• 検索結果がありません。

第2章  道徳教育論の考察と新たな方向

第1節  :コールバーグの道徳教育論

1基本的な考え方

 インドクトリネーション(価値の押しつけ)や倫理的相対主義(道徳につい て全ての人が受け入れるべき基準はない、あるいは絶対的に妥当な道徳的信念 または道徳原理は存在しないとする立場)の問題を克服しようとしたものに、

アメリカの繊一ルバーグ理論がある。コールバーグによると、従来の道徳教育 は普遍的な価値を教えることを目標としてきたが、それらの価値についての立 ち入った説明は、実は相対的なものである。それらの価値は教師の考えや旧来

一30・

の文化によって定義され、教師の権威によって正当化されていると「人格教育」

その他アメリカの伝統的な道徳教育を批判しているω。

 コールバーグの道徳性発達理論は、「発達が教育の目的である」とするデュ ーイの教育学とピアジェ(Piag。ちJ.1896−1980)の認知発達論を受け継いでいる。

彼によれば、道徳教育の正しい罠的は彼によって設定された道徳性の発達段階 において、より高い段階への発達を促すことを意味するω。

 コールバーグにおける道徳の本質的把握は鮮明な特徴をもっており、道徳と は人々がいかに善き生活に近づくかという「善」の問題ではなく、人々の主張 が対立したとき、どちらが正しいかを決定する「正義」の問題だとされている のである。彼は曖味で抽象的な「善さ」を道徳教育の前提におくことはできな かったのである。そこで、万人に備わっているであろう「道徳性」という概念 をその前提として求めようとしたのである。つまり、「この『道徳性』が万人 に備わっていて、その発達に人間共通の法則や順序があるとすれば、道徳教育 は、その『道徳性』の発達を援助すればよい」(3)と考えたからである。

 しかし、正しい行為の決定は善き生活の条件の一部にしか過ぎない。この意 味においては、コールバーグの道徳観は狭隆であるとの批判を免れないとも言 える。重要な点としては、善の内容が個々の主体、個々の文化で本来的に多様 であるのに対し、正義については、原理的に全ての人間が合意に達し得ると想 定されていることであろう。

2 道徳性の発達段階の捉え方

 識一ルバーグは、ヒ。アジェの認知発達論を基盤にデューイやミードらに学び ながら、道徳性の研究領域を社会的認知にまで広げ、子どもから成人に至るま での道徳性の発達段階を検討している。20年にわたる研究を通じて、文化圏 の違いに関係なく見られるという道徳性の発達段階の6段階論を提唱するに至 った。以下に示すのは、その研究の主な内容と、コールバーグの示す三水準6

(1)永野重史編 『道徳性の発達と教育一コールバーグ理論の展開一』新新社:、1985年、第1  章参照。

(2) 嗣上、 225頁。

(3)村井実 『道徳教育原理』教育出版、1990年、32頁。

・31一

段階である④。

ξ研究の内容】

 ①シカゴ地域の中産階級および勤労者階級の少年50人を対象とした20年   にわたる研究。(少年らが10歳から16歳のときに面接を始め、3年ごと   に面接を継続。)

 ②トルコの村落および都市部における同一年齢の少年たちを対象にした小   規模の、6年にわたる前聞を追った研究。

 ③その他、カナダ、英国、イスラエル、タイワン、ユカタン、ホンジェラ   ス、インドにおける横断的な研究。

【三水準6段階(5)】

 1 前慣習的水準

   段階1 罰と服従への志向

   段階2 道具主義的な相対主義志向  E 慣習的水準

   段階3 対人的同調あるいは「よい子」志向    段階4 「法と秩序」志向

 皿 脱慣習的水準、自律的原理的水準    段階5 社会契約的な法律志向

   段階6 普遍的な倫理的原理への志向

コールバーグの示す認知発達的アプローチは、次の3点に要約される㈲。

①発達とは認知構造の変化、質的変化である。

②個人は道徳規範を、単に受動的に内面化するのではなく、能動的に対  処し、自分の認知構造に合うように同化するのであり、同化の仕方や  理解の仕方が発達上の問題である。

