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第 8 章 非線形 VAR による金融政策効果分析 170

8.3 まとめ

考えられる銀行貸出を明示的に取り込んだ本章の貢献に拠るところが大きい。本章で活用した非線形VARモデル が更なる精緻なモデルを作成する出発点となりうる可能性が強いと思われる。

9 章 結びに代えて

日本銀行は1990年代に過去に類のない超低金利政策を採用したにも拘わらず、マネーサプライの伸び率は低迷 し不況は長期化した。現時点(2006年1月現在)でようやく景気回復の兆しが見え始めてきたが、それが本格的な ものかどうかは依然不確実である。さらに、量的緩和策としての準備預金の積み増しも、積極的に実体経済に影 響を与えているかといえば疑問が残り、依然金融セクターにて影響が歩留まりしている感がある(図9.1参照)。こ うした量的金融政策の効果と限界に対しさらなる検討を迫られているというのが現状であろう。

 経済主体は貨幣をなぜ保有するのか?貨幣と実体経済はどういう結びつきを持っているのか?このような貨幣の 図 9.1: 準備預金内訳とM2+CD伸び率

(出所)日本銀行

本質に関する問いに応えるため、本論文ではシュンペーターの区分でいうところの貨幣的分析(Monetary Analysis) に鑑み、バンキングセクターを中心とする金融システム内での各プレーヤー(市中銀行、企業、中央銀行)のビヘ イビアを分析してきた。その際に一貫して注目してきたのは、1990年代中頃から度々発生してきた大小金融機関 の破綻や、コール市場のデフォルトといった戦後ほとんど起こり得なかったイベントである。本論文では、金融 不安を金融セクター特にバンキングセクターの金融システムに対する不安心理であると想定する。これは、市中 銀行が企業の信用リスクを評価する際の確信程度の欠如と、市中銀行自身の流動性リスクを評価する上での確信 程度の欠如が合成されたものである。その不安心理が貸し手である市中銀行の流動性選好の急激な上昇となって

現れるのが本論文で定義するところの金融システムショックなのである。

 本論文ではこうした金融システムショックの生成プロセスおよび影響を含包する貨幣経済理論の模索を行ってき た。その結果、理論パートにおいて次のプロセスを主張してきた。すなわち、金融当局による制約(規制)のもと、

企業の資金需要に市中銀行が利潤最大化の観点からALM(資産負債管理)を行使したり、その一環として金融イノ ベーションを生起させることがある。さらにこうした金融システムの変容が、金融システムショックを引き起こす 可能性を内包しているということである。これは貨幣の特性から判断すると、1)貨幣には緩やかな内生性がある、

2)貨幣は長期的に非中立である、3)貨幣需要関数は不安定である、4)金融政策効果は非対称であるということを 意味する。これら特性が内在する有力な視座としてストラクチュアリスト・ビューがあり、第1部理論パートで は貨幣がこうした特性を持つものであることを仮説として提唱してきた。そして第2部実証分析パートでこれら 仮説を多元的なモデリングの手法(pluralist approach)により検証してきた。実証分析の結果は以下の各章でのま とめから得られるように、4つの仮説が概ね支持され得るものであった。

 第4章では、資産、貨幣保有の機会費用および金融不安度といった新要因の導入をもってしても、誤差修正メカ ニズムが否定されるばかりか、短期的な貨幣需要関数を導出するにも至らなかった。短期的にみて安定的な貨幣 需要関数が示せなかったということは、逆に貨幣需要関数の不安定性が示せたことになる。金融システムの絶え ざる変容により貨幣と実体経済の関係を示すパラメータが変動しているからと捉えることもできるのである。こ れは長期均衡関係をパラメータが固定的なものとして捉えている共和分分析の限界ともいえる。すなわちストラ クチュアリスト・ビューの妥当性が逆に含意されているとも考えられよう。

 第5章では、内生的貨幣供給仮説に関し、さらにアコモデーショニスト・ビューとストラクチュアリスト・ビュー に注意して検定を行った。分析結果として、銀行貸出による投資支出のファイナンスを通じて貨幣供給が内生的 に決定されるという、グレンジャーの意味合いでの因果性が強く検出される一方で、その逆方向因果性に関しても 弱いながら検出された。したがって日本では貨幣の緩やかな内生性を示す根拠の一つとしてストラクチュアリス ト・ビューが支持されるものと考察される。

