第 3 章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象
第 3 節 長崎原爆資料館
長崎市の平和公園にある長崎原爆資料館の前身となる施設は、1949 年に爆心地公園に開 設された長崎市原爆資料館である。この年、長崎市においても広島市と同様に憲法第95条 の特別法に基づく「長崎国際文化都市建設法」が公布され、その事業の一環として1951年 に長崎国際文化会館の建設に着手した。その建設の目的は「原爆の惨禍から立ち上がった 市民の復興への意欲と、世界恒久平和の念願を象徴するため」162であった。長崎国際文化 会館は1955年に完成し、長崎市原爆資料館の被爆資料を引き継ぐ形で同館の5階に開館し た長崎国際文化会館原爆資料室が、今日の長崎原爆資料館の始まりである。開館当初は市 民から寄贈された遺品や写真を中心とした展示内容であったが、資料が増えるにつれて 5 階だけでは手狭になった為、1973 年に同館の2 階・3階にも展示室を拡充した。更にその 後、来館者の動線の不便さなどを解消する目的もあって、1975年の原爆被爆30周年記念を 契機として、2階から4階までの3フロアを資料展示室、5階を視聴覚室と図書室に配置し
161 広島市役所ホームページ 「年度別広島平和記念資料館入館者数」、「広島平和記念資料館修学旅行等団体入館状況」
参照。
162 長崎市原爆被爆対策部(2008)、「平成 20 年版 原爆被爆者対策事業概要」p.99 参照。
直して、新たに原爆資料センターとしてリニューアルオープンした。やがて、長崎国際文 化会館の建物全体が老朽化したことや、更なる展示機能の充実を図って「戦争・平和に関 する発信基地としての機能を強化する」163必要性などから、「被爆 50 周年記念事業」の一 環として約66億円の事業費をかけた建替えが行われ、1996年に地上2階、地下2階建ての 長崎原爆資料館が開館したのである。
長崎国際文化会館原爆資料室、原爆資料センター時代のパンフレットは保存されていな い為に当時の展示の詳細を追うことは困難だが164、小学生の時に2回(1970年代後半)、大 学生の時に1回(1988年)、計3回資料館を訪れた筆者の記憶に基づけば、ガラスケースに 陳列された遺品や写真パネルが中心であり、広島のような模型やジオラマなどは多用せず、
解説パネルも適量にとどめた比較的簡素な展示内容であったと思われる。11 時2分で止ま った柱時計などの展示遺品の詳細は、東松照明の写真集『<11時02分>NAGASAKI』(1966)
の中に見ることができる。また、外国人被爆者に関しては、爆心地付近にあった捕虜収容 所での被爆については言及していたが、アメリカ人・オランダ人・イギリス人などの捕虜 の被爆についてのみであり、数の上では圧倒的に多かった朝鮮人や中国人については黙殺 していたとの証言がある165。以下では主に、長崎国際文化会館の建替えに伴う展示の変更 について詳細を検討していこうと思う。
長崎国際文化会館の建替えに関する基本構想は、被爆 50 周年に先立つ1992 年に策定さ れ、翌1993年から取り壊し作業が始まった。建替えの期間中は、長崎国際文化会館に隣接 した長崎市平和開館において仮展示が行われた。基本構想によれば、新しく開館する施設 の基本理念は、「長崎市は、原爆被爆都市の使命として核兵器の脅威と非人道性、戦争の悲 惨さ、平和の大切さを世界に訴える責務がある」166ため、「原爆被爆に関する資料の体系的 な整備、展示、保存を図るとともに戦争の恐ろしさと原爆被爆の体験を次代を担う子供た ちに語り伝え、世界恒久平和実現に努力する国際平和都市長崎のシンボル的な施設」167と なることである。その為に、この施設は「展示機能/学習機能/交流機能/情報提供機能
/いこいの機能/収蔵機能」の6つの基本的機能を持ったものとして策定され、特に展示 機能においては「歴史的事実と国際的視野を踏まえ、被災資料・写真、また映像・音響な どを使って核兵器の脅威と非人道性、戦争の悲惨、平和の大切さをわかりやすく展示する」
