• 検索結果がありません。

1道徳授業における問題点

 今日の道徳授業の問題点をまとめると、適応主義、価値の押しつけ、心情 主義などがあげられる㈲。これらは子どもたち主体の立場から離れ、道徳 性の主体的な確立とは矛盾するものである。我々の行ってきた道徳教育は、

まさに子どもの主体性を奪い、また、集団における存在の希薄感を増殖して きたと言っても過言ではないだろう。

 わが国における道徳授業の基本的な考え方は、個々の子どもたちがこの社 会に生きる上で基礎的なものとして必要と思われる規範や価値:を、子どもた

(38)文部省『中央教育審議会答申(10年6月)』「新しい時代を拓く心を育てるために」

  1998年参照。

(39)高久清吉『教育実践学』教育嵐版、1990年、209頁。

(40)宇佐美寛『r道徳」授業に何ができるか』明治図書、蓋989年。藤潤昌士『道徳教育   一その歴史・現状・課題一』エイデル研究藤、1994年参照。

。24一

ちの生活に比較的似た状況の資料を通して考えさせ、道徳的心情や道徳的判 断力を育むというものであった。井上によると、現在各出版社から出されて いる実践事例を掲載した道徳関係の本約50冊を検討した結果、ほとんどの 実践事例が心情を媒介とした授業形態をとっているとしている。

 約300例の実践事例を検討していった結果、導入においては230例(77

%)が三時の価値に関わる内容を取り扱ったものであった。また、展開前 段においては、資料に出てくる主人公の心情を中心に展開するものが258 例(86%)であった。展開後段においては、追求された価値に照らして、

今までの自分を振り返るというものが243例(81%)であった。最後に終 末部分においては、価値に関わる教師の説話によって授業を終えるという

ものが206例(69%)であった㈲。

 このようなわが國における伝統的な道徳授業は、以下のように表すことが できる働。

段  階 役       割 内   容

①導入

ねらいとする価値(または、ねらいに ワまれる価値)への方向づけを行う。

価値への方向づけ

②展開前段

資料においてねらいとする価値の追

#c握をさせる。主に主人公の心情 ノついての話し合い。

資料活用

③展開後段

自分の生活を振り返らせ、現在の自 ェの価値観に気づかせる。

価値の一般化

④終末

1時間の学習の整理・まとめを行う。

ウ師の説話・作文・手紙等。

整理・まとめ

 これは、瀬戸・青木方式とも呼ばれ、教育現場で道徳授業の基本型とされ ているものである。資料中の登場人物の心情を中心に考えさせ、いかにして ねらいとする価値を伝達するかということに重点が置かれている。したがっ て、心情主義による道徳授業であると言える。

(41)井上正広「道徳授業論の再構築」兵庫教育大学修士論文、1998年、20頁。

(42)青木考頼『道徳授業の基本構想』文漢堂、1995年、21頁。

・25・

(1)インカルケーションの問題

 伝統的道徳授業の最大の問題点は、価値の教え込みという点であろう。元 来、わが国における道徳の時間は、インカルケーション的指導が中心であり、

望ましい価値:の内面化を図るという枠組みの中で心情主義に陥り、インドク トリネーションの危険性にも晒されていたのである。インドクトリネーショ ンは、「注入」と訳され教師の一方的な指導を意味するものである。一方、

インカルケーションは「教え込み」または「教化」と訳され、教師の考える 望ましい価値を教えることや子どもの社会化を道徳教育の目的と考える点で はインドクトリネーションと同義に使われる場合もある。

 インカルケーションによる道徳教育の問題点としては、まず第一にインド クトリネーションに陥る危険性が挙げられるであろう。教師が「望ましい価 値」を子どもに教えなければならないと願うあまり、価値の押しつけになる 場合である。さらに、特定の徳目を抽出した場合、徳目主義的な教授となり、

実生活から離れてしまう危険性もあると言える。伊藤は、「日本の道徳教育 は戦前戦後を通して、望ましい価値の内面化を目指すという点において、一 貫してインカルケーション(ときにはインドクトリネーション)であった。

ただ戦後は、その価値内容が民主的となり、また、インドクトリネーション を回避するための様々な指導法が研究されてきた」働と述べている。また、

藤田は「一般にインカルケーションは、比較的単純な規範的関係を説く低学 年の場合はまだしも、教材がより複雑な社会諸関係を反映する高学年になる にしたがって、より大きな困難に直面すると言えるのではないか」㈲と述 べている。前述した「道徳の時問」の問題において、学年が上がるにしたが って道徳の時間を「楽しい」とする子どもの数が減少していく実態は、まさ に藤田の述べていることのそのままが表されていると言ってよトいであろう。

