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(12)整形外科学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 102-106)

つ、診療に当たっている。消化器外科の一般として大部分の患者は悪性疾患であり、その 治療が最も大きな課題の一つである。早期癌に対しては術後のQOLを重視して、より機能 を温存した縮小手術を、一方、現時点で治癒不可能な進行癌に対しては、他の治療法も組 み合わせ、より積極的な手術を目標としている。また、欧米に比べて立ち遅れた感のある 移植医療も、今後は外科領域に大きな比重を占めてくると思われ、実施に向けて準備中で ある。

研究面ではoncologyを中心として、分子生物学的手法などを用いた基礎的研究から、臨 床例を対象とした研究まで幅広く行っている。

学生、若手医師に対する教育もまた大学病院の重要な業務の一つであるが、特に、学生 の臨床研修、研修医教育の充実を図っており、関連施設と連携した体制を目指している。

教室員と同門会が一丸となって開催された。このことは、金沢大学医学部整形外科学教室 の業績が全国で認められたあかしでもあった。高瀬教授を中心とする骨腫瘍班は、組織培 養におけるヒト骨肉腫細胞の株化に成功し、電子顕微鏡による骨腫瘍細胞の微細構造の研 究やSr誘発骨肉腫の発生など、多大な成果を挙げていた。また、野村進助教授を中心とす る末梢神経再生と機能に関する研究も、高い評価を受けていた。これらの研究は、日本国 内ばかりではなく海外でも高く評価された。さらに、1972年に北陸リウマチ研究会が発 足した。1974(昭和49)年4月には東田紀彦が同門で初の金沢医科大整形外科学教授に 就任した。

野村進教授時代(1976〜1989年) 1976(昭和51)年3月に高瀬武平教授が停年退職 した後、同年6月からは、野村進助教授が2代目の整形外科学教授に就任した。この時点 で教室開講後23年が経っており、同門生からも優れた人材が各大学の教授に抜擢された。

1977年7月に山崎安朗助教授が金沢医科大学教授に就任し、1978年2月には、立野勝彦 講師が金沢大学医療技術短期大学部教授に就任した。また、高瀬名誉教授が10月1日付け で福井医科大学初代学長に就任した。1980年4月に山口昌夫が金沢大学医療技術短期大 学部教授に就任し、1981年4月には井村慎一助教授が福井医科大学整形外科学教授に就 任した。この間の学会活動としては、1977年に北陸骨傷研究会が発足し、1978年第1回 末梢神経を語る会と、第51回中部日本整形外科災害外科学会が野村会長の下で開催された。

社会に整形外科の認識が広まりつつあるこのころより、整形外科学教室への入局者は毎年 10人前後を数えるようになり、関連病院へも続々と整形外科の医師が派遣されるように なった。

写真7ー21 金沢大学整形外科開講3周年記念(最前列中央に高瀬教授)

1982年11月21日、高瀬名誉教授が72歳で逝去した。金沢大学整形外科同門会では一周 忌に『高瀬武平遺稿』、三周忌に『同門会報(高瀬名誉教授追悼号)』を編集した。1983 年には開講30周年を迎え、『金沢大学整形外科開講30周年記念誌』を発行した。1984年、

第27回日本手の外科学会が野村会長の下で金沢で開催され、学会誌の創刊事業に自ら着手 し刊行した。1986年8月、栄えある第1回日本整形外科学会基礎学術集会を主催した。

野村教授は創立会長としての名誉を担って、日本の整形基礎科学の方向付けを明確に打ち 出した。これは、将来の日本の整形外科にとって極めて重要な意義を持っており、快挙と 言うべき大事業であった。そして1988(昭和63)年7月、第21回日本整形外科学会骨軟 部腫瘍研究会を主催して好評を博し、これが野村教授現役最後の締めくくりの仕事となっ た。1989(平成元)年には、野村教授のライフワークを示す『末梢神経損傷文献集』、

『野村進教授退官記念業績集』が刊行された。

野村教授の時代で最も大きく変わった点は、現富田教授を皮切りにして多数の医局員に 海外留学の機会を与えたことである(計22名に上る)。海外生活において広い知識と視野 を身に付けさせようとの配慮であり、国際化時代を先取りしたものであった。

富田勝郎教授時代(1989年〜現在) 1989(平成元)年3月に、野村進教授が停年退職 した後を受けて、同年8月から富田勝郎助教授が3代目の整形外科教授に昇任した。初代 高瀬教授時代は教室の創生期、充実期であり、第2代野村教授時代は教室の拡充期、国際 化への転換期であった。そしてこの確固たる伝統の上に、第3代富田教授の時代となって 今日に至っている。1989年11月より金沢骨軟部腫瘍症例検討会発足、1990年12月には 第1回北陸脊椎外科研究会が開催された。1993年5月、金沢全日空ホテルで金沢大学整 形外科開講40周年記念会を開催した。医学部長(第2内科竹田教授)や病院長(皮膚科広 根教授)をはじめ、多数の医学部教授が参加した。同門会誌(開講40周年記念)を発刊し た。学会の開催に関しては、1995年8月日韓整形外科合同シンポジウム、1997年4月に は、日本創外固定・骨延長学会が富田会長の下で開催された。また1996年4月1日付け で、染谷富士子が金沢大学医学部保健学科教授に就任した。

現状と展望

野村教授時代同様、海外留学の伝統は現在も受け継がれているが、富田教授時代に入っ て学会発表の場が国際舞台へと大きく変わった。現在、脊椎外科、腫瘍、関節外科、手の 外科、スポーツ医学の各研究班が年2〜3回その成果を国際舞台で発表している。富田教 授の号令の下、金沢大学医学部整形外科学教室は世界に向けて飛躍し始めた。また、富田 教授の開発した悪性脊椎腫瘍に対する脊椎全摘術が世界的に注目を集め、今や我々が海外 へ行くだけではなく、逆に海外から多数の研究者、整形外科医たちが我々の教室を訪れる ようになった。さらに、国外の施設から手術の依頼もあり、教室員の誇りとなっている。

富田教授は、高瀬野村両教授の流れをそのまま受け継ぎ、骨肉腫及び悪性骨腫瘍の研究を ライフワークとし、骨悪性腫瘍への化学療法の導入、抗癌剤感受性試験の応用、切断術か

写真7ー22 金沢大学整形外科40周年(最前列中央に野村名誉教授と富田教授)

ら患肢温存手術への転換、脊髄全周除圧術、後方侵入脊椎全摘術など次々と新分野を開拓 し、我が国の骨腫瘍および脊椎外科の第1人者として確固たる地位を築いている。

現在の教室の状況であるが、医局には研修医を含めて約50名の医師がおり、入院病床数 は52名、1日の外来患者数は150〜200名、年間手術件数は1,000件を超えている。入局 者数は毎年10人以上となり、1997(平成9)年10月現在、同門会員数は330名余りに達 している。北陸3県を中心として関東や関西を含めて50余りの国公立関連病院を擁して、

名実ともに大教室へと変貌した。整形外科医の社会的ニーズを考えると、年間10人でも整 形外科医の充足度は不十分である。今後も富田教授の指導の下、医局員が一丸となって北 陸地区の整形外科をリードしていくのみならず、レベルの高い研究及び医療を行い、世界 に向けて発信していくことになろう。

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