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(19)薬剤部の歩み

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 144-147)

沿革

医学部史上、はじめて薬局の存在が明らかな記録として残るのは1867(慶応3)年10 月、種痘所が壮猶館における医学研究部門と合併して、卯辰山養生所へと発展した時のこ とである。養生所に併置されていた薬圃及び舎密(シェイミ:Chemie)局を総理してい たのは、高峯譲吉の父、高峯精一であった。以後、1880(明治13)年に薬局長となった 大井玄洞から1945(昭和20)年の浅野順太郎までの薬局長の詳細については、「大学病院 歴代薬局長の面影」にまとめられている。1946年より1948年まで薬局長を平本実が兼薬 専教授の形で、1948年から1952年までは塚本長太郎、1952年から1959年までは田辺普 が、金沢大学教授を併任した。1960年より山名月中が薬局長、金沢大学薬学部教授併任 となったが、翌1961年、薬局が薬剤部と改称されたことに伴い、金沢大学薬学部教授、

同医学部附属病院薬剤部部長併任となった。附属病院の総合改築に伴って、薬剤部が全面 改築され、今日の姿になったのは1966年である。薬剤部長の教授職化に伴い、1979年1 月、山名月中は薬剤部初代教授を拝命した。その後1984年3月に停年退職した。同年6 月助教授市村藤雄が教授に選任され、現在に至っている。

診療と研究または研究業績

山名月中教授時代(1960〜1984年) 山名教授が金沢大学赴任当時、薬学部薬剤学教室

(現製剤学教室)は創設期にあり、その中で教育、研究のための人材の養成、設備の充実に 尽力した。教授は、米国のヒグチ(T.  Higuchi)博士と並び称される反応速度論の草分け で、学多才の士であり、卓越した洞察力と行動力をもって製剤学・薬剤学及び病院薬学の

分野に新時代を開いた。このとき確立された理論は、

反応速度論の薬剤学への応用を可能にしたもので、名 著『医薬品速度論』(山名月中編・南江堂、1979)は、

現在でも医薬品開発・研究に多くの施設で使用されて いる。

薬剤部では、山名教授の下で、水上勇三、市村藤雄 らが薬剤学の研究に従事、グルクロノラクトン類、一 連のβ-ラクタム抗生物質の加水分解反応及びβ-ラク タム剤とアミノグリコシド剤などの反応など、分子内 触媒反応及び酸塩基触媒反応の機構を明らかにし、薬 物の安定性研究の基盤を築き上げた。1976(昭和51)

年、その研究業績が認められ、「医薬品製剤の安定性に

関する速度論的研究」に対し、日本薬学会の最高峰である学術賞を受賞した。

さらに水上、市村は山名教授の下で、昭和40年ころから、薬剤業務の内容を推計学的に 解析・予測するという新応用部門を開いた。特にオペレーションズリサーチを応用した調 剤作業解析、患者待ち行列の理論およびシミュレーション解析は、見事である。その後、

水上は岐阜大学医学部附属病院教授・薬剤部長として転出した。

昭和50年代初期には、生物薬剤学的研究にも着手し、薬物動態学の研究結果を合理的な 薬物投与設計として臨床応用するという新展開を図った。生理学的薬物速度論による薬物 の体内動態の研究では、投与量に比例しなかったペンタゾシンのクリアランスが、ペンタ ゾシンそのものによる肝血流量の変化に由来するという稀な現象を突き止めた。この一連 の研究は、導入麻酔時におけるペンタゾシンの適正投与マニュアルとして、麻酔科村上誠 一教授との共同研究で完成させ、新しい導入麻酔法として広く用いられることとなった。

また、てんかん発作重積患者へのフェニトイン急速飽和法マニュアルの確立は、全国の施 設での抗てんかん薬の血中濃度測定、及び薬物療法へのTDMの活用としての応用を全国的 に広めるきっかけとなった。この成果などを基に、山名教授は日本薬学会103年会(1983 年、東京)において特別講演を行い、これからの病院薬剤師の一つの進むべき道標を示し た。

市村藤雄教授時代(1984〜1999年3月) 市村教授は、金沢大学薬学部から招聘した中 島恵美助教授とともに、薬物の適正使用という観点から、薬物の体内動態についての研究 の展開を図った。主な研究成果には、先に示したフェニトイン、ペンタゾシン等一連の薬 物療法のマニュアル化の充実、中枢性抗コリン剤ビペリデンをはじめとする塩基性薬物の 体内動態変動因子の解明、抗菌薬の小児における分布容積の予測と適正投与、薬物の腹膜 透過動態に関する研究などがある。薬物療法へのTDMの応用としての「血中濃度モニタリ ング」(臨床薬剤学、南山堂:1988)は、市村の力作であり、長年の臨床経験の所産であ る。さらに、将来の遺伝子治療時代に備えて遺伝子製剤の開発の研究に着手し、多剤耐性

