• 検索結果がありません。

国語教育におけるヒロシマ・ナガサキの表象

ドキュメント内 2000年度 (ページ 49-53)

第 2 章  教科書におけるヒロシマ・ナガサキの表象

第 3 節 国語教育におけるヒロシマ・ナガサキの表象

第1項 国語教科書の中のヒロシマ・ナガサキ

  国語教育は自国の文化を継承し愛国心を育成する上で重要な役割を果たすと考えられて おり、教科書の中には戦争や平和を扱った題材も多く取り上げられる。そして、その中に はヒロシマやナガサキを扱ったものも散見され、国民のヒロシマ・ナガサキ観にいくばく かの影響を与えていると思われる。 

123 1957 年発行の小学校社会科『新しい社会 六年下』の中でも、「戦争で死んだりけがをしたりした人の数」という 資料において第一次世界大戦と第二次大戦の死傷者数を各国間で比較している。しかし、民間人と兵士は区別されて おらず、中国の死傷者数が 300 万人であるのに対して、ドイツは 1000 万人とされているなど、統計値が不完全である。 

124 関連資料「第二次世界大戦での主な国の犠牲者数」の中で、各国の兵員・一般市民別死亡者数を掲載しているが、

これによれば日本が兵員死亡数約 230 万人、一般市民死亡数約 80 万人なのに対し、ポーランド、ソ連、中国の死亡者・

行方不明者の合計値は兵員・一般市民合わせて、それぞれ 600 万人、2000 万人、1000 万人であることを紹介している。 

国語教科書に取り上げられた題材を時系列で追っていくと、その時代・その教科書ごと に、子どもたちに「戦争と平和」について考えさせようとする定番の読み物があるように 見受けられる125。その中で、特にヒロシマ・ナガサキを取り上げた題材としては、小学校で は、壺井栄の『石うすの歌』(光村図書:1976〜2000)や、いぬいとみこの『川とノリオ』

(教育出版:1980〜最新、大阪書籍:1999〜最新、日本書籍:1999〜2003)の 2 つがおな じみの教材である。『石うすの歌』は、いなかに住む主人公の家に広島の従姉妹が疎開して くるが、送り届けた後に広島へと戻った従姉妹の母親はその朝原爆で亡くなってしまうと いう物語である。『川とノリオ』もまた、戦争によって親を奪われた子どもや子どもを奪わ れた親のやり場のない悲しみを描いた点で共通している。主人公のノリオの父は出征し、

ノリオは母と祖父と暮らしているが、ある日母は配給を手に入れる為に広島の中心部へと 出かけ、原爆にあう。祖父が広島まで探しに行くが結局母は戻ってこず、やがて父も小さ な箱になって戦地から戻ってくるという物語である。また、最近では原爆ドームの世界遺 産化をとりあげた大牟田稔の『平和のとりでを築く』(光村図書:2001〜最新)や、今西祐 行の『ヒロシマのうた』(東京書籍:1999〜最新)などが新しい定番になりつつある。『ヒ ロシマのうた』は、被爆直後の広島に救護の為に送り込まれた水兵が主人公である。彼は 救護中に保護した赤ん坊を見知らぬ夫婦に託すが、時を経てその子に再会を果たす。そし て、原爆が生き残った人々に与え続けてきた心の傷に思いを馳せるという物語である。 

中学校では、嵯峨信行の詩『ヒロシマ神話』(光村図書:1977〜1996)や、松山善三の『

いしぶみ

』(東京書籍:1981〜最新)などが 20 年近くに渡って取り上げられた定番と呼べる教材 である。『ヒロシマ神話』は、一瞬のうちに気体になってしまった人や石段に影を焼き付け て消えてしまった人たちが「われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ」と訴え る詩であり、原爆による死がいかに人間の尊厳を奪うむごい死であったかを語りかけてい る。『碑』は、広島テレビ放送で制作された同名番組の台本からの抜粋であり、原爆投下日 に爆心地近くの本川土手で建物疎開作業を行っていた為に全滅した広島二中の一年生 322 人の足跡を追った記録文である。その他には、学校図書版で米国の報道写真家ジョー・オ ダネルによる『目撃者の眼』126や井伏鱒二の『黒い雨』、石垣りんの詩『挨拶−原爆の写真 によせて』127等が取り上げられている。 

また高校の国語教科書(現代文)においては、第一学習社では原民喜の『夏の花』(1977

〜最新)を始めとして、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』(1977)、藤野としえの『星は見

