第二章 プロトタイプ理論の研究
2.3 プロトタイプ理論の言語学への応用
李(2010)によると、図 2.2 の「実線と破線はカテゴリーへの帰属度の相違を示す。実線 は所属カテゴリーへの帰属度が明確なもの」であり、「破線は帰属度が曖昧なもの」(p.61) である。「食べ物」のカテゴリーにおける典型的なメンバーは「豚」や「卵」である一方、
「馬、カエル、イヌ、松」のようなメンバーを食べ物と捉えるか否かは「個人の経験や個 人がおかれた文化圏によって異なる」(p.62)と述べている。
また、李(2010)は、カテゴリー間の境界が明確に分けられるか否かがプロトタイプ・カ テゴリー論と古典的カテゴリー論の最も大きな違いであることを指摘した上で、図 2.3 で その相違を示している。
A B (a) (b)
[図 2.3:プロトタイプ・カテゴリー論と古典的カテゴリー論の相違(李 2010:62)]
図 2.3 はプロトタイプ・カテゴリー論と古典的カテゴリー論の相違を示したものである。
白黒で明確に分けられる(b)の古典的カテゴリー論に対して、(a)のプロトタイプ・カテゴ リー論は白と黒の間に複数の曖昧な境界が存在し、白から黒へ段階的に変化していくプロ セスが表されている。つまり、「白か黒かの二者択一」(李 2010:62)である古典的カテゴ リー論は、カテゴリー間に曖昧な境界の存在を認めないのに対して、カテゴリーの内部構 造に注目するプロトタイプ・カテゴリー論は、カテゴリー間の連続性及び曖昧な境界の存 在を認めるのである(李 2010)。
と考える研究者もいる。レイコフ (1987:70)によると、「有標性」は一種の典型性効果で あり、「1 つのカテゴリーの中である成員ないし下位カテゴリーが何らかの意味でその他の 成員より基本的であると解されるという不均整な現象を記述するのに言語学者が用いる用 語」であり、また、「無標の成員」は「カテゴリーの成員のうち一つのみが現れることがで き、また他のすべての条件が同じであるという場合に現れる成員である」と述べている。
さらに、鈴木(1980:12)は、「中心的な意味と周辺的な意味」の視点から、名詞、動詞、
形容詞(形容動詞も含まれる)それぞれの品詞カテゴリーに属する語彙メンバーが表す「カ テゴリカルな意味」を以下の図 2.4 のように示した。
[図 2.4:名詞・動詞・形容詞における中心的な意味と周辺的な意味(鈴木 1980:12)]
図 2.4 によれば、名詞、動詞、形容詞カテゴリーが示す中心的な意味はそれぞれ点線で 囲まれた内容であり、当該品詞の「文法的な特徴(品詞性)」(鈴木 1980:13)を表す。それ に対して、「周辺的な意味は、中心的な意味に照応して発達」したもので、「その品詞であ らたに発達した語彙的な意味」(鈴木 1980:13)ということになる。
鈴木(1980)のほかにもプロトタイプ理論を用いた日本語研究には、以下のようなものが ある。
有田(1999)は、プロトタイプ理論の観点から日本語の条件文を分析し、条件文の「空間 的拡張」と「時間的拡張」(有田 1999:103)を手掛かりに、典型例から非典型例への拡張 現象を捉えた。
スニーラット(2001:26)は「条件表現の意味を 8 つに分類」した上で、「日本語学習者 による習得順序」を調査する目的として、KY コーパスにおける「中国語・韓国語・英語母 語話者の自然発話から条件表現」を取り出している。「条件表現の意味分類で典型的なもの は『仮説』、『反事実(-過去)』と『反事実(+過去)』」の 3 つであるが、調査結果による と、「『仮説』は早く習得されるが、『反事実(-過去)』と『反事実(+過去)』の習得がか なり遅れている」ことが明らかにした。
菅谷(2002:77)は、KY コーパス26を用い、英語・中国語・韓国語を母語とする日本語学 習者計 90 名の発話データから、日本語能力と「イク・クルテイク・テクルの習得状況」の 関連を分析したもので、「イクは話者の視点と移動方向が一致する」ため、「クル」より過 剰使用の傾向が強く見られることを指摘した。また、「学習者の日本語能力の向上に従い、
本動詞と補助動詞は両方とも典型的な用法(『物理的空間移動』)から、非典型的な用法(『抽 象的移動』)へと使用が広がっていく」プロセスも観察している。
森山(2004:67)は、「前景を構成する動作連鎖全体に対し、ある背景(事態成立の基盤や さま)を補足的に示す」という共通の「スキーマ的意味」に基づき、格助詞「で」の放射状 カテゴリーを解明したものである。
加藤(2005)は、中国語の多義語“開”と“看”を中心に、9 段階評価の典型性判断テス トを用いながら、中国語を母語とする日本語学習者の日本語の語彙習得を調査した。その 結果、中国語において典型度の高い用法は母語転移が起こりやすい一方、中国語における 典型度の低い用法でも母語の知識に「依存する傾向があり、正の転移や過剰使用が起こり やすい」(加藤 2005:5)という現象を明らかにした。
白(2007)は、プロトタイプ理論を用い、多義語である複合動詞「~出す」を対象に韓国
26 KY コーパスとは、日本語学習者 90 人分の OPI テープを文字化した言語資料である。90 人の被験者を 母語別に見る と、中国語、英語、韓国語がそれぞれ 30 人ずつであり、さらに、その 30 人の OPI の 判定結果別の内訳は、それぞれ、初級 5 人、中級 10 人、上級 10 人、超級 5 人ずつとなっている。ま た、KY コーパス の K と Y は、コーパス作成の担当者となった鎌田(Kamada)と山内(Yamauchi)の頭文 字である。(http://www.opi.jp/shiryo/ky_corp.html)
語を母語とする日本語学習者の意識を調査したものである。その結果、母語の韓国語に直 訳できる用法(典型例として扱われているもの)ほど、学習者の受容度が高くなる傾向があ ることを明らかにした。
張(2013:98)は、プロトタイプ理論を援用しながら、67 人の中国語を母語とする日本語 学習者を対象に、文法性判断テストと文産出テストで日本語の受動文の習得順序を調査し ている。その結果、中国語を母語とする日本語学習者は日本語の受動文を習得する過程で、
「直接受動文(『被字句』との対応あり)」→「持ち主受動文」→「間接受動文」→「直接 受動文(『被字句』との対応なし)」という順序で習得が進んでいることを明らかにした。
また、この習得順序は母語の中国語に強く影響されているため、「母語のプロトタイプのメ ンバーと対応するものが習得されやすい」と主張している。
以上の諸研究から、プロトタイプ理論は言語研究、日本語研究において、語彙の典型的 な用法の比較、有標性と無標性の区別、品詞間の連続性の解明や語彙の習得研究まで、幅 広く応用されていることが分かる。