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日本の博物館・資料館における「戦争と平和」展示の動向

ドキュメント内 2000年度 (ページ 56-61)

第 3 章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象

第 1 節 日本の博物館・資料館における「戦争と平和」展示の動向

館(スイス、イタリア)やガンジー博物館(インド)、全国市民権運動博物館(米国)など がこれにあたる。一方、軍事博物館とは「軍隊・兵備・戦争・軍務など、軍事に関する展 示を行い、軍隊の発展に貢献するために開設され、展示方針として反戦平和的ではない博 物館」138を指す。

村上の研究によれば、世界全体を見渡すと平和博物館より軍事博物館の方が開設数が多 いうえに、歴史も長く規模も大きい。特に英米では軍事博物館は国民から広く支持され、

娯楽の一環として訪問されることも多い。英国には軍事博物館が 300 以上もあると言われ ている139。世界最初の平和博物館は1902年にスイスのルツェルンで開設された国際戦争平 和博物館だとされるが、世界的に多数の平和博物館が開設されたのは1990年代である。こ のことは、この時期に冷戦が終結して第二次大戦とその後の歴史を振り返ろうとする契機 が生まれたことと関係しているのかもしれない。村上によれば、日本にある平和博物館の 多くは、「戦争体験を次世代に継承し、二度と戦争を繰り返してはならないという反省の意 識と、平和希求の意思を展示方針として前面に押し出した施設」140であり、その開設目的 は「戦争体験を継承することにより「消極的平和(戦争がないこと)」の大切さを確認する こと」141である。従って先述の分類に従えば、日本にある平和博物館の多くは「反戦平和 博物館」に該当するものだと言える。

日本の平和博物館の歴史は 1955 年に始まった(巻末付録資料2 参照)。この年に原爆に 関する展示を行う 2 つの資料館、広島平和記念資料館と長崎国際文化会館(現在の長崎原 爆資料館)が開設されたのである。現在この2つの資料館の延べ入館者数は 1 億人を超え ており、入館者数で見ても日本の平和博物館の1 位と 2位を占めている。近年入館者数の 減少に悩んでいるとはいえ、まぎれもなく日本を代表する平和博物館であると言える。そ の後、1970 年に「東京空襲を記録する会」が発足したのを契機に全国の都市で空襲を記録 しようという運動が巻き起こり、この運動はやがて地域における戦争展の開催や戦争遺跡 への関心の高まりへとつながっていった。また戦後 30年の区切りである 1975 年には沖縄 県立平和記念資料館が開館し、大阪市をはじめ全国各地の都市において、市民が中心とな って地元メディアを巻き込む形で8月に戦争展を開催する取組みが増加していった142。こ のように1970年代までは、広島・長崎・沖縄を始め戦争による被害が最も大きかった地域 において、生々しい被害の内容を展示するものが中心的であったと見られる。

1980 年代になると、戦争展/平和展が市民運動となって、全国で本格的に展開していく ことになった。この盛り上がりの背景には、戦争体験世代がどんどん減少して戦争体験を 共通の前提として語ることが不可能になってきた為、「ヒト」に替わって「モノ」を通じて

138 村上(2003)、p.125 参照。 

139 原田(2005)、p.45 参照。 

140 村上、前掲書、p.136 参照。 

141 村上、前掲書、p.136 参照。 

142 大阪では 1970 年代半ば頃から様々な戦争展の開催が試みられた。朝日新聞社の主催を例にとれば、1975 年以降の 夏に「大阪空襲展」、「アンネの日記展」「鉄の暴風・沖縄戦の全容 ひめゆりの乙女たち展」、「原爆展」などが開催さ れている。 

どのように戦争体験を継承していくのか、ということが危機感を持って論じられるように なったことがあると思われる。1976 年に和歌山から始まった「平和のための戦争展」運動 は、1980年には東京、1981年には京都、1983年には埼玉へと波及していった。大阪や京都、

埼玉では、原爆や空襲といった戦争による被害だけではなく、戦争体制の問題点や日本人 による反戦運動とその弾圧、日本軍の侵略や加害に関する展示も積極的に行われた。京都 では七三一部隊や南京大虐殺に関する展示も行われ、当初から常設の平和博物館建設に強 い意欲を見せていた。またこれらの地域では、太平洋戦争に留まることなく、ヴェトナム 戦争の実態や核戦争の危険性の展示も行うなど、被害・加害・抵抗といった戦争の様々な 局面を含めた全面的展示を志向する傾向が見られ、こうした成果を図録に残して継承しよ うという取組みにも積極的であった。

こうした積極的な取組みが刺激を与える形で、1990 年代に入ると各地で総合的平和博物 館が次々と開館することになった。高知大学の山根和代は、特に公立の平和博物館が続々 と開館した背景には、「非核都市宣言運動」の影響があることを指摘している143。すなわち 非核都市宣言を行う自治体が地域の平和教育、平和活動の拠点とする為に、常設の平和博 物館や資料館の開設に向けて積極的に動く機運が生まれたのである。但し、これらの公立 の博物館や資料館の中でアジア・太平洋戦争における加害の側面に触れた展示を行ってい るのは、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、大阪国際平和センター(ピースおおさか)、

