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2. 閉鎖音の調音点の有標性とその音声学的基盤

2.4. 調音点同化の非対称性の音声学的基盤:先行研究における説明とその問題点

2.4.4. その他の説明の可能性

2.4.1.3. 語末閉鎖音に関する先行研究

Halle et al. (1957)は、自然発話によるCVC型の単音節語(母音は/i, ɑ, u, ɪ, ʌ/、語末子音はp, t, k, b, d,

g, #(なし))の語末子音の開放部分を削除した音声を刺激として、語末子音の同定実験を行った。そ

の結果、Halleらはk, gの正答率が他の調音点と比べて低い傾向があり、これは特に母音がtenseであ る場合に顕著にあったこと、また、k, gに限らず全体として母音がlaxである場合にはtenseである場 合と比べて子音の正答率が高くなるという、母音による影響が存在することを報告した。

表 5は、Halle et al. (1957: 114)に挙げられている表の実数をもとにして筆者が正答率を計算してま とめたものである。p, t, kの正答率は平均で62.0%, 74.5%, 30.0%、b, d, gの正答率は平均で49.4%, 80.0%,

31.1%であり、無声・有声ともに軟口蓋閉鎖音の正答率が低いことがわかる28

28 個別に見ると、軟口蓋音が常に他の調音点よりも正答率が低いとは言えない場合もある。例えば、

母音が ɪ であるときのkの正答率は90.0%であり、同じ母音のときのp, tの正答率(ともに76.7%)を 上回っている。しかし、Halleらの実験は回答数が尐ないため、kとp, tの正答率は正答数に換算する とわずか4回答分の差であり、これは偶然に起こりうる範囲の差であると言える(Halleらの実験は被 験者や刺激の提示方法などの詳細が記述されていないため、正確な統計的検定を行うことは困難であ るが、このデータに対してカイ2乗検定の使用が可能であると想定した場合、20%を超える正答率の 差がなければその差が有意であると判断することは不可能である)。よって、個々の(母音ごとの)結 果においては、軟口蓋音は他の調音点よりも正答率が低いか、差がないかのどちらかであり、軟口蓋

表 5. Halle et al. (1957)の実験結果(条件別の正答率)

p t k

a 16.7% (5/30) 86.2% (25/29) 6.7% (2/30)

i 86.7% (26/30) 40.0% (12/30) 3.3% (1/30)

u 60.0% (18/30) 80.0% (24/30) 13.3% (4/30)

ʌ 70.0% (21/30) 90.0% (27/30) 36.7% (11/30)

ɪ 76.7% (23/30) 76.7% (23/30) 90.0% (27/30)

平均 62.0% (93/150) 74.5% (111/149) 30.0% (45/150)

b d g

a 73.3% (22/30) 96.7% (29/30) 23.3% (7/30)

i 50.0% (15/30) 60.0% (24/40) 2.9% (1/35)

u 17.5% (7/40) 86.7% (26/30) 3.3% (1/30)

ʌ 36.7% (11/30) 95.0% (19/20) 47.5% (19/40)

ɪ 80.0% (24/30) 73.3% (22/30) 79.3% (23/29)

平均 49.4% (79/160) 80.0% (120/150) 31.1% (51/164)

Lehiste and Shockey (1972)は、英語話者が発音したV1CV2(V1 = V2, V = /i, æ, a, u/, C = p, t, k)のCと V2を削除した音声(V(CV))と、同じく英語話者が発音したVC(Cのrelease有)を刺激として、50 名の被験者に対してCにある子音を同定させる実験を行った29。その結果、Lehisteらは閉鎖の解放を 伴う場合(VC)の正答率の方が、閉鎖の開放を伴わない場合(V(CV))の正答率よりも高かったこと、

また、調音点ごとに正答率を見た場合には、閉鎖の開放を伴う場合にはt, kがpよりも高かったのに 対し、閉鎖の開放を伴わない場合にはpがt, kよりも高かったことも報告している。また、母音の種 類によっても正答率が異なる傾向が見られたことを報告している。

