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第3節 ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論
1コミュニケーション的行為の理論
子どもたち主体と言いつつ、依然として教師から子どもへの一方的な伝達と 要求として教育が展開されてきたことの問題については第1章でも述べた。従 来、教育学において教育は「主体一主体」関係の中でのみ成り立つと言われて きたにもかかわらず、依然として「主体一対象」モデルのまま克服されていな いのである。渡邉は、「教育は子どもたちの共同活動と大人による子ども集団 への関わりという二つの視点を共に含まなければならない。しかし、それにも 関わらず従来教育学においてはこの部分を等閑視していたようにも思われる。
子どもの社会化という観点から教育を考えるとき、教育はこの大人と子どもの 相互行為と子どもたちの相互行為という二つの相互行為によって成り立つと考 えなければならない」働と述べている。とすれば、二つの相互行為の複合と
して教育を捉えていくとき、具体的に構想していく行為理論が必要となってく る。その際に、大きな手がかりを与えてくれるのが、ハーバーマスの提唱する
「コミュニケーション的行為の理論」である。
この行為概念をハーバーマスは、行為調整の媒体としての言語による了解を 関心の中心におく了解志向的な相互行為として、成果志向的な戦略的行為から 区別する。ここで用いられるのが後期ヴィトゲンシュタインからオースティン に至る言語哲学の流れを踏まえた「普遍的語用論」である。ここで彼は、コミ ュニケーション的行為において参加者が了解に達するための普遍的条件を解明 する。それによれば、コミュニケーション的行為において、話し手は批判可能 な妥当要求を常に掲げている。すなわち、必要とあらば批判に対して、自らの 発話の規範的正当性、真理性、誠実性のそれぞれについて論拠を示さなければ ならない。それでも合意が得られない場合は、ディスクルス(討議)に移行し、
一致を目指すことになる。対話に参加する言語能力と行為能力をもつ発話者の パースペクティヴから見れば、了解に志向する限りでこの「理想的発話状況」
(22)渡邊満「ロミュニケーション的行為理論による道徳教育の可能性」『野司教育大学研究 紀要』第19巻、1999年、96頁。
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が暗黙の内に先取りされ、前提されているのである働。彼が合理性概念を導 き出すのは、このコミュニケーション的行為からである。言明の意味内容、妥 当性の条件、根拠の間に内的連関があり、それをめぐって言語能力と行為能力 をもつ主体が、妥当要求を伴うコミュニケーション的行為を通じて合意へと至 ること、この手続きそのものによって発話や行為に付与されるのが合理性なの
である。
2 普遍的語用論
言語を媒介とする相互作用が必ずしも了解志向行為であるとは限らない。こ のことを明らかにするために、ハーバーマスは書語学者J・L・オースティン の言語行為論を拠りどころとし、彼の行為論に結びつけている。「言語論的転 回」や「ほミュニケーション論的転回」と言われるものの発想に至るポイント として、オースティン、サールらの言語行為論や後;期ヴィトゲンシュタインの
「言語ゲーム」論に依るところは大きい。
ハーバーマスは、オースティンによる発語行為、発語内行為、発語媒介行為 の三つの区分をふまえる。(以下オースティン言語行為の三層分析を示す(24)。)
発語行為
発語内行為
発語媒介行為
:文法構成および意味をもった文を発する行為それ自体。
話し手はある事態を表現する。
:発語行為をなすことにおいて、それと同時に遂行される行 為、例えば約束したり、陳謝したり等の行為。何かを語る
ことにおいて行為を遂行する。発語内的役割は、主張、約 束、指令、告白等々として使われる文の話法を確定する。
:前記の行為をなすことによって、結果として引き起こされ るという仕方で遂行される行為。話し手は聞き手の側にあ
(23)ユルゲン・ハーバーマス、藤沢賢一郎・岩倉正博・徳永悔・平野嘉彦・出口節郎訳 『ロミュニケイション的行為の理論(中)』未来社、蓋986年、第三章参照。以下『(中)』
と略記する。
(24)ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・Mフーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイショ ン的行為の理論(上)』未来社、蓋985年、26頁。以下『(上)』と略記する。
