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5. 閉鎖音・摩擦音の有標性およびその例外の音声学的基盤

5.2. 閉鎖音・摩擦音の有標性:音韻的事実

Jakobson (1941/1968)によれば、閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされている。閉鎖音の方が摩擦 音よりも無標であることを示す例は、自然言語における音素分布、幼児の音韻獲得、音の喪失など幅 広い現象に渡って報告されてきた。以下では、様々な現象において観察される閉鎖音と摩擦音の有標 性階層について概観する。

5.2.1. 自然言語における音素分布

自然言語(317語)における音素分布を調べたMaddieson (1984)によると、317の言語のうち、閉鎖 音を持つ言語の数は 317 (100%)であったのに対し、摩擦音を持つ言語の数は 296 (93.4%)であった(表 83)。言い換えると、摩擦音を持たない言語は存在するが、閉鎖音を持たない言語は存在しないことに なる。また、一つの言語に存在する閉鎖音の数と摩擦音の数を比較してみると、表 84に示したように 閉鎖音のほうが摩擦音よりも数が多く、閉鎖音のほうが摩擦音よりも音素として使用されやすい。以 上のことから、摩擦音の方が閉鎖音よりも有標であるといえる。

表 83. 閉鎖音・摩擦音を持つ言語数

言語数 割合(317言語中)

閉鎖音 317 100%

摩擦音 296 93.4%

表 84. 一言語が持つ閉鎖音・摩擦音の音素数(Maddieson 1984:12, 43-44より)

平均 最小 最大 閉鎖音 (破擦音含む、吸着音除く) 10.5 3 36 摩擦音 (hを除く) 約4 0 23

5.2.2. 幼児の音の獲得(産出)順序

Jakobson の有標性が顕著に観察される領域の一つが、幼児の音韻獲得である。多くの先行研究で、

幼児は摩擦音よりも閉鎖音を先に獲得することが指摘されている160(Bernhardt and Stemberger 1998, Ferguson 1978, Locke 1983, Macken 1980, Vihman 1996, Vihman and Velleman 1989)。Ferguson(1978)に よると、英語を母語とする幼児の閉鎖音・摩擦音の獲得には(25)に示したような段階が存在する。

(25) 閉鎖音・摩擦音獲得の段階(Ferguson 1978: 105)

Stage I stops (voice nondistinctive); no fricatives

Stage II voiceless & voiced stops; fricatives (voice nondistinctive) Stage III voiceless & voiced stops; voiceless & voiced fricatives

摩擦音が獲得されていない時期(上記の Stage I, II)に頻繁に見られる現象が、摩擦音の閉鎖音化

(stopping)である161。(26)はSmith(1973)に挙げられているAmahlの発音であるが、摩擦音/s(・ʃ)

/と/z/がそれぞれ閉鎖音[t]と[d]162に置き換えられているのがわかる。

(26) Amahl (Smith 1973)の発音 s - t (- ʃ)

tea [thi:] see [thi:/tsi:] sheep [ti:p] (2歳7-8ヶ月)

mat [mæt] mass [mæt] mash [mæt] (2;7-8)

160 以降で議論の対象となる幼児のデータは、語を獲得し始める時期以降(1歳以上)のものである。

より初期の段階における幼児の発音は以降の議論には当てはまらない点が多い(詳しくはFerguson

(1978)、Roug(1989)などを参照のこと)。

161 摩擦音が閉鎖音以外の音に置き換わることも尐なくない(例:sip → [wip], fire → [wæ:])。また、後

ほど2.2.4節で議論するように、ある程度摩擦音が獲得されてくると、特に無声摩擦音では閉鎖音化よ

りも摩擦音同士の交替(例:thought → [sɔ:t], something → [fʌmpin], teeth → [ti:s])が多くなるようであ る(例はすべてSmith 1973より)。

162 例の中で「・」付きで表されているdは、 Smith(1973)によれば音声的には無声化したd([t])

