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(13)衛生学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 58-61)

は、熱帯諸地域における国際医療協力の中で、寄生虫疾患の治療・予防対策を通し国際的 な貢献に寄与するものと意義深い。

近藤助教授は退官前に教授に昇任し、退官後は予防医学協会で活躍している。

現状と将来の課題

吉村教授・近藤助教授・赤尾講師らによって開発された寄生虫の免疫血清学的診断法は、

東京医科歯科大学に移籍した赤尾講師に引き継がれた。一方、国際医療支援の思想を持っ てJohns  Hopkins大学で学んだ大山助手は、国立感染症研究所に転任し、世界的感染症の 情報処理に当たることになり、それぞれ花を咲かせることになった。今後、新しい人材を 得て寄生虫講座が再出発することが待たれている。

歴代教授略歴及び教室業績

第3代大谷佐重郎教授 1922(大正11)年7月京大医学部卒業、同大学衛生学教室(戸 田正三教授)に入り、1925年10月助教授の後、1926年1月には金沢医大教授に就任し、

衛生学教室を主宰した。1949年1月から1953年まで、第1・2期日本学術会議会員に選 ばれ、1960年3月31日停年退職した。1969(昭和44)年11月3日多年にわたる衛生学 の研究と教育、地域社会での衛生行政の向上と衛生思想の普及に寄与した業績により、金 沢市文化賞を受賞した。退官後も、地方自治行政、衛生行政に関する各種審議会長、委員 会委員として活躍した。

教授は京大在職中より、従来の西欧直輸入の衛生学を日本の衛生学に改めるための諸研 究に参画し、学術振興会委員として、日本全国、さらには満州、中国にまで住居衛生に関 する調査研究を行い、その成果は、本邦住居の改善に益するところが多い。本学に着任後 は広く衛生学一般にわたる研究を指導したが、殊に発育に興味を持ち、従来の発育研究が いわば横断的なものであったのに反し、個人発育の追求による縦貫的な研究を行った。門 下からは、桐元武一教授(金大教育学部)、野村亨一教授(金大教養部)らが輩出している。

その他、労働の固定が女子工員に及ぼす諸影響に関する研究、呼吸力に関する研究、米 の搗精度と吸収率に関する研究、北陸地方の農・山・漁家の衣・食・住に関する調査研究 並びに実験的研究、気候衛生に関する研究、体感気候に関する研究、本邦乳児死亡に関す る研究、蛔虫感染の疫学的研究、キシラン分解菌に関する研究、ビタミンBの定量方法の 研究、同血中濃度に関する研究などがある。

第4代石崎有信教授 1933(昭和8)年3月金沢医大卒業、直ちに副手として衛生学教 室(主任古屋教授)に入り、1941年9月講師、1943年10月助教授に累進し、附属医専講 師を兼任し、主として栄養学方面の研究に従事した。1950年5月31日、金大教授に昇任 し、新設の公衆衛生学教室主任に就任した。1959年10月から1960年11月まで、文部省 在外研究員として、米国ジョンス・ホプキンス大学公衆衛生学部生物統計学研究室に留学 した。留学中の1960年4月、大谷教授のあとを受けて当衛生学教室主任教授に選ばれた。

教授は1944年以来、栄養能率研究委員会、国民食糧及び栄養対策審議会、総理府資源 調査会専門委員(栄養部会)などの委員を歴任した。研究も栄養学的方面、特にカルシウ ムに関する研究が主となっている。数理にも明るく、生物統計学を講義し、著書に『医学 研究のための統計法』(1955年)がある。

教授が衛生学教室を主宰するようになってからは、当時社会問題としても重大視される ようになってきた富山県のイタイイタイ病の原因究明に鋭意努力し、同病が河川の重金属 汚染によって発生したものであり、その主役がカドミウムであることを裏付ける幾多の業 績を発表し、動物実験でカドミウムの経口投与によって、腎性の骨軟化症を発症し得るこ とを立証した。その他、鉛などによる環境汚染についての疫学的調査と併せて実験的研究 を行った。

