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(17)産科婦人科学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 117-120)

医局員は5年間で学会認定専門医の資格を取得している。

以上、21世紀に残された大きな課題であろう癌の克服と感覚器障害の治療に対し、基礎 と臨床の両面から教室員一同日々研鑽をしており、今後とも多方面からの御支援と御鞭撻 を賜りたい。

て退官した。

1927年12月には笠森周護教授が着任し、本講座の充実・発展に尽くした。特に教室が 研究機関として確立し、形を整えてきたのは、笠森教授の欧米留学以後であった。戦時下 においては、空襲警戒、備品の疎開などに日夜奔走し、備品、建物などのすべては戦禍か ら免れた。1948年には、第43回日本婦人科学総会が金沢市において開催された。1953年 金沢大学教授(金沢医科大学教授併任)となり、1958年3月定年制の施行により、30年 余りの在職期間を経て退職した。

1958年12月赤須文男教授が着任し、産科婦人科領域における内分泌学的研究を精力的 に行い、それらの研究業績は誌上に、あるいは学会において数多く発表された。また、多 数の全国学会総会を金沢に招致し、学問の交流に尽力した。1971(昭和46)年3月定年 制により退職した。なお、笠森教授時代の終りころから、附属病院総合改装工事が始まり、

まず病室が1959(昭和34)年に現在の第3病棟に移転した。その後、産科婦人科学教室 関連の研究室、外来、分娩関連施設などが相次いで現在の総合棟に移転し、病院正面向か って右側の一角を占めていた以前の産科婦人科学講義室、同教室研究施設・病棟・手術場 は、すべて跡形なく取り壊された。1971(昭和46)年6月西田悦郎助教授が教授に昇任 し、教室伝統の研究主題である産科婦人科内分泌学に関する研究を継続した。1994年3 月定年制により退職した。

1994年11月に井上正樹教授が着任した。

診療と研究

久慈直太郎教授時代(1923〜1927年) 1923(大正12)年4月金沢医科大学の発足と ともに、同年5月金沢医科大学教授兼金沢医科大学附属医学専門部教授となり、1925年 には金沢医科大学附属医院長を併任し、本学と病院の発展に貢献した。また、日本赤十字 社石川支部産院の開設に尽力し、1925年には同産院長を兼任して、産科学教育の場とし た。1964(昭和39)年11月叙勲、二等瑞宝章。

笠森周護教授時代(1927〜1958年) 笠森教授時代の研究の中心は、主に組織形態学に よる実験内分泌学であり、エストロン・プロゲステロン・アンドロゲンなど性ステロイド の性器に及ぼす影響について詳細な組織学的研究が行われ、さらにその周辺の問題として、

副腎における性ステロイド・ビタミンC・Eの雌性性器に及ぼす影響、レラキシンの作用な どについて意欲的な研究が行われた。1933(昭和8)年には「人胎盤、妊婦血液並びに 妊婦尿中に於ける所謂黄体ホルモンについて」の学会宿題報告が笠森教授によって行われ た。臨床的研究としては、子宮癌の組織像についての検討、コルポスコープによる子宮腟 部拡大像の型分類、黄体ホルモン注射の子宮癌発育抑制作用に関する研究、子宮頸癌の放 射線治療面の研究、各種産科婦人科領域の手術機械の考案工夫などが挙げられる。研究面 では、ホルモンと癌を主題として攻究し、臨床面ではレ線設備に意を注ぎ、子宮癌の診断 と治療に業績を挙げた。1936年から1938年まで、附属医院長を務めた。1948年4月、

戦後第2回目の第43回日本婦人科学会総会を金沢医科大学において会長として開催、非戦 災都市ならではの総会であった。なお、笠森教授の在任期間は30年3ヵ月にわたり、その 間百十余名の教室員が育成され、34人に医学博士の学位が授与された。また停年退職後、

1972(昭和47)年2月に『婦人科手術図譜・同解説』の大著を執筆出版した。1968(昭 和43)年4月叙勲、二等瑞宝章。

赤須文男教授時代(1958〜1971年) 赤須教授時代は、尿中ホルモン測定を中心とした 臨床実験が研究の主流となり、尿中ゴナドトロピン、各種性ステロイド、副腎皮質ステロ イドなどについて広範な研究が行われ、臨床面では産科婦人科領域におけるホルモン療法 の理論と実際についての指導的研究業績が、数多く発表された。また同分野の研究で、53 人に医学博士の学位が授与された。さらに、第34回日本内分泌学会(1961年4月)、第4 回日本臨床細胞学会秋期大会(1965年10月)、第10回日本不妊学会(1965年10月)、第 16回日本輸血学会(1968年4月)、第21回日本産科婦人科学会(1969年4月)など種々 の全国学会総会を会長として金沢において開催し、中央及び全国との学問的交流にも力を 尽くした。

なお在職中、1960年より1962年まで附属病院長を併任し、病院の発展にも貢献した。

退官後も数多くの論文や著書を執筆。1979(昭和54)年4月叙勲、三等瑞宝章。

西田悦郎教授時代(1971〜1994年) 1971(昭和46)年、赤須教授の後を受けて西田 助教授が教授に就任した。教室における研究の主要なテーマは、笠森教授以来の産科婦人 科内分泌学をその中心として、赤須教授による性腺と副腎皮質性ステロイドに関する研究 の拡大に引き続き、副腎性アンドロゲンの性器に及ぼす影響に関する諸研究、女性の老化 とホルモン、生殖器としての乳房と内分泌などであった。赤須教授時代から引き継いだ同 分野の研究を含めて、28人が医学博士の学位を取得した。なお、西田教授が会長として金 沢で開催された全国学会総会としては、第27回日本母性衛生学会(1986年7月)、第32 回日本不妊学会(1987年11月)がある。臨床面では産科と婦人科に教室員を大別し、ま たそれぞれの専門研究分野を定めて、その道のエキスパート養成に努めた。

井上正樹教授時代(1994年〜現在) 1994(平成6)年11月、井上正樹が大阪大学講師 より教授に就任した。教室における研究の主要なテーマとしては、ヒトパピローマウイル ス(HPV)による子宮頚部発癌機序の分子生物学的研究、telomeraseを中心とした細 胞・増殖に係わる分子機構の解明、癌の湿潤・転移の機序解明、ホルモン分泌における細 胞内情報伝達機序の解明、受精・着床の分子機構の解明、早産発生の機序解明、癌化学療 法の臨床腫瘍学的研究、DHEA  receptorのクローニングが挙げられる。これらの成果は、

一流国際学術誌や国際学会などにおいて多数発表されており、また数人が海外に留学して おり、教室に活気がみなぎっている。

現状と課題

少子化の問題をはじめ、産婦人科医療を取り巻く環境は厳しいものがある。しかし、最

近の生殖医学における技術的進歩は目覚ましく、悪性腫瘍のQOLを考慮にIVF-ET、腹腔 鏡大手術は日常化しつつある。量より質の時代に入ったと言える。高いアメニティーの新 病院も建築の運びとなり、教室員一同教室運営のモットーであるOriginality(独創性)、

Internationality(国際性)、Humanity(人間性)を掲げ、来るべき21世紀に向かって、

女性のReproductive healthに日々研鑽している。

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