である。後述するように、幼児の発音では無声のほうが有声よりも基本であるため、z(→d)→tのよう に置き換えられたと考えられる。

d - z

do [d

u:] zoo [d

u:] (2;4)

sead [ti:d] seize [ti:d] (2;10-11, 2;8-9)

閉鎖音化を起こすのは英語を母語とする幼児だけに限らない163。また、閉鎖音化が起こる摩擦音は

(26)に挙げられた/s, ʃ, z/に限らない。表 85は閉鎖音化が起こった幼児の発音の例を示したものである

が、英語以外の言語を母語とする幼児においても閉鎖音化が観察されうること、また、/s, ʃ, z/以外の 摩擦音も対応する(もしくは近い)調音点の閉鎖音へと閉鎖音化されうることがわかる。また、閉鎖 音化は語の位置(語頭、語末など)に関係なく起こりうることもわかる。一方、逆の現象、つまり閉 鎖音が摩擦音に置き換えられる例も存在するが、そのような例は極めて稀164であることから、幼児の 音の獲得順序は先行研究で指摘されているとおり「閉鎖音が先、摩擦音が後」であるといえる。つま り、幼児の音韻獲得においては、閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であるといえる。

表 85. 幼児の発音(摩擦音の閉鎖音化)

母語 幼児名 年齢;月 単語 発音 変化 変化の起こる位置 出典

英語 Amahl 2;8-9 saucer [thɔ:tə] s→th, t 語頭、語中(母音間) Smith 1973

〃 3;1-2 these [di:z] ð→d 語頭 〃

〃 2;1 other [ʌdə] 〃 語中(母音間) 〃

〃 2;12 thought [tɔ:t] Ѳ→t 語頭 〃

Amahl 2;5 roof [wu:p] 〃 語末 Smith 1973

Larry ? teeth [thit] 〃 語末 Bernhardt &

Stemberger 1998

Roger ? fish [phitʃ] f→ph 語頭 〃

DE ? vase [bes] 〃 語頭 Bernhardt &

Stemberger 1998

Sean 1;4 move [mu:b] 〃 語末 Vihman 1996

フランス 語

Charles

(仏)

1;2 bravo [(b)abo], [baɞo], [bavo]

v→b 語中(母音間) 〃

日本語 ? ? saru [taru] s→t 語頭 小椋(1978)

? ? osjo:ju [oto:ju] s→t 語中(母音間) 小椋(1978)

韓国語 ? ? (son) [t‟on] s→t‟ 語頭 Ahn and Kim 2003

韓国語 ? ? musʌwʌ [muthʌwʌ] s→th 語中(母音間) Ahn and Kim 2003

163 Locke(1983:63-64)によると、摩擦音の閉鎖音化はヒンディー語、ギリシャ語、スロベニア語

(Slovenian)、チェック語(Czech)、スペイン語、ノルウェー語、フランス語、エストニア語、…など、

様々な言語で観察される現象であるという。

164 閉鎖音の摩擦音化の例(Velten 1943, Vihman 1996より):cat → [faf], later →[baza‟], belly → [vei], ball

→ [bßʊ], bubu(日本語)→ [ßaʔpa]など。いずれも各幼児の発音全体からすると例外的な発音である。

表 86. 失語・発語失行・構音障害の患者の発音:閉鎖音・摩擦音が正しく産出された率(竹安2006)

先行研究 被験者

タスク・分析方法など 位置 母語 症状* 人数 年齢

(1) Shankweiler and Harris (1966)

英語 A-AOS 2名 39~61歳

(50)?

単音節の有意味語(200語)の反復 語頭

(2a) Sands et al.

(1978): 1965時点

英語 A-AOS 1名 56歳

(1975時点)

Shankweiler and Harris (1966)と同じ 被験者(1名)に対し、同じ方法で

1975年に調査を実施

語頭 (2b) 同上:

1975時点 (3a) Johns and

Darley (1970)

英語

(A-?)AOS 10名 18~67歳 (43)

単音節の有意味語(30語)の反復

語頭

(3b) 同上

DYS 9名 28~71歳

(58)

語頭

(4a) Platt et al.

