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(12)寄生虫学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 55-58)

りつつあった1978(昭和53)年ころから開始され、疫学的、生理学的、毒素学的分野で 優れた研究成果を挙げている。ボツリヌス菌に関する主な研究テーマは、ボツリヌス症及 び土壌における分布である。分布の研究は、日本各地で多数の野鳥の斃死が見られたこと が契機となり、1974年ころから始まった。山川清孝講師らとともに、日本のみならず、

中国、ケニア、パラグアイなど、研究を世界的に展開し、多数の重要な研究成果を発表し ている。

教室は、日本のクロストリジゥム研究の中心的存在であり、また日本細菌学会のクロス トリジゥム菌株保存機関でもあり、多数の研究者に菌株を分与している。1993年、唐澤 忠宏助手(1997年、講師)が加わり、分子遺伝学的手法が本格的に導入され、ヒト細胞 におけるセカンドメッセンジャーであるサイクリックADPリボースを標的とする細菌毒素

(酵素)の研究が、新研究分野として加わった。小倉壽助教授は麻疹ウィルスによって起き る亜急性硬化性全脳炎を研究テーマとし研究を展開、ウィルス学の教育を担当していたが、

1992年大阪市立大学医学部医動物学講座教授に転出した。また、クロストリジゥム研究 に携わっていた神谷茂講師は、1991年に請われて東海大学助教授に転出し、1994年4月 杏林大学医学部微生物学講座の教授に就任した。1986〜1997年の11年間に9編の学位論 文、96編(英文69編)の論文が発表されている。

21世紀には、感染症が深刻な問題となることが近年各方面から指摘されており、細菌研 究者の養成は重要な課題である。教育面では、伝統的に微生物学講座には細菌学、ウィル ス学、免疫学の講義・実習が課せられ、特に金沢大学がん研究所ウィルス部、分子免疫部、

免疫生物部、病態生理部の多大の協力により行われてきた。しかしながら、高度に分化・

発展した各学問分野を展望した時、多くの大学に見られるような各々独立した専門部門に よる教育体制の確立が望まれ、近い将来の大きな課題である。

室と改め、寄生虫学を担当することとなった。

医動物学講座は、1956年4月15日付けをもって正式に設置されることとなったが、渡 辺教授は同年12月、故宮田栄教授の後任として第1病理学講座を担当されることとなり、

同教室へ転出された。その後、太田五六助教授が教授不在のまま約16年半の間、教室主任 として教育・研究の責を全うされた。1957年9月から1959年12月まで、太田助教授が米 国留学の間、当時千葉大学医学部の教授であった横川宗雄博士が非常勤講師として来学し、

寄生虫学の集中講義を担当した。

1973年4月、太田教室主任は故石川太刀雄丸教授の後任として、第2病理学講座を担 当することになり転出した。そのため、1974年4月1日付けをもって吉村裕之教授が秋 田大学医学部から着任し、1976年5月には講座名を寄生虫学講座と変更され、教室名も 医動物学教室から寄生虫学教室と改称した。吉村教授は15年にわたって講座を担当し、

1989(平成元)年3月停年退職した。

吉村教授退官後は、近藤力王至助教授が教室主任として講義・実習・研究に当たった。

1990年8月から1994年7月まで講師を務めた赤尾信明は、東京医科歯科大学講師に迎 えられ、また、1991年4月から助手を務めた大山卓昭は、1994年8月から1996年6月 までJohns  Hopkins大学に国際医療計画学の研修に出張した。1995年3月に近藤助教授 は教授に昇任し、同3月末に停年退官した。近藤教授の退官後は、病理学第1講座の中西 教授が寄生虫学講座主任を併任した。

1995、1996年度の寄生虫学講義は、金沢医大・医動物学池田照明助教授(非常勤)に よってなされた。これに加え、熱帯医学及び国際医療協力の現状を学生に理解させるため に、板倉英世教授(長崎大)、多田功教授(九州大)を特別講師に招くとともに、寄生虫免 疫診断学に関しては辻守康教授(杏林大)、藤田紘一郎教授(東京医歯大)による特別講義 がなされた。アメリカ留学より帰国した大山助手は、1996年8月から1997年2月まで WHOコンサルタントとして、ニューデリー(インド)、ヤンゴン(ミャンマー)へ出張し て「小児麻痺根絶計画」に参加し、続いて1997年7月には国立感染症研究所(感染症情 報センター主任研究員)へ転出した。この結果、寄生虫学教室には専任教官が不在のまま、

