• 検索結果がありません。

NHK報道におけるヒロシマ・ナガサキ

ドキュメント内 2000年度 (ページ 107-116)

第 4 章 ジャーナリズムにおけるヒロシマ・ナガサキの表象

第 3 節 NHK報道におけるヒロシマ・ナガサキ

NHK の報道内容の変遷を検討するに当たって、まず NHK におけるヒロシマ・ナガサキ 報道の基本的な枠組みについて確認しておきたいと思う。NHKには様々なジャンルの番組 があるが、ヒロシマ・ナガサキに関連するものはニュース・報道、ドキュメンタリー・教養 番組の中で取り扱われることがほとんどである。日々のニュース番組を除けば、利用され る番組枠も大体決っており、「NHK特集」、「NHKスペシャル」、「ETV特集」、「クローズア ップ現代」などが使用されることが多い。これらの番組枠を使用した独自の取材に基づく

295 「伝える言葉 大江健三郎 戦争、記憶し続ける力を」『朝日新聞』、朝刊、東京本社 12 版、24 面、2005 年 8 月 16 日参照。 

296 「二重被爆 165 人判明 広島・長崎直接遭遇も 9 人」『読売新聞』、東京本社 14 版、34 面、2005 年 8 月 1 日参照。 

297 「原爆開発 祖父の苦悩」『読売新聞』、東京本社 14 版、6 面、2005 年 8 月 3 日参照。 

298 「戦後 60 年 米でドキュメント番組着手オカザキ監督」『朝日新聞』、東京本社 12 版、11 面、2005 年 8 月 3 日参照。 

299 「原水禁の原点「杉の子会」を見直そう 母らの「反核」継ぐ動き」『朝日新聞』、東京本社 4 版、14 面、2005 年 8 月 3 日参照。 

300 「薄れる記憶 援護の壁」『朝日新聞』、東京本社 4 版、14 面、2005 年 8 月 5 日参照。 

報道と、1958年以後続いている広島・長崎両市の平和祈念式典中継が、NHKのヒロシマ・ナ ガサキ報道の大きな柱だと言える。また、報道の時期について言えば、やはり新聞と同様 に8月6日、8月9日を中心としてその前後に集中していることが多い。但し、第1節で述 べたように90年代以後NHKの内部に「科学・文化部」が立ち上げられ、放射能汚染・放 射線被曝にからんだ複雑な問題などにはこの部署を中心に専門的な対応を行っており、原 発関連の番組は必要とあらば 8 月に限定することなく年間を通じて放映されているようで ある。

以下に新聞の調査年に合わせて10年を一区切りとしながら、NHKにおけるヒロシマ・ナ ガサキ関連の報道内容がどのように変遷していったのかを検討していこうと思う。なお、

各年の関連番組リストは巻末の付録資料4を参照されたい。

1956(テレビ放送開始)〜1965

この時代は、まだNHK特集やNHKスペシャルといった大型特集番組の枠は見られず、

原爆や核関連の報道は、「時の表情」、「日本の素顔」、「ETV教養特集」、「現代の映像」とい った番組内でとりあげている。報道の内容としては、「被爆者の傷痕」や「被爆者の願い」

に焦点を当てたものが多い。例えば、「被爆者の傷痕」に焦点を当てたものとしては、「ニ ュースを追って:原爆の傷あとはいえぬが」(1958年)、「ニュースを追って:今も残る傷あ と」(1959 年)、「日本の素顔:消えやらぬ傷痕」(1961 年)、「時の表情:原爆孤老 広島の 16年」、「ある人生:耳鳴り〜ある被爆者の20年」(1965年)などがある。一方「被爆者の 願い」に焦点をあてたものとしては、「あすへの歩み:千羽鶴はばたくまで」(1963年)、「原 爆の子らとともに」(1963年)、「ETV教養特集:平和への証言」(1964年)、「時の動き:よ みがえる被爆者の願い」(1965年)などがある。また、原爆投下日に何が起きたかを再現し ようとする番組としては最も古い番組のひとつと思われる「ETV教養特集:日本回顧録 ヒ ロシマ1945年8月6日」が、原爆投下20周年の1965年に放映されているのも注目される。

1966〜1975

この時期になると、それまでと比べてヒロシマ・ナガサキ関連の報道内容も相当多様化 してきており、4つの大きなテーマが浮かび上がってくる。以下にテーマ別に番組内容を検 討していこう。