 第二平目として、インカルケーションにおいては、子ども主体の場が形成 できないことが上げられる。教師は望ましいとされる価値を教える立場であ

り、子どもはそれを常に教えられる立場に固定されるため、お互いの関係は 主体一客体(対象)の関係とされてしまうのである。つまり、子どもは常に 大人に比べて未熟なものとして位置づけられることになる。このような関係 においては、子どもの主体性を育てることは不可能であり、主体的な道徳の

(43)伊藤啓一『統合的道徳教育の創造』明治図書、1991年、38〜39頁。

(44)藤田、前掲書、U6頁。

.26一

形成も図ることはできないであろう。

 第三点目としては、価値を教えることが必ずしも、道徳的行為に結びつく とは限らないという問題である。「本音とたて前」「分かってはいるが実践 できない」という言葉にも象徴される。アメリカにおける品性教育の研究で 有名なハーツホーン(Hartsb㎝e, H.)とメイ(May, MA)の研究結果が、1928 年から1930年にわたって、「品性の性質に関する研究(Studies in the Nature of α1amcter)」という書物として公にされた。ハーツホーンらの研究は、子ど

もたちに対して行われる道徳的な教育上の働きかけが、子どもたちの実際の 行動にどのような効果をもたらすかということを客観的な方法を用い、かつ 膨大な調査研究によって明らかにしている。これに対して、岩佐は次のよう に述べている。

 道徳教育の成果を、子どもたちの日常生活の場面で確認しようとしたハ ーツホーンらの研究は、道徳性を高めることを目ざした当時の教育が、必 ずしも子どもたちの内面的な道徳性を高めたとはいえないということ、む

しろ子どもたちの行動は、個々の状況の中で個別的に決まるものであって、

一般的な道徳性というものが子どもの行動を決めるというようには考えら れないということ、そして一般的な価値:や理想を教え込むやり方は、かえ って子どもののびのびした道徳性の成長を損なうかもしれないという大き な問題を提起したのである働。

 ハーツホーンらが出した研究結果は、今日の道徳教育においても克服され てはいないと言うことができる。道徳性の育成を目標とする道徳教育にとっ て、この問題は多くの道徳実践者が抱える問題でもあり避けて通ることはで きないのである。

(45)岩佐信道「コールバーグの道徳性発達論と道徳教育」『道徳教育』明治図書連載論文、

  1993年、I17頁。

一27一

2道徳授業における課題と方向

 教育を混迷させている諸問題を解決するためには、問題の根本を探らず、

対症療法的に対応することが一番危険である。このことは、不登校の大幅な 増加や、一時は沈静化したかに見えた校内暴力の再燃によって明らかである。

つまり、今教育を根本から揺さぶっている教育における諸問題は、従来の教 育のパラダイムによっては解決しないことを示唆している。第一章でも述べ たとおり、今最も大切なことは、大人社会の価値・規範を伝達し内面化する という従来の教育の枠組みから、教師と児童・生徒の相互主体的な関係にお いて、了解志向的に価値・規範を築き上げていこうとする教育のパラダイム 転換ではないだろうか⑯。わが国における道徳の時間は、インカルケーシ

ョン的指導が中心となり、望ましい価値の内面化を図るという枠組みの中で、

心情主義に陥りインドクトリネーションの危険性に晒されていたことは既述 した。道徳の時間の特設に至る様々な歴史的問題はあるとしても、今教育の 大きな転換期において道徳教育の果たすべき役割の重要性を考えたとき、教 育の要となり得る道徳授業の創造が望まれる。

 筆者は、上述のような問題を解決すべく、灘一ルバーグの道徳性発達理論 に依拠したモラル・ジレンマ授業を試みた。道徳授業がどの授業を見ても瀬 戸・青木方式一色でマンネリ化に陥っていたことや、「新しい学力観」が叫 ばれた時期でもあり、伝統的と言われる道徳授業に大きな風穴をあけること ができたことは確かである。しかし、今までの授業とは違う子ども主体のデ ィスカッションは受け入れられたものの、終末のオープンエンドに疑問をも つ声が多く聞かれた。「モラル・ジレンマによる道徳授業の最大の問題点は、

個人主義の問題である。終末がオープンエンドであるために、道徳の問題が 個々の判断に委ねられてしまっている。」働と雷われる所以であろう。その ため、学級全体である一つの問題を解決していこうとする意識、つまり、学 級の規範意識を育成することができないのである。教育現場で一般に行われ ている価値主義の道徳教育は、心情を媒介とした価値の注入という最大の問 題点をもつ。すなわち、価値主義による道徳授業では、心情を問うことが中 心となり、規範についての授業は行われてはいないのである。

(46)渡邉、前掲論文参照。

(47)井上、前掲論文、28頁。

一28一