川崎市平和館、埼玉県平和資料館ぐらいである。加害展示の是非に関しては意見の相違が ある為、合意形成に困難を要することや、右翼による展示の妨害などがあることが公立の 博物館にとって無視できない障害となっている点を山辺昌彦も指摘している144。1994 年に は、こうした平和博物館の開設ラッシュを受けて、「日本平和博物館会議」が発足した。メ ンバーは広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、沖縄県平和祈念資料館、大阪国際平和セ ンター、川崎市平和館、埼玉県平和資料館、神奈川県立地球市民かながわプラザ、立命館 大学国際平和ミュージアムの 8 館であり、毎年平和博物館会議シンポジウムを開催して相 互の情報交換を図ると共に、共同事業の企画・実施などによって平和博物館のネットワーク 化を進めている。

90 年代前半にこうした下地作りが行われた上で、95年の戦後 50 年の節目には全国各地 で戦争をテーマとした展示が開催された。そして、展示を企画・準備する過程で、各地に 残されたままの「戦争遺跡」をどのように保存し継承していくかという関心も高まってい った145。また、1994〜95 年にかけて米国で起こった原爆投下の歴史展示をめぐる論争が大 きな契機となり、博物館で歴史をどう展示するべきかという議論が活発化することとなっ た。このような議論は既存の博物館展示のあり方に多くの疑問を投げかけることになり、

展示の見直しが進む機運を作り出したと言えるだろう。1998年には「平和のための博物館・

143 山根(2006)、参照。 

144 山辺(2001)、p.269 参照。 

145 戦争遺跡とは「近代軍制が始まった明治初期からアジア・太平洋戦争の終結後にかけて作られた構造物・遺構・跡 地」を指す。1993 年には戦跡考古学研究会が発足し、1997 年には戦争遺跡保存全国ネットワークが結成された。 

市民ネットワーク」が発足し、国連NGOのひとつである「平和のための博物館国際ネット ワーク」と連携しながら、戦争と平和の展示に関する共同の取組みや研究を行っている。

それでは、「平和博物館」以外の博物館・資料館では、アジア・太平洋戦争をどのように 展示しているのであろうか。戦前の日本には、国を守ろうとする国民の士気を鼓舞する為 に戦争展示を行う博物館や資料館が少なからずあったと思われるが、これらは敗戦と占領 によってほとんど全て閉鎖となった。また、その後しばらく続いた「戦争は二度といやだ」

という国民の厭戦ムードの中では、積極的に戦意を鼓舞するような展示を行う博物館・資 料館は立ち現れて来なかった。しかし、1960 年代半ば頃から、全国的に自衛隊の広報施設 としての役割を担う博物館・資料館が集中的に開設されたことが明らかにされている146。 また、アジア・太平洋戦争の戦没者を国家として追悼するための場の必要性については、

靖国神社への総理参拝問題とからめて長らく議論されてきた。そして長年に渡る議論の末 に、1999 年に靖国神社の近くに開館したのが昭和館である。昭和館開設の趣旨は「戦没者 遺族に対する援護施策の一環として、戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦 後の国民生活上の労苦に係る歴史的資料・情報を収集・保存・陳列し、後世代にその労苦 を知る機会を提供しようとするもの」147であり、運営は厚生省が財団法人日本遺族会に委 託して行っている。厚生省社会・援護局作成の「戦没者追悼平和記念館の概要」には、「歴 史的評価を含む可能性のある従来の展示は行わない」旨が明記されており、これに則って、

昭和館の展示は戦中戦後の「労苦」を強調した内容に終始したものとなっている。このこ とについて、伊藤暢直は論文「「平和祈念」施設と戦争展示」の中で、戦争世代の来館者は

「懐かしさ」のレベルで、また戦争を知らない世代の来館者は「労苦」を単に知識として 蓄積するレベルで、共に思考を停止させてしまう恐れがあるという指摘を行っている148。 更に、昭和館と同じく国立の施設として、2000 年に新宿住友ビル内に開設されたのが平和 祈念資料展示館である。この施設は総理府管轄の認可法人である平和祈念事業特別基金が 運営している。この資料館の開設の目的は、「いわゆる恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚 者の方々などの労苦についての理解を深めていただくこと」149とあり、ここでも昭和館と 同じく「戦争犠牲者の労苦」に焦点を当てた展示が行われているのである。

国立ではないものの、靖国神社の管轄下にある為に総理の参拝問題とからめて物議を醸 すことの多いのが、遊就館である。遊就館は元々は陸軍省の管轄下で1882年に開館した「我 が国最初で最古の軍事博物館」150であったが、戦後閉館され、靖国神社の管轄下に再度開 館したのは1961年のことである。更に、2002年に本館の全面改装と新館の増設を行ったの を契機に、大幅な展示の更新を行った。遊就館の開設目的としては、「殉国の英霊を慰霊顕 彰すること」、「近代史の真実を明らかにすること」の2つが挙げられている。展示内容は

146 村上、前掲書、p.127 参照。1964 年から 69 年にかけて開設された広報施設や資料館は、確認できただけで 47 館あ ったとされる。 

147 昭和館パンフレットより。 

148 伊藤(2002)、p.29 参照。 

149 平和祈念資料展示館ホームページ<http://www.heiwa.go.jp/tenji/>2009 年 1 月 12 日閲覧。 

150 遊就館パンフレットより。 

ドキュメント内 2000年度 (ページ 56-61)