③認知構造の変化は、個人と社会環境との相互作用により引き起こされ  る不均衡が均衡化される過程である。

(4)藤田昌士『道徳教育一その歴史・現状・課題一』エイデル研究所、1985年、128頁。

(5)永野編、前掲書、22〜23頁。

(6)山岸朋子r道徳判断に関するK◎h1bGrgの理論とその展開」心理学評論(2q 4>1977年、

 348頁。

一32一

 コールバーグにおいては、道徳性が発達するというのは道徳的な判断や認識 つまり、公正(働mess)や正義(」囎hce)の見方・考え方が変化することを言

う。同じ行為であっても、なぜそれが正しいのか、よいことなのかについで、

その理由を道徳性の発達という観点から分析するとまったく違うと主張するの である。コールバーグのいう道徳性の発達段階は、個人と社会に関する思考の 枠組みにおける認知構造上の変化を示したものである。この癸達段階は社会的 状況において、役割取得つまり、他者の立場に立って考えるという様式が順に 変化し、発達していくことを表しており、この役割取得能力が発達に大きな影 響を与えると考える①。

3認知能力と役割取得能力

 四一ルバーグは、道徳性が認知能力と役割取得能力の発達と結びついて発達 すると仮定する。このことは、知的水準を表す認知能力の発達だけでは、道徳 性は発達しないことを指摘している。つまり、知的にいくら優れていても、他 者の立場に立って考え、他者を尊重するという役割取得能力が発達しなければ、

道徳性の発達は望めないということが言える。

 識一ルバーグによれば、道徳的な考え方とは本質的に社会的関係についての 考え方であり、社会的な認知や社会的判断は「役割取得」を含んでいるもので ある。ここでいう「社会的」という言葉の基本的な意味は、役割取得の傾向で あり、自己と同等な存在として他者に反応したり、他者の観点から自己の行動 を考えたりして、行為や思考を構造化することである。そして、道徳判断にお いて役割取得が中心的なものであることは、道徳判断は、他者に対する共感に 基づいていなければならないという見解や、道徳判断を行う者は「公正な観察 者」の観点あるいは「一般的な他者」の観点を取らなければならないという見 解にみてとれる(8)。つまり、道徳判断の発達とは、基本的に役割取得の様式 の再構成のプロセスであり、道徳判断は役割取得の能力によって規定される。

 役割取得の概念は、道徳性の発達段階における中心的概念であり、道徳的葛 藤に基づく討論の中で適切な役割取得の機会が与えられる。そして、他者の立

(7)認一ルバーグ、岩佐信道訳『道徳性の発達と道徳教育』広池学園出版部、1987年、95頁。

(8)永野編、前掲書、60頁。

噂33一

場に立って問題を見つめ直したり、社会的な視点に立って問題を判断すること によって、道徳性の発達が促されるのである。

4モラルジレンマによるクラス討論方式

 コールバーグは、インカルケーションの道徳教育を否定した。価値の明確化 の提唱者と同じく、品性教育が掲げる「正義j・「誠実」・「勇気」などの価値 は文化や個人によって相対的であり、それを教え込むことは子どもの権利の侵 害であると考えていたからである。しかし同時に、価値の明確化は価値相対主 義に陥っていると批判し、モラルディスカッションによる道徳教育を提唱した のである。不均衡から均衡への過程で同化・調節をしながら認知構造の質的転 換が行われるという認知発達論を拠りどころとして、子どもにジレンマを提供 して不均衡状態を経験させ、話し合いを通してより高次の均衡状態に高めてい く。これが、モラルディスカッションの第一のねらいである19)。ここで子ど もは自明の正しさが、実は自分独自のものであることを知り、より普遍的な視 座に立つ判断様式を探求し始めるのである。

 ディスカッションでは、主人公のとるべき行為ではなく理由づけに焦点があ てられる。つまり、道徳的ジャスティフィケーションをめぐって話し合いが行 われる。コールバーグ理論に基づいたモラルジレンマ授業は、伝統的な道徳授 業において最大の課題であった価値:の注入を避けるために、授業のねらいをあ

る一定の価値におくのではなく、道徳性の発達段階の高まりにおいたことは新 しい道徳授業の創造における重要な視点であると考える。わが国においても、

子どもを主体にした道徳授業として従来型の授業からの大きな転換を図ること ができた点は筆者も評価したい。

 クラス討論の場がもつべき条件として、コールバーグとM.Mプラットが述 べているのは、一段階上の思考様式と出あわせることと感情的対立に陥らない

ように配慮することである。それらは、自分とは異なる他者の考えと出あって 認知葛藤を経験することと、相手の人格の否定とは別の知的関心だけに方向づ

けられた領域で経験されなければならないことを示している。しかし、この際 の構造的条件は子どもたちが自主的に決定し、進めていくものではないという

(9)荒木紀幸編『続 道徳教育はこうすればおもしろい』北大路書房、1997年、第14章参照。

一34・