168ことを根幹に置く。これに基づいて、展示のあり方としては「核兵器の脅威と非人道性、
戦争の悲惨さを伝えるだけでなく、平和の大切さを考え、積極的に平和を求める心をはぐ くむような訴え方をした展示にする」169こと、そして「入館者の半数を占める修学旅行・
社会科見学の児童生徒や近年増加しつつある外国人にも十分に配慮した展示にする」170こ
163 伊藤一長前長崎市長発言より。長崎市議会会議録 1995 年 9 月 11 日参照。
164 長崎原爆資料館資料係に問い合わせた際の回答内容による(2008 年 12 月 10 日)。
165 岡まさはる記念長崎平和資料館ホームページ参照(2008 年 12 月 10 日閲覧)。
166 長崎市(1992)、「長崎国際文化会館の建替えに係る基本構想及び基本計画(抜粋)」より。
167 長崎市(1992)、前掲資料。
168 長崎市(1992)、前掲資料。
169 長崎市(1992)、前掲資料。
170 長崎市(1992)、前掲資料。
とを目指したのである。
これらの基本構想に基づいて1996年に開館した長崎原爆資料館は、松山町にある長崎平 和公園の中の「学びのゾーン」の一角に位置付けられている171。主となる展示資料室は地 下 2 階に配置され、正面入口から入って緩やかなスロープを下っていくと、下りきった所 から展示が開始する。観覧を終えて再び別の経路からスロープをのぼっていくと、光の差 し込むいこいの広場や、平和学習室、喫茶コーナー、資料館ホールのある地下1階へと戻 る。建物の 1 階には図書室があり、屋上部分は庭園化されており爆心地周辺の景観を遮ら ないような配慮がなされている。
それでは、次に地下2階の展示内容を詳しく見ていこう。展示全体の特徴としては、「被 爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、核兵器開発の歴史、平和希求などスト ーリー性のある展示」172を行っていること、「大型の原爆被災資料、被爆した浦上天主堂の 南側一部の再現造型などにより、被爆直後の長崎の惨状を再現」173していること、「映像資 料を利用したわかりやすい解説を行っている」174ことの3つがあげられている。
展示は全体で大きく3つのパートから構成されている。最初の展示コーナーである「1945 年8 月 9日」は導入部にあたり、原爆投下前の長崎の街や風景、市民の生活、歴史などが 比較的コンパクトに描かれている。そして、その終わりに11時2分を指したまま止まった 有名な柱時計が配置され、これらの風景や市民の生活が一瞬にして破壊されたことを無言 のうちに語りかけるのである。
来館者はこの柱時計の前を通り過ぎて、第二の展示「原爆による被害の実相」のコーナ ーに足を踏み入れる。このコーナーは常設展示全体の半分以上を占めており、主要部分と して位置付けられていると考えてよいだろう。まず、大型スクリーンには原子野と化した 長崎の街が映し出され、ひしゃげた三菱長崎製鋼所の鉄骨アングルや火の見やぐらを始め とする実物の大型被爆資料が、被害の大きさを物語る。次いで、来館者は浦上天主堂の惨 状を再現した造型の前へと導かれる。浦上天主堂については、今なお被爆の惨状を物語る 生き証人として保存しておくべきだったとの声も聞かれ、特に欧米人にとっては焼け焦げ た聖像の与える印象は強いと言われる。こうした声もあって、浦上天主堂の造型は壁一面 を占める大規模な形で再現されたのであろうと推測される。これらの映像や大型被爆資料 を見た後には、「長崎原爆投下までの経緯」がパネルを中心に詳しく説明される。そして、
「被爆した長崎の街」の状況が模型によって再現され、次いで熱線/爆風/放射線による 被害の状況が遺品や写真、図表などを用いて説明される。この展示コーナーの最後では、「救 援/救護活動」に当たった人々の様子、中でも特に有名な「永井隆博士」についての詳し い展示が行われ、「被爆者の訴え」で幕を閉じる。