125 小学校で出版社・時代を問わずよく取り上げられるのは、19 世紀末のフランス・プロシア戦争を扱った『最後の 授業』(アルフォンス・ドーデ)であり、90 年代以降では学校図書版の『世界を結ぶ』(湯川秀樹)、『ロシアパン』(高 橋正亮)、『アジアを見つめる、アジアから考える』(榎井縁)、大阪書籍の『Oじいさんのチェロ』(ジェーン・カトラ ー)などがよく登場している。中学校東京書籍版では、60〜70 年代にはシベリア抑留を扱った『赤帯の話』(梅崎春 生)が数回とりあげられ、90 年代以降は、東京大空襲を扱った『僕の防空壕』(野坂昭如)や『ごはん』(向田邦子) 反戦詩『わたしが一番きれいだったとき』茨木のり子、『木を植えた人』(ジオノ)などが扱われている。 

126 オダネルは被爆直後の長崎市に入り、多くの写真を撮影した。本文は、オダネルが取った写真の中でも特に有名な 1 枚である、死んだ幼子を背負った少年についての回想録である。 

127 1952 年の作品であるこの詩は、作者が職場の壁に戦後初めて公開を許された原爆の写真と共に壁新聞として掲示 した作品である。多くの核兵器を保有する社会で、ヒロシマの恐怖がいまだ全ての人が直面している問題であること を訴えている。 

ている』(1979)、井伏鱒二の『黒い雨』(1986〜2000)、金子兜太の現代俳句128(1983〜1992)、 竹西寛子の『広島が言わせる言葉』(1995〜1998)、林京子の『ギヤマンビードロ』(1982〜

1998)等々、30 年近くに渡って何らかのヒロシマ・ナガサキ関連の題材が取り上げられて いる。『黒い雨』は東京書籍・筑摩書房、『夏の花』は東京書籍でも頻繁に取り上げられて いる定番の教材と言え、筑摩書房では大庭みな子の『プロメテウスの犯罪』129を 90 年代に よく取り上げている。また、出版社や年代を問わず、中学・高校双方でよく取り上げられて いるのが、科学の発展と人間の幸福との関係を考察する上で原子力について考えさせる素 材である。これらは例えば、朝永振一郎の『科学と人間』(中学校東京書籍版)、湯川秀樹 の『原子力と人類の将来』、『科学と人間の幸福』(共に高校東京書籍版)、『科学文明の中の 人間』、『科学と人生論』(共に第一学習社版)、『科学の中の人間』(大修館書店版)等である。

更に、こうしたヒロシマ・ナガサキ関連の読解教材を取り上げた教科書の多くは、口絵に 原爆ドームや平和祈念式典の写真や『原爆の図』の絵を掲載していることも注目に値する。 

これらのヒロシマ・ナガサキを扱った読解教材は、描かれる時代、主人公、語り口等様々 であり一般化することは困難だが、それでも全体を見渡してみると、その語りの中心をな すものは以下の 2 つに集約されると思われる。ひとつは、「原爆の未曾有の惨禍が一般市民 にどのような長期に渡る悲しみをもたらしたか」ということであり、今ひとつは「世界が ヒロシマ・ナガサキの再来という悪夢を今も抱えているのにも関わらず、無関心に生きてい る現代人への警鐘」である。これらは、社会科・歴史教科書における客観的な語りの通奏 低音として、より感情的な側面で国民の被害者としての記憶をつくりあげ、反戦・反核志 向を育成するのに大きな役割を果たしてきたと見ることができる。 

第2項 読書感想文課題図書

国語教科書に取り上げられた題材以外で無視できないのが、読書感想文指定本の存在で ある。日本の国語教育では、夏休みなどの長期休暇の課題として読書感想文が奨励される ことが多い。そして、この課題図書として戦争・平和を扱った図書が推薦されることが多 くあり、ヒロシマ・ナガサキもその例外ではない。そこで、本論では全国的に最も多くの 学校が参加していると見られる「青少年読書感想文コンクール」の指定図書が開始された 1962 年〜2008 年の 47 年間にヒロシマ・ナガサキ関連の課題図書がどのように取り上げら れてきたかを検証した(次頁表1参照)。その結果、ヒロシマ・ナガサキ関連の図書が指定 されたことは 8 回、アジア・太平洋戦争、第二次大戦関連全体では 29 回であることがわか った。 

   

128 金子兜太の「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」という俳句は、1963 年出版の『金子兜太句集Ⅱ』に掲載されてい る句である。金子は当時被爆後 13 年の長崎に住んでおり、この句は爆心地に近い丘の上の社宅からマラソンの一団を 見て呼んだ句である。 