併任の中西教授による寄生虫学全般の運営と講義並びに免疫学の特別講義を継続する形で、

寄生虫学教室の脱皮・新装を待つことになった。

教育と研究

渡辺四郎教授・太田五六助教授時代(1959〜1973年) この期間の研究体制は、まず渡 辺教授にて実験病理学を主体とし、細胞学、血液学の研究を遂行していた。渡辺教授が 1956(昭和31)年12月、故宮田栄教授の後任として第1病理学講座に移ったので、太田 助教授が血液学、細胞学の研究の流れを受け継いだ。太田助教授はこの間、血管内膜の病 理、肝疾患の病理に関して研究を進めるとともに、教育については、千葉大学医学部の横 川宗雄教授による集中講義で補った。

吉村裕之教授(1974〜1989年) 吉村教授は、1924(大正13)年8月15日生まれ、松 任市の出身。1949(昭和24)年、金沢医科大学を卒業、直ちに当時の渡辺病理へ入った。

1956年千葉大学助教授として横川教授の下に移り、1971年から秋田大学教授として寄生 虫学講座を担当した。そして、1974年から1989年に退官するまで15年間、当金沢大学教 授として寄生虫学講座を担当した。

吉村教授は、渡辺病理出身の病理学者でもあり、千葉大学横川教授の薫陶もあってか、

寄生虫病理に卓越した業績を世に出してきた。今日、我が国においては一般寄生虫症の減 少していく中にあって、早くから「人畜共通寄生虫症」に思いを寄せ、本症に関心の高い 人々を次々と招き、逐次研究体制を整えていった。中でも、幼虫移行症であるアニサキス 症、ヒトの肺イヌ糸状虫症の病理学的研究に加えて、虫体断端像による虫種同定など、寄 生虫の組織病理学的診断の根拠となる研究が進められた。これら研究の成果を基に多彩な 表現力をもって、一般医家、社会人に対しても、これからの寄生虫症について、予防医学 的な観点からも啓蒙活動に力を注いだ。この業績により、第37回北國文化賞を受賞し、社 会的にも高い評価を受けた。

吉村教授は、これら研究、社会的活動に加え、特にトキソカラ症(ヒトイヌ蛔虫症)に ついても強い関心を示し、近藤らを中心に推進してきた。

この間1976(昭和51)年、吉村教授は小泉賞(学会賞)を受賞した。一方では、9年 間の長きにわたり動物実験施設長として、早川助教授(動物実験施設)とともにその運営、

発展に尽した。

近藤力王至助教授・教授時代(1989〜1995年) 近藤助教授は、1930(昭和5)年3 月20日岡山県津山市に生まれ、大阪府立大学農学部獣医科を経て、1958年甲南大学理学 部生物学科を卒業すると、直ちに大阪大学微生物研究所(寄生虫・原虫学部)の森下薫教 授の門をたたき、その後京都府立医科大学に移り、助手、講師を経て、1975年吉村教授 門下に入った。

吉村教授時代から現在まで行われているイヌ蛔虫幼虫に関する研究では、宿主の免疫応 答には幼虫排泄・代謝物(ES)のうち、CON・A、ヒマ・レクチン結合の糖結合蛋白が抗 原であることを明らかにした。幼虫の微細構造並びにES抗原の分泌・排泄をつかさどる細 胞は、主としてブドウの房状をした小嚢胞を含有する巨大な排泄細胞であり、抗原の局在 はその小嚢胞壁並びにその腔内にあることが、免疫電顕学的観察から証明された。

また、アニサキス、イヌ糸状虫、広東住血線虫、種々の住血吸虫などによる疾患に対し、

虫体が排出するESを抗原とする研究も進み、抗原の種特異性が次々と確認され、血清学的 診断法を開発した。

一方では、国際医療協力(JICA)、国際緊急援助活動(JDR)とWHOポリオ撲滅計画、

熱帯地域海外在留邦人の健康管理事業(熱帯医学協会)に参加し、グァテマラ、ソロモン 諸島、トルコ、フィリピンをはじめ東南アジア諸地域へ出張するとともに、マラリア、オ ンコセルカ症、日本住血吸虫症など熱帯寄生虫症に関する研究も行われた。これらの研究

は、熱帯諸地域における国際医療協力の中で、寄生虫疾患の治療・予防対策を通し国際的 な貢献に寄与するものと意義深い。

近藤助教授は退官前に教授に昇任し、退官後は予防医学協会で活躍している。

現状と将来の課題

吉村教授・近藤助教授・赤尾講師らによって開発された寄生虫の免疫血清学的診断法は、

東京医科歯科大学に移籍した赤尾講師に引き継がれた。一方、国際医療支援の思想を持っ てJohns  Hopkins大学で学んだ大山助手は、国立感染症研究所に転任し、世界的感染症の 情報処理に当たることになり、それぞれ花を咲かせることになった。今後、新しい人材を 得て寄生虫講座が再出発することが待たれている。

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