコモデーショニストはヴィ クセル型利子率調整過程を理論的基盤とする10。そのヴィクセルの考える利子率観は以下のようである。
ヴィクセルはバンキングセクターが信用条件の設定に支配的な力を振るうことが可能であると考えた。ヴィク セルの考えるバンキングセクターは競売人を想定せず、自由に貨幣利子率を決定することができる一種の独占的 組織であると考える。そこで重要になってくるのが自然利子率(natural rate of interest)の概念である。ヴィクセ ルは、貸付資本の市場で銀行貸付に採用される利子率に対して 正常 水準を画する利子率を自然利子率とよぶ。
それは、貨幣抜きの市場で貸し付けられる実物資本の需給によって決定される利子率、すなわち実物利子率のこ とである。バンキングセクターが当該貸付に際して、この利率と同水準の貸付利子率を採用すれば、物価水準は 不変に維持されると考えている。この意味でヴィクセルのいう自然利子率とは、物価に対して中立的な利子率で あるという意味を持つ。
そうすると、貸付資本市場で経常的に成立する利子率を貨幣利子率とした場合、それの高低の基準となる利率が 自然利子率ということになる。こうした考え方によれば、自然利子率は実物貸付資本の需給が均等化する一種の均 衡価格であるが、貨幣利子率が自然利子率から乖離したとしても自然利子率に収束する自律的な力は必ずしも作用 しないことがわかる。貸付資本市場で支配している貨幣利子率とは銀行側が彼らの貸付にあたって裁量的に設定 する利子率のことであり、貸付資本の需給によって市場で自律的にかつ非人格的な仕方で決まったものではない。
ワルラス的調整によれば、完備したバンキングセクターが存在する信用経済では、競売人によるせり上げせり 下げの機構と需給の法則が作用することによって、均衡ポジションから乖離した利子率はスムーズかつ速やかに もとのポジションに収束するという。これに対してヴィクセル的自然利子率観に基づくバンキングセクターは、市 場における利子率の調整をスムーズにする貸借の仲介者としてではなく、市場で通用する利子率を任意のどんな 水準にも、また任意のどれだけ長い期間にわたっても、決定しかつ維持しうる独占的組織であると考える。ワル
8単純な乗数過程では資金需要は無限大、あるいは十分に大きいと解釈される。
9水平な供給線の存在は、論争初期において誤解を受けた点として、ストラクチュアリストから指摘された点である。
10渡辺(1998)[152]p.6参照。
ラス型の貸付資本市場では貸付資本利子率は貸付資本の需給によって自律的に動く伸縮的なものであるのに対し、
ヴィクセル型の貸付資本市場では実物的諸力の均衡を体現している自然利子率と、資金の貸借である貸付資金の 利子率とが一致するようなシステムをバンキングセクターそれ自体は備えていないのである。ゆえに自然利子率 が貸付資金利子率と相当程度乖離する可能性を捨象するものではない。ただしその場合、景気中立的である自然 利子率が達成されないことから、物価11や産出量の変動をきたすことになる。その変動に対し、貸付資金利子率に 影響を与える中央銀行が短期金融市場金利を調整することになるのである。
中央銀行および市中銀行を 価格(利子率)決定者、数量受容者 として定義付けるアコモデーショニストにとっ ては、このヴィクセル的な利子率観が妥当性を持つことになる。ただし、貨幣形態の資本の貸借で決まる貨幣利 子率より貨幣抜きの実物資本の貸借で決まる自然利子率のほうが基本的ないし本質的だと考えるところは、ワル ラスに従うところであり、貨幣が現実の経済過程の説明においては副次的重要性しか持たないということを意味 するに等しい。そういう意味ではアコモデーショニスト・ビューはシュンペーターの区分で言うところの実物的 分析であるといえよう。
ただ、こうしたヴィクセルタイプの市場観には次のような批判が存在する。すなわち生産性や節約条件といった 実物的要因によって決定される自然利子率は、長期均衡状態というよりもむしろ短期的現象として位置付けられ よう。そうすると、中央銀行が適切な自然利子率の把握が困難な場合あるいは把握にラグがある場合、中央銀行 の短期金利操作をもってしても物価や生産量の安定が図られないことになる。
3.2.2 市中銀行と中央銀行
市中銀行と中央銀行のビヘイビアににかかわる重要なトピックとして、ベースレートの外生性および中央銀行 の準備供給の(一般的)受動性(Lender of Last Resort[以下LLRと略記する])が挙げられる。ここでベースレー トとはインターバンク市場やオープン市場等の短期金融市場にて決定される利子率を包括的に指す。中央銀行の LLRにはプルーデンス政策12としてのLLRと銀行の銀行として行動する通時的ビヘイビア13としてのLLRがあ ると考えるべきであろう。アコモデーショニストが主張するのは後者であることには注意が必要であろう。すなわ ち、中央銀行の目的が安定した金融システムを維持することにあり、流動性構造を支えるための弾力的な貨幣供
11例えば、貨幣利子率が自然利子率を下回る場合、完全雇用が仮定されるならば、資源に対する需要があると物価水準の上昇が起こる。物 価水準の上昇によって今度は、貨幣利子率と自然利子率との乖離を理由として発生していた余剰貨幣が減少する。そして銀行は状況が変化し たので自らの貨幣利子率を引き上げざるを得なくなる。このように物価の上昇と貨幣利子率の上昇はヴィクセルの分析によって説明できる。
産出量の変動については、小田・村永(2003)[104]を参照。
12金融システムの安定性維持に関わる各種措置の総称であり、経営の健全性確保を通じて金融機関の破綻を未然に防止しようとする事前的 措置と、取付け発生などを契機として金融システムが正常に機能しなくなるのを防止しようとする事後的措置あるいはセーフティネットとに 大別される。ここでは不測の事態により決済システムに混乱が生じたり、個別の金融機関の支払不能が金融システム全体の信用不安につなが る恐れがある場合、中央銀行が救済に乗り出すような非常事態を意味する。
13貸出に際し借手のイニシアチブが強調され、マクロ的には貸出が預金を創造すること、そして最終的貸手である中央銀行が金融システム の安定性を維持するためには、中央銀行はベースマネーを需要に応じて内生的に供給しなければならない。通時的LLRとはこうした意味で ある。