2. 閉鎖音の調音点の有標性とその音声学的基盤
2.6. 調音点の有標性への音声学的説明:知覚実験
2.6.3. 考察
本稿の実験の目的の一つは、Kochetov and So (2007)の知覚実験の結果が再現性のあるものであるか を確認し、それによって Jun (2004)の調音点同化に関する知覚のスケールを検証することであった。
以下では、Kochetov らの実験結果と同じ結果が本稿の実験でも得られると想定したときに得られる (13)の予測と、実験結果との比較を行う。
(13a): C1の知覚しやすさはC1の調音点によって異なるか?また、releaseの有無によってスケールが異
なるか?
予測:異なる
releaseがある(条件①、条件③):k > p ≧ t releaseがない(条件②、条件④):p ≧ t > k
まず、(13a)の予測と本稿の実験結果について考察する。Kochetov and So (2007)の実験結果と同様の 結果が本稿の実験でも得られると想定した場合、C1の知覚しやすさは C1の調音点によって異なり、
release がある場合とない場合とで調音点による相対的な知覚しやすさにも違いがあると予測された。
本稿の実験でも、C1の正答率は調音点によって異なっていた。表 21は本稿の実験の各条件における C1の調音点ごとの平均正答率(他の全ての要因はプールされている45)と、下位検定の結果をまとめ たものである。
45 すでに報告したように、多くの条件で交互作用が見られており、厳密には交互作用があった要因の 水準ごとの個別の結果を見る必要がある。これは特に要因間または要因内の水準においてケース数が 異なる場合に当てはまる。しかし、尐なくとも今回の実験の刺激では、被験者の母語を除く各要因の 各水準の組み合わせにおけるケース数は等しく、また、予測はKochetov and So (2007)の実験結果に基 づいており、彼らの議論においてもやはり他の要因(C2)をプールしたC1の平均正答率が用いられて いるため、ここでの議論において他の要因をプールしたC1の調音点ごとの平均正答率を全体的な傾向 を示す指標として使用することは可能である。
表 21. C1の全体平均正答率とC1主効果の統計検定結果のまとめ
V2=i V2=u
p t k C1正答率 p t k C1正答率
条件① 85.6% 91.3% 95.9% k > t > p 89.6% 90.3% 96.0% k > t, p
条件② 38.8% 40.9% 45.2% ―
(日:k > t, p) 38.5% 40.3% 52.0% k > t, p 条件③ 94.7% 98.8% 98.9% k, t > p 97.0% 99.2% 96.7% t > p, k 条件④ 66.5% 72.1% 46.4% t, p > k 71.4% 71.0% 60.3% p, t > k
条件②のV2がiのときを除いて、C1の相対的な知覚しやすさはC1の調音点によって異なっていた が、調音点による知覚しやすさの序列は予測とは一致しない点が多く、予測と完全またはほぼ完全に に一致する結果が得られたのは、条件①のV2がuのときと条件④のみであった。条件①のV2がiの ときには、kが最も正答率が高いという点では予測どおりの結果であったが、tについては最も正答率 が低くなる(またはpと差がない)と予測されているのに対して、本稿の実験結果では逆にtがpよ りも正答率が高かった。同様の結果は条件③のV2がiのときにも観察された。条件②のV2がuの場 合には、kが最も正答率が低いと予測されたのに対し、kが最も正答率が高い傾向があった。条件③の V2がuの場合には、正答率の差自体は小さなものであったが、最も正答率が低いと予測されている t が最も正答率が高かった。条件②の V2がiの場合には全体では C1調音点による差は見られなかった が、日本語話者については条件②のV2がuの場合と同じ傾向が見られた。
releaseがある場合(条件①、条件③)に関して、予測と一致していたのはkの正答率が最も高い(尐
なくとも、kが他よりも低くなることはない)という点であった46。予測はKochetovらの実験結果に 基づいて作成されたものであるから、release がある場合に k の正答率が高いという結果は Kochetov らの実験と本稿の実験結果に共通して見られたものだと言える。また、語末閉鎖音に関する知覚実験 を行った複数の先行研究からも、releaseがある場合にはkは最も正答率が高い調音点の一つであるこ とが示されており(= (11a)のスケール:「k, t ≧ p」)、releaseがあるときのkは最も知覚しやすいとい う結果は一般性が高いものだと言える。