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4. 単子音・重子音の有標性の例外とその音声学的基盤

4.4. 借用語における x (h), f (ɸ)の非対称性(有標性の例外)とその音声学基盤

4.4.2. 非対称性(有標性の例外)に対する音声学的説明

4.4.2.2. 知覚実験(実験 4-7)

実験は練習と本番の 2 部構成となっており,練習では最も典型的な非促音および促音(合成摩擦音 の連続体における最端の音)を含む刺激が,続く本番では全ての刺激が,ともにランダムな順序で提 示された。結果の分析は本番の回答のみを対象とした。刺激はヘッドフォン(ソニー製MDH-NC50)

を通して提示された。刺激が提示されてから次の刺激が提示されるまでの間隔は4秒とした。

被験者は11名の日本語話者である。被験者のタスクは刺激が何であったかを「サハ」「サッハ」「サ フ」「サッフ」の 4 択145から選び,対応するパソコンの画面をマウスでクリックすることで回答した。

刺激のランダマイズ,提示,回答の集計はコンピュータ制御で行われた。各刺激の提示回数は 4 回と し、1人の被験者につき合計で288の回答を得た。実験の所要時間は25分程度であった。

予測

この実験において重要な点は、摩擦の音色の影響が見られるかどうかである。摩擦が[ha]であるとき と[ɸ]であるときの促音判断境界値が異なっており、[ha]の判断境界が[ɸ]の促音判断境界よりも小さな値 を取っていれば、借用語の促音挿入においてもそれが関与し、非対称性を生じさせる一因となってい ると解釈できる。一方、[ha]と[ɸ]の促音判断境界値に差がないか、逆に[ɸ]の促音判断境界値のほうが小 さな値を取っているならば、借用語の促音挿入と日本語話者の知覚の間には因果関係がないと解釈さ れることになる。

結果

摩擦持続時間の変化に伴う促音判断率(各カテゴリにおける,「促音だと判断された刺激の総数146

÷「全刺激数」)の推移を摩擦周波数特性ごとに示す。図 31 は促音判断率を摩擦の音色が[ha]のときと

[ɸ]のときに分けてプロットしたものである。摩擦が[ha]であるときと[ɸ]であるときの 50%判断境界値

は平均でそれぞれ98.3ms, 96.5msであった(判断境界値はProbit分析により求めた)。この実験では、

[ha]と[ɸ]はすべてのVC遷移および後続母音と組み合わされているため、[ha]と[ɸ]以外の要因は(仮に

存在したとしても)コントロールされていると見なすことができる。そこで、摩擦の音色以外の条件 はプールし、摩擦が[ha]であるときと[ɸ]であるときの促音判断率に違いが見られるかどうかを摩擦の音 色(名義変数:[ha]と[ɸ])および摩擦持続時間(連続変数)の2つを独立変数とする階層的ロジスティ

145 [ɸ]が[a]と組み合わされているため、「サファ」「サッファ」のような選択肢もありうるが、予備実験

の結果、摩擦[ɸ]が[ha]から得た[a]と組み合わさった場合、「ファ」だと聞こえることはなく、一貫して

「ハ」だと聞こえることがわかったので、これらの選択肢は除外した。

今回の実験で用いた[a]が[ha]から採られた音声であるため、自然音声の「ファ」の発音であれば存在 するはずのフォルマント遷移の情報は存在しない。一般に、fやθなどの非粗擦音はエネルギーが弱く、

その同定には摩擦そのものよりもむしろフォルマント遷移の情報がより重要となる(Harris 1958)。[ɸ]

も非粗擦音の一つであるため、「ファ」だと聞こえないというフィードバックが得られたのは、「ファ」

だと判断されるために必要なフォルマント遷移の情報が刺激中に存在しなかったためだと説明がつく。

146 「サッハ」,「サッフ」と回答された刺激数。

これは

後続母音 (2) (sahh)a

(saɸɸ)u 摩擦 (18)

ha(45~165ms)