第5代橋本和夫教授 1954(昭和29)年3月金沢医科大学卒業。1955年3月大阪大学大

学院(医学部衛生学、主任梶原三郎教授)に入学。同年12月大阪大学医学部助手となり、

放射性燐標識菌を用いた結核菌の経気道感染機序に関する実験的研究に従事した。さらに、

工業化学物質、特に当時大量に用いられ始めたアクリロニトリルの中毒学的研究に着手し、

中毒作用機序として、ニトリル類一般に共通するシアン中毒に加えて、アクリロニトリル 分子自体、特に二重結合部位の作用が存在することを実験的に示した。この結果は、本物 質の変異原性や脂質過酸化作用などの関係で重要視されている。さらに、強い末梢神経麻 酔作用を持つことを、電気生理学的にはじめて明らかにした。

1960年4月、大阪府立公衆衛生研究所(梶原三郎所長)労働衛生部に転出し、労働生 理学の研究、特にアクリル系化合物の神経毒性作用について研究し、作業現場で発生した 各種の中毒性神経障害の診断、治療、予防などの労働衛生業務にも従事した。1966年か ら2年間、W.N.オールドリッジ博士の招きにより、英国MRC中毒学研究所生化学部にて、

アクリルアミド神経障害に関する研究を行った。

1975年6月金沢大学医学部教授(衛生学)に任ぜられ、アクリル系化学物質の神経毒 性の研究を更に発展させるとともに、各種工業化学物質の毒性予測を最終目標とする構 造・活性相関の研究、アニリン誘導体のメトヘモグロビン形成能と化学構造との関係解析、

培養神経細胞を用いた神経毒性予測法の開発などを行ってきた。

これら研究活動のほかに、国際化学工業職業病会議(MEDICHEM)理事、日本メディ ケム会長、産業神経・行動学研究会の代表世話人などとして、国内外の学会活動にも力を 注いだ。

第6代西條清史教授 1981(昭和56)年神戸大学医学部卒業後、直ちに神戸大学大学院

(医学研究科生理系薬理学専攻:主任田中千賀子教授)に入学し、1985年神戸大学助手と なり、主任住野公昭教授の下で、水俣病の原因物質である有機水銀をはじめとする各種重 金属の中枢神経情報伝達に及ぼす影響の研究を開始した。この研究は情報伝達にとどまら ず、中枢神経の生体防御機構の解析へと発展し、社会医学分野ではいまだ珍しかった分子 生物学的手法を真っ先に取り入れ、末梢臓器でしか役割を果たさないと考えられていたメ タロチオネインが、中枢神経でも生体防御の役割を果たすことを明らかにした。この間に は、日本学術振興会からシンガポール大学へ派遣され、同大学社会家庭医学講座において 鉛作業者の自律神経障害の研究を補助・指導した。

1989年1月から1990年4月の間、E.J.ネスラー教授の招きにより、米国エール大学精 神医学教室において、モルヒネ中毒時に生じる中枢神経遺伝子の応答に関する研究を行い、

脳の特殊な部位にのみ発現するエズリン・オステオネクチンなどの蛋白をクローニングし た。帰国後も、様々な化学物質や環境変化に応答する遺伝子の研究を続け、脳内にセレノ プロテインP類似蛋白という生体内抗酸化蛋白が発現していることを見いだした。1994

(平成6)年6月には助教授に昇進し、さらに11月には金沢大学医学部教授に任ぜられた。

環境変化を認識し、情報伝達し、適応するために必要な遺伝子の検索として、癌の悪性度、

近視の進展、アルコール中毒の進展などにかかわる遺伝子群を解析するとともに、高度に

分化した脳の各部位の機能・形態を決定する遺伝子の解析を行っている。

国内での活動のみならず、American  Society  for  Neuroscience(米国神経科学会)、

International Congress of Occupational Health(国際労働衛生会議)などをはじめと する様々な国際学会で活動中である。また建築行政、生活環境に関する各種委員として、

地方自治行政、衛生行政に協力している。

橋本教授時代から助教授を務める谷井秀治(1972年3月金沢大学理学部修士課程化学 科修了)は、主として各種工業化学物質の神経障害性・構造・活性相関について研究活動 を行うとともに、学生教育、教育運営の補佐役を務めてきたが、最近では、汚染化学物質 の神経障害機構を分子レベルから解明するように研究を発展させている。

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