一方、releaseがある場合(条件①、条件③)に関して予測(す なわち、Kochetovらの実験結果)と一貫して異なっていた点は、p の正答率がtの正答率よりも低い と言う点であった(条件①のV2がuの場合には差なし)。しかし、同じく(11a)のスケールに示されて いるように、語末閉鎖音に関する知覚実験を行った複数の先行研究の実験においてもtがpよりも正 答率が高いという結果が報告されていることから、本稿の実験結果は複数の先行研究と同じ傾向を示 していると言うことができ、むしろKochetovらの実験結果のほうが一般性が低い可能性がある。以上 のことから、releaseがある場合には k が最も知覚しやすいと結論付けることが可能であるが、p と t の相対的な知覚しやすさに関しては今後さらに検討される必要があると言える。
releaseがある場合にkの正答率が高いという結果が得られた理由は、C1のreleaseの持続時間とC1
の全体持続時間という観点からある程度は説明が可能であると思われる。表 22 に挙げたように、本 稿の刺激(Kochetov らと同じ条件で議論するために、C1に先行する母音が a である刺激に限定)の C1のreleaseの平均持続時間は、V2がiのときには、pが26.8 ms、tが30.6 ms、kが54.7 msでkの持
46 ただし、条件③のV2がuのときにはこれは当てはまらなかった。この点については、現段階では説 明が付かない。
続時間がp, tよりも長く、V2がuのときにはpが29.9 ms、tが25.6 ms、kが29.3 msでp, t, kの間に は差が無かった(尐なくとも、kの持続時間が他よりも短くなることはなかった)。日本語のp, t, kの
中ではkのrelease持続時間が長いことはHiki et al. (1967)の研究でも示されている47。また、軟口蓋音
の release の持続時間が両唇音・歯茎音よりも長い傾向は英語にも見られることが Crystal and House
(1988a)で報告されており、このような音響的な理由からkのreleaseはpやtのreleaseに比べて聞き取
りやすいのではないかと推測される(Jakobson (1941/1968)においても、軟口蓋音は両唇音や歯茎音に 比べて音響的に強い音であることが述べられている)。また、本稿の刺激におけるC1の閉鎖開始点か
らC2のreleaseが始まる直前までの区間の平均持続時間については、V2がiのときにはpが175.6 ms、
tが165.4 ms、kが147.4 msで、V2がuのときにはpが169.8 ms、tが163.6 ms、kが153.5 msで、V2 がiであってもuであってもkの持続時間が他よりも短い傾向があった。つまり、kはreleaseが長く 全体が短い傾向があるという点でp, tとは異なっており、これがkの知覚の際に何らかの手がかりと して働いた可能性が考えられる48。
表 22a. 刺激のC1 releaseの持続時間(単位はms)
C1 p t k 持続時間の差 V2=i
平均 26.8 30.6 54.7
k > p, t
SD 15.4 9.9 18.0
V2=u
平均 29.9 25.6 29.3
―
SD 10.6 7.9 9.0
b. C1始点からC2始点まで計測した場合(単位はms)
C1 p t k 持続時間の差 V2=i
平均 175.6 165.4 147.4
p > k(ただし、0.05 < p < 0.10)
SD 17.1 15.5 17.6
V2=u
平均 169.8 163.6 153.5
p, t > k
SD 18.2 28.1 14.2
releaseがない条件(条件②、条件④)のうち、条件④(後部要素なし)の結果は予測(正答率は「p,
t > k」)と一致するもので、かつ語末閉鎖音に関する知覚実験を行った複数の先行研究の実験結果(=
(11a)のスケール:「p, t ≧ k」)とも一致していた。一方、条件②(後部要素あり)においては、本稿の
47 Hiki et al. (1967)は天気予報の文章をNHKのアナウンサーが発音したものを標本として各音素の持
続時間を分析したものである(詳細な音韻環境は記載されていないが、Hikiらの標本には本研究とは 異なり通常のCV(母音が無声化していない音節)が多く含まれていると思われる)。Hikiらの分析結 果によると、通常の発話速度におけるp, t, kのrelease(Hikiらの定義ではaspiration)の持続時間はそ れぞれ15ms, 18ms, 36msであった。
48 ただし、この説明では条件③の母音がuのときの結果を説明できない。また、Kochetovらの刺激の C1のreleaseの平均持続時間はpが18 ms、tが36 ms、kが27 msで、tとkのreleaseがpよりも長く、
