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3.3       カリキュラムの現状と課題

3.3.2       大学のカリキュラム

3.3.2.2 学習活動

以上が、ベトナムの日本語教育機関の学習目標設定の事情である。教育の方針は良いが、

実現はまだ充分ではないことは、中等教育だけではなく、高等教育機関においても見られ る状況である。

は、『みんなの日本語』スリーエーネットワーク(スリーエーネットワーク)と『初級日 本語』東京外国語大学留学生日本語教育センター(凡人社)、中級では、『中級日本語』

東京外国語大学留学生日本語教育センター(凡人社)、『テーマ別中級から学ぶ日本語』

松田浩志(研究社)、『ニューアプローチ中級日本語[基礎編]』小柳昇(日本語研究社)

などが主に使用されている他、独自の教材を使用している機関もある。

ベトナム北部では『みんなの日本語』、『初級日本語』や『中級日本語』、『テーマ別 中級から学ぶ日本語』、『ニューアプローチ中級日本語[基礎編]』が多く使用され、ベト ナム南部ではほとんどの機関で『みんなの日本語』と『テーマ別中級から学ぶ日本語』が 使用されているようである。 ベトナム南部では高等教育も同様に『みんなの日本語』と

『テーマ別中級から学ぶ日本語』が多く使用されている。独自の教材を使用している機関 もあるが、多くが上述の教材を使用しているため、教材が単調になりやすい。

初級教材でよく使われている『みんなの日本語』は使いやすいが、それだけでは不十分 だと思う。なぜかというと、同じ文法項目或いは新出語彙といっても、使う場面がいろい ろある。教科書を1つしか使わないと、そこに設定された場面しか知らないため、そうで ない時の応用がきかないのである。また、教科書に出てくる社会人の登場人物や、日本で 生活している外国人が設定された会話の場面、一部の新出語彙などはベトナム人の学生で ある学習者に相応しくないものも多いと思われる。かといって、代わりにいい教科書を選 ぶこともできないのが現実である。

現在の教科書の問題点を認識していて、改善しないといけない、という声もある。しか し改善する計画はまだない。ベトナムにある教材が少なく、選択肢がないためである。ベ トナムの学習者のニーズに対応した教科書の作成する計画も取り上げられたが、教師のレ ベルが低く、人数が少ないため、その計画の実現は難しい。

また、日本語・日本語教育に関する参考文献はほとんどない。そのため、教師の研究と、

学生の勉強に良い環境ではない。しかし、日本から本を購入するのは価格が高いという理 由で困難である。

以上のように、現在の教科書では学生の学習ニーズに十分応えられない状況であるとい える。現在の教科書の問題点を認識しており、改善しなければならないという声はあるが、

改善する具体的な計画はまだない。

教 授 法

次に、日本語授業における教授法について述べるが、まず、2016 年のカリキュラム改革 までのホーチミン市師範大学のことを事例として挙げる。同大学の日本語授業では、これ まで教師が説明し、学生が暗記することが一般的な授業であった。教師は文法や意味など

細かいところまで説明し、知っていることをできるだけ多く学生に伝える。学生は理解、

暗記し、教師の質問に答えるという流れである。また、大人数のクラス全体に向けて、同 じ内容の一斉授業も行われる。同大学では、最大 35〜45 人のクラスがあるが、ホーチミン 市の A、B 私立大学には、50〜70 人のクラスもある。そこで、教師はクラスの反応を予想し、

説明や板書、学生に対する質問を考えながら教案を準備する。教師が準備した教案に沿っ て、授業が行われることになる。学生が静かに教師に教えられた情報をすべて暗記すると いうのが教師の狙いであった。ホーチミン市の大学での日本語授業について、Trn Th Duy Ngc・NguyễnThị Hoàng Diễm(2012)は次のように指摘した。

現在のホーチミン市の大学と日本語学校での読解授業は主に同様な流れに沿って行 われている。それは教科書として確定な教材を使い、発音の練習のため学生に読ま せ、ベトナム語に翻訳させ、質問を応える流れである。その他、日本の新聞を生教 材として使っている授業がある。このような授業は文法の説明、漢字の読み方、翻 訳を重視している。授業のポイントは日本語の文章をベトナム語に翻訳することで あり、受動的な学習者を作ることである。

ベトナムでは語学の授業でも学生の人数が多く、一人ずつカバーできない、というのが 現状であるため、授業は用意された教案に沿って行われている。これだけ多くの学習者が いるにも関わらず、授業数が少なく、授業内で学習者一人一人ができることには限界があ る。学習者の人数と授業数のバランスが悪い状態が続いている。

グループ活動や学習者の発表などの方法においても、問題点がある。教師が学習者中心 の教育を自分自身が受けていないため、効果的な授業の実践方法や活動内容が分からない のである。本質的な意味が理解されていないため、活動の評価や学習者に対する助言が難 しい。活動の方向性や調査内容などについての助言が難しいため、学習者自身が最初から 最後まで試行錯誤しながら行わなければならない。さらに、それを限られた時間の中で行 うため、取り上げた項目について深いところまで理解、解決することは容易ではない。ま た、教師の専門的な知識も不足していて、学習者の能力をのばすどころか逆効果になるこ とも考えられる。「教える」ことが重要だと思われているため、活動をさせるだけで、活動 の最中、または活動後の指導が難しいのである。

従って、ベトナムでは現在、日本語授業の形態から見ると、学習者を中心とした授業の 仕方に変えようと言う姿勢は見られるが、実際は伝統的な教師主導の授業がまだ行われて いるところもあるという状態である。これには3つの理由が挙げられる。まず、教室内で 行わなければ授業だと認められないなど、授業を管理する大学の仕組みが影響しているこ

と。2点目は課外活動の経費がないこと。3点目は大学と社会との関係が浅いことである。

例えば理想的な通訳の授業は、企業などで実際に通訳させることであるが、現在は教師と 学生間で練習するという教室内の授業に限られている。