同年には飼育長制度が設けられ、橋本松太郎技官が学長から初代の飼育長に任命され、現 在の多賀たか子飼育長(1996年度就任)に至る間に、中尾好夫、小林昭一、津田政儀各 技官が飼育長に就任した。また1990(平成2)年11月には、本多登美夫技官が施設管理 主任に昇任し、さらに1993年4月、医学部に技術部が組織化されると、生体機能班の技 術主任に就任した。1990年までは、部局間の振り替えによって人員が確保されており、
1991年には内本淳技官が新規採用者としてはじめて配属され、翌年には鷺直由季子技官 が新規採用されたが、それ以後は新規の採用はなく、停年退職職員の補充はされていない。
そのために、1991年度から一部飼育管理業務を業者委託することとなった。
職員の業務は、当初の動物飼育管理から、最近は衛生管理のための微生物検査、特殊動 物の系統維持などにわたり、1994年からは、遺伝子導入動物作出支援のために必要なマ ウス初期胚の操作技術(凍結保存、体外受精、胚移植)の改良・錬磨にも取り組んでいる。
学外的には、1979年に施設職員を中心に日本実験動物技術者協会北陸支部が設立され、
第19回日本実験動物技術者協会総会(1985年5月)、第29回総会(1995年5月)が、本 多登美夫技官はじめ施設職員が中心となって、本学医学部で開催された。
現状と展望
動物実験の適正な実施の場としての施設整備の当初の目的は、一応達成された。しかし ながら、最近の医学研究の高度化と研究動向の変化に対応するためには、施設設備の近代 化が必要不可欠となっている。特に遺伝子導入動物を用いた研究の急増と、高齢化社会に 対応した脳神経分野の研究の増加に対しては、施設の支援無くしては成立し得ない。既に 文部省主催の施設教職員高度技術研修のプロジェクトが始まっているが、施設設備の近代 化と人材の確保並びに支援システムの開発に加え、全国の動物実験施設との連携、施設職 員の技術水準の向上が急務となっている。関係各方面の理解と協力が必要である。
3 医学科臨床講座の沿革と業績
転し、ここに第1内科の診療室が別棟として建設された。さらに1923(大正12)年に旧 制金沢医科大学となるとともに、第1内科の研究室や外来診療室が明確に区別され、歴代 の大西克孝、田村昌、山田詩郎、行徳健介教授の下に助教授以下のスタッフも充実し、教 室としての研究・診療体制が確立した。1932年10月には、山田詩郎教授の後任に谷野富 有夫教授が就任し、以後1961年3月に退官されるまでの29年間教室を主宰された。この 間、1949(昭和24)年に国立学校設置法の公布により、本教室は新制の金沢大学医学部 内科学第1講座として再出発した。
その後の教室の変革は、施設面においては1966年4月に外来診療棟及び研究室が完成 し、現在の教室へ移転した。さらに1980年3月には、旧館を大幅に改装した第6病棟が 内科病棟並びにその附属設備として完成し、今日に至っている。人事面では、谷野富有夫 教授の後任に武内重五郎教授が1961年5月に着任した。武内教授は医学教育法の改革に 情熱を示し、1964年より今日まで実施されている臨床実習(BST)、セミナーの新設、さ らには診療面における腎・高血圧、肝・消化器、循環器、内分泌、血液の各専門外来の創 設を行った。1969年には、谷野名誉教授に勲二等瑞宝章が授与された。1972年6月金沢 医科大学の新設に伴い、高田昭助教授が消化器内科教授として転出した。さらに篠田晤講 師、大谷信夫助手がそれぞれ腎臓内科、呼吸器内科主任として赴任し、後に主任教授に昇 任した。さらに廣瀬源二郎が神経内科教授に、高瀬修二郎、石川勲が高田、篠田教授の後 任として主任教授に、蓮村靖が同大学総合研究所教授に就任した。1974年2月、武内教 授が東京医科歯科大学医学部第2内科教授として転出し、同年9月に、国立がんセンター 服部信部長が第16代教授として着任した。服部教授は、診療、教育、研究のいずれの面に おいても武内内科時代の形態を継承、発展させた。1975(昭和50)年秋に開学した富山 医科薬科大学へ、1977年4月に杉本恒明助教授が第2内科主任教授として転出し、水村 泰治講師以下10名がともに赴任した。1980年5月に、野村岳而助教授が久留米大学医学 部第3内科教授、1983年1月に澤武紀雄講師が金沢大学がん研究所内科教授に就任した。