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る効果を達成する。話し手は、ある発話行為を遂行するこ とを通じて、世界の内に何かを結果として惹き起こす。
オースティンが区別している上記三つの行為は、「何かを語る」、「何かを語 ることにおいて行為する」、「何かを語ることにおいて行為することを通じて 何かを結果として惹き起こす」(25)というような標語によっても特徴づけられ
る。しかし、ハーバーマスの場合は、これら三つの行為を同じ一つの行為の三 様相として捉えてはいない。発語内行為を「自足的な行為」と捉えて、発語媒 介行為に対置する点が特徴的である。発語内行為は、コミュニケーション的意 図と発語内的目標が「語られたことの顕著な意味」から明らかになるのに対し て、発語媒介行為はそうではないという理由からである。発語媒介行為によっ てもたらされる効果は、発語内行為が目的論的行為連関で、ある役割を引き受 けることによってのみ生ずるからである。
このような理解の仕方は、コミュニケーション的行為を、道具的・戦略的行 為と対置させることによって明らかにしょうとする。ハーバーマスによる道具 的行為と戦略的行為の概念と、識ミュニケーション的行為の概念は以下のよう なものである。
成果志向的行為を技術的行為規則に従うという局面で考察し、状態や出来 事の連関への介入の実効度を評価する場合は、その行為を道具的と呼ぶ。ま た成果志向的行為を合理的選択の規則に従うという局面で考察し、理性的で ある相手方の意志決定に与える影響の実効度を評価する場合には、その行為 を戦略的と呼ぶ。道具的行為は社会的相互行為と結びつくことが可能であり、
戦略的行為はそれ自体が社会的行為である。これに対してわたしがコミュニ ケーション的行為と言うのは、参加している行為者の行為計画が、自己中心 的な成果の計算を経過してではなく、了解という行為を経て調整される場合 である岡。
つまり、「社会的行為は、その当事者が成果志向的態度をとるのか、それと
(25)バー・バーマス、『(中)』、26頁。
(26)同上、22頁。
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も了解志向的態度をとるのかに応じて、区分されるのである」鋤とハーバー マスが言うように、同一の行為があるときには、目的合理性に行為する相手方 に互いに影響を与え合うこととしてや、ある生活世界の成員の問で互いに了解 し合う過程として記されるような単なる分析的な観点のことではないのであ る。このように「コミュニケーション的行為」と「戦略的行為」という対置は、
「了解」概念を軸に、言語論的視点から「発語内的」と「発語媒介的」という 対置とによってより深められている。ちなみに、ハーバーマスの言う了解とは
「言語能力と行為能力をそなえた主体問で一致が達成される過程である」㈱
とみなされる。また、「言語的水準において初めて、同意はコミュニケーショ ンを通して達成された合意という形式をとり得るのである」囲と言うように 彼の言う「了解」とは、言語を離れてはその説明が不可能と考えられている。
コミュニケーション的行為とは、了解志向的な発話行為であるが、それは批 判可能な妥当性要求を兼ねた発語行為と言えるのである。この批判可能な妥当 性要求という視点においては、コミュニケーション的行為と三世図解がかかわ
ってくる。次の項では、妥当性要求と三世界について明確にしたい。
3 妥当性要求と三世界
コミュニケーション的行為によって当事者は、徴弾琴の何かについて了解し 合うのだが、その了解は、真か偽かといった「真理性」の妥当要求に限定され ないという点がハーバーマスの主張の特徴でもある。了解は真理性以外にも、
正当な規範に従っているかどうかといった「正当性」の妥当要求や、自己の内 面を誠実に表出しているかといった「誠実性」の妥当要求にもかかわると言う。
ハーバーマスによると、 発話者の言明は、三つの「世界」に関する発言に集約 できる。三つの世界とは、f客観的世界」、「社会的世界」、「主観的世界」とい
う形式的な世界概念である。この三世界はポパーの有名な三世界論の批判的改 釈と関係づけられているが、ハーバーマスは発話行為と三世界論との関係を次 のように述べている。
(27)ハーバーマス、『(中)』、22頁。
(28)同上、23頁。
(29)同上、292頁。
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