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4. 単子音・重子音の有標性の例外とその音声学的基盤

4.2. 借用語における s, ʃ の非対称性(有標性の例外)とその音声学的基盤

4.2.2. 英語側原因説の検証

英語のs, shの持続時間を調べたときに、shの方がsよりも持続時間が長いという傾向が観察されれ

ば、借用語における促音挿入の非対称性は英語側に原因があると考えることができる。以下では、英

語のs, shの持続時間に実質的な違いがあるのかどうかを考察する。

4.2.2.1. 英語のs, shの持続時間に関する先行研究

Jongman (1989)は、先行研究(You 1979, cited in Jongman 1989)において英語の摩擦音は調音点によ って持続時間が異なることが報告されていると述べている。また、Jongman (1989)では自身が行った摩 擦音の音響分析の結果もあわせて報告されている。Jongmanの記述するところによると、You (1979)の 研究における平均の摩擦持続時間はshが176 ms、sが155 msであった。また、Jongman自身が行った 調査では1名のアメリカ英語話者(男性)が5回ずつ発音したCV型の音声(Vはa, i, u)の音響分析 が行われ、その結果、平均の摩擦持続時間はsが188 ms(後続母音別に見るとsa = 185 ms, si =193 ms, su

= 187 ms)、shが166 ms(後続母音別に見るとsha = 153 ms, shi = 159 ms, shu = 186 ms)であった。報告 された平均持続時間を見る限りでは2つの研究の結果は全く逆のことを示しており、sとshのどちら が長いかは判断できない。残念ながら、Jongman (1989)の研究はsとshの持続時間を比較することが目 的ではないので、You (1979)のデータとの結果の違いについての議論はなされていない。また、sとsh

の持続時間に関して統計的検定は行われておらず、有意な差があったのかどうかも定かではない。

You (1979)の音声がどのような音韻環境の語でどのように発音されたものかは不明であるが、

Jongman (1989)の分析に用いられた音声はCV語の単独発話であり、キャリア文に入れた状態で発音さ

れたものではない(尐なくとも、そうした記述はない)。単独発話の音声はキャリア文に入れた状態よ りもばらつきが大きくなることが考えられ、特に発話頭の摩擦音の摩擦成分は閉鎖音のように明確な 開始点を持たないため、測定の始点を定めるのが比較的難しい(測定された持続時間のばらつきが比 較的大きくなる)と考えられることから、sとshの間に統計的に有意な差が得られない可能性もある。

Behrens and Blumstein (1988)は、3名の男性英語話者が各5回ずつ単独(citation form)で発音したCV

型(Vはi, e, a, o, u)の語における摩擦音の平均持続時間を報告している。この研究によると、平均持

続時間はsが174ms、shが175msで両者の平均持続時間の間には有意な差は観察されなかったという。

Jongman et al. (2000)は20名の英語話者がキャリア文(“Say ~ again.”)に入れて3回ずつ発音した

英語の1音節語(CVC型)の語頭位置における摩擦音の音響分析を行った結果、ʃ, ʒ はs, zに比べて 正規化(摩擦持続時間÷語の持続時間)した持続時間が長かったと報告している。

工藤・窪薗(2008)は,既述のように英語語話者3名の/Ces/と/Ceʃ/(Cはp, m, kで、キャリア文は

“Say _ again.”)という無意味の最小対の発音(各10回ずつ)における/s, ʃ/の持続時間を測定した。工

藤らの報告によると,/pes/-/peʃ/と/mes/-/meʃ/では3名中1名の話者でshの方がsよりも平均持続時間 が有意に長いという傾向が見られたが、残り2名の話者ではsとshの平均持続時間には有意な差が観 察されず、/kes/-/keʃ/に関しては3名ともsとshの平均持続時間には有意な差が観察されなかったとい う。

以上の先行研究の結果をまとめたものが表 46である。先行研究からは、英語のshはsよりも持続 時間が長いと直ちに結論付けることはできない。特に、語末の摩擦音の持続時間を調べているのは工 藤・窪薗(2008)のみであるので、語末におけるs, shの持続時間のさらなる調査が必要である。そこ で、本研究でも以下のような産出実験を行い、英語話者の音声の分析を行った。

表 46. 先行研究における英語のs, shの持続時間:まとめ 出典 工藤・窪薗(2008) You (1979, cited

in Jongman 1989)

Jongman (1989)

Behrens and Blumstein (1988)

Jongman et al. (2000)

位置 語末 ? 語頭 語頭 語頭

被験者数 3 ? 1 3 20

結果 s ≒ sh (n.s., 2名) s ≦ sh (1名)

s ≦ sh (統計検定なし)

s ≧ sh

(統計検定なし) s ≒ sh (n.s.) s < sh

4.2.2.2. 英語話者に対する産出実験(実験4-1)

実験4-1:方法

まず、/pabaC/(Cにはs, sh, p, t, k, b, d, gが入る)がランダムな順序で配置されたリストと/peC/がラ ンダムな順序で配置されたリストを作成し、2名の英語話者(1名は女性でアメリカ英語の話者(以下、

E1)、1名は男性でイギリス英語の話者(以下、E2))に単独および “Say _ again.”というキャリア文に

入れた状態で各語を発音してもらった(ともに第一音節に強勢を置いて発音してもらった)。話者はリ ストに書かれた語を1回ずつ読み、それを10回繰り返すことで各語につき10回分の発話を得た97

97 被験者ごとに異なる語順のリストが用いられた。なお、E1については話者の時間の都合上/peC/のリ

sとshの持続時間に差があるかどうかを調べるために、まず、“pábas” ([pɒbəs])と “pábash” ([pɒbəʃ]) の持続時間を測定し(キャリア文に入れた状態の発音の測定結果は表 47、単独の状態の発音の測定結 果は表 48)、被験者ごとにs, shの平均持続時間に差があるかどうかをt検定により分析した。

