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4. 単子音・重子音の有標性の例外とその音声学的基盤

4.2. 借用語における s, ʃ の非対称性(有標性の例外)とその音声学的基盤

4.2.3. 日本語側原因説の検証

4.2.3.3. s, sh の促音知覚実験(実験 4- 4)

実験4- 4の概要(刺激・手順・被験者)

実験4- 3のpabaS系列の音をもとに,2つの系列の音を作成した。まず,実験4- 3で用いた合成摩

擦音と周波数特性は同じだが持続時間を 150ms~360ms(30ms刻みで8 段階)に変更した合成摩擦音 64個(周波数特性(8)×持続時間(8))を作成し,実験4- 3のpabaS系列の刺激の合成摩擦音と入れ替え

てpabaS系列と同様に128個(VC遷移(2)×合成摩擦音(64))の音声を作成した。さらに,それらの音

声について,摩擦に先行する母音(pabaS)の長さを15ms延長して新たに128個の音声を作成し,母 音を延長していない128 個の音声と合わせて256個の実験刺激とした(これをpabaS(L)系列とする)。 先行母音の延長は,予備実験の段階で摩擦部分の持続時間が 360msになっても促音だと判断される率 がそれほど高くならなかったため,促音判断率を上げるために行った112。次に,pabaS(L)系列の各刺激 の後に,実験4- 3と同一の話者による「彼はチャチャと言いました」という発話から,「と言いました」

(「と」の閉鎖区間~発話末)のみを切り出したものを接合し,「pabaSと言いました」という刺激を作 成した(これをpabaS(L)-to系列とする)。この系列の総刺激数は,pabaS(L)と同じ256個である。両系 列とも,各刺激は1回ずつ提示された。

112 実験4- 3と同一の話者に「パバス」「パバッス」「パバシュ」「パバッシュ」を「これは~と言います(タ ーゲット語末の母音は無声化)」という文脈に入れて発音してもらったところ,促音では摩擦持続時間だけで なく先行母音も非促音よりも若干(15ms程度)ではあるが有意に長くなる傾向が見られた(促音に先行する 母音が非促音に先行する母音よりも持続時間が長くなる傾向はHan (1994)やHirata (2007)においても報告され ている)。また、知覚においても、先行母音が長い場合には短い場合に比べて促音だと判断されやすいことが 指摘されているため(大深他2005; cf. 渡部・平藤1983, Toda 2003)、先行母音を若干長くすればより促音らし く聞こえるようになると考え,この操作を加えた。実際に,先行母音を15ms延長したことで全体の促音判断 率が有意に上昇した(pabaS(L)系列では6.5%,pabaS(L)-to系列では9.6%上昇)。なお,母音の延長は母音の 中央部付近の声帯振動の1周期分を複数回コピーすることで達成した。

被験者は12名の日本語母語話者で,回答の選択肢,実験の手順,刺激の提示方法などは実験4- 3の

pabaS系列と同じとした。両系列とも参加したのは12名中9名で,このうち8名は実験4- 3と同じ被

験者であった。

予測

実験4- 3と同様、日本語話者の知覚において、sとshの促音判断境界が異なっており、shの方が小

さい判断境界値を取る(促音だと判断される率が高い)のであれば、摩擦の音色がshに近いほど判断 境界値が小さく、逆に、摩擦の音色が s に近いほど判断境界値が大きくなることが予測される。実験 4- 3ではこのような結果が得られなかったが、実験4- 3のpabaSa系列は原語(英語)のs, shに促音が 挿入される典型的な音節構造(...(C)VC)とは異なり摩擦の後に後続母音を有する音声であったため、

このような音声的違いによって摩擦の音色の影響が見られなかった可能性は否定できない。同じ型の 刺激を用いた実験4- 4において摩擦の音色の影響が見られれば、実験4- 3で摩擦の音色の影響が見ら れなかったのは刺激の音節構造が異なっていたためだということになり、sに比べてsh に促音が挿入 されやすいという借用語に見られる非対称性はやはり日本語話者の知覚によって生じたという解釈が 可能になる。一方、実験4- 4においても摩擦の音色の影響が観察されなかったとすれば、借用語の非 対称性は日本語話者の知覚という観点からは説明ができないということになる。

結果

摩擦持続時間の変化に伴う促音回答率(各カテゴリにおける「促音だと判断された刺激数」÷「その カテゴリに属する全刺激数」)の推移を摩擦成分の周波数特性ごとに示したのが図 6(a), (b)である。

摩擦成分の周波数特性が促音判断境界に影響を与えるかどうかを確認するために,実験4- 3と同様 の手法で検定を行った。その結果,pabaS(L)系列,pabaS(L)-to系列とも,摩擦成分の持続時間の効果が 有意であり,摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすいことが確認された(pabaS(L)系列:

β = 0.342, W2 = 177.7, df = 1, p < 0.001;pabaS(L)-to系列:β = 0.544, W2 = 512.2, df = 1, p < 0.001)。また,

実験4- 3のpabaSa系列の実験結果とは異なり,周波数特性の効果も有意であり(pabaS(L)系列:β =-

0.178, W2 = 31.9, df = 1, p < 0.001;pabaS(L)-to系列:β =-0.145, W2 = 27.4, df = 1, p < 0.001),摩擦成分の 周波数帯域が/ʃ/らしくなるほど促音判断率が高くなる傾向が観察されると言えることが明らかになっ た。摩擦周波数特性の効果に逆行するような摩擦周波数特性と「刺激の調音点判断」との交互作用,

およびその他の要因間の交互作用は両系列とも見られなかった。よって,/ʃ/だと判断された刺激だけ を見た場合にも,/s/だと判断された刺激を見た場合にも,摩擦成分の周波数帯域が/ʃ/らしくなるほど 促音だと判断されやすくなる傾向があると言える。表2、表3にはそれぞれpabaS(L)系列とpabaS(L)-to 系列における摩擦周波数特性ごとの促音判断境界値を示したものである(判断境界値は probit 分析に より求めた。なお、以下で述べるように、pabaS(L)系列については促音判断率が 50%を超えることは 無かったのでpabaS(L)系列に関しては25%判断境界における刺激の摩擦持続時間を求めた)。

実験4- 4の両系列とも,摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすい傾向はあったが,摩

擦持続時間の効果はpabas(L)-toでより強かった(最も長い摩擦持続時間(360ms)を持つ刺激が促音だと 判断された率を例にすると,pabaS(L)系列では33.5%,pabaS(L)-to系列では60.2%であった)。pabaS(L)

系列とpabaS(L)-to系列の刺激の違いは,前者は摩擦音が発話末に置かれているのに対し,後者では摩

擦音が語末に置かれている点であることから,実験4- 3のpabaS系列の結果に関する議論で推測した とおり,発話末では促音だと判断されるのにより長い持続時間が必要となると言える(実験4- 3にお

0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100

150 180 210 240 270 300 330 360

摩擦持続時間(ms)

促音判断率(%)

S1, S2 (最もʃらしい) S3, S4

S5, S6 S7, S8 (最もsらしい)

0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100

150 180 210 240 270 300 330 360

摩擦持続時間(ms)

促音判断率(%)

S1, S2 (最もʃらしい) S3, S4 S5, S6 S7, S8 (最もsらしい)

図 6(a). pabaS(L)系列の促音判断率 (b). pabaS(L)-to系列の促音判断率

表 54. pabaS(L)系列の25%判断境界値(ms.)

刺激系列 摩擦周波数特性 最もshらしい ← → 最もsらしい

S1 S2 S3 S4 S5 S6 S7 S8

pabaS(L)系列 25%判断境界における

刺激の摩擦持続時間 258.7 261.4 268.0 294.5 307.1 300.5 286.3 327.3

表 55. pabaS(L)-to系列の50%判断境界値(ms.)

刺激系列 摩擦周波数特性 最もshらしい ← → 最もsらしい

S1 S2 S3 S4 S5 S6 S7 S8

pabaS(L)-to系列 50%判断境界における

刺激の摩擦持続時間 308.4 293.2 320.9 305.4 315.6 316.6 335.3 332.3

いても述べたように、発話末で母音が無声化したときの摩擦音(例:「~です」の s)は普通の発話速 度であっても200ms以上の持続時間を持つことも稀ではない)。また,実験4- 3 のpabaS系列と実験

4- 4のpabaS(L)系列の結果を比較すると,pabaS系列では促音判断に関して摩擦持続時間・周波数特性

の効果が見られなかったが,同じ音韻環境でも実験4- 4のpabaS(L)系列の刺激ではその効果が観察さ れた。以上のことから,実験4- 3のpabaS系列の結果において促音判断に関する摩擦持続時間・周波 数特性の効果が見られなかったのは,やはり pabaS 系列の刺激が促音・非促音の判断に対する摩擦持 続時間・周波数特性の影響を調べるための刺激として音声的に不適切であっためだと思われる。よっ て,以下の議論では実験4- 3のpabaS系列の結果については論じない。

考察

摩擦周波数特性の促音判断率に対する影響は,刺激の音韻環境によって異なっていた。後続母音が ないとき(実験4- 4のpabaS(L)系列, pabaS(L)-to系列)には,摩擦持続時間の条件が同じであれば,/ʃ/

