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間柄の拡張

ドキュメント内 間柄の自律 (ページ 109-112)

3. 間柄の自律

3.2. 間柄の充実

3.2.5. 間柄の拡張

間柄を形成することで相手の負の側面も受け入れることが可能となる一方で、間柄の形 成自体の難しさが壁となって立ちはだかる。間柄にあるからこそ生じる責任感情や悲しみ の共感など負担となる側面も確認され、そうした情緒的な側面を「面倒」と感じ、より淡 白で単発的な関係性を求める現代社会の潮流が存在する。現代社会は、煩雑な人間関係を 避け、あえてゲゼルシャフト的な関係を保つことが選択される時代である。そうした志向 が、バウマンが「市民」と「個人」の違いとして語った社会状況を生みだすのである。い わく、「市民とはみずからの幸福を、都市の平和と発展をとおして実現させようとする人間 であり、これにたいして、個人とは、「共通の大義」、「共通の幸福」、「正しい社会」、「公正 な社会」といった概念に、慎重で、懐疑的で、無関心な人間である」(Bauman & 森田, 2001,

p. 47)。「共通」や「社会」に通じるものと距離を置き、徹底的に関係性を簡素化し、つなが

ることを否定する社会において、新たな「間柄の形成」=間柄の拡張は深刻な問題である。

間柄の「拡張」の過程は、アルネ・ネスの「自己実現論」が示す、人間が自分の皮膚を 超えた他者(自然)を同一視し、自己の「拡がり」と「深まり」によって達成に向かう過 程と重ね合わせて見ることができる。この二つの概念の共通点と相違点をたどることで、

間柄の拡張の性質がより明確に表れる。

「自己実現論」は、ネスが自身の哲学的思想として提示したエコソフィ T の軸となる理 論である。ネスは自己実現において、ego(自我)、self(自己)、Self(自己もしくは拡大自 己)を区別し、それらを自己了解が拡大していく過程に位置づける(Næss et al., 1997)。なか

でも、Selfはuniversal self(普遍的自己)であり、Self-realizationと大文字のSを用いて表され、

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従来の self-realization と区別される。拡大自己実現とも訳されるネスの自己実現は、自己自

身を拡大することにより、他の人々や生命、自然そのものを包み込み自分自身の一部とな ることを指す。こうした次元での自己実現は、自我から自己へと個の内部で起こる心理的 発展段階を示す自己実現(心理学者アブラハム・マズローらが用いる)とは区別される。

従来展開されてきた自己実現論は、1 人の人間のうちに展開過程を求めてきた。すなわち、

自我の形成、自我を包み込む社会的自己の形成、そして社会的自己を包み込む形而上的自 己という過程である。これに対し、ネスは、自己の成熟過程においては、身近な(自然)

環境との自己同一化の経験など、人間や社会に限らず人間以外の様々な存在との交わりに よって培われるところが大きいことを指摘し、自然・人・社会との関係性があって初めて 自律が可能となることを示す。

ネスは、自己実現を「人間の持つ可能性の豊かさや広さを著しく過小評価しないかぎり、

この可能性を利己主義的な観点から捉えることはできない(Naess, 2001, pp. 54–55)」と主張す る。すなわち、人間の利己的欲求は自己の持つ可能性の過小評価による結果であり(Naess,

2001)、狭義の自己実現(self-realization)では、まだ人間の可能性が十分に発揮されていない。

狭義の自己実現に対し、ネスの自己実現は、自分の皮膚を超えた他者(自然)を同一視し、

自己の拡がりと深まりによって達成に向かう。この他者を同一視するという行為が、関係 性の拡大過程の一要素としてとらえることができる。

また、自己〈self〉が自己〈Self〉に向かって成長するということの意味は、自己実現が、

selfからSelfに向かうベクトル上の能動的状態(到達地点ではない)であり、達成し得ない 継続的運動であることを示す。継続的運動の作用として、「私たちと他の存在者との連帯に ついて私たちがもっと理解するにつれ、一体化は進み、私たちはもっと配慮するようにな る。これにより、他の存在の幸福を喜び、彼らに危害がふりかかった場合に悲しむように なる道が開かれる」のである(Næss et al., 1997, p. 279)。他者の危害を悲しむという同一化の瞬 間は、「強烈な共感あるいは感情移入を引き起こす状況」である(Naess, 2001, p. 49)。ネスは、