まず、原爆投下後20年以上が経過したことによって徐々に生じつつある「記憶の空白」

を埋めていこうと努力する姿勢が垣間見える番組がいくつかある。その一つが「原爆と私」

という連続番組であり、自ら被爆者でありながら被爆者のために尽くそうとした個人の記 憶を辿ることによって、8月6日とその後に起きたことを再度明らかにしようと試みている

301。また、「現代の映像:軒先の閃光〜よみがえった爆心の町〜」(1967 年)、「報道特集:

301 1967 年には浜井信三氏(前広島市長)、重藤文夫氏(広島原爆病院長)、森滝市朗氏(広島大学名誉教授)、1968 年には長岡省吾氏(元原爆資料館長)、佐久間澄氏(原水禁)、蜂谷道彦氏(前広島逓信病院長)、吉川清氏(被団協理 事長)が取り上げられている。 

被爆原点の空白〜ヒロシマ1968年夏」(1968年)などは、1966年にNHKの呼びかけによっ て広島で始まった爆心地復元運動302に呼応するものとして制作されたものである。

2 つめのテーマとして、「被爆者の戦後」の実情に迫る番組も継続して報道されたが303、 中でも「沖縄の被爆者〜屋良朝苗・主席に聞く〜」(1969 年)、「特派員報告:埋もれた 26 年〜韓国原爆被害者〜」(1971年)、「被爆者ユソフ〜ブルネイ王国首相の証言〜」(1971年)

などの番組のように、これまで無視されてきた国内外の被爆者の姿に迫ったものが登場し たことが注目される。また、「あすへの記録:被爆二世〜原爆医学の空白〜」(1972 年)で は原爆症治療の問題とからめながら被爆二世の抱える不安にいち早く迫っているのも目を 引く。この時期は原爆症に関する報道もいくつか見られ、原爆投下から20〜30年が経過し ても今なお被爆者やその子孫をおびやかす原爆の中長期的影響について、できる限り掘り 下げようとの努力が見られる304

3 つめのテーマとしては、1975 年に爆心地復元運動に続いてNHKの呼びかけによって広 がった「市民の手で原爆の絵を」運動に関連する特集番組がある305。1971 年には『原爆の 図』について作者の丸木位里・俊夫妻に取材した番組も制作されており306、原爆の記憶を 文章や写真ではなく、絵画という表象形態で残すことの意味や価値について注目した点で、

それまでにあまりない新しい試みだったと言えよう。

4つめのテーマは、「原子力の平和利用」である。1970年にはシリーズ「巨大科学」にお いて「原子力時代」307を特集しており、「あすへの記録:放射性廃棄物のゆくえ」(1970年)

は放射性廃棄物に関する報道の比較的初期のものと見受けられる。また、1974 年には「太 陽と人間」というシリーズでも原子力発電について取り上げており308、この問題への関心 が70年代半ば以降爆発的に増加していく際の原点がここに見られる。

1976〜1985

1970年代後半から80年代半ばにかけてのヒロシマ・ナガサキ関連の報道を概観すると、

やはり 4 つの大きな特徴が浮かび上がってくる。以下に特徴ごとに番組の詳細を検討して いこう。

最大の特徴といえるのは、この時期に「原子力の平和利用」をめぐる問題を取り上げた 番組が急増したことである。七沢(2008)が既に指摘しているように、1970 年代は全国に 原発が建設された時期であり、また公害問題が次々と顕在化した時期と重なっている。地

302 1966 年 8 月にブロック放送で放映された「カメラ・リポート:爆心半径 500 メートル」が契機となって始まった市 民運動は、やがて行政や研究者も巻き込んで発展していった。広島大学放射能医学研究所の湯崎稔が中心となり、原 爆によって焼失した地域の生存者を探し出し、彼らの記憶をもとに 1945 年 8 月 6 日の状態を正確に再現し、記録しよ うとする膨大な追跡調査を行った。 

303 「再開〜原爆の子の 27 年」(1972 年)、「傷痕〜原爆乙女の 28 年〜」(1973 年)「坂道の家〜ある被爆失明者の戦 後〜」(1973 年)など。 

304 「ETV教養特集:原爆白書と原爆症」(1966 年)「ETV教養特集:原爆医療の 30 年」(1975 年)「あすへの記録:原 爆症〜2 万人のカルテ」(1975 年)など。 