1986年、服部教授は肝癌研究の功績について北國文化賞を受賞し、1989年6月、都立駒 込病院長として転出した。後任には、小林健一助教授が1990年1月に昇任した。1993年 5月、高畠利一助教授が島根医科大学第4内科教授として赴任した。さらに医学部保健学 科の新設に伴い、1996年4月に高田重男助教授が生体情報学教授に就任した。また同年、
小林教授が服部教授に引き続き、北國文化賞を受賞した。この間、教室出身の大島徹が金 沢大学医学部法医学教授、土肥和紘が奈良県立医科大学第一内科教授、浅野喜博が愛媛大 学医学部細菌学教授に就任した。現在、本教室で育くまれた多くの人材が、北陸のみなら ず日本全国において内科学の広い専門分野で活躍しており、古き伝統の上に新しき歴史が 刻まれつつある。
診療と研究
谷野教授時代(1932〜1961年) 谷野教授が教室を主宰して以来、1939(昭和14)年
までの研究業績を論文集から抽出すると、消化器病学(慢性胃炎・レントゲン検査・潰瘍 食の研究)、感染症学(胃内細菌・結核菌・人工気胸療法の理論的研究)、循環器病学(冠 動脈の薬物作用と神経支配)、血液学(悪性貧血)、さらには基礎的研究として医化学岩崎 教授と血中残余窒素並びに光照射の血液生化学的影響、あるいは病理学杉山教授の方法に よる急性熱性疾患における白血球機能の研究などが行われている。これ以後、時代の背景 もあり、「低圧環境の生体機能に関する研究」が循環器系のみならず生体防御に至るまで教 室員全員で精力的に行われたが、敗戦とともに米軍による中止命令が出され、その成果は 惜しくも公表されなかった。しかし、教授の在任中に58編の学位論文が発表され、研究の ほかにも優秀な実地医家の育成にも力が注がれた。
武内教授時代(1961〜1974年) 武内教授の着任により、診療・教育・研究体制が一新 された。診療においては、いち早くカルテの英語化、再来の専門外来制(循環器、腎・高 血圧、一般、消化器、内分泌、血液)が導入され、総回診前の専門グループ別症例検討、
回診時のBSTと症例検討会、剖検率の向上とこれに基づく臨床検討会の充実が図られ、臨 床医の養成に留意した厳しい指導が実施された。教育面においては、1963年より小グルー プ制の内科診断学と、翌年よりBSTが教授の推進の下に導入された。武内教授の多くの著 書の中でも『内科診断学』は我が国における基準書となり、杉本恒明教授により改訂され 現在に至っている。加えて『内科診療指針』は、近年多数出版されている類書の原型とな った。研究面では、現在に引き継がれている第1研究室(内分泌)、第2研究室(肝・消化 器)、第3研究室(腎・高血圧)、第4研究室(循環器)の体制が整備され、各専門分野に おける国際的レベルに通ずる質の高い研究の促進が図られた。武内教授の研究分野は、腎 の生理及び病態生理、高血圧、冠動脈疾患の組織病理、冠不全並びに不整脈発生機序、心 機能評価法、肝臓の生理及び病態生理、肝障害における糖代謝と多岐にわたった。その成 果は、日本内科学会総会宿題報告などで報告され、さらに49編の学位論文として発表され た。
服部教授時代(1974〜1989年) 服部教授は、診療・教育・研究体制を継承し、特に研 究面において独自の構想を発展させた。教授自身の研究テーマである肝炎・肝癌について は、生化学、免疫、代謝面から肝癌の発生機序、診断・治療、さらには予防に至るまで多 面的に検討された。1975〜1983年まで厚生省がん研究班「がん診断を目標とした臨床化 学の研究班」班長の任に当たり、その多くの研究成果として肝細胞癌に極めて特異的な novelγ-GTPの発見、実験的ウッドチャック肝癌の樹立がなされた。さらに「難治性の肝 炎班」にも参加し、B型肝炎ワクチン、インターフェロンを用いたB型肝炎の予防と治療に も成果を挙げた。これらの成果を踏まえて「ウイルス肝炎から肝細胞癌」をはじめ多数の 著書・総説を上梓した。さらに教室のみならず、多くの施設と共同研究がなされ、教室に おいても前任の武内教授時代からの研究テーマを発展させた内分泌グループは、肝障害に おける耐糖能異常、糖尿病性腎症、腎・高血圧グループは、腎炎・ネフローゼ症候群、腎 微小循環、高血圧の血行動態、循環器グループは、不整脈、虚血性心疾患、循環調節機能