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ドキュメント内 2000年度 (ページ 84-88)

第 3 章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象

第 7 節 小括

以上に、ヒロシマ・ナガサキを展示する主要な博物館・資料館の内容を検討してきた。

こうして見ると、ヒロシマ・ナガサキの展示を戦後一貫して中心的に担ってきたのは、広 島平和記念資料館、長崎原爆資料館、東京都立第五福竜丸展示館など公立の資料館である という事実が浮かび上がってくる。広島・長崎の両資料館は日本初の、そして知名度や入

209 立命館大学国際平和ミュージアム監修(2005)、p.88 参照。 

館者数の面において今なお、日本を代表する平和博物館であり続けている。第五福竜丸展 示館もまた、平和学習の場として多くの児童生徒を受け入れてきた。これら全ての資料館 は、被爆遺品の展示からスタートしたという点で共通している。広島・長崎の資料館は、

原子野から収集された石、瓦などの実物や遺族から寄贈された形見を並べただけの簡素な 展示が原型であったし、第五福竜丸展示館も福竜丸の船体の保存・展示が出発点であった。

それはとりもなおさずこれらの資料館の展示が市民の協力と支えなくしては成り立たない ものであったことを意味し、開館当初から地元の市民運動に支えられた「市民の、市民に よる、市民のための」の資料館であったと言えるだろう。広島・長崎の人々は「被害の実 相を伝えること」が何より重要であり、そのことによって「核兵器廃絶と世界恒久平和の 実現に寄与」したいと切望していたのである。

しかし、80年代から変化が見られるようになった。広島・長崎の資料館は共に70年代に 市民からの寄贈や米国からの資料返還などで展示物が増えた為、展示室の拡充や大規模な 展示改修を行っている。これに伴って、展示もストーリー性のあるものが求められるよう になり、より詳細な背景説明を必要とするようになる。しかし、80 年代に教科書問題が起 こって日本人の加害意識の欠如が国際的批判を浴びたこともあり、広島・長崎の資料館の 展示が「被害に偏ったものである」との声が次第に聞こえてくるようになったのである。

折しも、同じ時期に日本各地で「平和のための戦争展運動」が活発化し、これらの中に は日本の加害に関する展示を積極的に取り入れるものもあった。そして90年代にこれらの 戦争展運動を基盤とした平和博物館が全国各地で開設されるようになると、私立の立命館 大学国際平和ミュージアムはもとより、川崎市平和館や大阪国際平和センター、埼玉県平 和資料館等の公立の博物館においても加害認識が積極的に展示に取り入れられるようにな った。こうした動きは広島・長崎の資料館にも様々な影響を与えたと思われる。90 年代に 入ると、施設の老朽化が原因で長崎は全面建替え、広島は大規模なリニューアルを行って いるが、このタイミングで展示内容の見直しを図ったのである。長崎は96年に開館した現 在の資料館の展示に加害についての展示を取り入れ、広島は94年のリニューアルで原爆投 下に至る歴史的背景を詳しく説明するようになった。現在では「軍都廣島」についても展 示が行われている。また、「被爆者=広島・長崎の日本人被爆者」という「唯一の被爆国」

意識からも脱皮し、原爆投下によって数多くの外国人が被爆したことや、戦後の核実験、

核採掘等によって世界中にヒバクシャが生まれていることにも目を向けた展示を行うよう になったのである。

このように、広島・長崎の資料館は加害認識を徐々に展示に取り入れる方向にはあるも のの、この問題をめぐってはいまだに議論は絶えない。保守派からは加害展示削除の要請 が続き、被爆者の中にも「原爆投下を正当化することになりはしないか」という懸念が見 られるのに対し、左派からは「この程度の加害認識では不充分だ」との批判が常にある。

公立の資料館である以上、これらの異なる意見のバランスをとっていかねばならず、加害 認識の取り入れという日本の平和博物館の大きな潮流への対応は早いとは言えない。しか

