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(11)微生物学講座史

ドキュメント内 医 学 部 (ページ 52-55)

沿革

日本の細菌学はドイツ流に衛生学の中から分かれて誕生している。以下年代を追って歴 代の教授について述べる。

上田計二教授:1912(明治45)年就任、衛生学・細菌学担当(学校名、金沢医学専門学 校)

児玉豊次郎教授:1915(大正4)年就任、衛生学・細菌学担当(金沢医学専門学校)

下條久馬一教授:1923(大正12)年就任、衛生学・細菌学担当(金沢医学専門学校)

谷友次教授:1925(大正14)年就任、細菌学担当(金沢医科大学)、1954(昭和29)年、

微生物学担当(金沢大学医学部)

西田尚紀教授:1959(昭和34)年就任、微生物学(金沢大学医学部)

中村信一教授:1986(昭和61)年就任、微生物学担当(金沢大学医学部)

上田・児玉・下條の各教授は、実質的には伝染病にかかわる細菌学者であった。社会的

に衛生の中心テーマが伝染病に集中された時代であり、本家のドイツでもInstitut  fur Hygieneは、伝染病源としての細菌類を主テーマとしていたのと軌を一にする。児玉教授 は結核症に、下條教授はサルモネラ菌群に研究業績を残している。しかし、研究体制を担 う人員と研究費が整備されるのは、1923(大正12)年に医学専門学校から医科大学に昇 格してからである。

教育と研究

谷友次教授時代(1925〜1959年) 谷 教授の講義範囲は、細菌・ウイルス・真 菌・原虫等の微生物並びにその感染免疫 に及んだ。しかもこの広範囲の領域を教 授一人が担任した。実習準備は助教授以 下に課された実務であったが、学生に対 する説明は教授が当たり、助教授以下は 説明を終えた後の指導実務を担当した。

試験の厳しさは、教授の薫陶を受けた当 時の学生の語り草になっている。

研究経歴は、1920(大正9)年東大卒 後、直ちに竹内松次郎教授(黴菌学教授)

に師事し、1922年ドイツ留学(ロベルト・コッホ研究所、カイザーウィルヘルム研究所)

し、1925(大正14)年帰朝とともに金沢医科大学教授を拝命している。研究は、一貫し て当時の社会問題であった梅毒に集中している。ペニシリン発見以前の梅毒は、いずれの 国でも悲惨な性病としてその撲滅は悲願であったが、谷教授とその一門は、その家兎への 実験感染を通して、その感染と免疫の実態の解明に努めた。1934(昭和9)年、第8回 連合微生物学会で「中枢神経梅毒について」を特別講演し、1958年来沢された天皇に御 前講演をした。賞としては皆見賞(日本皮膚科学会)、金沢市文化賞、北國文化賞、浅川賞

(日本細菌学会)を受けた。1931〜1959年まで56編の学位論文、主たる論文17編をZbl.

Bakteriol. に発表している。

西田教授時代(1959〜1986年) 西田教授は1945(昭和20)年、金沢医科大学(国立)

を卒業し、直ちに谷友次教授(細菌学教室)の下で学び、1957年英国リーズ大学・オー クレイ(C.L.Oakley)教授に師事し、1959年帰国と同時に教授を拝命している。当時、

医学教育はドイツ医学様式から米国様式にかわりつつあり、スタッフによる教育システム の確立を目指した。かくて、ウイルスに対し千葉大学より波田野基一助教授(後、金沢大 学がん研究所ウイルス部教授)を、免疫部門に柿下正道教授(後、更に金沢大学がん研究 所西東利男、右田俊介、高橋守信の各教授)を、さらに新興の細菌遺伝学に在米留学中の 桐谷和文博士を招き、講義実習を行った。

写真7ー14 梅毒スピロヘータ凝集反応の発見

(御前講演パネル)

研究としては、1945年ジフテリア抗毒素血清製造のためにジフテリア菌の毒素産生に 携わった。この過程で「ジフテリア菌は増殖期に毒素を生成流出するとともに酵素活性を 失ってゆく」という不思議な現象を報告した(1957年)。この報告は間もなく、英国の代 表的な微生物学テキストのTopley  and  Wilson s  Principle  of  Bacteriology,  Virology

&  Immunologyの中に、ジフテリア菌の毒素原性の説明として30余年間用いられた。一 方西田は、ジフテリア菌特有の棍棒状形態形成がこの菌の自然界での強い生存力とかかわ る事実を知り、耐久型への切り替えの生理機構が前述の増殖過程の酵素の全面失活、毒素 蛋白の合成流出に関係するのではないかという仮説を立てた。この仮説は、実際には耐久 型の胞子を作る菌群特にクロストリジゥム(

