(8) Tôi để con tự quyết định chuyện hôn nhân của mình
私 させる 子供 自分 決める 結婚の こと 自分の
(私は 子供 に自 分の 結婚 のこ とを 決め させた 。)
被使役 者が 自ら の意 思に よっ てあ る行 為を引 き起 こそ うと して いる 、 あ るい は引き 起こ し ている こと に対 して 、使 役者 が妨 げよ うとす れば 出来 るの に、 そう せず に成 り行き に任 せる 意味を 表す 。
また以 下の 例文 では 、NP1は ある こと を行っ て、NP2に「 何ら かの こと をす る/し ない よ うに」 させ る意 味を 表す 。
(9) Hãy gọi điện về nhà để gia đình khỏi lo.
~くだ さい 電話を かけ る に 家 させる 家族 ない 心配す る
(家族 を心 配さ せな いよ うに 、家 に電 話して くだ さい 。)
例(9)で は để は NP2 の 動作 ・作用 が NP1 の 指示 や命 令によ る働 きか け ではな く、NP1
の行為 を受 けた 自然 な結 果に よる もの である 。
以上 、ベ トナ ム語 にお ける bắt、cho、để(cho)、khiến(cho)、làm (cho)の違い につ い て考察 した 。
(1) 太郎は 花子 に服 を洗 濯さ せた 。
(2) Taro bắt/cho/để Hanako giặt áo quần.
太郎 させる 花子 洗濯す る 服
(3) 太郎は 花子 を苦 しま せた 。
(4) Taro làm/khiến(cho) Hanako đau khổ.
太郎 させる 花子 苦しむ
従来の 分析 では 、こ れら の使 役文は NP2を主語 、Vを述 語と する(5)~(8)のよ うな 補 文を含 むと され てき た。すなわ ち、例(1)(2)で は両 言語と も、太郎 は花 子 に「服 を洗 濯し て」と いっ た指 示や 依頼 を働 きか け、 その働 きか けを 受け て花 子が 「服 を洗 濯する 」と いう 行為を 行う とい う意 味を 表し てい る。また、(3)(4)で は太 郎が 何ら かの こ とをし て、「花 子 が苦し んで いる 」状 態に する こと を表 す。
(5) 花子が 服を 洗濯 する 。
(6) Hanako giặt áo quần.
花子 洗濯す る 服
(7) 花子が 苦し んで いる (8) Hanako đau khổ.
花子 苦しむ
構文か ら見 ると 、日 本語 では 動詞 に使 役を表 す「 させ る」 とい う形 態素 を付 けるの に対 し て、孤 立語 であ るベ トナ ム語 では 使役 の意味 を表 す動 詞と 結合 させ る。 ベト ナム語 の使 役構 文では 、被 使役 者は 使役 動詞 の目 的語 である と同 時に 、後 ろの 動詞 の主 体で もある 。
このよ うに 、日 本語 にお ける「さ せる 」構文も 、ベトナ ム語 にお ける cho、để(cho)、khiến
(cho)、làm(cho)構文 も補 文を 持つ と いう点 で共 通し てい ると 言え る。以下 では、楊(1989)
が中国 語の 使役 形に 用い た統 語テ スト を参照 して 、日 本語 とベ トナ ム語 の使 役形の 複文 とし ての性 質に つい て検 証す る。
まず再 帰代 名詞 を入 れて みよ う。 再帰 代名詞 の「 自分 」と 数字 の副 詞の テス トにつ いて は 柴谷(1978)4.1 と井上 (1976)4.8.2を参照 して いる 。
(9) a.太郎 は次 郎に 自分 の電 話を 使わ せる 。
b.Taro bắt/cho/để(cho) Jiro sử dụng điện thoại của mình.
太郎 させる 次郎 使用 電話 の 自分
(10) a.太郎 は次 郎に 自分 のこ とを 心配 させ る/ 恥 ず か し が ら せ る / 悲 し ま せ る / 困 ら せ る 。 b.Taro khiến cho/làm cho Jiro lo lắng /xấu hổ/ buồn/ lúng túng
太郎 させる 次郎 心配す る/ 恥ず かし がる /悲 しむ /困 る về chuyện của mình.
