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(2)内科学第2講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 75-78)

沿革

1883(明治16)年6月、石川県金沢病院に内・外科両科が置かれ、1897年12月に内 科が2部に分けられ、第一部長に山崎幹、第二部長に高橋剛吉がなった。次いで佐々木達、

田村昌、山本直枝、近藤清吾と就任したが、詳細は『金沢大学医学部百年史』に記載があ るので省略する。塩村和喜男は、1921年3月より1924年3月まで第2内科副医長として 勤務し、1923年4月に金沢医科大学となるとともに、第1内科と第2内科の外来診療室

や研究室の位置が明確に区別された。1924年4月に、大里俊吾教授が東北大学熊谷内科 助教授より第2内科講座主任として着任し、同年11月さらに小池亀代治を助教授に迎え、

第2内科講座の内容は完備した。

第2内科病棟は、1938(昭和13)年に建てられた旧館病棟(第6病棟)に、第1外科 とともにあった。大里教授は1944年2月まで在職したが、東北大学へ転任し、同年3月、

当時金沢医科大学教授兼結核研究所員であった日置睦奥夫が、第2内科主任となった。し かし、1957年5月、日置教授は不幸にも不治の病を得て、惜しまれつつ54才で他界した。

以後、倉金丘一助教授が第2内科主任を代行したが、約1年を経て、後任として群馬大学 教授であった村上元孝が迎えられた。1958年4月、再び第2内科は生気を呼び戻し、教 室員も増加し臨床、研究両面において一段と充実した。病棟は、1967年に新館病棟に移 転した。村上教授は1972年7月、東京都養育院附属病院長に就任のため退職した。同年 10月竹田亮祐が助教授より教授に昇任した。

1972年、金沢医科大学が開校され、関本博が老年科教授として、1973年10月村上暎二 助教授が循環器内科教授として転出した。病棟は、1979年より再び改築された旧館病棟

(第6病棟)へ戻り、現在の形となった。1981年7月、森本真平助教授が金沢医科大学内 分泌内科教授として、1983年10月、黒田満彦助教授が福井医科大学臨床検査医学教授と して転出した。1984年4月に元田憲、1987年4月に東福要平、1990年4月に中林肇が、

相次いで金沢大学保健管理センター教授に転出した。1994年3月、竹田教授が停年退官 し、同年7月、馬渕宏助教授が主任教授に昇任した。さらに1997年4月、宮森勇助教授 が福井医科大学第3内科教授として転出した。

診療と研究

日置教授時代(1944〜1957年) 日置教授は就任後、ドイツ留学中に学んだ脂質及び蛋 白化学を駆使して、結核の化学療法、次いでホルモンの臨床化学の分野で先駆的な研究を 続け、その成果は1950(昭和25)年5月、第25回日本結核病学会(金沢市)において発 表された。主なる研究は、①結核の実験的研究と化学療法、②実験的感染症の化学療法及 び抗生物質による治療、③ビタミンB1代謝(焦性ブドー酸測定とその臨床応用に関し研究 された)、④内分泌学に関する研究で、1954年の日本内科学会と内分泌学会との合同シン ポジウム「下垂体・副腎系」を日置教授が担当し、その後の第2内科の内分泌学の基礎が 形づくられた。これらの研究を中心として、92編の多数の学位論文が発表された。

村上教授時代(1958〜1972年) 村上教授の着任とともに、教授のライフワークである 動脈硬化症をはじめ、これと関連の深い高血圧、糖尿病に関し、成因・治療を実験的立場 から解決すべく、①脂質代謝、血管障害因子、②凝血、線溶、血小板機能、③血行力学的 因子、④内分泌的因子、などの実に多方面にわたる研究を展開した。村上教授は、1969 年8月には第8回国際ジェロントロジー学会(ワシントン市)において「粥状硬化症の予 防」についてのシンポジウムを担当し、1970年4月、第67回日本内科学会(福岡市)宿

題報告において「動脈硬化症、特にその成因と治療」と題し研究を集約した。

1968年4月から1972年3月まで、医学部附属病院長及び評議員として大学の管理・運 営に携わった。この間、1966年第8回日本老年医学総会、1966年第8回日本臨床血液学 会総会、1972年第36回日本循環器学会総会を金沢で開催した。症例を大切にし、深く掘 り下げていく真理の探求心、医学への情熱により、教室の研究活動は活況を呈し、51編の 学位論文が発表され、次世代の内科を担う人材が数多く育った意義深い時代であった。