Clostridium

)属(嫌気性グラム陽性芽胞形 成菌群)で容易に見る事実であり、クロストリジゥム勉学のため、英国のオークレイ教授 の下に留学した。帰国とともに、クロストリジゥム菌群の胞子形成能と毒素原性について の論文を次々と発表し続けた。現在、毒素原性の説明は、シェファー(Schaeffer)教授

(パスツール研究所)の総説が引用されているテキストが多いが、彼はほとんど西田とその 研究同僚の論文を引用して外毒素原性の説明の土台としている。これらの研究に対して小 島三郎文化賞(公衆衛生関係)(1974年)、日本細菌学賞(浅川賞)(1976年)、北國文化 賞(1975年)、中日文化賞(中村信一と共同受賞)(1979年)を受けている。また1995

(平成7)年に、勲二等瑞宝章が授与された。1959年〜1986年まで28年間に33編の学位 論文、40編の英文論文を発表している。門下から、後任の中村信一教授、波田野基一金沢 大学がん研究所教授、桐谷和文北陸大学教授、山岸高由金沢大学医学部教授が出ている。

そのほか教授の別側面について付加しておく。教授は、1984(昭和59)年に開始され た日本−中国国際微生物学会議の開設者であり、この会は1997年まで6回行われている。

1996(平成8)年に大山健康財団より財団賞を受け、「中国への志、日本中国国際微生物 学会議の成立」の講演を行っている。また教授は、大冊の『金沢大学医学部百年史』の編 集長を務め、学校の成立から86年間の歴史を執筆している。

現状と将来の展望

1986(昭和61)年、西田教授の後を受けて、中村助教授が教授に就任した。中村教授 の中心的な研究領域は、一貫してクロストリジゥムである。教授就任前の主研究テーマは、

毒素原性の立場に立ったクロストリジゥムの分類であり、世界に先駆けてDNAレベルでの クロストリジゥム菌種の分類学的関係を明らかにした。研究は有毒クロストリジゥム全般 に及び、新菌種

Clostridium  absonum

の発見(1973年)をはじめとする多数の研究成 果は、世界の権威ある嫌気性菌マニュアル、教科書に広く記載されている。これらの研究 により、中村は先任の西田教授とともに中日文化賞(1979年)を受けている。

教授就任後のクロストリジゥム領域での主たる研究対象はボツリヌス菌(

Clostridium

botulinum

)、ディフィシル菌(

Clostridium  difficile

)である。ディフィシル菌に関する 研究は、偽膜性大腸炎、抗生物質関連下痢症の原因菌がディフィシル菌であることが分か

りつつあった1978(昭和53)年ころから開始され、疫学的、生理学的、毒素学的分野で 優れた研究成果を挙げている。ボツリヌス菌に関する主な研究テーマは、ボツリヌス症及 び土壌における分布である。分布の研究は、日本各地で多数の野鳥の斃死が見られたこと が契機となり、1974年ころから始まった。山川清孝講師らとともに、日本のみならず、

中国、ケニア、パラグアイなど、研究を世界的に展開し、多数の重要な研究成果を発表し ている。

教室は、日本のクロストリジゥム研究の中心的存在であり、また日本細菌学会のクロス トリジゥム菌株保存機関でもあり、多数の研究者に菌株を分与している。1993年、唐澤 忠宏助手(1997年、講師)が加わり、分子遺伝学的手法が本格的に導入され、ヒト細胞 におけるセカンドメッセンジャーであるサイクリックADPリボースを標的とする細菌毒素

(酵素)の研究が、新研究分野として加わった。小倉壽助教授は麻疹ウィルスによって起き る亜急性硬化性全脳炎を研究テーマとし研究を展開、ウィルス学の教育を担当していたが、

1992年大阪市立大学医学部医動物学講座教授に転出した。また、クロストリジゥム研究 に携わっていた神谷茂講師は、1991年に請われて東海大学助教授に転出し、1994年4月 杏林大学医学部微生物学講座の教授に就任した。1986〜1997年の11年間に9編の学位論 文、96編(英文69編)の論文が発表されている。

21世紀には、感染症が深刻な問題となることが近年各方面から指摘されており、細菌研 究者の養成は重要な課題である。教育面では、伝統的に微生物学講座には細菌学、ウィル ス学、免疫学の講義・実習が課せられ、特に金沢大学がん研究所ウィルス部、分子免疫部、

免疫生物部、病態生理部の多大の協力により行われてきた。しかしながら、高度に分化・

発展した各学問分野を展望した時、多くの大学に見られるような各々独立した専門部門に よる教育体制の確立が望まれ、近い将来の大きな課題である。

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