第 3 章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象
第 6 節 その他の資料館におけるヒロシマ・ナガサキの展示
本節では、これまで見てきた博物館・資料館以外で、ヒロシマ・ナガサキに関して独自 性のある展示を行っている 3 つの博物館・資料館を取り上げて、その展示の内容を検討す る。
第1項 長崎市永井隆記念館
長崎市永井隆記念館は、『長崎の鐘』、『この子を残して』等の著者として有名な永井隆博 士を記念して建設された資料館である。開館のきっかけは博士の存命中にまで遡る。永井 博士は原爆に打ちひしがれた子どもたちに明るい光をという願いから、私財を投じて「う ちらの木箱」という図書室を開設した。博士の死後、この考えに賛同したブラジル在留邦 人の寄附金と長崎市の援助によって、1952 年に図書室は新たに「長崎市立永井図書館」と して開館することになる。その後1969年、博士の崇高な精神と偉業を永く記念するために、
この図書館は「長崎市立永井記念館」と改称し、博士の遺品や写真等も併せて展示するよ うになった。やがて施設の老朽化が進んだ為全面改装に着手し、2000 年に新たに「長崎市 永井隆記念館」として生まれ変わって、現在に至る。
同館の展示の趣旨は、「近隣に原爆関連施設が多い中、原爆の悲惨さを強調するだけでな く、復興並びに平和建設のために自らの重病と闘いながら人々を励まし続けた博士の生涯 を紹介することによって、平和の尊さを願い、不屈の精神、人間としての生き方等を伝え
199 前掲資料、p.6 参照。
200 前掲資料、p.7 参照。
201 前掲資料、p.7 参照。
る」202ことにある。同館は平和公園や浦上天主堂から徒歩圏内にある 2 階建ての建物であ り、1階が展示室で2階が図書室となっている。展示内容は主に以下のコーナーからなる。
①永井隆の思い出 ②医学と信仰 ③原爆!その時 ④平和への祈り ⑤如己堂での著作活動
⑥永井隆博士からのメッセージ ⑦永井隆博士直筆の書・絵 ⑧永井隆博士の著書
記念館の玄関には、博士の胸像と共に「如己愛人」と記した自筆の書が飾られている。これ は聖書の福音書の中の「汝の近きものを己の如く愛すべし」という節から来ており、博士 が病に伏してからの晩年を過ごした小さな建物に「如己堂」と名付けたのもこれに由来し ている。
「永井隆の思い出」のコーナーでは、長崎市の名誉市民第一号に選ばれた際の市長から の贈り状、内閣総理大臣吉田茂から贈られた表彰状、天皇から授与された銀杯などが展示 され、博士が当時どれほど偉大な人として称えられたかが伝えられている。
続く「医学と信仰」では、放射線科の専門医となったこと、敬虔なカトリック信者とな ったことが博士の人生に与えた大きな影響について紹介している。
「原爆!その時」では、博士が著書の中に書き記した被爆体験を引用しながら、写真や 絵、被爆して溶けた夫人のロザリオ等の実物と共に原爆被害の悲惨さを伝えている。
「平和の祈り」でも同様に博士の著書からの引用を紹介しながら、十字架、楽譜、「平和 を」と記した書などを展示している。このコーナーで目を引くのは、有名な「浦上燔祭説」
が生まれる元になった「浦上教会合同慰霊祭弔辞」の原稿である。この中で博士が「世界 大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさ るべき子羊として選ばれたのではないのでしょうか?」と述べたことがやがて「祈りの長 崎」と呼ばれることにつながり、長崎の被爆者の怒り、怨みといった感情に蓋をしてしま ったとの批判が後に行われたのである。しかし、展示からはこの言葉があくまで教会に集 う信徒に向けて発せられたものであることがわかり、先の批判はこの言葉が著書『長崎の 鐘』のヒットによって一人歩きしていったことで生まれた誤解によるものであろうことが 伝わってくる。
「如己堂での著作活動」では、病に倒れながらも2人の子どもと温かな家族生活を営み、
著作や研究に励む博士の姿が写真や原稿、手紙などと共に紹介されている。
202 長崎市原爆被爆対策部(2008)、「原爆被爆者対策事業概要」p.113 参照。
「永井隆博士からのメッセージ」では、著作の中から心に響く言葉を抜粋したものを紹 介している。注目されるのは、加害意識の表れた次のような一節がいくつか展示されてい ることである。
あの活気にあふれていた町を大火葬場にし、一面の墓原にしたのは、だれだ?・・・
私達だ。「剣をとるものは剣にて滅ぶ」との戒めを冷ややかに聞き流し、せっせと軍艦 を作り、魚雷を作っていた私達市民なのだ。(「花咲く丘」より)
「長崎市永井隆記念館 展示物紹介パンフレット」p.13より
最後の「永井博士直筆の書・絵」のコーナーには、博士が絵を添えて書いた書が多く飾 られている。そこには、子どもたちや自然に対する博士の慈愛や平和への祈りが表現され ている。