照明が落とされたやや暗めのこのコーナーを出ると、第三の展示コーナー「核兵器のな
171 「学びのゾーン」は長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和記念館、長崎市平和会館、長崎市立博物館から 構成されており、他に「願いのゾーン」、「祈りのゾーン」、「スポーツのゾーン」、「広場のゾーン」がある。
172 長崎原爆資料館パンフレットより。
173 前掲資料。
174 前掲資料。
い世界を目指して」へと導かれる。展示の冒頭では、「日中戦争と太平洋戦争」と題するコ ーナーで写真や文章を用いた年表式のパネルによって、日本が戦争へと突入していく様子 を順を追って説明している。この中で、旧日本軍の加害行為についても踏み込んでいるの が注目される。続く「原爆投下への道」のコーナーでは、マンハッタン計画、原爆投下地 の選定、原爆投下理由についての解説を行い、これは内容の上では広島の資料館とほぼ共 通しているが、写真や映像を効果的に用いて文章を最小限に抑えているのが長崎の特徴だ と言える。その次には、「核兵器の時代」、「現代の核兵器」、「核兵器開発・実験の被害者た ち」の展示が続く。「核兵器の時代」においては、戦後の核開発競争、これに対抗する市民 の反核運動、冷戦終結後の核拡散や小型核兵器の問題などが年表に沿って描かれる。また、
「現代の核兵器」のコーナーでは核弾頭やミサイルの模型、映像などを用いて、核弾頭の 威力が格段に巨大化する一方で、実戦使用のための小型化も進んでいること、現在もなお 核抑止を主張する国があることなどの課題を展示している。また、「核兵器の使用と威嚇が 国際法や人道に関する諸原則、法規に一般的に反する」とした1996年の国際司法裁判所勧 告と、この勧告を引き出す上で広島・長崎両市長が行った陳述が貢献したことについても 紹介している。「核兵器開発・実験の被害者たち」のコーナーでは、ビキニ水爆実験と第五 福竜丸被災事故に加えて、等身大の人が描かれたパネルを用いて、世界には核実験場周辺 の人々、核実験に投入された兵士、核事故の被害者など多くのヒバクシャが存在すること をわかりやすく紹介する。そして、全ての展示の最後のコーナーでは「長崎から世界へ」
と題して核兵器廃絶と平和のために長崎が行っている様々な活動を紹介して締め括ってい る。
以上に見たように、長崎原爆資料館の現在の展示内容は、手短な導入部を経てすぐ展示 のメインとなる被害の実相を閲覧する流れになっている点、文章パネルを必要最小限に抑 え、映像や写真、模型、ジオラマなどの視聴覚資料を多く活用し、戦争体験のない若い世 代や外国人来館者にも理解しやすい展示手法の工夫がなされている点において、広島平和 記念資料館が抱える課題を乗り越えた展示内容になっていると言える。実際、長崎原爆資 料館の観覧に要する時間は約 1 時間程度とされており175、筆者が実際に観覧した実感から 言っても 1時間あれば一通り見ることができる。これは広島の 3 時間よりも随分コンパク トであり、広島への来館者の平均観覧時間が45分程度であることを考えると、長崎の展示 はより現実に即した内容になっていると言えるだろう。長崎市では2005年に始まった「ナ ガサキ平和学習プログラム」に基づいて小学校5 年生と中学校2 年生が原爆資料館を訪れ ることを奨励しているが、これらの生徒向けのハンドブックや事前学習帳も準備して、短 時間に効果的な平和学習が行えるような工夫も行われている。
しかし、開館してまだ12年の長崎原爆資料館においても、展示をめぐる議論は常に存在 し、またいくつかの課題を抱えたままである。
長崎原爆資料館の展示をめぐる最初の議論は、同館が正式開館直前に行ったマスメディ
175 長崎平和公園ホームページ参照(2008 年 12 月 10 日閲覧)。