し、広島・長崎ともに入館者数の低下傾向、特に修学旅行生の減少は最大の問題であり、

平和教育の潮流という観点から見ても、加害認識の取り入れには積極的に対応していく必 要があるだろう。また、原爆や核の問題を現代の問題として捉えてもらえるような関心を 喚起するための展示の工夫も続けていく必要があると思われる。

公立の資料館とは規模の上では比較にならないものの、私立の博物館・資料館は独自の 認識を打ち出すことが可能であり、その為、国内外の動きにビビッドに反応することが可 能である。ヒロシマ・ナガサキに関しては、上記に見た公立の資料館の存在があまりに大き かったからなのか、私立の博物館・資料館は1967年に開館した丸木美術館を除いてはほと んど見あたらなかった。その意味で1995年に岡まさはる記念長崎平和資料館が開館したの は注目される新たな動きである。同館は、公立の資料館における朝鮮人・中国人被爆者の 展示が不充分との認識から、これら被爆者が生み出されるに至った日本の侵略と加害の事 実を明らかにしようと開館したのであり、同館が徐々に平和教育の場として選ばれる資料 館に成長していっていることは、既存の資料館にとっても大きな刺激になっていると思わ れる。同館が日本人の加害の歴史に特化した資料館であるのに対し、立命館大学国際平和 ミュージアムは総合的平和博物館だが、立命館の展示は加害認識を取り入れた新たなバラ ンスを目指したものだと言える。すなわち、日本の侵略から始まる十五年戦争の歴史を辿 っていく中に、都市空襲、沖縄戦、原爆投下を位置付けようという試みである。こうした 歴史展示のあり方に対しては、特に被爆地では「原爆投下を正当化する恐れがある」と反 対する声が根強いが、平和博物館会議でも中心的役割を担う同館の試みは、今後の歴史展 示のあり方の新しいベンチマークになるかもしれない。

一方国立の施設については、当初から批判のある位置付けの曖昧さの問題はいまだに明 確にされたとは言えない。そもそも、広島・長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館は、「国 家として原爆死没者のの犠牲を明記し追悼する」ための施設であり、「戦没者追悼平和祈念 館」として生まれた昭和館や「戦争犠牲による労苦について(中略)関係者に対し慰籍の 念を示すため」に作られた平和祈念資料展示館とほぼ同じ趣旨だと言える。広島・長崎の 祈念館は歴史展示は一切行っておらず、これは国として原爆投下に対する歴史認識は行わ ないというスタンスの現れだと言える。また、「非核三原則」とアメリカの「核の傘」への 依存という大きな矛盾を抱えていることもあって、戦後の核時代に関する展示も難しいと 思われる。この施設が被爆者の遺族以外の人々にとってどのような意味を持つのか、平和 公園内にある祈りの場や公立の資料館とどう違うのかといった問題に明確な答えを出すの にはまだ時間を要するであろう。

以上に見てきたように、博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの展示は、私立の博 物館・資料館の積極的な試みに刺激を受けながら、公立の博物館・資料館が今後も牽引し ていくと思われる。そして、今後乗り越えていかねばならない展示の課題としては、大き く2つの課題がある。ひとつは、「原爆投下をアジア・太平洋戦争の歴史全体の中に位置付 けること」が求められているが、同時に「日本の加害行為が原爆投下を正当化しないこと

を説得力を持って伝える必要があること」である。そしてもうひとつは、「原爆投下に始ま る核の時代が今も続いており、現代に生きる私達全員が直面している問題として関心を持 ってもらうこと」である。被爆者の高齢化が進む中で、市民との強い結びつきに支えられ てきた公立の資料館が、原爆投下の直接体験のない世代の市民をどのように巻き込みなが ら展示を行っていくのか、その時ヒロシマ・ナガサキの展示はどのように変わっていくのか、

今後も注目される。

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