写真7ー27 山名月中教授

遺伝子のアンチセンスオリゴヌクレオチドによる遺伝 子発現抑制の研究や、ケモカイン遺伝子導入等による 抗癌免疫療法に関する研究を開始した。既にケモカイ ンに関しては、腫瘍細胞へのMIP-1α遺伝子導入によ る抗腫瘍効果についての報文等注目されつつある。

一方、市村の指導の下、各部員は薬物投与設計確立 の経験を生かし、TDMをはじめ医療薬学を熟知した薬 剤師として、患者の薬物療法に貢献することを目指し て努力を積み重ねた。全部員とともに医療薬学の研鑽 を積み重ね、その成果として『疾患別服薬指導マニュ アル 第1、2集』(薬業時報社:1994、1997)を 著した。本書は、金沢大学各診療科医師の参加も得て

完成させた、主要な疾患の概要とその治療薬に関する服薬指導の項から成る労作であり、

本邦での薬剤師、薬学部生のための教科書として定着している。一方、この教科書を圧縮 させた内容を疾患数を92と増やして大学医療情報ネットワーク(UMIN)に公開している。

この間、全国的な医療薬学の発展に資するべく、臨床研究を支えてきた横川弘一副薬剤 部長は、1996(平成8)年金沢大学大学院医療薬学専攻・助教授に、中島助教授は、

1997年、共立薬科大学薬学部薬剤学講座教授として転出。中島の後任としては、同年4 月より松下良が助教授に昇任した。また技官の副薬剤部長は、旭満里子、古川裕之が担当 している。

薬剤業務としては、1984年には病院情報システム(医事システム)による処方せん発 行を開始し、さらにシステマトリーブによる薬品管理システムの稼働及び全科対象に薬物 血中濃度モニタリングを開始した。1988年には IVH調製、1991年には入院患者対象の服 薬指導を開始するとともに、薬剤部での治験薬の一括管理を開始した。1992年より全患 者への処方オーダリングシステムも稼働させ、1993年からは院外処方せん発行を広く保 険調剤薬局にも拡大した。1995年には全患者への注射薬処方オーダリングシステムの完 成に伴い、全国に先駆け、全入院患者を対象とした24時間対応の注射薬個人別セットを開 始し、病棟における注射剤の管理・使用の適正化・合理化に貢献した。1997年4月より 外来患者への医薬品情報提供のため、患者提供用医薬品データベースを医師とともに検討 し、発行を開始した。また同年7月からは新GCPに基づく薬剤部での治験薬一元管理を開 始した。これらの業績により、1993年に市村教授は日本病院薬剤師会病院薬学賞を受賞 している。

現在、市村教授は、金沢大学大学院医学研究科及び自然科学研究科の教授も務め、医学 生・薬学生、薬剤師の医療薬学教育に熱意を燃やしている。薬剤部では、1974年に金沢 大学薬学部生の病院薬剤部見学を開始し、1983年からは4年生全員に対し調剤実習の一 環として、午後2日間の薬剤部実習を定着させた。1989年には、薬学部医療衛生系学生

写真7ー28 市村藤雄教授

と他大学薬学生に対する2週間の病院薬学実習を開始した。一方、1991年度から正式に 薬学部4年生に対する薬剤部での卒業研究が開始され、さらに次年度からは、大学院修士 及び博士課程学生の研究を指導することとなった。さらに、1996年度からは病院当局の 支援を得て、学部学生の実習に加えて、医療薬学専攻修士課程(24名)の6ヵ月にわたる 病院実務実習を開始した。最近では、日本薬学会116年会(1996年)では医療薬学部会を 担当し、医療薬学研究の充実・発展に精力的な貢献を果たした。現在、薬学教育協議会委 員の他に厚生省関連の研究班員も務め、日本における医療薬学の発展とその教育の充実に おいて、金沢大学薬剤部は重要な位置を占めるに至っている。

現状と将来

医療をめぐる環境が激変する中、薬剤部では医療薬学の研究、教育の充実、及びその成 果としての実践業務の発展に努めてきたが、現在、その内容の更なる発展・充実を目指し て以下の基本方針を立てている。

① 患者のQOLに配慮した先駆的業務の推進、優れた情報提供による服薬指導と副作用 防止、TDMによる薬剤の適正使用コントロール、院内感染予防等に精力的に貢献する。

② 優れた医療人としての薬学生の教育を目指した実習・研修の推進、充実化を図ると ともに、さらに薬剤師免許取得者を対象とした教育の促進にも努める。

③ 先進医療のための臨床薬学的研究(適正投与のための薬物動態・遺伝子製剤の臨床 応用)を行う。

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