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5. 閉鎖音・摩擦音の有標性およびその例外の音声学的基盤

5.3 有標性の例外と位置の影響:音韻的事実

閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされているが、この有標性階層には例外が生じる場合がある。

こうした例外はランダムに起こるわけではなく、例外が起こるのには一定の条件が存在することが指 摘されている(竹安 2007c)。閉鎖音と摩擦音の有標性階層に生じる例外に関する条件とは「語内の位 置」であり、閉鎖音・摩擦音の有標性の議論においては位置による影響を考慮することが重要である

(Ferguson 1978, Zoll 1998, Lee 2006, 竹安2007、2008)。以下では、幼児の音韻獲得、音の喪失、方言 における音の混同や歴史的・共時的な音変化において閉鎖音・摩擦音に関して生じる位置の影響につ いて概観し、「閉鎖音は語頭で好まれやすく、非語頭では好まれにくい」という傾向が一貫して見られ ることを示す。一方、摩擦音は閉鎖音同様に「語頭で好まれやすく、非語頭では好まれにくい」とい う傾向を示すこともあれば、「語頭では好まれにくく、非語頭で好まれやすい」という逆の傾向を示す こともあり、摩擦音に関する位置の影響は閉鎖音に比べて一貫性が尐ないことを示す。そして、以上 のことからの帰結として、閉鎖音と摩擦音の有標性階層が逆転する場合、それはまず語中で起こり、

語中で起こらず語頭で起こることはないという含意が成り立つことを指摘する。

5.3.1. 幼児の音韻獲得に見られる位置の影響

すでに述べたとおり、幼児の音獲得においては閉鎖音の方が摩擦音よりも早く獲得される傾向があ り、無標である。ところで、幼児の音獲得における獲得しやすさについて考えるに当たっては、語内 の位置という要因も重要であることが指摘されている。

Ferguson (1978)は、英語を母語とする幼児の摩擦音の獲得における位置の影響について先行研究のデ ータをもとに考察し、摩擦音は語頭に比べて非語頭の位置で獲得が早い傾向があると述べている。表

88はFerguson (1978)で引用されたOlmsted (1971)のデータをもとに、英語を母語とする幼児の閉鎖音・

摩擦音の獲得時期を表にしたもので、各音素が語頭・語中・語末(表中では順にI, M, Fで示す)にお いて獲得された月齢を示したものである。例えば、/t/について見てみると、24~29ヶ月の欄にI, 30~

35ヶ月の欄にF, 48~54ヶ月の欄にMがついているので、語頭の/t/は24~29ヶ月時点で、語末の/t/は

30~35ヶ月時点で、語中の/t/は48~54ヶ月時点でそれぞれ獲得されたことを意味している。なお、こ

こで言う獲得とは、Fergusonの定義では、ある月齢に該当する幼児の半数以上がその音を50%以上の 確率で正しく発音できることを意味する。

表 88においては、摩擦音によっても位置による獲得順序は異なっているが、個々の摩擦音について 見たときに、尐なくとも語頭の位置で最も早く獲得されることはないという点で、Ferguson (1978)の言 う「摩擦音の獲得が語頭以外の位置、すなわち語中または語末の位置において早い」という傾向があ

ると言える。また、Fergusonは特に言及していないが169、表 88の閉鎖音は摩擦音とは逆の傾向を示し ており、閉鎖音は語頭よりも非語頭で早く獲得されることはないので、閉鎖音は非語頭に比べ語頭で 獲得されやすい傾向があるとも言えよう。以上のことから、閉鎖音が獲得されやすい位置と摩擦音が 獲得されやすい位置とが異なる場合があると言える。

表 88. 位置による閉鎖音・摩擦音の獲得順序(Ferguson (1978:99), Olmsted (1971:204)のデータより作成)

15-23 months

24-29 months

30-35 months

36-41 months

42-47 months

48-54

months Older 音素\被検児数 17 32 25 14 6 6 -

/p/ I, M, F

/t/ I F M

/k/ I, M, F

/b/ I, M, F

/d/ I M F

/g/ I, M F

/f/ I, M, F

/s/ M, F I

/ʃ/ F I M

/z/ M F I

/v/ M, F I

/Ѳ/ M, F I

/ð/ M I, F

/ʒ/ (I,) M, F

I = 語頭で獲得, M = 語中で獲得, F = 語末で獲得

幼児の音獲得において閉鎖音が語頭で獲得されやすい傾向は、Prather et al. (1975)のデータにも観察 される。Pratherらは英語を母語とする24~48ヶ月齢の幼児147名を月齢により7グループ(1グルー プにつき21名)に分けて発音テストを行い、各子音の獲得の度合いを調査した。表 89はPrather et al.

