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(5)神経精神医学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 83-86)

沿革

1867(慶応3年)、卯辰山に養成所が創られた際に、癲狂院の記載があるのをもっては じめとする。オランダ一等軍医スロイス(Sluys,  P.J.A.)が1871(明治4)年3月に来 沢し、直ちに教則を改め、修業年限を5年とした際、第5年に精神病の学科名が挙げられ ている。1888(明治21)年の第四高等中学校医学部の職員表には、内科、精神科、小児 科の教諭に医学士黒柳清一郎の名が見られ、このころに精神医学の講義が始まったものと 推定される。1893年有松教授が内科とともに精神科を担任し、1900年、石川県金沢病院 に精神病室が造られ、1901年金沢医学専門学校に改称された際、内科の山碕幹教授が精 神科を兼務している。1903年、大西克孝内科医長が神経科医長を兼務し、1905年には内 科の松浦医長が、1906年には山碕幹医長がそれぞれ神経科医長を兼務している。

写真7ー18 ドラクマン先生をお招きして 写真7ー17 ランバート、レノン両先生をお招きして

1909年に東京大学助手の松原三郎医学得業士が金沢医学専門学校教授を命ぜられ、精 神病学、神経病学、法医学を担当した。1927年、東京大学講師の早尾乕雄が金沢医大教 授となり、精神病学教室を主宰した。1941年に秋元波留雄が金沢医大教授となった。

1942(昭和17)年教室主宰の下、第1回北陸精神神経学会が開かれ、その後北陸神経精 神科集談会と改称され、さらに北陸精神神経学会と改称し、今日に至っている(1998年 6月現在、第140回)。1958年、秋元教授は東大へ転出し、1959年、島薗安雄が金大教 授に任命された。同年9月には教室創立50周年記念行事が行われている。1960年、講座 名を精神神経科学から神経精神医学に改め、診療科名は1966年に精神神経科を神経科精 神科に改称した。1967年に、島薗教授は東京医科歯科大学教授を併任され、1968年、助 教授の大塚良作が昇任した。同年、竣工になった附属病院第5病棟へ神経科精神科病棟が 移転した。1970年には、教室出身の根岸晃六博士が医学部附属神経情報研究施設情報伝 達研究部門の教授に、1972年には、山口成良助教授が新設の金沢医科大学神経精神医学 教室の教授に就任した。1974年、大塚教授は病のため急逝され、1975年、金沢医科大学 教授の山口成良が教授に就任した。また、当時、福井県立精神病院院長鳥居方策が山口教 授の後任として金沢医科大学教授に、1978年に遠藤正臣助教授が富山医科薬科大学教授 に、1983年に伊崎公徳助教授が福井医科大学教授に就任した。1985年、遠藤教授が逝去 された。1986年、倉知正佳助教授が富山医科薬科大学教授に就任した。1990(平成2)

年には、山口教授は金沢大学医学部附属病院院長に就任し、2年間大学病院の電算化、診 療報酬の同月請求など病院の近代化に尽力した。1994年、山口教授の退官に伴い、福井 医科大学助教授の越野好文が教授に就任し、現在に至る。1996年には、石川県立高松病 院副院長・前助教授の小山善子が金沢大学医学部保健学科教授に、1997年には、地引逸 亀助教授が金沢医科大学教授に就任した。

1975(昭和50)年に、教室同窓会会則が作られ、山口教授が教室同窓会会長となり、

1976年から、金沢大学医学部神経精神医学教室同窓会会報が発行され、1998(平成10)

年現在で第23号に至っている。1994年からは、越野教授が同窓会会長を務めている。北 陸精神神経学会では、学会機関誌として『北陸精神神経学雑誌』が1987(昭和62)年に 創刊され、多くの重要な論文が掲載されており、1997年現在で第11巻に至っている。

診療と研究

松原三郎、早尾乕雄、秋元波留夫、島薗安男、大塚良作各教授当時の教室業績について は、『百年史』及び『百年史』以後に記載があるので省略し、山口成良教授時代からの教室 業績から記述する。

山口成良教授時代(1975〜1994年) 山口教授時代の教室の研究面での躍進は大きく、

研究分野も多岐にわたる。山口教授は、ネコを用いて向精神薬による睡眠の変化を研究し、

当時世間で問題となったトリアゾラムによる一過性健忘に注目し、動物実験から海馬神経 細胞の異常放電が原因である可能性を報告した。実験てんかんの分野では、動物実験によ