記念館の脇には博士の精神の象徴的存在である「如己堂」がそのまま保存展示されてお り、記念館 2 階の図書室はかつての「うちらの木箱」の精神を受け継いで、子どもたちの ための本や平和関係の本を中心に約1万冊の蔵書を有している。同館の来館者数は毎年 16 から18万人前後と国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館をはるかに上回る数字であり、高校 生以下の児童生徒がその 8 割弱を占めている。平和公園地区と隣接していることから、原 爆資料館、浦上天主堂、永井隆記念館をまとめて周遊する修学旅行生や一般観光客も多い と推測され、今なお「祈りのナガサキ」と称される背景には、長崎における原爆展示がカ トリックの「隣人愛」や「赦し」と結びつけて記憶されやすいことが影響を与えているの かもしれない。
第2項 岡まさはる記念長崎平和資料館
岡まさはる記念長崎平和資料館は、1995 年に開館した比較的新しい資料館である。同館 の名前に冠された岡正治氏は、牧師を本職としながら長崎市議会議員を務めた平和活動家 である。岡氏は1960年代頃からいち早く日本の戦争責任・加害責任問題、とりわけ長崎の 地において闇に葬られていた朝鮮人被爆者問題に取り組み始めた。岡氏は自分が代表を務 める「長崎・在日朝鮮人の人権を守る会」における地道な聞き取り調査を重ね、『長崎県朝 鮮人被爆者調査報告書・原爆と朝鮮人』を第6 集まで刊行し、長崎の被爆朝鮮人は約 2 万 人、うち1万人が死亡したという結論を引き出したのである。岡氏は1994年に死没したが、
生前に「時代の逆戻りを赦さず、反戦・反核・平和の実現のための道標となるような民衆 の資料館」を作ることを構想していたという。同館は、岡氏を慕う「長崎・在日朝鮮人の 人権を守る会」の仲間を中心に、その遺志を継ぐ形で建設されたのである。
同館は「日本の無責任な現状の告発に生涯を捧げた故岡正治氏の遺志を継ぎ、史実に基
づいて日本の加害責任を訴えよう」203という趣旨で設立された。この前提には以下のよう な認識がある。
戦争や原爆の悲惨さはいつまでも深く胸に刻み、これを風化させてはなりません。し かし、悲惨な結果を招いた原因が、残虐の限りをつくした日本のアジア侵略にあった こともしっかりと心に刻む必要があります。受けた苦しみの深さを知ることが、与え た苦しみの深さも知ることにつながらなければ、平和を築くことはできません。(中略)
核兵器の使用が正当化されれば再び使用される恐れがあるのと同様に、無責任な態度 が許されるのならば、再び戦争が引き起こされる恐れがあります。
(岡まさはる記念長崎平和資料館ホームページ 設立の趣旨より抜粋)
すなわち、同館が目指しているのは、日本の過去の加害行為と戦後の無責任性を明らかに することによって、日本政府に真摯な謝罪と補償の実現を求めることなのである。
同館は日本の加害責任・補償問題に焦点を絞った資料館である点においても特徴的だが、
もうひとつ、純粋に市民の力だけで作り上げた資料館であることも大きな特徴である。同 館は観光客も多く訪れる「日本二十六聖人記念館」で有名な西坂町の一角にある。もとは 中華料理店だった四階建てのビルを改修して作った小さな資料館であり、企業や行政から の補助は一切受けずに、展示計画、展示物作成、企画から運営まで全て市民の力だけで行 ってきた。その後2003年にNPO法人の認証を取得している。
以上からもわかるように、同館は決して原水爆や核の問題に焦点を絞った資料館ではな い。しかし、岡氏が日本の戦争責任・加害責任の問題を追求していく出発点となったのは
「朝鮮人被爆者問題」であったことから、同館においても「朝鮮人被爆者」は展示の一番 最初のパートで大きく取り上げられている。岡氏は長崎国際文化会館の外国人被爆者コー ナーが朝鮮人、中国人の被爆者を黙殺していることについて、市議会議員として強く抗議 し、展示コーナーを設けるように要請し続けてきた。しかし存命中の実現は叶わず、岡氏 の死後に開館した長崎原爆資料館では朝鮮人被爆者の証言が取り上げられたという点では 進展があったものの、「深刻な事実を明らかにするというには程遠く、かろうじて『朝鮮人 被爆者も存在した』と認知したにすぎない」204ものであった。そこで、同館では隠されて きた朝鮮人被爆者の実態を、生存者の証言などを中心に本格的に展示することにしたので ある。展示の流れを辿ると、来館者は朝鮮人被爆者の実態を知った後、「なぜそもそも彼ら は被爆しなければならなかったのか」を理解する為に歴史を遡ることになる。彼らが強制 連行された長崎でどのように苛酷な生活と労働を強いられたのか、そしてどうして彼らは 強制連行されたのかを辿れば、自然と日本によるアジア侵略とそれに付随して起きた様々 な加害行為が浮かび上がってくる。来館者は、南京大虐殺や慰安婦問題、植民地における
203 岡まさはる記念長崎平和資料館ホームページ 設立の趣旨より。
204 岡まさはる記念長崎平和資料館ホームページ参照。