5. 間柄が形成する共同性
5.1. 共同性とは何か
123
124
る」(土場, 2006)。すなわち、リベラリズムにおける、正義の善への優位性である。よって正
義は、多様な共同体に普遍的に妥当するのであり、こうした意味において正義は「公共的 価値」を持つと言える。この意味において、公共性は、共同性と同じく「すべての人に関
わる(common)」という意味において共通する。
では、公共性と共同性の差異は何であるかというと、これを土場は”open”に求める。土場 が根拠とするのは、”common”が指し示す「すべての人」の境界である。共同性において「す べての人」は、「ある社会(共同体)のすべての人」であり、経験的、時空間的に限界づけ られた「すべての人」であることに対して、公共性における「すべての人」は、言葉通り の「すべての人」であり限界をもたない。
しかし、「ある特定の社会」において承認される価値が、その他の社会に対して開かれて....
いない...
ことを意味するわけではない。「公共性」における”open”とは、「誰もがアクセスする ことを拒まれない空間や情報などを指す」が(齋藤, 2000)、「共同性」は必ずしもそれを確保 しない一方で、”closed”であることを前提しない。共同性=閉鎖性ではないのである。例え ば、ボランティア活動は、共同性を代表する活動であると言えるが、その参加者や活動の 対象は、特定の社会に限られず、すべての人に開かれている。海岸清掃等のボランティア 活動は、国や自治体等の公的な機関ではなく、愛好会やNGO等が主催することが多く、公
的(official)な意味における公共性は低い。しかし、そうした活動に関心を持つ個々人の共
同性が、結果的に公共的な意義を生みだしていると言える。共同性に、一定の境界を定め ようとすることは、かつての村落共同体における閉鎖性や排他性という特性に方向づけら れているきらいがあるように思われるが、現代における共同性は、むしろ、社会貢献活動 やボランティアに代表されるような、開かれた共同性に色づけられると言えよう。
公共性・共同性の差異は、その対象の持つ主要な特性の程度によって判断されるもので あると言える(図17)。したがって、共同性は、共通の活動や関心に特徴づけられる一方で、
公的なものや開かれたものという概念が斥けられるものではない。
125 図 17 共同性と公共性のイメージ
5.1.2. 共同性によって生じる帰属意識
近世において、人々は生活の必要から、家を単位とする生活連関と、それを支える組織 という二側面を持ち合わせる単位として集落を形成した(鳥越, 1996, pp. 69–77)。これが、村 落やムラと呼ばれるものであり、ここに江戸時代における上からの支配の単位、すなわち 藩政村がかぶさるようにして、支配・行政のシステムができあがった。これは、年貢村請 制度の単位であったことから、非常に強固な単位であったため、この組織における支配が 長らく続けば、生活の組織もそれに合わせて、変形したとも考えられる。その後、明治に 入り、明治22年(1889)に町村制が制定された。そこにおいて、生活組織であったムラや 藩政村は新たに広域行政村として再組織化された。しかし、水利組織、道普請などの協働 労働、祭礼、信仰、消防・防犯などの組織は、それまでの生活連関組織であったムラにお いて成り立っており、新しい行政村の下部に、生活単位としての「区」や「部落」として 存続した。そのため、村人が「うちの村は…」という場合、自然、旧ムラを指して呼ばれ ることが多く見られた(鳥越, 1996)。
その後、市町村合併を繰り返しつつも、古くから存在する地域においては、自然発生的 に作られたムラを単位に自治会や消防団が編成される例が多く見られる。この単位という のは、農を生業として成員が同一的に存在した村落共同体として理解されるが、経済史に おける共同体のように必ずしも土地の共同占取を指示しない。ここにおいては、生活連関 が成り立つもっとも適当な単位としてムラが存在したであろうということが重要なのであ る。もちろん多くは、農作業を軸にした生活の必要であり、生業の変化によって、また行 政単位として合併したことによって、その範域は変化を遂げてきたであろうが、そこには 生活における合理性ならびに共通感情によるつながりの範域が存在したと考えられ、そこ
共同性 公共性
共通の(common)
公的な(official)
開かれた(open)
126 に帰属意識が生じるのである。
例えば、福岡県糸島市の山村コミュニティにおける聞き取り調査では、帰属意識が個々 人の立場によっても変化することが明らかになった41。行政単位としての自治会(ここでは 部落と呼ばれる)約80世帯は、源流を含む流域全体を集落内に抱える、江戸時代から続く 集落である。部落42において民生委員や代議員をそれぞれ務める住民らによると、部落全体 の世話役として役につく前は、自身が属する約10-20世帯からなる小部落への帰属意識を持 ち、役について以降は、部落全体に配慮するようになったという。これは、役職への責任 という側面と同時に、職務を通して他小部落の住民との交流が増え、直接的な関係を結ぶ ようになったことに所以すると考えられる。鈴木の言う自然村のように、生活の必要から 生じた共同性は、活動のしやすさ(適度な範域)に加え、以上のような活動を通じて醸成 される帰属意識に支えられるところが大きいと言える。