ɸ (45~165ms) VC遷移 (2)

sa (hha)

sa (ɸɸu) × × です

ック回帰分析により分析した。この分析においては、s, shに関する実験と同様、第1レベルで被験者 内のばらつきをコントロールし、第 2 レベルで摩擦持続時間、摩擦の音色を独立変数として組み込ん で分析した。尤度比に基づくステップワイズ法によって最適なモデルを求めた結果、摩擦持続時間の 主効果のみが有意であり(B = 0.115, Wald統計量 (W2) = 649.0 df = 1, p < 0.001)、摩擦の音色およびこれ らの交互作用は有意ではないことから除外された。この結果は、促音判断率は摩擦持続時間によって 変化したが、摩擦の音色によって促音判断率の違いは観察されなかったことを意味するものであった。

0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1

45 60 75 90 105 120 135 150 165

摩擦持続時間

促音判断率

H F

図 31. 摩擦の音色による促音判断率

この実験の目的は摩擦の音色が促音判断に影響を与えるかどうかを調べることであったが、ここで、

摩擦持続時間と摩擦の音色([ha]と[ɸ])以外の要因と促音判断率の関係についても簡単に触れておきた い。以下の図は[ha]と[ɸ]が各VC遷移、後続母音と組み合わさったときの促音判断率をプロットしたも のである。また、表 73はそれぞれの判断境界値をProbit分析により求めたものである。表から、VC 遷移や後続母音の違いによって判断境界値に体系的な違いがあることが示唆されるため、これらの影 響を確認するために第1レベルで被験者内のばらつきをコントロールし、第2レベルで摩擦持続時間、

摩擦の音色、VC遷移、後続母音を独立変数とする階層的ロジスティック回帰分析を行った。尤度比に 基づくステップワイズ法に基づくモデル選択の結果、摩擦の持続時間、摩擦の音色、VC遷移、後続母 音の主効果全てが摩擦持続時間に影響する要因として残されたが、このうち摩擦の音色は先ほどの分 析と同様に有意水準(p = 0.05)に届かなかったため、本研究では考察の対象から除外する。摩擦持続 時間、VC遷移、後続母音の主効果はいずれも0.1%水準で有意であった(摩擦持続時間:B = 0.156, W2

= 488.8, df = 1, p < 0.001;VC遷移:B = 1.544, W2 = 75.8, df = 1, p < 0.001;後続母音:B = -2.900, W2 =

192.5, df = 1, p < 0.001)。摩擦時間については、摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすい

という傾向が観察された。VC 遷移については、VC 遷移が[saɸɸu]から採られた[sa]であるときの方が [sahha]から採られた[sa]であるときよりも刺激が促音だと判断されやすいという結果が観察された。一 方、後続母音については、後続母音が[a]のときの方が[u]のときよりも刺激が促音だと判断されやすい という結果が観察された。VC遷移、後続母音の影響が意味するところについては、後ほど考察する。

最後に、調音点判断(摩擦が「ハ」であると判断されたか、「フ」であると判断されたか)について も言及しておく。この実験における調音点判断は、後続母音によってほぼ100%決められており、後続 母音が[a]であれば他の要素にかかわらず刺激は「ハ」系列(「サハ」または「サッハ」)であると判断

され、後続母音が[u]であれば刺激は「フ」系列(「サフ」または「サッフ」)だと判断された(表 74 参照)。

0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1

45 60 75 90 105 120 135 150 165

摩擦持続時間

促音判断率

sa(h)-H-a sa(h)-H-u sa(h)-F-a sa(h)-F-u sa(f)-H-a sa(f)-H-u sa(f)-F-a sa(f)-F-u

図 32. 各条件における促音判断率

表 73. Probit分析に基づく各条件における促音判断境界値(ms)

VC遷移 摩擦の音色 後続母音 促音判断境界(ms)

sa(hha)

ha (sahh)a 94.9

(saɸɸ)u 110.1

ɸ (sahh)a 92.3

(saɸɸ)u 110.7

sa(ɸɸu)

ha (sahh)a 83.9

(saɸɸ)u 103.0

ɸ (sahh)a 80.2

(saɸɸ)u 101.5

表 74. 調音点判断率

VC遷移 摩擦の音色 後続母音 「ハ」(「サハ」または「サッハ」)

だと判断された率

sa(hha)

ha (sahh)a 100.0% (395/395)