に 話 の 自分
例(9)(10)a では「 自分 」は太 郎と 次郎の 両方 を指 すと 捉え られ る。(9)(10)bの よ うにベ トナ ム語 で も mình「自 分」 は 太郎と 次郎 の両 方を 指す 。つ まり 、日 本語で も、 ベト ナム語 でも 、二 つの 解釈 が可 能で ある 。
一方、日本語 では(11)のよ うに 他動 詞文は この よう な二 義性 がな い。以 下 の(11)(12)
は他動 性と 「さ せる 」形 式の 違い であ る。
(11) 太郎は 次郎 を 自 分の 部屋 で殺 した 。
(12) 太郎は 次郎 を 自 分の 部屋 で死 なせ た。
日本語 では(11)の「太 郎は次 郎を 自 分の部 屋で 殺し た。」では「 自分」は「 太郎」を 指す という 解釈 しか ない 。そ れに 対し て、「 太郎は 次郎 に自 分の 部屋 で死 なせ た。」の場合 、「 自分 」 は「太 郎」 でも 「次 郎」 でも 解釈 でき る。そ れは 、こ の文 では 「殺 す」 とい う他動 詞が 使わ れてい るの に対 し、「 死な せる」では 使 役が使 われ てい るた めで ある。この 対 立は、使役 形態 素「さ せ」 は補 文構 造を 取る のに 対し 、語彙 的使 役で ある 他動 詞は 補文 構造 を取ら ない (単 一節で ある )と いう こと から 来て いる と考え られ るわ けで ある 。
一方 、ベ トナム 語も 日本 語と 同様 に他 動詞文 では mình「 自分 」は一 義的で あ るのに 対し て 使役形 態素 bắt、để、cho、làm(cho)、khiến(cho)を 用い る文 では mình「自 分」の 解釈 は二 義的で ある 。
(13) Taro giết Jiro trong phòng của mình.
太郎 殺す 次郎 で 部屋 の 自分
(太郎 は次 郎を 自分 の部 屋で 殺し た。)
(14) Taro bắt/để/cho Jiro chết trong phòng của mình.
太郎 させる 次郎 死ぬ で 部屋 の 自分
(太郎 は次 郎を 自分 の部 屋で 死な せた。)
例(13)で は mình「自分 」は 「太 郎」 を指す とい う解 釈し かな い。 それ に対 して、(14)
の場合 、「自 分」は「太 郎」でも「次郎 」でも 解釈 でき る。つ まり 、ベ トナ ム 語でも bắt、để、
cho、làm cho、khiến cho 使役 を表 す形 態素を 用い る使 役文 は補 文構 造を とる のに対 して 、他
動詞文 では 、補 文構 造を とら ない とい うこと が分 かる 。 次は数 字の 副詞 をつ ける 場合 を考 察し てみよ う。
(15) a.太郎 は次 郎に 二回 買い 物に 行か せた 。
b.Taro bắt/cho/để cho Jiro đi mua đồ hai lần
.太郎 させる 次郎 行く 買い物 二回
例(15)で は日 本語 と ベ トナ ム語 いず れも「 太郎 が次 郎に 買い 物に 行く よう に 2回指示 し
た」ま た「 太郎 が次 郎に 2回 買い 物に 行くよ うに 指示 した 」と いう 意味 に解 釈する こと が可 能で ある 。こ の現 象 から も、 日本 語と ベト ナム 語の いず れ にお いて も、 <NP2 V> の部 分が 補文で ある と解 釈で きる こと がわ かる 。
ただし 、副 詞表 現に つい ては 両言 語の 間には 異な る点 もあ る。 ベト ナム 語で は、確 かに 解 釈が二 義的 であ るが 、人 によ って 後者 の方が 前者 より 意味 がは っき りす ると 考える 傾向 もあ る。ベ トナ ム語 では 回数 を表 わす 場合 、副詞 は修 飾し たい 言葉 の近 くに 付け た方が 落ち 着き が良い 。(15)b で は、回数 の副 詞が 文の 後ろに 置か れて 、文 全体 にか かっ てい る。一 方、(15)
c の よう に回 数の 副 詞は 太郎 の動 作の 前に 置か れて いる ので 、 太郎 の動 作に しか かか って い ない。 この 場合 の「 二回 」は 完全 に次 郎の動 作は 修飾 しな い。
(15)c. Taro 2 lần bắt/cho/để cho Jiro đi mua đồ.
太郎 2 回 させる 次郎 行く 買い物
(太郎 は次 郎を 買い 物に 行く ように 2 回指示 した 。)
次は khiến cho/làm cho使 役表 現に お ける回 数の 副詞 を見 てみ よう 。
(16) a.太郎 は次 郎を 3回 困ら せた /が っか りさせ た/ 泣か せた 。
b.Taro đã làm cho Jiro lúng túng/thất vọng/ khóc 3 lần.
