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第2章  道徳教育論の考察と新たな方向

第2節  デュルケムの社会化論的道徳教育論

1「社会規範」としての道徳

 私たちの生活は多くの社会規範に則って営まれ、それらの規範によって秩序 を保ちながら社会が成立している。この道徳の社会的・実定的側面に注冒し、

理論的に体系化したのが19世紀後半に活躍したフランスの社:会学者デュルケ ムである。彼は、道徳を人間に内在すると考えられる良心や人間性等から説明 する心理主義的な立場ではなく、一つの「社会的事実」(鉛㏄sodaDあるいは

「モノま(chQse)として道徳を見る立場を主張している。

 道徳なるものは、必要に応じてその都度定められていくところの、きわめ て普遍的なものだと考えてはならない。道徳とはじつに特定諸規則の総体な のである。それはちょうど、明確な輪郭をもった種々の鋳型のごときもので あって、この鋳型の中にわれわれの行為が流しこまれるのである。われわれ は行動せんとするたびに、これらの諸規則をより高尚なる原理からいちいち 演繹的に組み立てるにはおよばない。これら諸々の規則は、現にわれわれの 周囲に既成のものとして存在し、生きており、現実に作用しているのである。

これこそが、具体的な姿の道徳的実在にほかならない鋤。

 「社会的規範」としての道徳は、デュルケムの言うようにほとんど無意識の うちに作用し、われわれの行為を規定していると言える。つまり、ある社会に 生きる個々人に対して道徳的な意識を規定し、行為の動機や目的の原因となっ ている。このような道徳における社会的・実定的な性格の面から捉えた「道徳 性」は、ある社会の成員に共有されている規範を追求し、これを個人の内に内 面化することによって形成されるものであると考えられる。

 デュルケムは、「社会についての科学」の樹立を9指し、社会が単に個々人 の集合体としてのみ成立しているのではないと考える。社会が個人の集合によ って成立しているにもかかわらず、社会が進展すると個々人が明確になるだけ でなく、個々人の繋がりも強くなっていくのはなぜかと問う。そして、その統

(10)デュルケム、麻生誠・由村健訳『道徳教育論1』明治図書、1964年、60《 61頁。

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一の基盤にある個人と社会的連帯との関係を追求し、それを道徳のうちに見出 そうとしている。渡邉は、このことについて次のように述べている。

 道徳は人間が作り出したものには違いないとしても、個人の内面にのみ包 摂されるものではなく、むしろ社会の成立の基盤になくてはならないものと

してとらえられるべきなのである。このようなデュルケムの考え方によれば、

道徳はまず個人のものというよりもむしろ社会規範として社会の成立と維持 の基盤にあり、個人はその社会に生まれ、育つなかでその社会嗣有の社会規 範を獲得することによって、自己の道徳的な在り方を創り出すことができる

のである(m。

 今日の道徳授業における問題も、心情主義、適応主義などに代表されるよう に道徳の個人的(主体的)な側面にとらわれすぎ、社会的な側面としての捉え 方が不十分であったと思われる。デュルケムの考え方によれば道徳の本質は、

社会と個人を繋ぐ役割のうちにあると考えることができる。

2道徳性の3要素

 デュルケムの考え方によれば、個々人の道徳的意識が問題なのではなく、む しろその基盤にある社会的連帯の問題であり、その連帯を構成している道徳お よび道徳性ということになる。彼の考える道徳性は、「規律の精神ま「社会集 団への愛着」「意志の自律性」の3要素㈲があげられる。『また、道徳的行為 は、「一定の基準に従って行動することであって、この基準は、人がある行為 をなさんと決心するまでもなく、すでにそれ以前に、特定の状況においてなす べき行為をあらかじめ決定しているのである。道徳の領域とは義務の領域であ り、義務とは命令された行為である」㈲。このように道徳の役割は行為を決定 し、これを個人的なものから峻別し人間の行為に規則性を与えているのである。

(ll)林忠幸・押谷由夫編 『道徳i教育の基礎と展開』コレール社、1998年、46頁。

(12)麻生誠・原田彰・宮嶋喬編 『デュルケム道徳教育論入門』有斐閣新書、1978年、

  63〜106頁。

(13)デュルケム、前掲書、57頁。

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(1)規律の精神

 道徳的行為とは「一定の基準に従って行動すること、つまり義務を履行する こと」である。主観的・恣意的に行動することではなく、規則性に従うことが 道徳的行為とされる。この行為を導くものが「規律の精神」である。

 この規律の精神を養うには、学校という場は最適である。「子どもは、規則 正しく学校に通い、きちんとした態度で決まった時間に授業に臨まねばならな い。彼は、教室で騒いだりせずまじめに勉学に励み、また課せられた宿題はき ちんと果たさなければならない。こうして、学校には子どもが従うべき数多く の義務が存在するのであって、この義務が一体となっていわゆる学校規律を構 成している」⑯と言われるように、「規律の精神」は学校規律によってこそ、

