第 1 章 公的記憶の生成と表象
第 3 節 「周辺の記憶」はどのように発見されるのか
「国家の記憶」は、それが「国民史」、「正史」とほぼ同等であると述べたことからも明 らかであるように、およそ「歴史」と呼ばれるものが記録として残されるようになった昔 から、常に光を当てられ、公文書館や古文書館、博物館等々で大切に保管され、維持され てきた存在であった。しかし、ここで述べる「周辺の記憶」はそうではない。これらの記 憶は、公式文化のベールを剥ぎ取ったその深部に潜むもうひとつの文化として、特別の場 所で用心深く護られてきた記憶なのである。「注意深く記念しないと、歴史がそれらを一掃 してしまう」95ものなのであり、「ある文明の記念碑的とでもいうべき壮麗な様相の影に、
94 大濱(2002)、p.254 参照。
95 ノラ(2002)、p.37 参照。
それとは異なるもうひとつの文化、覆い隠され、押しひしがれながらも、抵抗することを 止めないもうひとつの文化」96として注意して痕跡を見出さなければならないものなのであ る。これらの記憶は、「国家の記憶」が考慮に入れる必要を全く認めなかったような記憶で ある。先にも述べたように、「国家の記憶」はこうしたマイノリティや「物語りえぬもの」
の記憶を抑圧、忘却する上に築かれてきたものだからである。
「国家の記憶」とは異なるこうした記憶の存在が脚光を浴びるようになったのは、第二 次大戦の惨禍を経た後、すなわち1950年代以後のことであろう。歴史研究の対象を生活す る人間の日常の事象や心性に向けると同時に、近代史の視野を一国史の枠組みから広域史 に拡大する上で、こうした記憶の存在は無視できない存在となった。ジョン・ボドナーはこ れらの記憶を、公式文化に対して「個別民衆的文化97」と呼んでいるが、この個別民衆的文 化の特徴は、「社会的現実がいかにあるべきかではなく、皮膚感覚としてどのようなもので あるかを表現する」98ことにあり、「聖化されて永遠の時を刻む公式の文化にとって、この 個別民衆的文化の存在は脅威」99であると考察している。
「国家の記憶」から抑圧・排除される形でマイノリティによって護られており、注意深 く見つめないと時にその痕跡を見出すことが困難な、それでいて民衆の皮膚感覚として公 式の物語を揺さぶり、破壊する力を秘めた記憶。筆者は本論文において、これらの記憶を
「周辺の記憶」と呼ぶことにする。ミシェル・フーコーは「歴史」を勝者・支配者のもの であり、これらに競合する異なった記憶の存在を「対抗記憶(counter-memory)」と名付け た。しかし、これらの記憶はいつも「国家の記憶」と対抗関係にあるというわけではなく、
また対抗するだけの力を持ちえるというわけではない。これらの記憶は、「対抗記憶」とな って「国家の記憶」とせめぎ合ったり、あるいは互いに取り込んだり取り込まれたりする 可能性を秘めているというだけであり、それはこれらの記憶がどのように見出され、どの ように受容されていくかに依る。従って、筆者は本論文において、歴史の中心に位置しよ うとする「国家の記憶」とは異なるものとして、その周辺に存在してきた個人や集団の記 憶を指して、「周辺の記憶」という言葉を用いたいと思う。これは、言うまでもなく国際関 係論の分野において、近代化論への批判として生じた従属論における「中心(center)−周辺
(periphery)」のモデルから発想を得ている。これまでに論じてきたように、20世紀の後半か
ら「歴史の記憶」のあり方をめぐる議論が盛んになった背景には、「知」における従属関係 への批判的視座が作用していると筆者には思われるのであり、「歴史の記憶」においてもま た記憶の従属関係を打破しようとする下からのベクトルが作用しつつあると考えられるか らである。
さて、ここで改めてどうして「周辺の記憶」の存在を見出すことが求められるようにな ったのかを、考えてみたい。先述したように、「周辺の記憶」の存在が注目を集めるように
96 ル・ゴフ(1992)、pp.8-9 参照。ジョルジュ・デビューの講演「歴史認識における座標軸の転換」(1982)より。
97 原著では「個別民衆的」は「vanacular」と表現されている。
98 ボドナー(1997)、p.29 参照。
99 前掲書、p.29 参照。
なったのは、第二次大戦の惨禍を経た 1950 年代以後のことであると考えられる。そして、
このことは、第二次大戦がそれ以前の戦争と比較しても比類なきほどに勝者・敗者を問わ ず膨大な数の被害者を生み出したことと関係しているだろうし、その被害者たちの多くが いわゆる「人道に反する罪」の犠牲になったこととも関係していると思われる。例えば、「ホ ロコースト」がそれまでの犯罪と異なっていたことのひとつは、虐殺がその痕跡すら残さ ずに計画的に遂行されようとしていた点であった。「死者たちとともに彼らについての記憶 をも消し去ることが全体主義の警察の最も重要かつ困難な任務のひとつだった」100のであ り、実際、家族や親戚、友人全てが抹殺された為に、この世に存在したことすらもはや痕 跡を残さずに消えていった名もなき被害者たちが大勢いたのである。「原爆投下」もこの点 については同様である。家族・親戚全てが一瞬で灰と化し、その安否を探されることもな く痕跡を消し去ってしまった多くの被害者たちがいた。20 世紀は第一次大戦に始まる「戦 争の世紀」とも呼ばれる。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、中東戦争、湾岸戦争、そして数多 くの民族紛争や内戦。こうした20世紀の歴史の暴力は、膨大な数の被害者を「物語りえぬ もの」101として置き去りにしてしまったのである。もちろん、「物語りえぬもの」は死者だ けに限られない。生存者もまた、自身のトラウマとなった記憶を他者と分有することがで きないままに、「物語りえぬもの」の記憶が社会のあちこちに取り残されることとなったの だ。