表 6はLehiste and Shockey (1972: 502-503)に記載されている先行母音ごとの正答率と全体正答率を、

筆者が表にまとめたものであるが、Lehiste らの報告のとおり、閉鎖の開放がある場合(VC)の方が 全体に正答率が高いこと、また、閉鎖の開放の有無によって、p, t, kの正答率の順位が異なることが わかる。

表 6. Lehiste and Shockey (1972)の実験結果(p, t, kの正答率)

V(CV) VC

p t k p t k

i 59.0% 42.0% 28.0% i 79.0% 92.0% 92.0%

æ 47.0% 34.0% 46.0% æ 41.0% 93.0% 92.0%

a 48.0% 17.0% 25.0% a 45.0% 81.0% 93.0%

u 65.0% 38.0% 19.0% u 72.0% 95.0% 93.0%

平均 54.8% 32.8% 29.5% 平均 59.3% 90.3% 92.5%

音の方が他の調音点よりも正答率が高くなることはないと言える。

29 前者の音声はVC遷移を持ち、閉鎖の開放を持たない音声であるのに対し、後者の音声はVC遷移 と閉鎖の解放を持つ音声であるから、Lehisteらの実験は閉鎖の開放を伴うものと伴わないものとを比 較する実験の一種であると見なすことができる。

Wang (1959)は、CVC型の単音節の有意味語および無意味語(語頭子音はp, b, s, rのいずれか、Vは

i、語末子音はp, t, k, b, d, g)で、語末子音が閉鎖の開放を伴って発音されたものについて、何も手を

加えないもの(release有)と閉鎖の開放部分を削除した音声(releaseなし)を刺激として、音声学の 訓練を受けた者(20名)と音声学の知識のない者(20名)の2つのグループに対する語末子音の同定 実験を行った。その結果、Wangはreleaseの有無に関して、releaseがある場合の方がない場合よりも 正答率が高い傾向があったが、これは無声閉鎖音においてより顕著であったと報告している。

Wangは調音点による正答率の違いに関しては特に述べてはいないため、それを調べるためにWang

(1959: 70)の図から調音点ごとの正答率を筆者が目視で推定し、それをまとめて表 7を作成した。Wang

の実験において刺激の提示方法や提示回数が明らかではないため、調音点ごとの正答率の差について 厳密な比較をすることは難しいが、Lehiste and Shockey (1972)の実験結果にも見られたように、release の有無によって調音点ごとの正答率の順位が入れ替わる場合がありうることが示唆されたと言える。

表 7. Wang (1959)の実験結果(子音ごとの正答率)

release有 releaseなし

p t k p t k

Group I 90% 97% 98% 75% 85% 73%

Group II 95% 98% 100% 94% 88% 95%

b d g b d g

Group I 95% 90% 100% 100% 86% 90%

Group II 100% 97% 100% 100% 97% 100%

Lisker (1999)では、英語話者が発音した単音節語を用いて行った3つの実験の結果が報告されている。

1つはLiskerが1958年に行った実験の結果であり、2つはLisker (1999)のオリジナルの実験である。

いずれの実験についても、単音節語の母音は英語に存在する短母音(monophthong, semidiphthong)と 二重母音を含めた13~15種類(実験によって異なる)で、語末の子音はp, t, kであり、被験者のタス クは語末の子音を同定することであった。実験の結果、Liskerはreleaseがなくなると語末閉鎖音の調 音点の情報はある程度失われる(releaseがない場合に正答率が低くなる)こと、また、その情報が失 われる度合いは先行母音よって異なっており、母音では monophthongのときに nonmonophthongより も正答率が高い傾向があり、このような母音による差は軟口蓋音のときに最も顕著に見られる(結果 的に、unreleasedの軟口蓋音の正答率が最も低い)ことを報告した。さらに、Liskerはもともとrelease を伴わずに発音された音声(unreleased)と、本来はreleaseがあった音声からreleaseを削除して作成 した音声(dereleased)との間では結果に違いがなかったことも報告している。