C1の全体持続時間はp, t, kで差がなかったと述べられており、本稿の刺激とは異なるけれども、kの正 答率が最も高いという点ではKochetovらの実験も本稿の実験も同様の結果が得られている。こうした 点も考慮すると、C1のreleaseの持続時間などの観点だけでは必ずしも説明力があるとは言えない。こ の点は今後の研究課題である。
実験結果は「k > p, t」であり、予測(「p, t > k」)とはkの正答率が高いという点で異なっていた。予 測(すなわちKochetovらの実験結果)とは一致しなかったが、条件②に関する本稿の実験結果はJun のスケールを一部支持するものであった。Junの(10b)のスケール(「k > p > t」)ではkが最も知覚しや すいと想定されており、本稿の条件②の実験結果ではkが最も正答率が高いという点でJunのスケー ルを支持する。また、Junのスケールではpがtよりも知覚しやすいとされているのに対し、本稿の実 験結果ではpとtに関しては差がなく、この点ではJunのスケールを積極的に支持するものではない が、尐なくともJunのスケールを積極的に否定するものでもない。以上のことから、本稿の実験結果 はJunのスケールと完全に一致するものではないけれども、releaseがない場合にはJunのスケールは 支持されないというKochetovらの実験結果とは異なり、releaseがない場合であってもJunのスケール が支持される可能性を示したものだと言える。
Junの(10b)のスケール(「k > p > t」)の検証と言う観点からは、このスケールがC1がunreleasedであ る場合の閉鎖音の子音連続を想定して作成されたものであるということから、条件②(release なし、
後部要素あり)の結果がスケールと一致するかどうかが最も重要な検証のポイントである。Kochetov らの条件②の実験結果では「p > t > k」という結果であり、p > tという点ではJunのスケールを支持す る結果が得られたと言えたが、k が最も知覚しにくかったという点ではスケールを支持する結果は得 られなかった。それに対して、本稿の実験では「k > p, t」と、kが最も知覚しやすいという点ではJun のスケールを支持する結果が得られたが、p と t については差がなくこの点ではスケールに対して中 立であった。さらに、本稿の実験結果ではreleaseがある場合(条件①)にもkが最も知覚しやすいと いう結果が得られている。つまり、知覚的観点から見て、Junの(10b)のスケールがreleaseの有無に係 わらず妥当であることが本稿の実験結果によってはじめて示されたことになる。これは本稿の実験の 大きな成果の一つであると考える。
本稿の実験でreleaseも後部要素もない場合(条件④)にはKochetov and So (2007)やその他の先行研 究と同様、k が最も知覚しにくいという結果が得られたのに対し、releaseがなく後部要素がある場合
(条件②)にはKochetovらの実験結果(条件④と同じくkが最も正答率が低い)とは異なりkの正答 率が高いという結果が得られた理由についても、やはりC1のreleaseの持続時間とC1の全体持続時間 という観点からある程度は説明が可能ではないかと思われる。すでに述べたとおり、本稿の刺激では
C1のkはp, tに比べてreleaseの持続時間が長く、全体持続時間は短い傾向があった。releaseがない条
件ではreleaseの持続時間を手がかりとして用いることは不可能だが、releaseがなくなっても全体持続
時間は手がかりとして使用可能である。このような追加的な手がかりが存在していたため、本稿の条 件②では予想に反してkの正答率が高くなった可能性がある。一方、C1の全体持続時間は後部要素が あることによってわかるものであるから、releaseも後部要素もない場合(条件④)には、C1の全体持 続時間を追加的な手がかりとして用いることはできないため、予測どおりの結果となったものと思わ れる。この説明は、Kochetovらの実験結果においてはreleaseがなく後部要素がある条件(条件②)と
release がなく後部要素がない条件(条件④)とで結果が変わらなかったこともうまく説明できる。
Kochetovらの刺激のC1の全体持続時間はp, t, kで差がなかったと述べられていることから、後部要素
があってC1の全体持続時間がわかる状況であったとしても、持続時間に差がないためにこれが調音点 の弁別のための追加的な手がかりとなることはない。よって、Kochetovらの実験で条件②と条件④と の間には差が出なかったものと思われる。
releaseの有無によってスケールが異なるかどうかについては、本稿の実験結果ではreleaseがある場
合(条件①、条件③)、ない場合(条件②、条件④)のそれぞれの中でもばらつきがあり、一様ではな