しかし一方で、20 世紀における数多くの民主主義国家の誕生と急速な情報通信技術の発 展は、「大衆社会」を生み出した。大衆は世界中から情報を受信し、そして世の中に自分達 の意見を表明できる機会と手段を得たのであり、抑圧され管理されるだけの民衆ではなく なってしまったのである。こうして、民衆は自分達の歴史を公的空間で語り始めたのであ り、歴史研究をする者たちにとって、これらの声はもはや無視できない存在となった。こ うして「物語りえぬもの」として偏在してきた記憶の数々は、掘り起こされることになっ たのである。
それでは、「周辺の記憶」はどのように掘り起こされ、見出されていくのだろうか。第 1 節で概観したように、「周辺の記憶」を見出すためには、従来の近代歴史学の視点にとどま ることなく、社会学や人類学の視点を取り入れることが求められる。すなわち、ある社会 の出来事を理解するにあたって、その社会が自らについて言明していることをそのまま受 け止めるだけでは不充分なのであり、常に迂回して観察しようとするアプローチが必要に なってくる。フランスの歴史家ジョルジュ・デビューは、この点について「テクストの沈黙 をこそ読み解いて行かねばなりません。ディスクール分析においても、言われていないこ と、隠されていることに注目していかねばならないのです。」102と述べている。このように 考えれば、およそ全ての日常的民衆文化が観察の対象になりうる訳だが、「周辺の記憶」を
100 高橋(1995)、p.9 参照。
101 高橋哲哉は『記憶のエチカ』(1995)の中で、「物語りえぬもの」の問題系を提起している。また、宮本久雄・岡部 雄三編の『「語りえぬもの」からの問いかけー東大駒場<哲学・宗教・芸術>連続講義』(2002)では、高橋も含め東 大の研究者が様々な専門分野の立場から「語りえぬもの」の痕跡について考察しており、参考になる。
102 ジョルジュ・デビュー講演「歴史認識における座標軸の転換」、ル・ゴフ(1992)、p.10 参照。
見出し、かつ一般の人々に普及させる場として機能するという視点から見た時、無視でき ない役割を果たすものとして想起されるのは、ジャーナリズム、文学・映画・美術等の芸 術文化、私立の博物館・資料館、平和運動などであろう。ここでのジャーナリズムとは勿 論、統制や検閲の下にない「自由かつ良心に基づいたジャーナリズム」のことである。ま た、文学・映画・美術といった芸術文化の分野においても、高尚な「芸術文化」のみでは なく、アニメや漫画、広告といった大衆文化にまで幅広く目を配る必要がある。第1節で も触れたように、米国では「ドキュドラマ」と呼ばれるジャンルが確立しており、スター ケンは、ドキュドラマ映画は歴史的予備知識に欠ける大衆や若者にも視聴される為、戦争 に関する大衆的な解釈を生み出す能力を持っており、歴史学のテキストよりも文化的意義 が大きいと指摘している。日本の状況を考えても、今日の日本文化に漫画やアニメーショ ンが果たしている役割の大きさを考えれば、その影響力は小説や絵画よりも明らかに大き いと言わざるを得ず、これまでは「サブカルチャー」と称されて下位に位置付けられてき たこれらの文化にも積極的に注目していく必要がある。更には、デジタル放送やインター ネット等の双方向メディアが急速に発達を続けている現状は、こうした「周辺の記憶」の 力が今後一層増大していく未来を予見させていると言える。
また、私立の博物館や資料館の存在にも着目したい。これらの博物館や資料館では、国 立・公立の博物館・資料館が公式見解の制約によって展示することを憚るような内容も積 極的に展示することが可能である。特に、日本においては埼玉県の「原爆の図 丸木美術館」
や沖縄県の「ひめゆり平和祈念資料館」に代表されるように、民間の博物館が多くの来館 者を惹き付け、児童の平和学習にも積極的に活用されてきた事実がある。これに対して、
公立の博物館・資料館は国立と私立の中間に位置するものと考えられるが、地域の市民運 動や平和運動と密接に結びついた巡回展示が発端となって、常設展示化への要望に応える 形で自治体が博物館・資料館を設立するケースも増えてきている。こうした動きは特に1990 年代以後に活発になり、「大阪国際平和センター」の成功等は既存の博物館・資料館の展示 のあり方にも刺激を与えてきた。公立の博物館は規模の面では私立よりも多くの入館者数 を見込めることもあり、こうした公立の博物館・資料館の存在は、「周辺の記憶」を見出し 普及する場として今後も大きな役割が期待されている。