(1980b)

英語 DYS

語頭:

48名 17~55歳 (28)

単音節(CVC)・有意味語(29語)

が書かれた単語リストを読ませる

(できない場合、実験者の発音に 続けて反復させる)

語頭

(4b) 同上 語末:

46名 語末

(5a) Sugishita et al. (1987)

日本語 A-AOS 1名 27歳

82の名詞(2~6拍)について、反 復と絵を見せて発音させる2タス

語頭+

語中(?)

(5b) 同上 日本語 A-AOS 1名 58歳 語頭+

語中(?)

* A-AOS = 失語/発語失行, DYS = 構音障害

5.2.3. 音の喪失

Jakobson によれば、失語症の患者が音の対立を喪失していく過程においても、幼児の音韻獲得など

に見られたような有標性の法則が働いている、すなわち、有標な音は無標な音に比べて対立が失われ やすいと述べている。一方で、失語症に関するJakobsonの指摘は必ずしも妥当ではないとする研究も 存在している。Fry (1959)は失語症患者の発音におけるエラーのパターンは幼児の発音におけるエラー のパターンとは異なることを指摘し、Jakobsonの指摘は必ずしも妥当ではないと述べている。しかし、

Fry の指摘は尐数(1 名)の失語症患者のデータに基づくものであり、「エラーのパターンが異なる」

という際の基準も明確ではないなどの問題点がある。

筆者の知る限りでは、その後、音の喪失における有標性に関する議論は活発には行われていない。

特に、音の喪失における閉鎖音・摩擦音の有標性に特化した議論は存在しない。そこで、竹安(2006)

では、以下に挙げた失語・発語失行・構音障害の患者の発音に関する先行研究をデータベースとし、

閉鎖音・摩擦音の正産出率を比較することで音の喪失過程においても閉鎖音・摩擦音間の有標性が確

(つづき)

% Correct

閉鎖音 摩擦音 有意差(閉鎖-摩擦間)

(1) Shankweiler and Harris (1966) 62.5%

(60/96)

47.7%

(61/128) p < 0.05 (2a) Sands et al. (1978): 1965時点 27.1%

(13/48)

14.1%

(9/64) n.s.

(2b) 同上: 1975時点 68.8%

(33/48)

68.8%

(44/64) n.s.

(3a) Johns and Darley (1970) 87.0%

(783/900)

74.0%

(777/1050) p < 0.001

(3b) 同上 81.4%

(659/810)

74.1%

(700/945) p < 0.001 (4a) Platt et al. (1980b) 91.3%

(263/288)

82.4%

(277/336)

p<0.01

(4b) 同上 85.1%

(235/276)

60.9%

(196/322) p < 0.001 (5a) Sugishita et al. (1987)

54.4%

(124/228)

36.0%

(27/75) p < 0.01

(5b) 同上 35.5%

(81/228)

16.0%

(12/75) p < 0.01

認されるかどうかを検証した165

表 86から明らかなように、閉鎖音・摩擦音の正産出率は研究によって大きく異なっているが、これ は研究ごとに扱っている症例やその症状の重さが異なるためであると思われる。重要なのは、同一の 研究内で閉鎖音・摩擦音の正産出率を比較した場合に、摩擦音の正産出率が閉鎖音の正産出率よりも 上回ることはないことである。この事実は閉鎖音の方が摩擦音よりも喪失の度合いが軽度であると解 釈できるものであり、閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であることを示唆するものである。

また、竹安他(2007)における筋ジストロフィー児の発音の調査においても、同様の傾向が観察さ

165 失語・構音障害・発語失行とも、脳損傷等の理由により言語に障害が出る症例である。失語は必ず しも発音における障害を伴うわけではないのに対し、構音障害・発語失行は発音の障害を伴うもので ある。発音の障害は、構音障害では調音器官の筋肉・神経などの麻痺が原因で起こるのに対し、発語 失行では調音器官を動かすプログラミングの問題であるとされている(詳しくはMurray and Chapey (2001)、平山(1994)などを参照のこと)。なお、Jakobson (1941/1968)では有標性は音の「対立」の獲得や 喪失に関する議論であって、産出のレベルの問題とは異なるものだと述べているが、客観的な議論の ためには獲得や喪失の有無を正産出率から推測するのが一般的である(例えば幼児の音の獲得時期に ついても、一定の正産出率を超えたか否かによって獲得されたかどうかが決められている(prather et al.