(1975:183)のデータから閉鎖音・摩擦音の発音に関するデータを抜き出して計算したものである。なお、

表中の%は各子音が被験者一人につき一回ずつ発音されたものとして、それぞれ「正しく発音した人数

÷Pratherらのタスクに反応できた人数」により求めた。

表 89における位置と子音の獲得率の関係について見てみると、閉鎖音を語頭で正しく発音できる幼 児の割合は閉鎖音を語末で正しく発音できる幼児の割合よりも常に高い傾向にあることがわかる。つ まり、表 88で見られた閉鎖音は非語頭と比べ語頭で獲得されやすいという傾向がここでも見られるの である。一方、摩擦音については表 88で見られたのとは逆の傾向、すなわち非語頭と比べ語頭で獲得 されやすい傾向が見られた(閉鎖音・摩擦音ともに語頭で好まれやすいという点で、構音障害の患者

169 特に言及が無いのは、一般に語頭は対立が保たれやすく、獲得が早い位置であるという前提がある ためだと思われる。

の発音(表 86 および表 90)に見られた傾向とは一致する)。英語を母語とする幼児の音獲得において、

摩擦音がinitial以外の位置で早く獲得される傾向があるというFerguson (1978)やVihman (1996)の指摘

は、常に当てはまるとは言えないようである。

表 89. 位置別に見た幼児の閉鎖音・摩擦音の発音(Prather et al. (1975:183)のデータより作成)

位置 月齢

24months 28months 32months 36months 40months 44months 48months

閉鎖音 語頭 80% 92% 92% 98% 99% 99% 100%

語末 64% 80% 82% 93% 96% 98% 98%

摩擦音 語頭 43% 52% 61% 60% 68% 73% 79%

語末 31% 50% 55% 58% 63% 65% 76%

5.3.2. 音の喪失(構音障害の患者の音産出)に見られる位置の影響

5.2.3節ですでに述べたように、構音障害の患者の発音(表 86)においては閉鎖音・摩擦音ともに語頭

の方が非語頭よりも正しく発音されやすい傾向があった(該当部分を以下に再掲する)。

表 90. 脳性麻痺による構音障害の患者の発音における正答率(Platt et al. (1980:45-45)のデータより)

語頭 語末

閉鎖音(p, t, k, b, d, g) 91.3% (263/288) 85.1% (235/276) 摩擦音(f, v, Ѳ, ð, s, z, ʃ, h) 82.4% (277/336) 60.9% (196/322)

ところで、構音障害の患者の発音エラーは置換となって表れる場合が多いのであるが、この置換の 方向性が位置によって若干異なるので指摘しておきたい。表 91は、表 90に挙げたPlatt et al. (1980) のデータから構音障害の患者が閉鎖音・摩擦音について起こしたエラーを筆者が抜き出し、閉鎖音・

摩擦音がどのように置換されたかを位置ごとに示したものである。

表 91. 位置別に見た構音障害の患者の置換エラーの内訳(Platt et al. (1980:45-46)のデータより作成)

目標

音 位置

置換の方向

→閉鎖 →摩擦 →破擦 →鼻音 →半母音 →流音 →省略 計

閉鎖

語頭 68%

(17/25)

8%

(2/25)

0%

(0/25)

12%

(3/25)

0%

(0/25)

0%

(0/25)

12%

(3/25)

100%

(25/25) 語末 37%

(15/41)

7%

(3/41)

0%

(0/41)

7%

(3/41)

0%

(0/41)

0%

(0/41)

49%

(20/41)

100%

(41/41)

摩擦

語頭 27%

(16/59)

41%

(24/59)

2%

(1/59)

