沿革
本学医学部は、1862(文久2)年3月に加賀藩種痘所が設置した時をその起源とし、
1901(明治34)年4月に金沢医学専門学校に、1923(大正12)年4月に金沢医科大学 にと変遷を経て、1949(昭和24)年に金沢大学医学部となっている。
当教室は、泉伍朗が1922年11月に九州大学より金沢医学専門学校の教授に就任し、
1923年4月に金沢医科大学が発足するとともに、現在のような講座制がとられ、1949
(昭和24)年5月より金沢大学医学部外科学第2講座となって今日に至っている。
診療と研究
泉教授時代(1922〜1928年) 初代の泉教授は、1922(大正11)年11月13日から 1928(昭和3)年3月5日まで在任し、岡山医科大学教授として転出している。着任当 時、まだ内臓外科が導入されていない北陸地方ではじめての内臓外科の権威として、新聞 でも「内臓外科の新権威者、泉博士の着任」「胃癌博士」などと紹介している。泉外科時代 は、腹部内臓外科を主とした診療、研究が行われ、胆嚢、胃、脾などに関する論文30編を 発表している。1928年4月の第29回日本外科学会総会において、泉教授は「脾腫につい て−外科的方面」と題する宿題報告を担当しており、その1年前より教室では脾に関する 研究が行われていた。
熊埜御堂教授時代(1928〜1958年) 泉教授が転出した後、1928(昭和3)年6月16 日に熊埜御堂進教授が北海道大学より着任した。熊埜御堂教授の在任期間は1958年3月 31日までの約30年間と非常に長く、その間に第2次世界大戦を挟み、1949年には学制改 革により現在の金沢大学となっている。診療内容は、泉外科時代と大差なく内臓外科を主 とし、特に胃切除術、胆嚢切除術、腸閉塞手術などを得意とし、整然たる手術術式を完成 している。腹部内臓のほか、乳癌、甲状腺、肺結核、特発性脱疽、骨折、先天性奇形など あらゆる外科的疾患を診療していた。研究業績は、消化器系の病態生理を中心とした広範 な領域に及んでおり、指導学位論文は66編以上をみる。
本庄教授時代(1959〜1965年) 1959(昭和34)年5月1日、本庄一夫教授が京都大 学より着任した。本庄教授は、消化器外科の中でも肝臓、胆道、膵臓の外科を得意とし、
既に教室に導入していた全身麻酔法の進歩とともに、当時最先端であった広範囲肝切除や 膵頭十二指腸切除などの手術が行われた。教室員の教育として、臨床と研究の二面制度を 明確にし、臨床面の修練は症例検討会や最新文献の抄読会を通じて、研究的修練は年数回 のゼミナールの開催により、教授の直接指導が行われた。肝臓、膵臓を中心とした研究業 績は内外の注目を集め、指導学位論文は50編余りを数える。本庄教授は1965年4月1日 まで在任し、京都大学教授として転出した。
水上教授時代(1965〜1973年) 1965(昭和40)年8月1日、水上哲次教授が金沢大 学結核研究所より着任した。これまでの腹部内臓外科の伝統は水上外科時代も引き継がれ、
特に癌の基礎的臨床的研究に主眼が置かれた。教室員への教育は、症例検討会、抄読会に 加えて外科医として病理学的能力の必要性を重視し、ミクロクルズスが行われるようにな った。また、手術では合理的で迅速な手技・術式を教育した。研究業績は、癌の発生・増
殖と生体の免疫機能、内分泌代謝、自律神経機能などとの関連に関する研究や、臓器移植 に関する研究に及び、指導学位論文は45編余りである。1972年10月には、第34回日本臨 床外科医学会総会が水上教授会長の下で、金沢で開催されている。教授在任中、1966年 には麻酔科学教室の増設に伴い当教室からもスタッフとして参加し、これまで各科で行っ ていた麻酔はすべて麻酔科に依頼することになった。また1967年には、現在の臨床研究 棟が完成し、教室の移転が行われ、長年使用した教室研究棟は撤去した。水上教授は 1972年夏ころより食道癌に冒され、翌1973年3月15日に60歳で逝去した。
宮崎教授時代(1974〜1997年) 1974年4月1日、水上教授の後任として宮崎逸夫教 授が助教授より昇任し、はじめて当教室出身の教授が誕生した。同年6月1日には金沢医 科大学の開学に伴い、小坂進が教室員5名とともに同大学一般・消化器外科教授として転 出した。1977年10月1日には、金沢大学がん研究所外科学講座の新設に伴い、中川原儀 三が教授として転出した。中川原教授は1980年4月1日に福井医科大学の開学により同 大学第1外科学教室教授として転出し、その後任として教室出身の磨伊正義が、がん研究 所外科学教室の教授に昇任した。このように、この時期には多くの当教室出身の教授が輩 出し、教室の発展の一端が現れている。宮崎外科時代には、診療、研究面において各臓器 別の分担責任者が決められ、各分野で活発な活動が行われた。宮崎教授は消化器外科の中 でも特に胆道、膵臓を専門分野とし、これらの分野で多くの業績を残した。実験的膵石症 は、教室で開発したモデルで、広く内外から注目を集めた。臨床面では、膵臓癌、胆道癌 をはじめ消化器癌全般及び乳癌・甲状腺癌における治療法の開発を教室の研究課題とし、
癌に対する拡大手術を実践してきたが、後期にはQOLを重視した縮小手術の可能性も模索 し、多くの成果を残している。中でも、膵癌に対する拡大郭清手術の開発と、その術後に 起こる高度の消化吸収障害に対する管理法の確立は、この分野での進歩に大きく貢献した。
また昭和50年代後半からは、しばらく中断していた臓器移植に関する研究も再開し、膵臓、
肝臓、小腸などの移植を臨床応用すべく研究活動が続けられ、さらに、癌の発生・増殖に 関する分子生物学的研究も精力的に行われた。指導学位論文は、161編、発表論文は 2,136編(欧文327編)と膨大な数に上る。1982年5月には第7回日本外科系連合学会、
1988年7月には第32回日本消化器外科学会、1992年7月には第23回日本膵臓学会が宮 崎教授の会長の下で開催されている。宮崎教授は1997年3月31日まで在任し、停年で退 官した。
三輪教授時代(1997年〜現在) 1997(平成9)年7月1日から三輪晃一教授が助教授 より昇任し、現在に至っている。三輪教授の専門分野である胃癌をはじめ食道、大腸、肝 胆膵領域の消化器癌及び乳癌、甲状腺癌などの悪性疾患を中心に、診療、研究が進められ ている。さらに、膵臓、肝臓、小腸などの臓器移植を臨床応用すべく準備中である。
現状と展望
現在は、臓器別に分担責任者を置いて教授が統括するという従来からの体制を踏襲しつ
つ、診療に当たっている。消化器外科の一般として大部分の患者は悪性疾患であり、その 治療が最も大きな課題の一つである。早期癌に対しては術後のQOLを重視して、より機能 を温存した縮小手術を、一方、現時点で治癒不可能な進行癌に対しては、他の治療法も組 み合わせ、より積極的な手術を目標としている。また、欧米に比べて立ち遅れた感のある 移植医療も、今後は外科領域に大きな比重を占めてくると思われ、実施に向けて準備中で ある。
研究面ではoncologyを中心として、分子生物学的手法などを用いた基礎的研究から、臨 床例を対象とした研究まで幅広く行っている。
学生、若手医師に対する教育もまた大学病院の重要な業務の一つであるが、特に、学生 の臨床研修、研修医教育の充実を図っており、関連施設と連携した体制を目指している。