太郎 [既然] させる 次郎 困る /がっ かり する /泣 く 3回
例(16)a、bでは 、日 本語 とベト ナム 語では いず れも「 太郎 が 3回も 何ら か のこと をし て
次郎を 困ら せた /が っか りさ せた /泣 かせた 。」とい う意 味に 解釈 でき る 。こ のよう な使 役表 現では NP2の 作用 は意 図性 がな く、NP1の働き かけ を受 けて 自然 に発生 する こと な ので 、NP1 の一回 の働 きか けで NP2が 三回 も行 為 を行う とは 解釈 し難 い。(16)b での 回 数の副 詞は 文末 に置か れて も同 時に NP1の 動作も NP2の動作 も表 わす が、NP1と使役 動詞 の間 に置い た方 が より落 ち着 きが いい 。
(16)c.Taro đã ba lần khiến cho/làm(cho) Jiro lúng túng/thất vọng/khóc.
太郎 [既然] 三回 させる 次郎 困る/ がっ かり する /泣 く
(太郎 は次 郎を 3回 困ら せた /泣 かせ た/が っか りさ せた 。)
言い換 えれ ば、ベ ト ナム 語で は、再帰 代名詞 を付 ける 場合 、「mình(自分 )」は Vの 後ろ に 来るし かな いの に対 して 、数 字の 副詞 は再帰 代名 詞よ り自 由に 置く こと が出 来る。 使役 者の 動作の 回数 を強 調し たい 場合 、使 役動 詞の前 に数 字の 副詞 を付 ける 。一 方、V の後 ろに 置く と被使 役者 の動 作、 作用 など を表 すと も使役 者の 動作 を表 すと も解 釈出 来る 。
この場 合に も、「自 分」と同 様、他動 詞 文と使 役形 態素「さ せる 」を 用い る使 役構文 は相 違 点があ る。
(17) 太郎は 次郎を 2 回倒 した 。
例えば 、日 本語の「太 郎は 次郎を 2回 倒した 。」の 場合、太 郎 の働 きか けが 2 回あっ たと い う解釈 しか でき ない。それ に対 して 、「 太郎は 次郎を 2回倒 れさ せた」の場 合 、太郎 の働 きか けが 2回と いう 解釈 でも 、太 郎が 次郎 に「2回 倒れ なさ い」と 1回だけ 指示 したと いう 解釈 でも可 能で ある 。
この点 に関 して も、 ベト ナム 語は 日本 語と同 様で ある 。
(19) Taro xô Jiro hai lần.
太郎 倒す 次郎 二回
(太郎 は次 郎を 2回 倒し た。)
(20) Taro làm cho Jiro ngã hai lần.
太郎 させる 次郎 倒れる 二回
(太郎 は次 郎を 2回 倒れ させ た。)
例(19)で は「 太郎 の働 きか け 」が 2回あっ たと いう 解釈 しか ない 。一 方、(20)では「 太
郎の働 き」が 2 回と いう 解釈 も、「 次郎 は倒れ る」 の が 2回 とい う解 釈も 可能 である 。
しかし 、情 態副 詞の 場合 は、 日本 語と ベトナ ム語 は異 なる 。
(21) a.太郎 は次 郎に 一生 懸命 受験 勉強 をさ せた。
(22) a.太郎 はわ ざと 次郎 に負 けさ せた 。
(23) a.太郎 は全 力で 次郎 に研 究さ せた 。
例(21)、(22)、(23)a は再 帰代 名 詞 と数 字副 詞と 同じ よう に 、二 義的 に解 釈す るこ とが
可能で ある 。日 本語 では 「一 生懸 命」「 わざと 」「 全力 」等 の副詞 は、NP1の働 きかけ と NP2 の動作 をそ れぞ れ修 飾す るこ とが 出来 る。一方 、ベ トナ ム語 に訳 す場 合、「NP1が一生 懸命 / わざと /全 力 」か「 次郎が 一生 懸命 /わ ざと/ 全力 」か 、は っきり 言及 しな けれ ばなら ない 。 ベトナ ム語 では 情態 副詞 を用 いる 場合 、二義 性が 出な いの で、 使役 者を 修飾 するの か、 被使 役者 を修 飾す るの かで 、 置く 場所 が異 なる。(21)、(22)、(23)a は二 つの 方 法で 訳さ れる。
「太郎 が一 生懸 命次 郎に させ る」「 太郎 がわざ と次 郎に させ る」「 太郎 が全 力で 次郎に させ る」、
つまり NP1の 働き かけ の意 味を 表し た い場合 、(21)、(22)、(23)bの よう に 副詞は 使役 動詞