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広島平和記念資料館

ドキュメント内 2000年度 (ページ 61-65)

第 3 章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象

第 2 節 広島平和記念資料館

  広島平和記念資料館の前身となる「原爆参考資料陳列室」は、1949 年に基町の中央公民 館内の一室に開設された。これは、当時広島文理科大学に嘱託として勤務していた地質学・

鉱物学者の長岡省吾氏が焼け野原にころがる原爆瓦や石を収集し、それらを机やいすの上 に紙を敷いて並べただけの展示場であった。やがて、この小さな陳列室は中央公民館の北 隣に独立し、新たに「原爆記念館」として開館した。同年8月6日、憲法第95条に基づく 特別法として、原爆により壊滅した広島市の復興を促進するための「広島平和記念都市建 設法」が公布・施行された。これによって、国の財政支援を得ながら平和記念公園の設計 と建設が行われることとなり、当時東京大学助教授であった丹下健三氏のグループが設計 競技で選出された154。そして、1951年からこの公園内に新たな資料館の建設が始まり、1955 年6月に現在の東館に当たる「広島平和記念館」、8月に現在の本館にあたる「広島平和記 念資料館」が原爆記念館の資料を引き継ぐ形で開館したのである。広島平和記念資料館の 設置にあたっては「広島平和記念資料館条例」が採択されたのであり、この中にその設置 目的は「原子爆弾による被害の実相をあらゆる国々の人々に伝え、ヒロシマの心である核 兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため」155と明文化されている。また、この目的 に基づいて実施される事業としては、「原子爆弾による被災及び平和に関する資料の収集、

保管、展示及び供用」、「原子爆弾による被災に関する調査研究」、「平和学習、被爆体験の 継承等平和を考える場の提供」、「その他市長において必要と認める事業」156の4つが規定 されている。

資料館の初代館長には、市民有志とともに被爆資料を集め続けてきた長岡氏が就任し、

開館当初は簡素な展示であったにも関わらず、初年度から11万人を超える人々が来館した。

開館3 年目の 1958年には、平和記念公園などを会場に「広島復興大博覧会」が開催され、

広島平和記念資料館は原子力科学館として使用された。このことには今日の感覚からする とやや違和感を覚えるが、当時は原子力の平和利用への期待と楽観が強く、広島において もそれは例外ではなかったということであろう。1971 年には、住友銀行広島支店にあった

「人影の石」が改築にともなって資料館に寄贈され、翌72年にはNHK広島と広島大学原爆

154 丹下健三は平和記念資料館のデザインについて、「廃墟のなかから立ち上がってくる力強いものをコンクリートを 頼りにして創ってみたかった」と述べている。⇒広島平和記念資料館ホームページ参照(2008 年 12 月 8 日閲覧) 

155 広島市(2007)、「広島平和記念資料館更新計画」p.67 参照。 

156 広島市(2007)、前掲資料参照。 

放射能医学研究所の共同プロジェクトである「爆心地復元運動」の成果として、平和記念 公園一帯の被爆前の地図が寄贈され、新たな展示の目玉となった。また、1970 年からは館 内に来館者が自由に書き込みができる「対話ノート」を設け、様々な言語で平和への思い が綴られる場として定着した157

1973 年〜75 年にかけては、設備の老朽化が目立つようになった為、被爆 30 周年の節目 ということもあって、初めての大規模な改修工事が行われた。この際に、照明や空調等の 資料保存の環境を整える工事が行われたのに加え、展示内容についても科学的に原爆の被 害がわかるような改良が行われた。ちょうどこれと前後する時期に、終戦直後に米国が収 集して持ち帰っていた被爆関係の資料が日本の要求により数多く返還された。この中には 被爆直後の広島の惨状を撮影した写真1,879枚も含まれており、以後遺品と並んで記念館の 展示資料の重要な柱となった。実物資料についても、大切な肉親の遺品を資料館に寄贈す る人が後を絶たず、こうして記念館の展示資料は徐々に増えていった。

やがて、隣接して建っていた広島平和記念資料館、広島平和記念館、国際平和文化会館

(現在の国際会議場)の 3 つの施設の目的・機能などを明確にし、資料館と記念館の展示 を連結させた方がよいのではないかという案が浮上し、度重なる検討の末に1986年に「広 島平和記念施設展示基本構想」が策定され、これをもとに今後の資料館の改装や展示につ いての議論が行われることになった。