0%

(0/59)

10%

(6/59)

10%

(6/59)

10%

(6/59)

100%

(59/59) 語末 8%

(10/126)

73%

(92/126)

3%

(4/126)

2%

(2/126)

0%

(0/126)

0%

(0/126)

14%

(18/126)

100%

(126/126)

まず、閉鎖音について見てみると、閉鎖音が語頭で他の閉鎖音に置換される(有声性と調音点のど ちらかまたは両方のエラーを起こすが、調音法のエラーは起こさない)率(68%)と語末で他の閉鎖音に 置換される率(37%)との間にはカイ 2 乗検定の結果統計的に有意な差(p<0.05)が見られたが、閉鎖音が 語頭で摩擦音に置換される率(8%)と語末で摩擦音に置換される率(7%)には有意な差が見られなかった。

次に摩擦音について見ると、摩擦音が語頭で閉鎖音に置換される率(27%)は語末で閉鎖音に置換される 率(8%)よりも高く、統計的に見ても有意な差が見られた。一方、摩擦音が他の摩擦音に置換される率 については語頭よりも語末で高く(それぞれ41%と73%)、この2つの間には有意な差が見られた。

以上のことから、言語の喪失過程においても「閉鎖性」という調音法的情報は語末よりも語頭で保 持されやすいと捉えることが可能である。これは、閉鎖音が語頭で置換先として好まれやすいという 点で、前節で議論した「幼児の音獲得において閉鎖音が非語頭よりも語頭で獲得されやすい」という こととも共通する傾向であると言えよう。一方、「摩擦性」という調音法的情報については、語頭より も語末で保持されやすいと捉えることができる。これは、摩擦音が語頭よりも非語頭で置換先として 好まれやすいという点で、前節で議論した「幼児の獲得において摩擦音は語頭よりも非語頭で獲得さ れやすい」というFerguson (1978)の指摘とも共通する傾向である。

5.3.3. 近畿方言のザ行・ダ行音の混同に見られる位置の影響

近畿地方には、ザ行・ダ行の全ての段において対立が失われて混同を起こす地域が存在するが、こ れらの地域におけるザ行・ダ行音の混同のデータにおいても、位置によって混同の生起率に差が見ら れることが杉藤(1982)の調査により明らかになっている。

杉藤(1982)は兵庫県多紀郡篠山町に住む20~80歳代23名を対象に、有意味語(228語)の産出実 験を実施した。その実験結果について、杉藤は「語頭では「ザ行→ダ行」の混同が圧倒的に多く、逆 は稀である」こと、「撥音に後続するザ行音はダ行音になりやすいが、逆は稀である」こと、「その他 の環境では、「ザ行→ダ行」の混同が起こりにくくなり、「ダ行→ザ行」の混同が起こる場合がある」

ことを指摘している。

表 92は杉藤(1982:307)のデータから作成したもので、杉藤の調査において全被験者の三分の一(23 名÷3≒8名)以上が混同を起こした単語が、各音を含む刺激語全体に占める割合を示したものである。

例えば、表中の語頭の「ザ→ダ」の欄の 78%という数値は、産出実験で用いられた「ザ」を含む単語

(ざっし、ざしき、…)の78%が8名以上の被験者により混同されたことを意味する。

表 92. ザ行・ダ行音混同の生起率:兵庫県多紀郡篠山町における有意味語の産出実験(杉藤(1982:307))

位置\混同の種類 ザ→ダ ゼ→デ ゾ→ド ダ→ザ デ→ゼ ド→ゾ 語頭 78% 80% 50% 0% 0% 0%

撥音の後 13% 25% 50% 0% 0% 0%

その他(=母音間) 7% 22% 14% 4% 0% 6%

まず、全体的な混同の生起率を見ると、位置に関わらず「ザ行→ダ行」という混同の方が多く、こ れはすでに議論した「閉鎖音の方が摩擦音よりも無標である」というJakobsonの指摘に沿うものであ る。重要なのは、位置による影響である。位置ごとの混同の生起率を見てみると、杉藤(1982)も指 摘しているように、「ザ行→ダ行」の混同は語頭でもっとも多く、語頭以外の位置では起こりにくい。