(saɸɸ)u 0.3% (1/395)

ɸ (sahh)a 99.7% (394/395)

(saɸɸ)u 0.0% (0/394)

sa(ɸɸu)

ha (sahh)a 100.0% (395/395)

(saɸɸ)u 0.0% (0/394)

ɸ (sahh)a 100.0% (396/396)

(saɸɸ)u 0.0% (0/394)

考察

この実験の目的は、日本語話者の知覚において、摩擦の音色([h]または[ɸ])によって促音判断境界 が異なるかどうかを明らかにすることであった。実験の結果、促音判断は摩擦持続時間に大きく依存 しており、摩擦の音色は促音判断には影響しないという結果が得られた。この結果に素直に従うなら ば、借用語の促音挿入と日本語話者の知覚の間には因果関係がないと解釈するのが妥当だということ になる。しかしながら、実験4-7の刺激はCVCV型の音声であって、英語やドイツ語の促音挿入が起 こる典型的な音環境(CVC)とは異なっている(Tews (2008)で[f]と[x]の促音判断率の違いが最も大き かったのも、CVC環境の刺激においてだった)ため、このような刺激の音声的な違いが影響して摩擦 の音色の影響が観察されなかった恐れがある147。この点については、以下でCVC型の音声を刺激とし た実験4-8を実施し、再度考察する。

本研究の実験結果においては、VC遷移や後続母音などの摩擦以外の要素も促音判断に影響を与えて いた。これらの結果は、Tews (2008)で報告された、日本語話者がドイツ語の[x] ([ç]), [f]を含む語の知覚 する際に[f]に促音を感じにくいという実験結果が、摩擦そのものの違いではなく、何か別の要因によ って引き起こされた可能性があることを示唆する。実際に、Tews (2008)の刺激音声は摩擦持続時間の 観点からは[f]と[x]の間に差はなかったが、先行母音の持続時間は[f]と[x]、また、刺激によっても異な っていた。ドイツ語において[f]と[x]の先行母音に体系的な持続時間の差があるのか、刺激とした音声 に偶然そのような持続時間の差が生じていたのかは定かではないが、このような摩擦持続時間以外の 要因が結果に影響していた可能性は否定できない。結論を出すには、ドイツ語の[f]と[x]の産出のデー タを分析するのと同時に、摩擦持続時間以外の要因をコントロールしたドイツ語音声を用いた実験が 必要となるが、この点については本稿の議論の枠を超えるものであるため、今後の研究課題としたい。

本研究の実験で、VC遷移に関して、VC遷移が[saɸɸu]から採られた[sa]であるときの方が[sahha]から 採られた[sa]であるときよりも刺激が促音だと判断されやすいという結果が観察された。この2つの[sa]

によって促音判断率が異なるという結果が得られた理由として、2つの可能性が考えられる。一つは、

後続子音が異なることによるVC遷移の違いによるという可能性であり、もう一つは、2つの[sa]の母 音持続時間の違いによるという可能性である。前者の可能性は本研究の実験だけでは否定できないも のの、本研究では、以下の理由から後者の説明が有力であると考える。本研究で用いた刺激において、

[saɸɸu]から採られた[sa]の母音持続時間は 115ms であったのに対し、[sahha]から採られた[sa]の持続時

間は105msであり、[saɸɸu]から採られた[sa]の母音持続時間のほうが母音の持続時間が長かった。これ

はつまり、[saɸɸu]から採られた[sa]を用いて作成された刺激における摩擦に先行する母音の持続時間が、

[sahha]から採られた[sa]を用いて作成された刺激におけるそれよりも一貫して長いことを意味する。日 本語においては、促音に先行する母音の持続時間は非促音に先行する母音の持続時間よりも長く(Han 1994, Hirata 2007)、大深他(2005)や本研究におけるs, shの知覚実験(pabaS(L)系列, pabaS(L)-to系列)

の結果に見られたように、知覚においても産出に対応して先行母音が長い場合に短い場合と比べて促 音だと判断されやすいと言えることから、本研究の実験において得られた VC 遷移の影響は、先行母 音の影響であると解釈可能である。

