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4. 単子音・重子音の有標性の例外とその音声学的基盤

4.4. 借用語における x (h), f (ɸ)の非対称性(有標性の例外)とその音声学基盤

4.4.2. 非対称性(有標性の例外)に対する音声学的説明

4.4.2.1. 産出実験(実験 4- 6)

実験4- 6:方法・被験者

知覚実験に先立って、まず、日本語のハ行子音の持続時間を調べるための産出実験を行うこととし た。この実験の目的は知覚実験における持続時間の設定などを決めるための参考とすることと、日本 語のにおいて[h]と[ɸ]の持続時間が異なっているのかを確認することである。仮に日本語において[h]と

[ɸ]の持続時間の分布が異なっており、[ɸ]の方が[h]よりも長い持続時間に偏った分布をしているとすれ

ば、日本語話者の知覚において[ɸ]の促音判断境界が[h]と比べてより高い値を取る([ɸ]の方が促音だと 判断されにくい)ことを示唆する傍証となりうる140

被験者は日本語話者5名(男性2名、女性3名。話者の出身地は女性1名が静岡で、残りは愛知県 出身)で、データは話者が「サハ」([saha])、「サッハ」([sahha])、「サフ」([saɸu])、「サッフ」([saɸɸu]) を「これは~です」および「これは~といいます」の 2 つのキャリア文に入れた状態で発音したもの である。まず、4つの語を異なる語順に並べて5つのリストを作成し、各被験者に対して1つのリスト を割り当てた。各被験者はリストに記載された順に語を一回ずつ読み、それを10回繰り返すことで各 話者につき各語10回分の発話を得た。

予測

借用語の促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚によって生じたのだとすれば、日本語話者の[h]の 促音判断境界が[ɸ]に比べて小さい値を取っているはずである。産出と知覚の間に対応関係があるとい う想定のもとでは、産出において[h]の持続時間が[ɸ]の持続時間よりも短いという結果が得られれば、

知覚においてもこれに対応して[h]の促音判断境界値は[ɸ]の促音判断境界値よりも小さな値となること

139 [ɸa](ファ)は日本語に存在するが、音響的に見るとこの[ɸa]は[ɸ]の影響を受けて[ha]のaとは異な

ったフォルマント遷移情報を持つため、これを用いると純粋な[h]と[ɸ]の違いを見ることができない危 険性がある。よって、本研究では「ファ」の[ɸa]は考慮の対象から外すこととした。

140 実際には、ハ行子音は後続の母音環境を同一条件に設定して比較することはできないため、産出に おいて[h]と[ɸ]の持続時間に違いがあったとしても、これが知覚にも対応すると推測することは厳密に 言えば妥当ではないことは指摘しておく必要がある。しかし、このような問題があったとしてもやは り産出において[h]と[ɸ]の持続時間に違いがあるかどうかを調べておくことは価値があると判断し、本 研究では産出実験を行った。

表 70. /h/持続時間(単位はms)とその他の指標の値(キャリア文:「これは~です」)

摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV

J1

サハ

平均 72.0 0.22 0.89 0.81

サフ

平均 100.0 0.31 1.16 2.25

SD 8.4 0.02 0.14 0.15 SD 10.6 0.03 0.17 0.64

サッハ 平均 165.7 0.37 1.60 1.91

サッフ 平均 162.5 0.38 1.37 2.82

SD 15.1 0.03 0.31 0.25 SD 8.8 0.01 0.10 0.30

J2

サハ

平均 54.7 0.16 0.60 0.52

サフ

平均 72.5 0.21 0.69 1.01

SD 6.2 0.02 0.08 0.09 SD 10.2 0.03 0.10 0.23

サッハ 平均 148.5 0.34 1.24 1.84

サッフ 平均 161.8 0.37 1.29 2.79

SD 14.5 0.03 0.13 0.37 SD 7.3 0.02 0.07 0.55

J3

サハ

平均 64.5 0.20 0.83 0.79

サフ

平均 75.9 0.25 0.89 1.69

SD 5.0 0.02 0.09 0.13 SD 10.2 0.03 0.13 0.37

サッハ 平均 153.9 0.35 1.61 2.03

サッフ 平均 198.1 0.43 2.04 4.06

SD 14.1 0.03 0.25 0.31 SD 22.0 0.02 0.30 0.70

J4

サハ

平均 60.3 0.19 0.73 0.83

サフ

平均 66.1 0.21 0.72 1.29

SD 6.5 0.02 0.10 0.15 SD 8.9 0.03 0.10 0.30

サッハ 平均 190.1 0.43 2.19 3.18

サッフ 平均 206.3 0.45 2.23 4.75

SD 8.5 0.02 0.20 0.26 SD 10.2 0.03 0.24 0.85

J5

サハ

平均 93.7 0.25 1.07 1.21

サフ

平均 98.7 0.25 0.93 1.63

SD 14.5 0.03 0.18 0.22 SD 19.6 0.04 0.18 0.32

サッハ 平均 213.2 0.39 1.64 2.84

サッフ 平均 252.1 0.44 1.99 4.49

SD 15.3 0.02 0.20 0.42 SD 22.9 0.03 0.25 0.48

が強く示唆される141。逆に、産出において[h]と[ɸ]の持続時間に差がなければ、知覚における促音判断 境界に差がないことが示唆され、借用語の促音挿入と非対称性と日本語話者の知覚には関係がないこ とが推測されることになる。

結果と考察

各語について、s, shに関する分析同様、摩擦(/h/)持続時間、C/W、C/preV、C/postVの値を求めた ところ、表 70および表 71に挙げた結果が得られた。

各被験者の発話におけるC/Wの値に対して、「促音」(促音vs.非促音)および「摩擦の音色」([h] vs.

