4. 単子音・重子音の有標性の例外とその音声学的基盤
4.5. 総合的考察
本章では、単子音・重子音の有標性の例外と解釈できる日本語の借用語の促音挿入に関して、s, sh の非対称性、無声閉鎖音・有声閉鎖音の非対称性、x (h), f (ɸ)の非対称性が生じる理由を音声学的観点 から議論した。個々の領域に関してはそれぞれ非対称性にかかわる要因を挙げることができたが、以 下ではこれら 3 つの領域における非対称性を統一的に説明することができるかどうかを考察し、有標 性の例外が生じるメカニズムについて議論する。また、借用語の促音挿入の非対称性に対する音声学 的要因による説明の有効性と限界についても議論する。最後に、本研究の実験結果が借用語音韻論以 外の諸分野にどのような知見をもたらすのかを議論する。
4.5.1. 借用語の促音挿入における3つの非対称性の統一的説明
本章では、借用語の促音挿入における3つの非対称性(s, shの非対称性、無声閉鎖音・有声閉鎖音 の非対称性、x (h), f (ɸ)の非対称性)に関する知覚実験を行い、その音声学的基盤を議論した。s, shの 非対称性に関しては、英語のs, shの持続時間自体には大きな差がなく、本研究の知覚実験において、
日本語話者にはshにはsに比べて促音を感じやすい(sにはshに比べて促音を感じにくい)という実 在する借用語のデータと共通する結果が得られたことから、日本語話者が持つ知覚の特徴が非対称性 を生み出す要因の一つであることを指摘した。一方、無声閉鎖音・有声閉鎖音の非対称性に関しては、
英語の発音において無声閉鎖音・有声閉鎖音の持続時間に明らかな差があり、持続時間の観点から、
英語の無声閉鎖音は(有声閉鎖音に比べ)日本語の促音に近い領域に分布すると言えたため、主たる 原因は英語の音声の側にあることを指摘した。最後に、x (h), f (ɸ)の非対称性については、原語(ドイ ツ語)の音声の音響的特徴(ドイツ語の[x]は日本語の[h]にはない、促音を感じさせる特徴を持ってい る)と(または)子音に後続母音(幻の母音)が[a]のときに[u]のときよりも子音に促音を感じやすい という日本語話者の知覚の特徴から、x (h), f (ɸ)の非対称性が生じている可能性を指摘した。幻の母音 として何が感じられるかは摩擦の音色に依存しているため、これは広い意味での摩擦の音色の影響で あると解釈することができるが、これはあくまで幻の母音の影響を介して生じる摩擦の音色の影響と
みなすべきものであって、s, shの見られた摩擦の影響とは厳密には異なるものであった。同様に、s, sh の非対称性の場合には合成音声た知覚実験において英語からの借用語パターンと共通する知覚の傾向 が観察されたことから、英語のs, shが日本語のs, shにはない特定の音響的特徴を有するために非対称 性が生じたということはないと考えられるから、この点でもx (h), f (ɸ)の非対称性とはメカニズムが異 なるといえる。以上のことから、非対称性の原因は一様ではなく、厳密な意味で言えば全ての領域に 共通する要因を見つけ出すのは困難である。
これら 3 つの領域に共通する点があるとすれば、語を借用する際には単に英語やドイツ語と日本語 の音素レベルでの対応関係を作るのではなく、その音を聞いたときに日本語話者が感じる特徴(知覚 的類似性)を保つような形で対応関係を作って取り入れるという点である。例えば、英語のs, shは音 素レベルでの対応関係を保つだけであれば挿入母音を一つ入れて「ス」「シュ」として取り入れるのが 最も労力が尐なくて済み、音韻レベルでの対応という点ではこれが日本語の音韻制約を守ったうえで 最も入力を忠実に守っている候補ということになる。しかし、日本語話者はsよりもshに促音を感じ やすいため、shの方が長いと感じる事実を保つために shに対してわざわざ促音を挿入する。同様に、
英語の無声閉鎖音・有声閉鎖音を取り入れる際も、例えばpとbであれば「プ」「ブ」と取り入れるの が最も労力が尐なくて済み、入力への忠実性が高いことになるはずだが、pは日本語の促音の領域に入 っている(または、尐なくとも b よりも相対的に促音の領域に近い)ため、その感覚を保つために p にはわざわざ促音を挿入する。x (h), f (ɸ)の非対称性についても、同様のことが言える。日本語話者は 摩擦の後に幻の母音[a]が聞こえるときには[u]が聞こえるときよりも促音だと感じやすいため、摩擦の 後に[a]が聞こえるBach(bahha)やMach(mahha)には促音らしさを感じるのに対し、摩擦の後に[u]
