第二章 プロトタイプ理論の研究
2.4 プロトタイプ理論の発展及び問題点
語を母語とする日本語学習者の意識を調査したものである。その結果、母語の韓国語に直 訳できる用法(典型例として扱われているもの)ほど、学習者の受容度が高くなる傾向があ ることを明らかにした。
張(2013:98)は、プロトタイプ理論を援用しながら、67 人の中国語を母語とする日本語 学習者を対象に、文法性判断テストと文産出テストで日本語の受動文の習得順序を調査し ている。その結果、中国語を母語とする日本語学習者は日本語の受動文を習得する過程で、
「直接受動文(『被字句』との対応あり)」→「持ち主受動文」→「間接受動文」→「直接 受動文(『被字句』との対応なし)」という順序で習得が進んでいることを明らかにした。
また、この習得順序は母語の中国語に強く影響されているため、「母語のプロトタイプのメ ンバーと対応するものが習得されやすい」と主張している。
以上の諸研究から、プロトタイプ理論は言語研究、日本語研究において、語彙の典型的 な用法の比較、有標性と無標性の区別、品詞間の連続性の解明や語彙の習得研究まで、幅 広く応用されていることが分かる。
A′
A B
[図 2.5:ネットワークカテゴリーの拡張イメージ(ラネカー2000:77)]
図 2.5 によると、多くのプロトタイプ事例が持つ共通部分から最も基本的なスキーマ“A”
が抽出される。また、プロトタイプ事例の横方向の拡張である“B”が現れる。スキーマ A と事例 B には異なる部分はあるが、両者の共通部分からさらに縦方向のスキーマ“A′”が 抽出される。ラネカー(2000:76)は図 2.5 において、「プロトタイプからの拡張によるネッ トワークの『横方向』への拡張はより高次のスキーマの抽出による『縦方向』への拡がり を引き起こす傾向がある」と述べている。
また、河上(1997)によると、Langacker (1987)は、子供の認知過程に見られた[TREE]と いう概念カテゴリーの拡張を図 2.6 と図 2.7 のような 2 つの段階から捉えているという。
第一段階
[TREE]
樫 カエデ ニレ
[図 2.6:概念カテゴリーの拡張過程その 1(河上 1997:52)]
子供は最初の認知段階で、「樫、カエデ、ニレ」などのような広葉樹から「TREE」とい うスキーマを抽出する。
第二段階
[TREE′]
[TREE] 松
樫 カエデ ニレ
[図 2.7: 概念カテゴリーの拡張過程その 2(河上 1997:53)]
針葉樹である松は、第一段階で得られた広葉樹と葉の形状が著しく異なるが、木の皮、
幹、根元など部分的な共通性に基づいて、子供は松を木のプロトタイプスキーマからの拡 張メンバーとして認識する。河上(1997:53)によれば、「この段階は、子供の『木』の概念」
のスキーマ的ネットワークが形成されたということになる。
つまり、ラネカーのネットワークカテゴリー観は、異なるスキーマ間に見られる部分的 な共通性に基づき、新たなスキーマが連続的に派生される状況をネットワークの形で動態 的に捉えたものである。このようなラネカーの見方は、プロトタイプ事例の拡張のみなら ず、カテゴリーの構成を支えるメカニズムまでも解明すると思われる。
2.4.2 抽象名詞カテゴリー拡張のメカニズム
ラネカー(2000)の、プロトタイプ事例の拡張はスキーマの連続的な抽出によって形成さ れるネットワークカテゴリーである、という考えを用い、形容動詞カテゴリーが示す統語 的特徴の拡張を考察すると、そのメカニズムは図 2.8 のようになる。
(ラネカー2000:91 の内容をもとに筆者作成)
[図 2.8:形容動詞カテゴリーと抽象名詞カテゴリーの合成]
図 2.8 によると、連体形「な」のみの適用と格助詞との共起不可から「形動」のスキー マが抽出される。一方、連体形「な・の」の併用と格助詞との共起可から「名・形動」の スキーマが抽出される。なお、「平和・健康」など多くの「名・形動」は状態概念を示すた め、本研究では辞書に「名・形動」と記載されたものは抽象名詞カテゴリーの下位分類と して扱うことにする。その上で、図 2.8 を眺めるならば、統語的に、「な」のみの適用から
「な・の」両方の適用、また、格助詞との共起不可から共起可への拡張と共に、形容動詞 カテゴリーに属する語彙メンバーの典型性の移行、さらに、品詞カテゴリーの変化が起こ ることになる。
しかし、実際の統語的特徴の拡張はより複雑と思われる。ここで、改めて上原(2003)が 挙げた形容動詞カテゴリーが示す統語的特徴の典型性の変化を見てみたい(表 2.2 参照)。
[表 2.2:形容動詞カテゴリーが示す統語的特徴の典型性効果の段階別分類]
表 2.2 で、上原は形容動詞カテゴリーに属する語彙メンバーが示す統語的特徴の典型性 効果を四段階に分けている。「格助詞との共起」の列は図 2.8 の共起不可から共起可への変 化と一致している。問題となるのは「連体形『の』との共起」の列である。図 2.8 では連 体形「な」から「な・の」へ変化しているが、実際の統語的特徴の拡張における連体形「な」
から「な・の」への変化は一様ではない。つまり、「一」段階から「二」段階では「な」か ら「な・の」へ変化しているが、「二」段階から「三」段階では「な・の」が再び「な」に 変化し、「三」段階から「四」段階ではその「な」が再度「な・の」に変化しているのであ る。このような連体形「な」から「な・の」への交替、あるいは、連体形「な・の」から
「な」への交替はプロトタイプ理論ではうまく説明できないものである。なぜこのような ことになるのだろうか。
それは、プロトタイプ理論が「文脈に依存する」(松香 2010:106)ことを前提に考えら れてきたものであるためと考えられる。そのため、文脈に依存しないモデルと文脈依存の モデルが混ざっている場合、どのプロトタイプ条件が優先的に形成されているのかがうま く説明できないのである。
形容動詞の場合、表 2.2 において、「格助詞との共起」及び「連体形『の』との共起」
の両方が可能という統語的特徴は非典型的な形容動詞に備わるものであり、「形容動詞性以 外に名詞性を持つ語彙である場合」という文脈を前提に成り立つものであるため、文脈依 存と言える。一方、「格助詞との共起」及び「連体形『の』との共起」の両方が不可能とい う統語的特徴は典型的な形容動詞に備わるものであることから、何の文脈も前提とせず、
文脈自由と言える。統語的特徴の典型性が強から弱に変化していく過程自体は、プロトタ 格助詞との共起 連体形「の」との共起
一 × × な 二 × ○ な・の 三 ○ × な 四 ○ ○ な・の
イプ理論のいう文脈自由から文脈依存への変化で説明することはできるだろうが、一旦、
文脈自由が文脈依存に変化したものが、再び文脈自由になり、その後、再度文脈依存にな るという現象は説明することは難しい。少なくとも、この現象はプロトタイプ理論だけで は解明できないものであり、プロトタイプ理論の限界を示すものである。そこで本研究で は、この形容動詞の典型性効果が現れる要因を解明するために、以下の動的文法理論を援 用することにした。