[ɸ])142を固定因子とする2要因の分散分析を行った。得られた分析結果をまとめたのが表 72である。

表の右端に記載されているのは、分析の結果「サハ」(h)、「サフ」(ɸ)、「サッハ」(hh)、「サッフ」(ɸɸ)

141 既述のとおり、日本語における[h]と[ɸ]は/h/が後続母音によって姿を変えた異音である。つまり、

摩擦持続時間の違いは後続母音の違いと相関しているため、純粋な[h]と[ɸ]の持続時間の違いとはなら ない可能性があるので、この点は留意しておく必要がある。

142 [h]と[ɸ]は後続母音による条件異音として相補分布するため、これは「後続母音」([a] vs. [u])と解

釈することも可能である。

表 71. /h/持続時間(単位はms)とその他の指標の値(キャリア文:「これは~といいます」)

摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV

J1

サハ

平均 63.2 0.22 0.82 1.05

サフ

平均 85.2 0.32 0.92 ―

SD 12.5 0.04 0.17 0.26 SD 4.8 0.02 0.08 ―

サッハ 平均 153.1 0.38 1.43 2.99

サッフ 平均 201.3 0.48 1.65 ―

SD 11.3 0.03 0.24 0.50 SD 12.8 0.02 0.15 ―

J2

サハ

平均 39.4 0.14 0.50 0.48

サフ

平均 95.5 0.29 0.94 ―

SD 7.0 0.02 0.09 0.10 SD 10.2 0.02 0.18 ―

サッハ 平均 130.1 0.33 1.22 2.04

サッフ 平均 150.3 0.39 1.23 ―

SD 13.4 0.03 0.18 0.47 SD 12.8 0.04 0.16 ―

J3

サハ

平均 62.9 0.21 0.90 0.84

サフ

平均 79.7 0.30 0.92 ―

SD 3.5 0.01 0.07 0.09 SD 9.9 0.03 0.16 ―

サッハ 平均 144.8 0.34 1.72 2.04

サッフ 平均 179.0 0.44 1.78 2.75

SD 17.5 0.03 0.36 0.36 SD 17.2 0.05 0.34 ―

J4

サハ

平均 49.4 0.17 0.66 0.72

サフ

平均 82.3 0.30 0.86 ―

SD 10.2 0.03 0.15 0.21 SD 6.6 0.02 0.09 ―

サッハ 平均 172.6 0.41 1.93 3.22

サッフ 平均 207.4 0.50 2.14 ―

SD 11.2 0.01 0.15 0.39 SD 23.7 0.04 0.30 ―

J5

サハ

平均 83.1 0.25 1.09 1.14

サフ

平均 108.9 0.26 1.10 1.37

SD 10.4 0.03 0.16 0.17 SD 9.0 0.02 0.14 0.29

サッハ 平均 194.0 0.38 1.54 2.87

サッフ 平均 227.2 0.45 1.76 7.28

SD 21.1 0.04 0.27 0.75 SD 28.3 0.06 0.31 3.65

* 表中の「―」は摩擦に後続する母音が無声化したため、後続母音との比を求められなかったことを示す

の持続時間(C/W 値)の間にどのような関係が見られたかを示したものである(「<」で区切られた区 間は統計的に持続時間に有意な差があったことを、「,」で区切られた区間は統計的に有意な差が得られ なかったことを示している)。5名の話者の結果を総合すると、[h] ([hh]は[ɸ] ([ɸɸ])と持続時間に差がな いか、ɸ ([ɸɸ])よりも短いのどちらかであって、逆はないことがわかる。この結果は、以下の散布図か らも見て取れる([h]と[ɸ]および[hh]と[ɸɸ]の分布にはオーバーラップが見られるものの、全体として[ɸ]

および[ɸɸ]はそれぞれ[h]と[hh]よりもより持続時間の長い方向に分布している)。

日本語において、[h]と[ɸ]は後続母音による条件異音として相補分布するため、以上の結果から単純 に議論することは危険ではあるが、日本語話者の産出において[ɸ] ([ɸɸ])の方が[h] ([hh])よりも持続時間 が長いことから、知覚においても摩擦の音色が[h]であるときと[ɸ]であるときとで促音判断境界が異な る可能性を調べる価値はあると言えよう。以下では実際に[h]と[ɸ]の促音判断境界を調べるために行っ た知覚実験の結果を報告する。

表 72. 分散分析結果

キャリア文 被験者 「促音」主効果 「摩擦の音色」主効果 交互作用

「これは~

です」

J1 *** *** *** h < ɸ < hh, ɸɸ

J2 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ

J3 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ

J4 *** ** n.s. h, ɸ < hh, ɸɸ

J5 *** ** ** h, ɸ < hh < ɸɸ

「これは~と いいます」

J1 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ

J2 *** *** *** h < ɸ < hh < ɸɸ

J3 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ

J4 *** *** * h < ɸ < hh < ɸɸ

J5 *** ** * h, ɸ < hh < ɸɸ

注: * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < 0.001

「これは~です」

0.000 0.100 0.200 0.300 0.400 0.500 0.600

0 50 100 150 200 250 300

摩擦持続時間(ms)

C/W

サハ サッハ サフ サッフ

図 29. ターゲット語の持続時間の分布(キャリア文:「これは~です」)

「これは~といいます」

0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6

0 50 100 150 200 250 300

摩擦持続時間(ms)

C/W

サハ サッハ サフ サッフ

図 30. ターゲット語の持続時間の分布(キャリア文:「これは~といいます」)