1990 年には、目立ち始めた展示スペースの狭さや施設の不備に対処するため、資料館は 2度目の大改修工事に着手した。まず、翌年にかけて展示室の全面改装を行って立体模型(原 子爆弾リトルボーイなど)や大画面映像資料を導入し、被爆体験のない世代にも視覚的に 分かりやすいように展示のビジュアル化を図った。更に、広島平和記念館の建替えと展示 工事を行って平和学習の場としての機能充実を図り、1994 年にはいよいよ広島平和記念資 料館と広島平和記念館を一体化して、両施設を併せて「広島平和記念資料館」と名称変更 した。同年6 月に東館が開館し、展示のルートは「東館1階→東館 2 階→西館(現在の本 館)」と辿るコースに設定された。これによって、来館者はまず入館すると東館で「被爆ま での広島」、「廃墟の広島」、「戦争・原爆と市民」、「核時代」、「平和への歩み」という 5 つ の展示コーナーを見て、原爆投下と核時代の始まりについて背景となる知識を学習し、そ の後に西館で「1945年8月6日」と題した遺品や被爆資料を中心に被爆の惨状を伝える展 示を見るということになる。この時に設定された展示の流れは、今日も広島平和記念資料 館の展示の基盤となっている。以下にそれぞれのコーナーの展示内容を詳しく見ていこう。

「被爆までの広島」のコーナーでは、マンハッタン計画の経緯や戦争早期終結説、対ソ 原爆外交説等原爆投下が急がれた理由、軍事都市であったことや原爆の破壊力を試すのに 地形が適していたことなど広島に原爆が投下された理由を説明する資料が、文章による解 説パネルを中心に展示されている。続く「廃墟の広島」のコーナーでは、8 時15分に止ま った時計や原爆ドームの模型、被爆後の中島地区周辺のジオラマ等を使用して、原爆投下

157 対話ノートは、現在累計で 1000 冊を突破している。 

による被害の概況を把握できるような展示が工夫されている。次いで来館者が 2 階へと足 を進めると、「戦争・原爆と市民」と題したコーナーの中で、被爆者や原爆孤児のみならず 復員軍人や引揚者、疎開先から広島市に戻ってきた人々も皆、家や職場を失ったのであり、

これらの市民が敗戦、占領という変動の中でどのように生活の再建に取り組んできたかが 展示されている。「核時代」のコーナーでは、原爆投下によって世界は「核時代」に突入し たと位置付け、核保有国による軍拡競争の歴史や現在もなお残る核兵器の脅威について歴 史を追った展示を行っている。「平和への歩み」のコーナーでは模型や写真を効果的に用い て、広島市がどのような平和への取組みを行っているのかを紹介している。来館者はこの 後、渡り廊下を通って本館に足を踏み入れる。本館の展示は、全体の中でも主となる展示 だと位置付けられている。すなわち、遺品や被爆資料を通じて1945年8月6日に広島に何 が起こったのかを伝える展示である。来館者はまず原爆被災者の状況を示すジオラマ、破 壊された広島市街地の模型パノラマの横を通る。そして黒焦げになった弁当箱や焼け焦げ た学生の制服などの遺品が陳列してある場所へと誘導される。更に、人影が残る石や爆風 で折れ曲がった鉄の扉、溶けたガラス瓶などの被爆資料を通じて、熱線による被害や爆風 による被害の惨状を知ることになる。そして、佐々木禎子さんの折り鶴や白壁に残った黒 い雨の跡の展示からは、目には見えにくい放射線の被害について理解を深めるのである。

西館の展示の締めくくりは長い廊下の壁に展示された「市民が描いた原爆の絵」であり、

来館者は絵を見た後に被爆者の証言を自由に見ることができるコーナーを経て、出口へと 向う。

広島平和記念資料館の運営は広島市が行ってきたが、1998 年に財団法人広島平和文化セ ンターに委託されることとなり、この変革によって財団独自の人員採用が可能となった。

広島・長崎の資料館は博物館法に基づく博物館ではない為、専門学芸員の配置は義務付け られていない。従って、これまでは資料館に配置されていたのは基本的に市職員であり、

彼らには定期的な人事異動がある為に、なかなか知識と経験が資料館に蓄積していかない という問題点が長年指摘されていたのである。これを改善する為に2000年に専門学芸員が 採用され、資料のデータベース化や企画展の展開を継続的かつ積極的に行うことが可能と なった。その後、2002年には「放射線による被害」のコーナーの展示更新を行い、2004年 には「被爆前の広島」のコーナーにおける「原爆投下の理由」の展示を更新して今日に至 っている。

専門学芸員の問題は改善に向かったものの、資料館は他にも様々な課題を抱えていた。

そこで、これらの問題に対応する為に資料館は2003年頃から大幅な更新に向けて動き出し、

有識者によって構成された検討委員会の3度に渡る会合を経て、2007 年に「広島平和記念 資料館更新計画」を策定した。今後はこの計画に基づいて、更新が図られていく予定であ る。以下に、この資料に基づいて、広島平和記念資料館が現在抱える課題と、将来の青写 真を具体的に見ていこうと思う。

まずひとつめの課題は、建物の老朽化である。同館は建設から既に 50 年以上が経過し、

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