だと判断された刺激についても,/s/だと判断された刺激についても,摩擦成分が/ʃ/らしい周波数特性 を持つ刺激ほど促音だと判断されやすいという傾向が見られた。この傾向は,工藤・窪薗(2008)に よる「/ʃ/の方が/s/よりも短い持続時間で促音だと判断される」という推測に沿うものであり,工藤ら の推測が正しいものであったことを示唆する。一方,後続母音が/a/であるとき(実験4- 3のpabaSa系 列)には,摩擦成分の周波数特性による促音判断への影響は見られず,これは工藤らの推測とは沿わ ない結果であった。工藤らの推測は,日本語話者の「ペサ」「ペシャ」「ペッサ」「ペッシャ」という発

音における/s, ʃ, Qs, Qʃ/の持続時間をもとになされたものである。工藤らの推測の根拠となった音声の 音韻環境は,今回の刺激の中では摩擦に後続する母音が/a/であるという点でpabaSa系列と最も近いた め,他の系列はともかく pabaSa 系列でこそ工藤らの推測を指示する結果が得られて然るべきである。

それにも関わらず,なぜこのような結果になったのかは現状では不明である。

pabaS(L)系列,pabaS(L)-to 系列で見られた,摩擦成分が/ʃ/らしい周波数特性を持つ刺激ほど促音だ

と判断されやすいという傾向は,英語からの借用語に見られるパターン(/ʃ/には促音が入りやすく,/s/

には促音が入りにくい)と同じ方向性を示しており,借用語における/s/, /ʃ/の促音挿入の非対称性が日 本語話者の知覚によって生じた可能性を示唆するものである。ただし,本研究の実験結果では摩擦周 波数特性による促音挿入率の差は多くとも 30%程度であったのに対し,実際の借用語においては,大 江(1967)でも指摘されているように,ほぼ例外なく/ʃ/には促音が挿入され,/s/には促音が挿入され ない(すなわち,/s/と/ʃ/の促音挿入率の差は 100%に近い)。また、pabaS(L)系列、pabaS(L)-to 系列と も、摩擦持続時間が最も長い刺激(360 ms)であっても、促音だと判断される率は最高でも70%程度 であり、範疇知覚において現れる S 字型の曲線は得られない113。以上のことから考えて、尐なくとも

pabaS(L)系列、pabaS(L)-to系列のように摩擦音が語(音節)末の位置にある場合には、オンラインの知

覚と借用語のパターンは完全には一致しないようである。よって,仮に本研究の知覚実験で得られた

「/s/らしい音ほど促音だと判断されにくい」という日本語話者が持つ知覚の傾向が借用語における/s/, /ʃ/の促音挿入の非対称性と関係があったとしても,それだけで借用語のパターンを完全に説明しきれ るわけではなさそうである。日本語側の要因だけでは完全に説明がつかないことから、英語側にも何 らかの原因がある可能性なども考慮していく必要があると思われる。可能性として考えられるのは、

英語と日本語の摩擦の音色の違いである。本研究では音韻論における研究の慣例に従って英語のshも 日本語のシャ行子音もともに [ʃ]として扱っているが、調音音声学や日本語教育などの分野では、英語 のshと日本語のシャ行音の音色の違いに注目して日本語のシャ行音が[ɕ]として記述されることもある。

知覚される摩擦の音色の違いは音響的には摩擦周波数特性と対応しているため(Fujisaki and Kunisaki

1978, Mann and Repp 1980, 他)、摩擦周波数特性によって促音判断境界が変化するという本研究の実験

結果を踏まえると、日本語話者の知覚に加えて、このような英語と日本語の摩擦の音色の違いが借用 語における促音挿入を促進する要因となっている可能性がある。今後の課題ではあるが、この仮説を 確かめるためには、例えば英語と日本語のs, shの音響的特性を模した合成摩擦音を作成し、日本語話 者に聴取させて促音判断率を調べるといった実験を考えることができる。摩擦の音色は個人差も大き いためにその点をどのように実験に組み込むかは課題となるが、今後検討して見る価値はあるであろ う。

pabaSa系列ではpabaS(L)系列やpabaS(L)-to系列と異なり,摩擦周波数特性による促音判断への影響

はないという結果が得られており,この結果は一見すると借用語のパターンには沿わないようにも見 える。しかし,以下に挙げるように,借用語における/s/, /ʃ/への促音挿入パターンは音韻環境によって も異なっており,pabaSa 系列の結果が借用語のパターンと沿わないとは必ずしも断言できない可能性

113 これは単に本研究の摩擦持続時間の長さが不足していたといったことが理由なわけではないと思 われる。pabaS(L)系列、pabaS(L)-to系列の予備実験の段階では摩擦持続時間を最長で550 msまで設定 したが、摩擦時間がどれだけ長くなっても完全に促音だと判断されることはなく、むしろ長くなりす ぎると「パバスー」「パバシュー」のように長音が入って聞こえるという被験者のフィードバックも得 られた。このような語(音節)末の摩擦音については、単純に摩擦持続時間のみが促音判断を決定す る要因ではない可能性がある。