本研究の結果において、解釈が難しいのは後続母音の影響である。本研究の実験においては、後続

147 本研究のs, shに関する知覚実験においても、shの方がsよりも促音だと判断されやすいという摩擦

の音色の影響が一貫して観察されたのは摩擦が語末位置にある場合(pabaS(L)系列, pabaS(L)-to系列)

のみであった。このことからも、実験4-7の刺激の音声特徴の影響で摩擦の音色の影響が観察されなか った可能性は否定できない。

母音が[a]であれば[u]である場合よりも促音だと判断されやすいという結果が得られた。後続母音につ いては、促音に後続する母音は非促音に後続する母音よりも持続時間が短く(Han 1994, Hirata 2007)、 知覚もこれに対応して持続時間が短い場合の方が長い場合よりも促音だと判断されやすい(大深他

2007)とされている。よって、VC 遷移の影響と同様に、後続母音[a]と[u]の間に生じた促音判断率の

違いも刺激の持続時間が違っていた([a]の方が[u]よりも持続時間が短かった)ために生じた可能性が ある。しかしながら、実際には本研究の刺激における後続母音の持続時間は[a]が67ms、[u]が64msと、

ほとんど差がないか[a]の方が若干長いと言えるため、刺激の持続時間による説明は単純には適用でき そうにない。

一つの可能性として挙げられるのは、[a]と[u]の本質的な持続時間(intrinsic duration)の分布の違い によって、同じ持続時間であっても[a]の方がより短く感じられたために生じたという説明である。大 深他(2005)によって子音に後続する母音の持続時間が短い場合には後続する母音が長い場合よりも 促音だと判断されやすいことが指摘されているため、本研究の刺激において後続母音[a]が相対的に短 いと感じられたとすれば、後続母音が[a]のときに(後続母音が[u]のときと比較して)促音だと判断さ れやすいという本研究の実験結果につながった可能性がある。この可能性について検討するために、

産出における母音[a]と母音[u]の持続時間を以下で比較する。

表 75.先行母音・後続母音の持続時間(単位はms.)(キャリア文:「これは~です」) 先行母音 摩擦(/h/) 後続母音

[a]

先行母音 摩擦(/h/) 後続母音 [u]

[a]:[u]

の比

J1 サハ 平均 81.6 72.0 89.5 サフ 平均 86.8 100.0 46.7 1: 0.52

SD 5.5 8.4 8.0 SD 5.8 10.6 9.6

サッハ 平均 105.4 165.7 87.3 サッフ 平均 119.4 162.5 58.2 1: 0.67

SD 10.4 15.1 8.0 SD 7.3 8.8 5.8

J2 サハ 平均 91.5 54.7 106.7 サフ 平均 105.4 72.5 73.7 1: 0.69

SD 4.5 6.2 8.7 SD 5.0 10.2 12.1

サッハ 平均 119.7 148.5 82.4 サッフ 平均 125.6 161.8 59.6 1: 0.72

SD 5.8 14.5 10.0 SD 5.7 7.3 9.6

J3 サハ 平均 78.2 64.5 83.2 サフ 平均 85.4 75.9 46.1 1: 0.55

SD 6.7 5.0 9.3 SD 7.7 10.2 7.5

サッハ 平均 96.9 153.9 76.7 サッフ 平均 98.1 198.1 50.0 1: 0.65

SD 9.0 14.1 6.8 SD 7.9 22.0 10.0

J4 サハ 平均 82.8 60.3 74.0 サフ 平均 92.2 66.1 52.8 1: 0.71

SD 3.5 6.5 8.7 SD 4.9 8.9 8.1

サッハ 平均 87.1 190.1 60.1 サッフ 平均 93.1 206.3 44.4 1: 0.74

SD 6.0 8.5 5.4 SD 6.1 10.2 6.5

J5 サハ 平均 87.8 93.7 78.2 サフ 平均 106.0 98.7 61.0 1: 0.78

SD 5.9 14.5 9.0 SD 9.0 19.6 8.8

サッハ 平均 131.1 213.2 76.4 サッフ 平均 127.8 252.1 56.6 1: 0.74

SD 12.0 15.3 10.7 SD 10.1 22.9 6.3