前立腺癌及び精巣腫瘍の臨床的治験も大規模に行われ、今後は排尿障害及び泌尿器科先端 医療の共同研究の開始も予定している。一方、研究体制としては、教授の専門である男子 不妊、内分泌領域においては、Y染色体の不妊責任遺伝子の同定、精子成熟過程における 分化誘導物質の同定など、分子生物学の技術を駆使した世界でも最先端のプロジェクトが 着々と進行している。また尿路性器癌グループにおいては、膀胱癌、前立腺癌、精巣腫瘍 の転移モデルの開発と転移、浸潤機構の解析、またモノクローナル抗体を使った標的治療、
さらに遺伝子治療の可能性などの研究に精力的に取り組んでいる。前立腺癌のホルモン不 応性獲得のメカニズムと、これを克服すべく癌細胞分化誘導療法の可能性などを基礎的に 検討している。排尿障害に関する研究グループでは、ラット脳梗塞モデルを作成し、膀胱 及び尿道の機能的、器質的変化を追うことにより、これらの病態の解明と新しい治療戦略 の展開を追求している。学内外の他施設との共同研究の必要性を重視し、金沢大学がん研 究所、産婦人科、核医学、解剖学、薬学部、北陸大学薬学部、岐阜薬科大学、東大人類遺 伝学、阪大細胞工学、ピッツバーグ大学、NIHなどとタイアップして共同研究を推進して いる。
現状と展望
現在、当教室の同窓生は150人を超え、関連施設は50病院・医院に達し、更に多くの施 設から泌尿器科医の派遣要請を受けている。これからの高齢化時代において、泌尿器科医 の活動範囲はますます拡大しており、その前途は期して待つべきものがあると考えられる。
医学教育、研究、診療において国際間の情報交換、共同研究の確立は必須であり、研修医 教育を含め、国際的にも通用する優秀な泌尿器科医の育成が今後の大きな課題である。
名古屋医科大学助教授中島実が教授に就任した。中島は、1940年4月に名古屋帝国大学 教授に就任したので、助教授倉知与志が教室を主宰することになり、1942年10月27日に 教授に昇任し、さらに教室員も増え業績が上がり、また病院長、医学部長を歴任した。
1971年3月停年退職のあと、助教授米村大蔵が教授に昇任し、病院長を歴任。1988年の 停年退職に合わせて、助教授河崎一夫が教授に昇任し、現在に至っている。
診療と研究
倉知与志教授時代(1942〜1971年) 網膜を中心として眼の新陳代謝の研究を進めた。
眼の新陳代謝については、網膜をはじめ眼球の各部分にある酵素の働き、また各種のビタ ミンあるいはホルモンなどを用いて組織呼吸の消長を探求した。第2次大戦直後に諸種の 困難を排して行われた錐体視物質に関する研究は、当時の我が国眼科学会における最先端 をいくものとして評価された。これらの生化学的研究の成果は、1963年第16回日本医学 会総会における総会講演として、「眼の新陳代謝、とくに網膜の新陳代謝」の演題で行われ た。本講演は、教授自身のライフワークであるばかりでなく、前任者中島教授以来の研究 の総決算であった。主として以上の研究に対し、日本医師会研究助成金、金沢市文化功労 賞、中日文化賞などが授与された。教授在任中に62編の学位論文が発表された。
臨床関係では、各種の新型検査器械、治療方法を取り入れ、診断治療の能率の向上を進 めた。すなわち、屈折異常の治療として
コンタクトレンズを早期から導入してそ の普及に努め、また弱視患者に少しでも 視力の増進をもたらすべく努力し、硝子 体置換術の1種である倉知法をはじめと する諸手術方法を考案した。1964(昭和 39)年、倉知教授の努力と石川県と金沢 市の4ライオンズクラブの尽力により、
金沢眼球銀行が発足した。附属病院長及 び医学部長をそれぞれ2期務め、院長時 代に長年懸案だった病院改築が決定した。
また、1950年から1963年まで十全同窓 会理事長を務めた。