るキンドリング研究が行われ、地引助教授は急性キンドリングを提唱し、和田講師は視床 外側膝状体でキンドリングを成功させた。これらの業績でそれぞれ日本てんかん学会の J.A.Wada賞を受賞した。また、和田講師は1993(平成5)年にも、てんかん治療研究振 興財団の研究褒賞を受賞した。倉田助手(前富山医科薬科大学助教授)・木戸講師は神経 薬理学の分野で、向精神薬、とりわけ抗てんかん薬の治療濃度設定の研究に精進した。フ ェニトイン急速飽和法で多くのてんかん重責患者が救われている。また、当時最新式の高 周波装置でドーパミン受容体の研究を行っている。伊崎助教授・中村助教授・倉知助教 授・小林助手の病理組織グループは、新たに発見された神経蓄積症の広範な臨床病理学的 研究、失語症の視床変性、アルツハイマー病のコリン作動性神経細胞の定量研究と神経変 性疾患の細胞病理学的研究を免疫組織学を用いて行った。小山助教授は、臨床に密着した 神経心理学研究を行い、前頭葉症状、特に強制把握の研究や、当時まだ珍しかった進行性 失語症の臨床研究を報告した。木場助手は、臨床心理の研究から精神分裂病のエゴバンダ リーの著しい低下を報告し、神経症との比較を試みた。

臨床研究も活発で、文部省科学研究費による直接検診による分裂病予後調査が山口教授 在任中に2度行われ、ハロペリドール・デカノエイト導入後の分裂病予後調査は、1993

(平成5)年に行われている。また、離島における精神障害の調査も行われている。越野講 師は、遅発性ジスキネジアの脳波変化を大きな母集団で研究し、ジスキネジアの程度と脳 波の相関、予後などについて広範な研究を行った。睡眠研究は、古田助手を中心とした臨 床研究、すなわち睡眠時無呼吸症候群、神経疾患に伴う変容性睡眠の研究が活発に行われ た。金沢市における高齢者の睡眠障害の研究など疫学的研究も重要である。

山口教授在任中には、日本精神神経学会、日本てんかん学会、日本脳波筋電図学会、日 本神経心理学会、日本睡眠学会、脳波と筋電図データ処理国際カンファレンスなどの多く の重要な学会が開かれた。

越野好文教授時代(1994年〜現在) 1994(平成6)年、越野好文教授が福井医科大学 から転じ、教室を主宰することになった。教室の基本的な進路に変更はなく、世界の精神 医学の主流である生物学的精神医学を中心に、臨床に根ざした視点からの研究が進められ ている。また、北陸地方の研修医を対象にセミナーの開催や、精神科の治療の基本である 薬物療法のきめ細かい指導など、研修医に対する卒後教育にも力が注がれている。

教室の研究は、精神医学の広い領域に及んでおり、越野教授はパニック障害をはじめと する不安障害の治療と、心理・社会・生物学的研究に取り組んでいる。和田助教授は、キ ンドリングの手法を用いたてんかんの薬理学的基礎実験、臨床的には定量脳波及びコヒー レンス解析法を駆使し、精神分裂病や痴呆性疾患の病態解明に努力している。古田講師の 睡眠グループは、睡眠時無呼吸症の治療、睡眠覚醒リズム障害の病態解明、あるいは睡眠 障害の疫学研究を、小林講師・宮津助手の神経病理組織グループは、痴呆疾患を中心とし た神経変性疾患の細胞病理学的観点から細胞骨格や免疫異常を中心に研究を進めている。

東間助手のスライス及び精神分裂病研究グループは、神経心理学、画像診断、電気生理学、

さらには薬物療法の効果を含め、総合的に精神分裂病の本態に迫る研究を続けている。木 場助手の臨床心理グループは、MMPIの日本版の作成、精神分裂病や不安障害の心理テス トによる評価、臨床では行動療法を実践している。長年英国で精神分析を研究し帰国した 矢崎助手は、精神療法の実践と心気症についての研究をまとめている。1997(平成9)

年から着任した棟居助手が率いる児童青年精神医学グループは、自閉症に加えて登校拒否 及び摂食障害の医学的研究・治療を開始した。

現状と将来の課題

今なお精神疾患あるいは精神科に対する多くの人々の認識には自然さが乏しく、善くも 悪くも、特別視されがちである。「精神科は全然特別なところではない」ということの理解 を深め、精神科を広く開かれたものとすることは、精神科医に課せられた重要な課題であ る。そのために、我々は教室が主催した学会を活用し、市民を対象に公開フォーラムを同 時に開催するなど努力している。しかし、特別視される原因の一つに「精神障害は治らな い」という誤解があるのではないかと思う。現在我々精神科医は、多くの治療手段を活用 できるようになり、優れた治療効果が得られるようになった。治った人が増えることによ り、精神科が特別視されることも減ることが期待される。我々は病気を治すことを目標に、

治療上の様々な工夫を凝らし、臨床教育を行っている。また、脳の時代と言われて久しい。

しかし、多くの精神科疾患の原因はまだ謎に包まれたままであり、我々の挑戦を拒み続け ている。生物学的精神医学に基礎をおいて、精神疾患の病態解明への着実な研究を続けて いくことが本教室の使命である。

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 83-86)