予測

英語側原因説が正しければ、英語の発音におけるs, shの持続時間に差があり、shの方がsよりも持 続時間が長いという結果が得られるはずである。一方、英語原因説が正しくない、すなわち、英語の 発音が借用語の促音挿入を生じされる原因ではないのであれば、shの方が sよりも持続時間が長いと いう結果は得られない(s, shの持続時間には差がないか、むしろsの方がshよりも持続時間が長い)

ことになるであろう。

結果

キャリア文に入れた状態では、E1・E2ともにs, shの平均持続時間(表 47)には有意な差が見られ なかった(E1: t = -0.385, df = 18, p = 0.705 (n.s.); E2: t = -0.080, df = 19, p = 0.938 (n.s.))。また、Levineの 等分散性の検定の結果、各話者の発音におけるsとshの分散は等しいと言えることが明らかとなった

(E1: F(1, 18) = 1.986, p = 0.176 (n.s.); E2: F(1, 19) = 0.101, p = 0.754 (n.s.))98。この結果は、同一の話者 内においてはsとshの平均持続時間およびその分布には差がないことを示すものであった。

表 47. 英語話者の発音(キャリア文に入れた状態)におけるs, shの持続時間

話者 ターゲット語 Say p closure p a b a S a gain

E1

pabas

平均 338 87 73 71 44 114 88 80 193

SD 16 17 7 7 6 14 7 8 11

pabash

平均 347 78 74 72 43 117 87 84 192

SD 25 11 16 21 7 8 10 9 20

話者 ターゲット語 Say p closure p a b a S a gain

E2

pabas

平均 255 85 40 80 37 102 108 57 214

SD 24 29 8 10 5 7 12 12 17

pabash

平均 256 82 36 85 38 97 109 60 208

SD 52 8 9 9 7 13 11 10 14

同様に、単独(キャリア文に入れない)状態の発音におけるs, shの平均持続時間を分析したところ、

やはりE1・E2ともにs, shの平均持続時間(表 48)には有意な差が見られなかった(E1: t = -1.295, df =

18, p = 0.212 (n.s.); E2: t = 1.215, df = 22, p = 0.223 (n.s.))。また、Levineの等分散性の検定の結果、各話 者の発音におけるsとshの分散は等しいと言えることが明らかとなり(E1: F(1, 18) = 2.454, p = 0.135 (n.s.); E2: F(1, 22) = 1.064, p = 0.314 (n.s.))、やはり同一の話者内においてはsとshの平均持続時間およ ストを読んでもらうことができなかった。また、録音時の回数の数え間違いにより、E2については10 回以上発音が得られた語があったので、10回を超えた分も分析に含めることとした。

98 等分散性の検定における帰無仮説は「標本の分散が等しい」であるので、この場合には有意な差が ない場合に標本の分散が等しいことになる。

びその分布には差がないことが示された。

表 48 英語話者の発音(単独)におけるs, shの持続時間

話者 ターゲット語 p a b a S

アメリカ英語

(女性)

pabas

平均 72 73 45 164 264

SD 13 11 8 8 14

pabash

平均 65 70 45 166 253

SD 7 10 5 12 19

話者 ターゲット語 p a b a S

イギリス英語

(男性)

pabas

平均 42 80 38 141 178

SD 15 10 11 9 16

pabash

平均 29 87 38 147 188

SD 7 8 6 10 23

摩擦の絶対持続時間を指標にした場合にはs, shの平均持続時間に差が観察されなかったが、絶対持 続時間は発話速度の影響を受けやすいため、発話速度の影響を受けにくい指標を用いた場合に差が生 じる可能性は否定できない。実際に、Jongman et al. (2000)では語頭のs, shの絶対持続時間による比較 では平均値に差が得られなかったが、語の持続時間で正規化した値を指標に取るとshの方がsよりも 長い傾向が見られたという報告もあることから、絶対持続時間以外の指標を用いてデータを分析して みる必要がある。そこで本研究では、先行研究で挙げられている指標を用いてデータを再分析した。

用いた指標は以下のとおりであった。

(21) 本研究で用いた指標

C/preV(子音持続時間対先行母音の持続時間の比):Pickett et al. (1999), Hirata (2007)

C/W(子音持続時間対語全体の持続時間の比):Hirata (2007), 川越・荒井(2007)

C/postV(子音持続時間対後続母音の持続時間の比):Hirata (2007)

C/preVは子音持続時間対先行母音の持続時間の比で、Hirata (2007)によればこの指標に基づくと90%以

上の正確さでその音声が促音・非促音のどちらを含むかを分類できるとされている。また、この指標 は日本語以外にもイタリア語の重子音・単子音の区別においても役に立つことが報告されている

(Pickett et al. 1999)。C/Wは子音持続時間対語の持続時間の比で、Hirata (2007)によれば95%以上の正 確さでその音声が促音・非促音のどちらを含むかを分類できるとされている。また、川越・荒井(2007)

は英語音声に促音が感じられる理由の尐なくとも一部は C/W によって説明可能であると述べている。

C/postVは子音持続時間対後続母音の持続時間の比で、Hirata (2007)では98%以上の正確さでその音声

が促音・非促音のどちらを含むかを分類できるとされており、以上の指標の中では最も有力な指標で あるとされている99

99 これは音響的な計測とそこから得られた指標によって分類することを目的としたもので、知覚がこ れらの指標に依存しているかどうかはまた別の問題となる。尐なくともここでは英語のs, shの持続時