その強烈な瞬間を大学院での化学溶液の実験中に経験する。ネスは、顕微鏡を用いて、二 種の化学溶液が混ざり合う様子を観察していた。すると「机の上をはい回っていたレミン グから一匹のノミがとびだし、その酸性溶液のなかにとび込んでしまった。ノミを救うこ とは不可能だった。ノミが死ぬまで何分もかかった。のたうちまわる姿はおそろしいまで に壮絶であった(Naess, 2001, p. 49)。」ネスは、これにより痛みをともなう同情と共感を味わ い、「ノミのなかに自分を見た」のである。

こうした自己同一視の過程は、誰の日常にも生じる。それまで無関心であった対象の思

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いがけない悲運を目の前にして、自己の拡大が起こるのである。また、そうした経験の蓄 積が次に起こる現象に対し、より理解を深めることにつながる。しかし、誰にとってもノ ミが共感できる対象となることを意味するのではない。ネスのように、幼少時から自然の あらゆる存在と精神的つながり(=間柄)を形成してきた者にとっては、ノミの悲劇が共 感をもたらす。子を持つ親にとっては、自分の子と同じ年頃の子に悲劇が起これば、それ はその当事者の痛みを共感すると同時に、その子の親の痛みをも感じる。人間がそれぞれ に持つ経験や立場、性質が共感の対象を決定するのである。

小坂国継は、ネスの自己実現論を西田幾多郎の自己実現と比較し、前者が「自己を無限 に拡大していく方向」であることに対し、後者は「自己を無限に消失していく方向」にあ ると考察した。そして、ネスの理論が「自己を主とし、自己のうちに他者を包み込もうと する自己中心的で主観主義的な思考様式が見られる」のに対し、他方の西田は、完全に自 己を消失することで「端的に自己が他者の内に包み込まれている」ことから二元論的対立 を超越していると評価した(小坂, 2003, p. 156)。自己を拡大あるいは消滅することにより自他 不二の立場を実現し、二元論からの解消を試みようとする。ネスが積極的な能動性をもっ て他者に手を差し伸べるとすれば、西田は積極的な受動性をもって他者を受け入れる態度 を持つと解釈できる。意識の上流と下流があるとすれば、ネスは自己を上流に置き他者へ と流れ込むのに対し、西田は自己を下流に置き、他者が自己に流れ込むことを許容する。

間柄はと言えば、その両方の流れを必要とする。ネスや西田は、あくまでも「個人」を前 提し、自己の価値観、自己の態度を問うが、間柄は両者の価値観と態度が行き来しながら 形成されていく。すなわち、自己実現が自己から出発して一方向的に放射線状に広がるこ とに対し、間柄は、他者との相互連関であり、双方向的な網目状の形を呈する(図12)。

また、自己実現で言う他者との同一化は、同一化を行う対象の拡がりを意味するが、間 柄は、間柄の関係にある他者が有する他の間柄(間接的な間柄)へと思いを巡らせること を意味し、必ずしも自分との直接的な間柄関係を増やすというものではない(図12)。個々 の間柄を深めることで、他者が持つ個別の間柄をより尊重するようになるのである。友人A との間柄を深めることで、B や C という自分とは直接的間柄性を有しない他者への配慮が 促される。例えば、留学中の子を持つ親が、直接的な間柄ではない自分の子の友人や恩師、

留学先のホストファミリー等、たとえ面識のない相手にも、子の生活を支え、影響を与え ている他者に対して感謝の気持ちを持つことは想像に難くない。必ずしもそうした友人ら 一人一人と直接的に間柄を形成することが必要なわけではなく、間柄の網の目をたどって 他者へと思いを馳せることができるよう、既存の間柄をより充実させていくことが求めら

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れるのである。間柄は、世界のあらゆるものとの関係を常に創造し、拡大するのではなく、

極端に言えば一人の相手との間柄をより深めることによっても間柄の拡張が可能なのであ る。

12 間柄を自己実現の関係性構築イメージ

間柄の拡張は、自分に全く関わりのない相手と突如関係性を結ぶのではない。まず、自 分が有する関係性を認め、それを間柄へと転化させてゆく過程、更にはその間柄を深めて ゆく過程が間柄を拡張させる。他者を想い、その他者が想う相手を想い、その過程を経る ことで、それぞれの間柄性を尊重することへとつながるのである。自分が持つ間柄がより 深くなればなるほど、そこで生まれる感情や認識を他の間柄に投影しやすくなる。すなわ ち、ニュースや新聞記事を通して知りえた地球の裏側にいる見ず知らずの人間に降りかか る災害にも思いを馳せることができるようになる。直接的な互いの間柄を超えた連鎖的つ ながりによって、他者の喜びや苦しみを共感できるようになるのである。

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