305「ドキュメンタリー:市民の手で原爆の絵を」(1975 年)参照。 

306 「ETV教養特集:原爆の図と共に〜丸木夫妻に聞く〜」(1971 年)参照。 

307 「巨大科学:第 6 集 原子力時代/第 7 集 巨大科学への道」(1970 年)参照。 

308 「太陽と人間:第 6 集 白い火を求めて」(1974 年)参照。 

域住民による反対運動を取り上げ、原発の安全性を追求しようとする地域発の番組が数多 く登場したのである。同時にこの問題への関心は地域に留まってはいなかった。1974 年に 起きた「原子力船むつ」の放射能漏洩事故や1979年に起きた米国スリーマイル島原発事故、

1981 年に敦賀原発で起きた事故等によって、原子力の安全性についての疑念はふくれあが り、具体的な原発事故を取り上げた番組309以外にも様々な関連特集番組が放映された。例 えば、「あすへの記録:原子炉安全テスト」(1976年)、「特別番組:これが原子炉だ」(1979 年)、「NHK特集:原子炉溶融の恐怖〜再現・スリーマイル島の4日間」(1979年)などは、

原子炉の安全性にフォーカスを当てた番組であるし、「NHK特派員報告:カーターの原子力 政策」(1977年)、「テレビの旅:エネルギー開発のゆくえ〜原子力発電」310(1980年)、「NHK 特集:原子力秘められた巨大技術」311、「NHK特集:いま原子力を考える」(共に1981年)

などは、より大きな視点から原子力発電という政策の行方に迫ったものと言うことができ よう。もちろん、原子力船むつに関する報道は継続的に行われたし312、1985 年には核燃料 輸送船を取り上げたNHK特集も放映されている313

二つめの特徴は、米ソ軍縮交渉の行き詰まりによる全面核戦争への危機感の高まりと、

欧米における反核運動のかつてない盛り上がりなどを受けて、「もしも全面核戦争が起こっ たらどうなるのか」というシミュレーションを試みる番組が目立つようになったことであ る。例えば、1979年のNHK特集では「核の時代」と題する4回シリーズ314を放送し、ヨー ロッパで核戦争が起きたらどうなるか、この恐怖を避ける為にはどうすればよいのかを検 討したし、1983年には核爆発前後のアメリカの都市を描いて大きな議論を呼んだ映画「ザ・

デイ・アフター」を題材に取り上げた315。中でも、最も国内外の反響を呼んだのは 1984 年 のNHK特集「世界の科学者は予見する・核戦争後の地球」であった。これは、「もし、東京 タワーの上空2400メートルで1メガトン級の弾頭が炸裂したら、どうなるか」というシナ リオに基づいて「核の冬」を描いた番組で、第1部「地球炎上」は 24.1%、第 2部「地球

凍結」は20.2%という高視聴率を獲得し、放送直後にNHKに寄せられた電話は約 3000件、

届いた感想は1000通近くにのぼり、その後番組の一部または全部が海外でも放映されて大 きな反響を呼んだ。翌85年にはETVスペシャル「核戦争と地球環境〜核の冬のメカニズム」

において、更にこの問題を詳しく取り上げている。

3つめの特徴としては、米国における原爆投下をめぐる機密文書の公開を受けて、歴史 を改めて検証する番組が増加したことである。これらには、「あの時、世界は・・・(2)マン

309 「特別番組:伊方原発訴訟 科学者証言から」(1977 年)「NHK特集:漏れた放射能〜敦賀原発事故」(1981 年)など。 

310 1983 年にも「テレビの旅:エネルギー開発のゆくえ〜原子力」が放映されている。 

311 3 回シリーズで放映されたテーマはそれぞれ、「(1)これが原子炉だ」、「(2)安全はどこまで」、「(3)どう棄てる放射 能」。 

312 「特別番組:「原子力船「むつ」〜10 年の軌跡」(1978 年)、「ふるさとネットワーク:むつ関根浜百年の語り〜松 橋勇蔵・一人芝居の旅から」(1984 年)など。 

313 「NHK特集:追跡 核燃料輸送船」(1985 年)参照。 

314 4 回シリーズはそれぞれ「(1)米ソ対決を海に見た」、「(2)ヨーロッパ核戦争のシナリオ」、「(3)核の恐怖の果 て」、「(4)21 世紀の平和の構図」。 

315 「土曜リポート:ザ・デイ・アフター〜アメリカ・核戦争映画に議論沸騰」(1983 年)。『ザ・デイ・アフター』は東西 間の緊張が高まり、核戦争が勃発したとの設定下で、核爆発前後数日間のカンザスシティの様子を描いたもの。米ABC テレビで放送され、46%という高視聴率を記録した。 

ドキュメント内 2000年度 (ページ 107-116)