第 5 章 マスカルチャーにおけるヒロシマ・ナガサキの表象
第 4 節 漫画、アニメーションの中のヒロシマ・ナガサキ
本節では、漫画やアニメーション(以下アニメと呼ぶ)の分野におけるヒロシマ・ナガ サキの表象のあり方について検討を加える。漫画やアニメに対する社会的評価は、従来「子 どもの娯楽」にとどまり、相当の年齢に達したら卒業するべきものだと考えられてきた。
しかし、戦後日本で生み出された漫画やアニメの中には、文学や映画、絵画といったいわ ゆる高尚な芸術文化(ハイアート)の領域では表現できなかった新しい世界観を大衆に呈 示することに成功した秀作や佳作も多く、漫画の読者やアニメの視聴者層を子どもから大 人にまで拡大することに貢献した。そしてこれらが洗練を重ねた結果、いまや日本の漫画 やアニメは「COOL JAPAN」の代表格として、海外からも驚きと称賛を持って迎え入れられ るまでに至った。
漫画・アニメにおけるヒロシマ・ナガサキの表象についての研究はいまだ端緒についた ばかりではあるが、漫画やアニメに囲まれて育ってきた若手研究者を中心に注目されてい る分野のひとつとも言える。こうした関心における先駆的取組みとなったのが、2005 年 4 月から 7 月にかけて、ニューヨークのジャパン・ソサイエティーギャラリーで開催された 村上隆413プロデュースによる展覧会「リトルボーイ―爆発する日本のサブカルチャー・ア ート」である。村上隆は現在日本を代表する高名なデザイナーの一人であるが、「スーパー フラット(Superflat)」414という概念を呈示して新たな現代美術の地平を切り開いたことで、
国内に先行して海外で高い評価を受けた。その村上が、戦後日本の文化を現代美術と「お たく」文化の交差を通して問い直すという意欲的な試みは、漫画やゲームなど日本の「お たく」文化が注目を集めていた米国でも大きな関心を呼んだ。村上が展覧会のメインタイ トルに「リトルボーイ」、すなわち広島に投下された原子爆弾のニックネームを用いたのに は、大きな意味が隠されていた。この展覧会の中では戦後日本を代表する漫画やアニメの 作品が多く取り上げられたが、これらの作品において「意外なことに、原子爆弾、汚染さ れた地球、大量破壊がストーリー設定の重要な要素になっている。原爆自体が描かれるか どうかにかかわらず、戦後日本のマンガ文化を見ると、核による滅亡が様々に形を変えて 登場する」415という分析が呈示されたのである。そして、原爆が日本人の心に大きなトラ ウマを残し、そのトラウマこそが現代日本の「可愛い」カルチャー、「おたく」カルチャー を生み出したのではないかという斬新な視点が提起されたのだ。原爆のトラウマと現代日
413 村上隆はルイ・ヴィトンとのコラボレーションによって、美術界を超えて世界中に広く知られる存在となった。日 本では六本木ヒルズのロゴや広告等を手がけるなど、現在最も活躍しているデザイナーの一人である。
414 村上隆が提唱する現代アートの運動で、日本の消費文化独特の空虚感を持つ、平面絵画、アニメーション、ポップ カルチャー、ファインアートを指して使われる。余白が多く、遠近法などの技法をあまり使わないことが特徴である。
415 村上(2005)、p.247 参照。
本の「おたく」カルチャーの相関性を論じることは本論の主旨から逸脱しているのでここ では言及しないが、「戦後日本のマンガ・アニメ作品の中に核による滅亡が繰り返し登場す る」という指摘はおおいに注目すべきだと思われる。なぜなら日本の書籍雑誌の 40%を漫 画が占めているという統計もあり、日頃我々の生活に漫画やアニメーションがどれだけ浸 透しているかを考えれば、漫画やアニメにおける原爆や核の表象は我々の記憶の形成に大 きな影響を及ぼしている可能性があるからである。この「リトルボーイ」展に関しては、
日本大学教授の紅野こ う の謙介が以下のように分析を加えている。すなわち、小説や映画、テレ ビドラマの領域において原爆を描いた作品は度々登場し、個々の作品の質は様々ではある が、「総体として反復による平準化と凡庸化を避けることはできなかった」416のに対し、「漫 画やアニメーションが核戦争による世界の終わりを物語の設定に組み込み、むしろ核戦争 後の時間に次第に焦点をあてていくように」417なったことによって、多くの人々にカタル シスから解放される感覚を与えることに成功してきたのだというのである。この点につい ては、本節でいくつかの代表的な漫画・アニメ作品を具体的に見ながら改めて検討を加えて みたいと思う。
そしてもちろん、原爆を直接描いた漫画・アニメの代表作品としては『はだしのゲン』