竹田教授時代(1972〜1994年) 村上教授の後を受けて、竹田助教授が教授に就任し、

内分泌代謝学と循環器学を中心に教室が運営された。内分泌代謝学として副腎及び甲状腺 ホルモン、内分泌性高血圧、糖尿病、脂質代謝、消化管ホルモン、また循環器学として高 血圧、心筋症、冠動脈疾患、動脈硬化症、腎疾患など、多岐にわたる臨床と研究を展開し た。竹田教授は、1975年、第48回日本内分泌学会のシンポジウム「ホルモンと高血圧」

の司会を指名され、ミネラルコルチコイドやプロスタグランジンをめぐる高血圧の成因に 力を入れ、ミネラルコルチコイド研究に関する成果は、1986年第83回日本内科学会宿題 報告「ミネラルコルチコイド分泌代謝異常の臨床」として報告した。1983年から5年間、

厚生省特定疾患「副腎ホルモン産生異常症調査研究班」の班長として、日本における同疾 患の実態調査をはじめ、病態の解明、治療法の開発に全国レベルで研究活動を展開した。

竹田教授は、1984年4月から1986年3月まで金沢大学附属病院長、1986年4月から 1992年3月まで金沢大学保健管理センター所長、1992年1月から1993年12月まで金沢 大学医学部長を歴任した。1985年、糖尿病学の進歩、1989年、第32回日本糖尿病学会総 会、1992年、第66回日本内分泌学会と第42回日本体質学会を金沢で開催した。竹田教授 時代に学位論文は130編に上り、一連の竹田教授の業績に対し、1990(平成2)年第43 回中日文化賞が、1993(平成5)年第47回北國文化賞が、1997(平成9)年第51回金 沢市文化賞が授与された。この間、1983年4月第2内科出身の宮保進が福井医科大学第 3内科教授、1984年7月松田保が金沢大学医学部第3内科教授、1985年4月竹越襄が金 沢医科大学循環器内科教授、1992年1月内田健三が金沢医科大学内分泌内科教授、松井 忍が同大学循環器内科教授、1994年9月藤村昭夫が自治医科大学薬理学教授にそれぞれ 就任した。

馬渕現教授は、助教授時代から展開している「疾患の分子遺伝学的研究」で、家族性高 コレステロール血症や家族性CETP欠損症をはじめとするリポ蛋白代謝異常に関する研究 で業績を挙げ、N  Engl  J  Medの3編をはじめ、多数の一流医学誌に論文を発表してきた。

特に、コレステロール低下剤であるHMG-CoA還元酵素阻害剤の開発に関する先駆的な業 績は、New  York  Timesのニュースにもなったほどである。この薬剤は、現在世界で最も 広く使用されているコレステロール低下剤で、動脈硬化性疾患の初発予防、再発予防に画 期的な成果を収めている。1992(平成4)年、医学部十全講堂において、ノーベル賞受 賞者として名高いゴールドスタイン(Goldstein)とブラウン(Brown)両博士を招いて、

University  Forum―Kanazawaを開催し、同年12月、日本動脈硬化学会冬季大会を金沢

で開催した。

現状と将来の課題

馬渕教授が就任し、竹田教授時代の臨床・研究分野を発展的に継承するとともに、 臨床 例に基づいて、疫学から分子遺伝学まで追求する 方針が教室全体に浸透しつつある。家 族性高コレステロール血症、家族性CETP欠損症、家族性LCAT欠損症、家族性無βリポ 蛋白血症、肥大型心筋症、Wilson病、Gilbert症候群、Cowden病、Fabry病、Liddle病、

Bartter症候群、腎性尿崩症、多発性嚢胞腎、若年発症II型糖尿病、ミトコンドリア遺伝子 異常性糖尿病などに関して新しい遺伝子変異を見いだした。今後も内科疾患の遺伝子診断 と遺伝子治療を推進する予定である。内科学の専門化が進み、より高度な医療が求められ ているが、その進歩を担い得る人材の確保と、内科学の臨床と研究の均衡ある教室運営、

学生教育と卒後臨床教育の充実が、今後も追求すべき課題となっている。

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