 第6章では、その支持された貨幣の内生性に基づくイングランド銀行修正モデルが提示でき、ファイナルテス トによるモデルの頑健性が支持された。さらに短期外挿シミュレーションから、企業の期待の影響力の大きさお よび政策当局による金融政策の非対称的影響力が定量化された。

 第7章では、第6章での同時方程式体系に対し、構造型への再帰が可能な誘導型のVARモデル(構造VARモ デル)の推定、およびインパルス応答関数・分散分解分析を行った。結果、貨幣の特性として、貨幣の緩やかな内 生性および貨幣の長期非中立性が存在することを示せた。さらに期間区分による分析から金融環境の変化そして 金融政策効果の非対称性が示された。

 一方、第8章では、非線形VARモデルであるLST-VARモデルを用いて分析した。この手法は金融システムの 変容を連続的に捉えることができるVARモデルであると評価することができる。そして、バンキングセクターの ビヘイビアを強く表すと考えられる銀行貸出を明示的に取り込んだモデルによりインパルス応答関数分析を実施

した。結果は第7章と同じく、貨幣の特性として、貨幣の緩やかな内生性および貨幣の長期非中立性が存在する ことを示すことができた。

 ただここで注意せねばならないことは、ストラクチュアリスト・ビューは内生的貨幣供給理論の一派であるが、

それは主流派の視座すなわちオーソドックス・ビューを完全否定するものではなく、オーソドックス・ビューの貨 幣外生性とアコモデーショニスト・ビューの(厳密な)貨幣内生性の両特性を併せ持つ 緩やかな内生性(modest

endogeneity) を主張する視座であるということである。貨幣を内生面・外生面双方のフィードバック関係の中で

捉えていかねばならないという観点が、本論文での貢献により醸成されていくならばこれ幸いである。

 本論文における実証分析は、そのほとんどが近年活発に開発がなされ、現時点でもさらなる進化を遂げている計 量分析的手法の活用によるものである。各手法にはそれぞれ長短があり、どの手法をもってして単独で十分といえ るものではない。したがって本論文で行ってきたように各手法から導かれるインプリケーションを包括的に判断 することが肝要であろう。加えて、金融システムは絶えざる変容を余儀なくされるものであるために、絶えず最 新のデータで実証モデルをアップデートしていき、パフォーマンスのチェックをしていくことが必要である。こう した不断の研究姿勢が、将来に対して有効な金融政策上の提言および経済の構造解析に役立てられるのであろう。

 なお、本論文の成果から推察される課題としては以下の四点が挙げられる。一点目は金融市場及び金融システム で生じた動態的な変化が貨幣的分析としてどのように定式化されるのか、その結果、貨幣が長期において非中立 性を有する諸条件は何なのかについては必ずしも明確な理論モデルを用いて十分分析されたものではなかった点 である。確かに、本論文では第3章で暗黙金利の導入や新金融商品の開発という一例を提示してきたのだが、セ キュリタイゼーションの進行や資金調達における直接金融へのシフトは当然銀行行動に大きな影響を及ぼすもの であり、またBISの自己資金比率規制の実施に伴い、市中銀行の自己資本が融資活動に与える影響を通じて改め て貨幣の長期非中立性問題に重要なインプリケーションをもたらしている。金融システムショックの影響分析が本 論文での分析対象であったわけだが、これら経済の他の歴史的な具体的局面を特定化した上での制度的配置に基 づく経済分析も進めていかねばならない。

 二点目は労働市場を含めたよりマクロ的な議論の必要性である。本論文は貨幣と実体経済の関係を謳いつつも、

1990年代のアコモデーショニストとストラクチュアリストの論争で注目されてきたように金融部門経済主体のビ ヘイビアを精緻に検討してきた反面、実物経済特に労働市場要因の考察はGDPを対象とする分析に縮約されてき たことは否めない。ストラクチュアリスト・ビューが想定している主な経済主体は市中銀行、企業、中央銀行の3 者であり、家計を取り扱うにはより広いポスト・ケインジアンの視座に拠らねばならないが、ポスト・ケインジア ンが主張する定義、分析手法には相当の散らばりがあり、ベースとなる議論の集約がされていないように見受け られる1。そうした中で、本論にて論証してきた貨幣の4つの性質が、賃金として労働市場にどう関わってくるか

1ポスト・ケインジアンの経済学は、共通に合意された明確な理論的フレームワークがあるわけではないが、様々な観点からの理論的試み に共通する特徴は、歴史的時間、不確実性、制度的配置を理論構成上欠かせない要因として重視している。