1975, Smith et al. 1990))。よって、本稿では音の喪失を失語・発語失行・構音障害の患者の音素正産出

率に基づいて議論することとした。

れている。

5.2.4. 近畿方言におけるザ行音・ダ行音の混同

近畿方言の一部では、ザ行音とダ行音の間で子音の混同が起こることが知られている166。このザ行 音とダ行音の混同においても、閉鎖音が無標であることを示す例が観察される。

杉藤(1982)は兵庫県多紀郡篠山町で小学生205名、中学生77名、高校生49名、計331名を対象 に単語(有意味語25語・無意味語12語167)の聴取実験を行い、さらにその331名の中から6人につ き一人の割合で無作為抽出した56名の発話を収集した。調査で得られたザ行音・ダ行音の混同率は表 87の通りであった。表 87を見ると、中学生の産出については「ザ行→ダ行」の混同と「ダ行→ザ行」

の混同の起こりやすさに差が見られないが、それを除けばすべての年代について産出・知覚ともに「ザ 行→ダ行」の混同の方が「ダ行→ザ行」の混同よりも起こりやすい。つまり、摩擦音→閉鎖音の混同 の方が逆よりも多いことが調査によって示された。これは幼児の音韻獲得における置換エラーのパタ ーンとも共通した傾向であり、このデータから、産出においても、知覚においても、閉鎖音の方が摩 擦音よりも無標であることが示唆される168

表 87. ザ行音・ダ行音の混同が起こる確率:兵庫県多紀郡篠山町における有意味後の産出・知覚実験

(杉藤1982:309)

産出 知覚

ザ行→ダ行 ダ行→ザ行 ザ行→ダ行 ダ行→ザ行 小学生(低学年) 37% 3% 46% 3%

小学生(中学年) 28% 5% 26% 2%

小学生(高学年) 21% 7% 22% 5%

中学生 7% 6% 12% 1%

高校生 21% 7% 14% 1%

166 /kaze/ → [kade]、/aza/ → [ada]など(杉藤1982)。これらの混同は後続母音が/i, u/の場合には起こら ないとされている。大分県でも同様にザ行音とダ行音の混同が報告されている(詳しくは木部2001を 参照)。

また、粉河町はザ行音・ダ行音の混同のみならず、これらの音がラ行音との間でも混同を起こす地域 としても有名である。

167 NHK放送劇団員による発音。ザ行音は、標準的な発音では語頭・撥音(・促音)の後で破擦音[dz (dʒ)]

で、その他の環境では摩擦音[z(ʒ)]で発音される。杉藤の記述によれば、用いた刺激音は「明瞭な発音」

であるので、ザ行音については破擦音で発音されたものが混ざっていると思われる。これが実験結果 に与えた影響については後ほど議論する。なお、有意味語については調査地域と同じアクセントで発 音されているため、混同が不慣れなアクセント型により引き起こされたという可能性は無い。

168 ザ行子音/z/は、通常は語頭・撥音(・促音)の後では破擦音[dz (dʒ)]で発音され、その他の環境で は摩擦音[z(ʒ)]で発音される。従って、知覚実験の結果見られた語頭のザ行音とダ行音の混同は、厳密 に言えば破擦音と閉鎖音の間の混同であり、摩擦音と閉鎖音の間の混同ではない。しかし、摩擦成分 の有無という点から見ると、摩擦成分の無い音(閉鎖音)が摩擦成分のある音(破擦音・摩擦音)よ りも好まれると解釈でき、閉鎖音の方が無標であるというJakobsonの指摘と矛盾しない。