表 8はLisker (1999: 47, 48, 51, 53)に掲載されている実験結果をもとに、筆者が調音点ごとの全体平

均正答率を計算してまとめたものである30。releaseがある場合(実験2, released)を除き、kの正答率

30 Lisker (1999)に記載されている3つの実験には番号は付けられていないが、便宜上記載されている順

に1958年の実験を実験1、「Released vs. Unreleased Stops」の実験を実験2、「Unreleased vs. „Dereleased‟

stops」の実験を実験3として表を作成した。なお、表中の「released」は閉鎖の開放を伴って発音され

た語末閉鎖音を含む刺激、「unreleased」は閉鎖の開放を伴わずに発音された語末閉鎖音を含む刺激、

「dereleased」はもともと閉鎖の開放を伴って発音された語末閉鎖音の閉鎖の開放部分を削除して作成 された刺激のことを表している。

が他の調音点と比べて一貫して低いことがわかる。

表 8. Lisker (1999)の実験結果(p, t, kの正答率)

p t k

1958 data, dereleased 79.6% 79.3% 53.3%

実験2, released 99.7% 99.7% 98.5%

実験2, unreleased 93.4% 94.4% 77.7%

実験3, unreleased 91.5% 90.6% 74.9%

実験3, dereleased 93.1% 91.5% 76.0%

Abramson and Tingsabadh (1999)は、タイ語のCVC型の有意味語(語頭子音はb, d, l, j, s、母音はe, a,

u、語末子音はp, t, k, ʔで、語末子音に関する最小対4組、計24語(語頭子音、母音が語に含まれる

頻度は不均等)を2名のタイ語話者が発音したもの。なお、タイ語の音節末の閉鎖音はunreleasedで ある)を刺激として、音声的に特に訓練を受けていないアメリカ英語話者(19 名)、音声学的に訓練 されたアメリカ英語話者(7名)、タイ語話者(30名)を対象に、語末子音の同定実験を行った。その 結果、Abramsonらは、p, t, kの正答率に関しては2つの英語話者のグループ間には差がないこと、ま た、英語話者はタイ語話者よりも kの正答率が悪く、p の正答率はよかったことを報告した。タイ語 の音声を用いているにも関わらず、タイ語話者のpの正答率が英語話者のpの正答率よりも低かった ことについて、Abramsonらは英語話者は両グループとも個別に実験を受けたのに対し、タイ語話者の 実験環境は外部からの雑音も混入しうる状況であり、30名全員が一度に実験を受けるというものであ ったことから、こうした実験環境の差がこのような結果を生んだ可能性があると述べている。また、

Abramsonら自身は問題視していないようであるが、英語話者とタイ語話者は実験環境以外に、実験計

画手法の観点からも違いがあることは指摘しておく必要がある。英語話者は、個人ごとにコンピュー タプログラムにより刺激の順序がランダム化されているのに対し、タイ語話者は全員が一つのテープ によって同時に実験されているため、テープに録音された刺激の順序はランダムであっても、被験者 間では順序が異ならない。よって、結果に歪みが生じる可能性は否定できない。

表 9はAbramson and Tingsabadh (1999: 116, 118)に記載されているデータの中から、p, t, kの正答率 を抜き出して筆者がまとめたものである31。調音点ごとの正答率を比べた場合、表から、英語話者で はkの正答率がp, tの正答率と比べて低い傾向が観察される(残念ながら、Abramsonらの分析では正 答率に関して調音点(p, t, k, ʔ)の主効果が有意であったと報告がされてはいるが、下位検定を行って いないためp, t, kのうちどこに差があったのかは不明である)。タイ語の語末閉鎖音はunreleasedであ ることを考えると、Abramsonらの実験結果は、Halle et al. (1957)やLisker (1999)などの実験結果に見ら

れた releaseのない閉鎖音では軟口蓋音が最も正答率が悪いという傾向と一致するものである。一方、

タイ語話者では英語話者とは異なり、pがt, kよりも正答率が低い傾向が観察される。英語話者の結 果と同様の理由で、タイ語話者の結果に関してp, t, kの正答率の間に差があるかどうかは不明ではあ

るが、Abramsonらが報告しているように、英語話者とタイ語話者のkおよびpの正答率の間には有意

31 3つの被験者のグループはそれぞれ人数、刺激の総数、刺激の提示数、実験環境などが異なってい る。刺激の発話者は2名のタイ語話者であったが、英語話者は1名分の刺激のみ提示されており、2 名分すべてを提示されたのはタイ語話者のみであったので、表にはタイ語話者のみ2名の話者文の結 果が記載されている。