米村大蔵教授時代(1971〜1988年) 臨床網膜電図学の創始者の一人として知られ、海 外渡航が容易でなかった1961(昭和36)年に、ストックホルムにおける第1回国際臨床 網膜電図学会に欧米以外からただ1人出席して、網膜電図electroretinogram(ERG)に おける律動様小波が諸種の網膜疾患の早期診断に有用であることを発表したことは、内外に 有名である。律動様小波の存在すら当時ほとんど知られておらず、律動様小波oscillatory potentialの命名も、米村教授によるものである。この報告以来、律動様小波を観察しやす 写真7ー23 金沢大学眼科創設満80年記念式場
(十全講堂)にて挨拶する倉知教授
(右)及び式場入口(左)(1964年10 月25日)
い強力閃光刺激ERG法が眼科臨床に定着 した。さらに、先天性色覚異常の他覚的 診断法の創案、網膜色素上皮の新電位の 発見などにも多くの業績を挙げ、多くの 欧米の教科書に引用されている。教授在 任中の学位論文は12編である。1977年 に日本眼科学会にて、翌年に国際臨床視 覚電気生理学会にてそれぞれ特別講演を 担当し、独創的方法論と巧みな臨床応用 に絶賛を浴びた。1980年から2年間附属 病院院長を務め、1982(昭和57)年に 金沢市文化賞を受賞した。1988年3月に 第92回日本眼科学会総会会長を務めたの ち、同年停年退職した。
河崎一夫教授(1988年〜現在) 1988
(昭和63)年に米村教授の後を受けて河崎 助教授が昇任した。入局以来、前任者米 村教授とのコンビにより臨床視覚電気生 理学の研究に従事し、眼科臨床に役立つ 新しい電気現象を次々と発見して、この 領域において、当眼科を常に世界の指導 的位置に保ってきた。大学院時代には、
早期視細胞電位を人眼ではじめて記録す ることに成功し、この電位の臨床応用を 開いた研究によって学位を取得し、この 仕事は多くの欧米の教科書にも付図とと もに引用されている。
1985(昭和60)年には、米村教授と共著で単行本『臨床網膜電図学』(医学書院)を著 した。1990年には、国際臨床視覚電気生理学会及び国際眼中毒学会の特別講演を依頼さ れ、1994年に国際眼中毒学会の特別講演を再度担当した。御家芸のこの分野の研究のほ かに、最近では心理物理学的手法による緑内障、糖尿病網膜症の早期診断装置(特許取得 済み)、さらに眼内感染症の治療法、眼内手術用の器具や素材の研究などにも研究範囲は広 まり、近年ではさらに新しい水晶体着色物質を発見し、また自然発症糖尿病モデルで動物 において網膜電図の異常のほかに、網膜における遺伝子発現の異常も見いだしている。教 授就任から1998年4月までの学位論文は27編である。
臨床面でも、技術革新の激しい眼科診断・手術領域においても絶えず最高の装置を導入 写真7ー24 第92回日本眼科学会総会を終了し て、真鍋理事長(右)から感謝状を 受け取る同窓会会長米村教授(左)
(1988年3月26日、国立京都国際 会館メインホール)
写真7ー25 米村・河崎のコンビによる単行本
『 臨 床 網 膜 電 図 学 』( 医 学 書 院 、 1985年)
して患者の期待にこたえ、外来患者数、年間手術件数、病床稼働率もともに高い水準を維 持している。
現状と将来の課題
臨床医学講座では、医療面においても最新・最高の水準を絶えず維持することが求めら れるのは当然であり、当教室においては、高度の技倆と最新の設備を要する網膜・硝子体 手術が既に実施され、黄斑下手術も最近開始され、従来不治であった疾患も治療して好成 績を収めている。さらに、最近社会的にも注目されている屈折異常(近視、乱視)矯正手 術も既に開始されている。研究面では当教室の長年の蓄積のある視覚電気生理学的手法の ほかに遺伝子学的手法、分子生物学的手法も加えて眼疾患の早期診断・病態解明に努めた い。その成果は、失明の第1原因とされる糖尿病網膜症に関して既に得られている。