が聞こえるJosef(yoseɸu)やBuch(buuɸu)には促音らしさを感じない(ドイツ語の[x]が特に促音を 感じさせる音響的特徴を持つという仮説が正しければ、この効果はますます強調される)。つまり、3 つの領域のいずれにおいても、音韻的な情報よりも、音声的情報(特に、聞き手がそうだと感じる知 覚的類似性)が優先して保たれている。これは、英語からの借用において音声的(音韻ではなく)情 報によるperceptual assimilationが働くというTakagi and Mann (1994)の議論や、非母語の音声の知覚に おいては、音韻的な情報ではなく音声的な情報に基づいてマッピングがなされるという Perceptual Assimilation Model (PAM) (Best 1995)の見解とも一致するものである。Takagi and Mannは主に無声閉鎖 音に関する議論をしており、PAMは第2言語習得の分野で比較的議論されるモデルであるが159、無声 閉鎖音以外にも、また、非母語からの借用(尐なくとも、本研究で対象とした 3 つの領域)について もこれらの議論が当てはまることが本研究の実験により明らかとなった。
表 81. 非対称性とその原因:まとめ
領域 s, sh 無声閉鎖音・有声閉鎖音 [x], [f]
非対称性の 原因
摩擦の音色:
shはsよりも 促音だと判断 されやすい
英語の子音持続時間:
無声閉鎖音の持続時間が日 本語の促音の領域にある
ドイツ語の摩擦の音色/聞こえる母音の 質(擬似的な摩擦の音色の影響):
幻の母音[a]が聞こえる摩擦は[u]が聞こえ る摩擦よりも促音だと判断されやすい
159 PAM自体は第2言語習得に特化したものではなく(尐なくとも、Best 1995を読む限りでは)、もと
もとは産出と知覚の対応関係のdirect realisticなアプローチというより広い枠組みから生まれたもので ある。
冒頭で議論したように、単子音は重子音よりも無標であるが、shや無声閉鎖音、[x]を含む借用語に は促音(重子音)が挿入され、積極的に有標な構造が作り出される。本研究ではこれを有標性への例 外と捉え、このような例外が生じる理由を明らかにしようと試みてきた。これらの例外は、有標な構 造を阻止しようとする力よりも音声的な情報(話者にとっての知覚的類似性)を保持しようとする力 の方が上回った結果、有標性の観点からは例外とも取れる出力がなされたため生じたと解釈可能であ る。
4.5.2. 音声学的要因による説明の有効性と限界について
本章では、借用語における促音挿入の非対称性に対して音声学的説明が有効であることを議論して きたが、ここで、音声学的要因による説明の有効性とその限界について議論する。表 82は4.1.2.節に おいて議論した丸田(2001)による英語からの借用語における促音挿入率を再度まとめて提示したも のである。この音韻的データと、本研究で行った実験の結果がどの程度一致するのかを確認すること で、音声学的要因による説明の有効性を考察する。
表 82. 英語からの借用語における促音挿入率(丸田(2001)に基づく)
促音挿入率 s sh 無声閉鎖音 有声閉鎖音 f h
1.2% 100% 98.9% 42.4% 13.0% ―
s, shの促音挿入の非対称性については、実際の借用語データではsには促音がほとんど挿入されな
いのに対し、shには常に促音が挿入される。本研究では、この非対称性の基盤はshに促音を感じやす い(sに促音を感じにくい)という日本語話者の知覚の傾向にあることを指摘したが、実験による結果 ではsとshの促音挿入率の差は最大でも30%程度であり、実際の音韻データにおけるsとshの促音挿 入率の差には及ばなかった。つまり、知覚実験の結果は実際の音韻データと方向性が同じであり、こ の点では音声学的説明が一定の有効性を持つと言えたが、音声学的説明のみで実際に生じている非対 称性を完全に説明できるわけではないことも指摘しておく必要がある。これは、無声閉鎖音・有声閉 鎖音の促音挿入の非対称性やx (h), f (ɸ)の非対称性についても当てはまる。例えば、本研究では、無声 閉鎖音・有声閉鎖音の促音挿入の非対称性は、英語の発音における子音持続時間が無声閉鎖音では日 本語の促音の領域に、有声閉鎖音では日本語の非促音の領域に属しているためだと説明した。この説 明は確かに無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりも促音が挿入されやすいという相対的傾向の説明にはな るが、この説明が正しければ有声閉鎖音への促音挿入率は限りなく0に近くなるはずであるのに対し、
実際のデータでは非促音の領域に属するはずの有声閉鎖音にも 40%程度の確率で促音が挿入されてい るなど、やはり実際のデータと音声学的説明から予測される結果は完全に一致しない。x (h), f (ɸ)の非 対称性についてはx (h)を含む借用語における促音挿入率が不明であるために断言はできないが、おそ らく本研究におけるx (h), f (ɸ)の非対称性に対する知覚的要因による説明は実際のデータとは一致しな い部分が生じるであろう。
音声学的説明と実際のデータとのずれは、借用語の促音挿入には本研究で議論したような要因以外 にも何らかの別の要因が関与している可能性を示唆するものである。可能性としては、文字の影響、
音韻化(phonologization, cf. Barnes 2006)による範疇化などが考えられるが、これらを含めて借用語の 非対称性に関与する要因をさらに検討していくことが今後の課題である。