129 この中で大庭は「広島は天災に見舞われたのではなく、あきらかな人間の意志によって、人間が人間の頭脳で造り だした破壊の威力を証明するために選ばれたのである」(『新編国語Ⅰ改訂版』1998 年発行版、p.183)と論じている。 

 

表2  「青少年読書感想文コンクール」におけるアジア・太平洋戦争、第二次大戦をテー マとした課題図書の一覧 

学年 タイトル 著者 内容

1963 高校 戦没学生の遺書にみる十五年戦争 わだつみ会 学徒出陣

1965 高3 落日の戦場 伊藤桂一 南方戦争

1967 高2 わがいのち月明に燃ゆ 林尹夫 学徒出陣

1969 小学校 ゲンのいた谷 長崎源之助 学童疎開

1969 高2 われなお生きてあり 福田須磨子 長崎原爆

1971 小3 八月がくるたびに おおえひで 長崎原爆

1973 高3 れくいえむ 郷静子 軍国少女・横浜空襲

1977 中学校 石切り山の人びと 竹崎有斐 戦時下の熊本での生活

1977 中学校 兄貴 今江祥智 大阪空襲・疎開

1978 小学校低学年 砂の音はとうさんの声 赤座憲久 祖父の戦死

1978 中2 ガラスのうさぎ 高木敏子 東京空襲

1979 小学校高学年 さよならは半分だけ:青葉学園物語 吉本直志 原爆孤児養護施設

1979 中1 太陽の子 灰谷健次郎 沖縄戦

1979 高1 ベル・リア:戦火の中の犬 バンフォード 独仏戦 1980 高3 1945年8月6日:ヒロシマは語りつづける 伊東壮 広島原爆

1981 小学校低学年 ひろしまのピカ 丸木俊 広島原爆

1982 高3 いくさ世を生きて:沖縄戦の女たち 沖縄戦

1983 小学校低学年 ちいちゃんのかげおくり あまんきみこ 都市空襲

1983 中2 900日の包囲の中で イワノフ 独ソ戦

1983 高2 明日:1945年8月8日・長崎 井上光晴 長崎原爆 1984 小6 ぼく日本人なの?中国帰りの友達はいま・・・ 手島悠介 中国残留孤児 1984 中2 にげだした兵隊:原一平の戦争 竹崎有斐 戦争を生き抜いた兵卒 1987 高1 ゼルマの詩集:強制収容所で死んだユダヤ人少女 アイジンガー ホロコースト

1988 小学校高学年 望郷:中国残留孤児の父・山本慈昭 和田登 中国残留孤児

1991 高2 やすらかに今はねむり給え 林京子 長崎原爆

1993 高3 幻のオリンピック 川成洋 1936年バルセロナ五輪中止 1997 中3 ナガサキに翔ぶ:ふりそでの少女像をつくった中学生たち山脇あさ子 長崎原爆

1997 高2 私は13歳だった−少女の戦後史 樋口恵子 大陸からの引揚げ 2003 小学校高学年 ハンナのかばん:アウシュビッツからのメッセージ レビン ホロコースト  

※網掛けがヒロシマ・ナガサキ関連の図書。表は<http://www.sla.gr.jp/shiryo/history̲contest/>を元に筆者が 作成した。 

 

更にそれらの図書が扱うテーマには、以下の変化を見出すことができる。すなわち、60

〜70 年代にかけては日本兵や銃後の人々の悲しみや苦労を描いたものが中心だが、70 年代 末から 80 年代にかけては、沖縄や中国残留孤児が取り上げられるようになり、ヨーロッパ での出来事にも視線が向けられている。90 年代以降はアジア太平洋戦争、第 2 次世界大戦 をとりあげる回数が減るかわりに、難民・人権・国際援助・地雷といったグローバルイシ ュ−ズがとりあげられるようになっている。課題図書の選択も時代の影響と無縁ではいら れない中で、ヒロシマ・ナガサキは周期的に取り上げ続けられるテーマだと言えよう。し かし、2005 年は広島・長崎の原爆ではなく、「チェルノブイリ事故」がとりあげられたのが 注目される130。歴史教科書の中でも日本の被爆の唯一性を強調する語りは消滅しつつあり、

ヒバクを世界の問題として捉えようとする視点は、読書感想文課題図書の選択にも反映さ

130 2005 年の小学 6 年生向け課題図書はチェルノブイリ汚染をテーマにした『アレクセイと泉のはなし』(本橋成一)

であった。 

ドキュメント内 2000年度 (ページ 49-53)