を忘れることはできない。後述するように『はだしのゲン』は学校教育の場に組み込まれ たことで、他のヒロシマ・ナガサキを取り扱った作品と比べても群を抜いて高い認知・接 触を獲得しており、それ故にこの作品における原爆や核の表象が人々に与えた影響が大き いであろうことは想像に難くない。その知名の高さに反して、『はだしのゲン』についての 個別的研究はこれまでほとんど行われてこなかったが、2006 年に吉村和真・福間良明ら関 西で活躍する若手研究者を中心に、本作品をマンガ史におけるポジション、学校における マンガ体験の諸相、残酷描写が与えた影響といった様々な視点から考察した意欲的な研究 書『「はだしのゲン」がいた風景』が執筆された。また、原爆体験を直接描いた漫画・アニ メとしてはその偉業の故に長らく『はだしのゲン』以外の作品は立ち現れてこなかったが、
近年戦後世代の中から本テーマに果敢に取り組む作家が現れ、注目を集めている。
本節では、こうした数少ないが貴重な先行研究の内容を踏まえつつ、戦後日本において 広く認知され、人々に影響を与えてきたと考えられるいくつかの漫画・アニメ作品を取り 上げ、その作品におけるヒロシマ・ナガサキの表象のあり方について検討を加えようと思 う。
第1項 手塚治虫が描き続けた原爆と核
手塚治虫の功績についてはここで改めて詳細を述べる必要はないだろうが、大衆に与え た影響の大きさは勿論のこと、同時代を生きた、あるいは後進の漫画家やアニメーターに 彼が与えた影響も計り知れなく大きいと考えてよいだろう418。マンガ史・児童文化専門の
416 紅野(2006)、p.351 参照。
417 前掲書、参照。
418 中沢啓治や宮崎駿をはじめとする多くの漫画家・アニメーターが自伝やインタビューにおいて手塚の影響を受けた
学者である竹内オサムによれば、手塚治虫は「核の恐怖、あるいは戦争による人類の滅亡 という終末論的世界を、繰り返し作品に描き込んできた唯一のマンガ家」419であり、その 心中を支配してきたのは「戦争の悲惨さとそれをもたらす人類の愚行、あるいは科学の進 歩そのものへの懐疑であった」420と考察している。手塚の漫画家としてのデビューは 1946 年の『毎日少國民新聞』における四コマ漫画の連載であったが、1990 年に没するまでに描 いた作品の中で、大作・小作問わず手塚が核戦争を繰り返し題材としてきたのは事実であ る。漫画評論家であり手塚治虫との共著もある石子順は、手塚の戦争漫画を6つに分類し ているが、その一つが核戦争をテーマにしたものだとする421。以下に、手塚治虫が自身の 漫画の中でどのように原爆や核の問題を描いてきたのかを時代を追って見ていこう。
手塚のデビューは『毎日少國民新聞』の四コマ漫画だと述べたが、1946年8月18日号、
すなわち敗戦翌年の検閲下の新聞において既に、原子爆弾に吹き飛ばされたビキニ島の魚 が海底病院でタコの医者に診てもらうという物語が描かれているのは驚きである。そして、
1951 年の描き下ろし単行本である『来るべき世界』では、より明確な物語設定として核戦 争や原水爆実験の問題を取り上げた。本作ではスター国とウラン連邦という米ソを連想さ せる架空の二大国の対立を背景に、原爆実験場の島で不思議な生物が発見され国際原子力 会議の場に持ち込まれるも両国は全く聞く耳を持とうせず、やがて宇宙からの侵略によっ て地球が破滅寸前に陥ってようやく両国が和解しようとするが時既に遅し・・・という姿が ユーモラスかつシニカルに描かれる。この作品には、朝鮮戦争下の米ソ冷戦構造や、1950 年のストックホルム・アピールなどの時代環境が色濃く反映されていたと見てよいだろう。
本作に描きこまれた「宇宙からの脅威」、「科学の暴走」、「二大国の横暴と人間の愚行」、「そ の結果としての戦争勃発」、「戦時下における人間性の破壊」、「破局の悲劇的トーン」など は、手塚の以後の作品に繰り返しモチーフとして使われることになる422。
そしてこの翌年、手塚治虫の代表作として名高い『鉄腕アトム』が登場する。『鉄腕アト ム』は、元々は光文社の月刊雑誌『少年』に手塚が執筆した作品『アトム大使』(1951−1952)
からの発展型として連載が開始されたものである423。『鉄腕アトム』はそれまでの漫画には 見られない、まるで映画を見ているかのような臨場感溢れる独特のコマ割が多くの読者を 惹きつけ、たちまち大人気となった。1952年に開始した連載は結局、1968年までもの長期 に渡って継続されたのである。また、1963 年には日本初のテレビアニメとしてフジテレビ 系列で全国放送され、たちまちのうちに人気を博した。『鉄腕アトム』はその後、1980〜81 年に日本テレビ系列全国ネットでカラーリメイク放送され、更に2003年にはフジテレビ系 列で『アストロボーイ・鉄腕アトム』として 2 度目のリメイク放送がされるなど、時代を
ことに言及している。
419 竹内(1992)、p.178 参照。
420 前掲書、参照。
421 石子(2007)、pp.140-149 参照。
422 竹内(1992)、p.182 参照。
423 手塚治虫自身は、当初原子力を平和利用する国「アトム大国」についての話を描きたいと希望していたが、編集部 との話し合いで「アトム大使」に変更されたという経緯がある。