子どもにしっかり教えることができると言える。

(2)社会集団への愛着

 デュルケムは、われわれは社会的存在である限りにおいてのみ、道徳的存在 であり、社会と個人を対立的に捉えることは間違いであると考える。つまり、

個人は社会に愛着することによってのみ、真に彼自身となり、その本性を完全 に実現することができるのである㈲。それ故、集合的目的を除いて真に道徳 的な目的はなく、集団への愛着を除いて真に道徳的な動機はない⑯と主張す

る。

 人間は社会の働きかけに応じることによって充実し、道徳的に高まることが できるのである。その第一歩がこの「社会集団への愛着」である。

(3)意志の自律性

 デュルケムによれば、「道徳規則は、まず教育によって外から児童に与えら れ、しかも、それがもつ権威によって彼の上に強制される。こうしてわれわれ は、まず、外から与えられるままに、受動的に道徳規則に服従するのである。

転じてわれわれは、その性質を探究し、その直後、間接の条件や存在理由を知 ることができる。一言にして言えば、われわれは道徳の科学を作ることができ

(14)デュルケム、麻生誠・山村健筆『道徳教育論2』1964年、29頁。

(15)デュルケム、前掲書1、103頁。

(16)同上、117頁。

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るのである」働と述べ、道徳律に関して、その存在理由を認識した上で自ら 従うならば、それは拘束ではないと言う。デュルケムは、現実の社会を基盤に

しながら考える。人間ははじめ規則に対して受動的であるが、それを理解し、

自発的に求めるようになることで能動性に転化することができ、そこに「意志 の自律性」が獲得されると考える。

3「社会化された個人」の形成としての道徳教育

 デュルケムの考え方によると、前述した三つの道徳性を育成する活動が道徳 教育と言うことができる。道徳教育は家庭と学校で行われるものとされている が、デュルケムは道徳教育において学校が果たす役割を最も重視している。そ のため、「道徳教育はもっぱら家庭の任務だ」というような俗説には真っ向か ら反対している。彼によれば、家庭は単純な私的人間関係を維持するのに必要 な感情を目覚めさせることはできるが、公的な社会生活の面から子どもを形成 するようにはっくられていないと考える。

 現代の家族は、きわめて少人数の集まりである。そこには、自然の情愛によ る連帯感情は見られるが、社会的な規則によって家族の連帯感が固められると いうことはあまりない。むしろ家庭には、自由気ままな面があるので、規則尊 重の観念は育ちにくいであろう。つまり、子どもの規範意識を形成するには、

家庭の中だけでは不十分野あるということが言える。デュルケムは、次のよう に述べている。

 家庭は、道徳に必要な家庭感情、すなわち、もっと一般的に言って、単純 な私的人問関係を維持するに必要な感情を子どもに目覚めさせ、それを固定

させることはできる。だが家庭は、開かれた社会生活の見地から、子どもを 形成するようには作られてはいない個。

 これに対して、学校は大人の社会に近いと言える。既述したように、「規律 の精神」を養うには、学校という場は最適なのである。子どもがわがままを言

(17)デュルケム、前掲書1、154頁。

(18)麻生・原田・宮嶋編、前掲書、65頁。

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わず、自制の習慣を身につけることができるのも学校という社会の中で、規則 を遵守することを通してなのである。道徳にはそもそも個人的なものと社会的 なものの二面性があったが、ややもすれば個人主義的な道徳に陥りがちであっ た道徳教育にデュルケムの果たした役割は大きいと言える。

 デュルケムは、学級についても一つの社会として強調している。社会を諸個 人の単なる和としてでなく、諸個人の連合が生み出す独自の実在として捉える。

学級の中の子どもたちは、単独でいるときとは違った様式で考えたり感じたり 行動したりするのである。そこには、「全体が各個人に及ぼす力」が存在して いるのであって、このことを考慮せず学級集団の特質をとらえることはできな い㈲。これは、デュルケムのいう社会的連帯の場でもあろう。人間という予 々の主体も、その社会的連帯と無関係には存在し得ないのである。

 渡邉は、「教室という社会も発達する」において次のように述べている。

 道徳教育は子どもの社会化、つまり、「社会的自己形成」という視点で 捉えてみる必要があると考えている。人間の自我は成長の過程で出会う様 々な他者との関わりという場の中で形作られる。それらの人々との関係の 場はそれぞれが独自の質を持ち、個々人の内面の広がりと深さに繋がって いる。道徳はその広がりと深さに対応していると考えられる。道徳は人と 人とが織りなす関係の事柄でもある。そうすると道徳の学習も関係の中で 行われる必要があるのではないだろうか働。

 教育現場においては、校内暴力、いじめ、不登校そして学級崩壊と子どもた ちの織りなす集団の場が正常でなくなりつつある。道徳教育が個々の内面にと どまらず、学級という場の質を高めるという役割を担っていくことによって、

渡邉の主張する「教室という社会」も発達し、ひいては多くの問題を抱える集 団の場を正常にしていく力ともなっていくのである。この視点に立った道徳授 業こそ、コールバーグ理論の佃人主義の問題を克服するものと考える。

 しかし、「個人と社会の関係」そして「大人と子どもの関係」の中で道徳を 捉えていくことの限界も指摘されている。

(19)麻生・原田。宮嶋編、前掲書、藍59頁。

(20)渡邊満「教室という社会も発達する」『小学校道徳』策京書籍、1998年参照。

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