• 検索結果がありません。

「이 갈범이녀석 야단좀치세요」

우리 어머님에게 소리를 질으기도 하였읍니다. 戀人에게 이녀석 저녀석 소리를 들으며 너무 까분다고 볼기짝도 마진일이 있지만 나는 그래도 늘가서 아랫채 新婦에게 등살을 대였던것입니다.

어느때는 그가 가래침 배앝는것을 目睹하고는 저런美人도 醜雜한짓을 하나 생각하면서 一種의 幻滅까지도 느낀일이 있었던것입니다.

그後 長成해서 十六七歳 때에는 米國映畵女俳優 메리필빈을 꾸준하게도 七年間이라는 歳月을두고 徹頭徹尾하게 외짝사랑을 하였읍니다. 한번 對面도 없는 사람을 冩眞만 가지고 戀愛를 하였으며 후에 나는 그의 肖像畵를 數百枚나 蒐集을 하였고 日前 안해와 함께 彼女의 冩眞帖을 맨들어서는 永遠히 紀念하자고 잘 保管하야 두었읍니다. 그 時節에 써둔 五十餘篇의 詩속에

나는 太平洋을

走幅跳로 뛰여 건느리라

이런句節이 있읍니다. 메리를 片戀할때 그때 나는 文學을 시작하였고 讀書에 熱中하였고 體育에 힘썼고 社會를 無視하고 했으며 六歳때 無邪氣한 姦夫노릇을 하던 망칙하던 내가 後日 自己의 愛人에게 對하야 그렇게 良心的이요 精神的이요 犠牲的인 人物이 된것은 全혀 이 메리에게 對하였던 精神的 戀愛때문였다고 믿는것입니다. 二十歳 넘어서 나보다 六年이나 年上인 京城의 어느 名妓를 片戀하였고 후에는 亦是 어느 妓生과 相思의 사이가 되었었으나 肉體的으로는 아무關係가 없었고 서로 동무가 되었으며 그에게서 온 便紙 百餘通은 안해와 約婚時 그의 앞에서 태워버렸읍니다. 다음에는 「娘十八鬼 も ほ れ る 」한다는 義妹가 十八歳된해 나만 혼자서 秘密히 그에게 사랑하는 마음을 품었다가는 그가 約婚하였을때 나는 이것을 披瀝하고 잘못을 뉘우첬으며 우리 두사람은 다시 義男妹로 따뜻하게 손을 쥐었읍니다.

그러나 나는 以上의 어느것을 莫論하고 다만 戀愛에 이르기까지의 한 過程이였지 나의 첫사랑이라고는 말하기 어렵습니다. 나의 初戀이라면 아마도 現在 나의 안해와의

「로맨쓰」였겠지요. 나의 祖母님이 反對하시는것을 우리는 三年間이나 두고 持久戰을하야 끝끝내 結婚하였고 日前 生男까지 하였으며 나와 안해와의 戀愛에 對하야는 隨筆로 小說로 已往 많이 이야기 하였읍니다. 그런데 내가 六歳時 相對가 되었던 新婦 그 女人이 나의 안해의 親언니라는 것을 그後 알고 나와 안해와는 서로 웃어댔던 것입니다.〔…〕

〔…〕私は正に六歳の時、満五歳になった時に初恋を経験したのでした。

132

「何?」311

その頃我が家は五十間余りにもなる大きな家で、離れの裏手に家がもう一棟付いていたのですが、そ こに借家住まいをしていた一家の主人の息子、おそらく現在の私ほどの歳だったでしょうが、その方が 嫁を貰ったのです。そしてその二十歳前後の新婦に言ってみれば恋愛をけしかけたのでした。

六歳の子どもが胸に抱かれてチュッチュッ、最近の言葉で「キス」を何度もしてくるのを、新婦はも ちろん新郎もむしろ可愛らしく思い、幼児の愛らしい仕草なのだと考えていたのでしょう。しかし今で も私の記憶に残っていますが、ある時私は美しくその神聖不可侵な新婦のチョゴリの後ろ裾をたくし上 げ、白雪のように真っ白な背中を舌で嘗め回したことがありました。時々新婦が我慢しきれずに立ち上 がり、居間のほうに向けて

「こら、カルボムったら、ちょっと叱ってやって下さいよ」

と私の母に大声で叫んだこともありました。恋人にあの子ったらこの子ったらと言われながら、ふざ けすぎだと頬を叩かれたこともありましたが、それでも私はいつもその離れの裏の家に行き新婦の背に 触れていたのです。また別の時には彼女が痰を吐くのを目撃し、あんな美人も醜いことをするのかと一 種幻滅を覚えたことだってありました。

その後大きくなり十六、七歳の時には米国の映画女優メリーフィルビンに対し、地道にも七年間とい う歳月をかけて徹底的に片思いをしました。一度の対面もない人に写真だけで恋愛をし、彼女の肖像画

〔写真・絵の切り抜き・ポスター・ブロマイドなどの意か〕を数百枚も収集したのですが、先日妻とと もに彼女の写真帳を作り、ずっと記念にしておこうとしっかり保管しておきました。その時分に書いた 五十編余りの詩の中に

僕は太平洋を

走り幅跳びで飛び越えてやる

こんな一節があります312。メリーの片思い時代に私は文学に志を抱き、読書に熱中し体育に努め社 会を無視するようになりましたが、無邪気な姦通男役をしていたいやらしい六歳の私が後日、自らの恋 人に対してあれほどまで良心的、精神的で犠牲的な人物となれたのも、専らこのメリーに対する精神的 恋愛のお蔭だったと信じているのです。二十歳を超えた頃には私より六年も年上の京城のとある名妓に 片思いし、その後やはりある妓生と相思相愛の仲になりましたが、肉体的には何ら関係なく友人同士と なり、彼女から届いた数百通余りの手紙は妻との婚約の際に彼女の前で燃やしてしまいました。次には

「娘十八鬼もほれる」という義妹が十八歳の年に、私が独りで秘密に彼女に対する恋情を抱いたのです

311 読者の反応を予想して安懐南がこのように付した台詞と思われる。

312 実際にこのような詩が新聞・雑誌などに掲載されたかどうかは不明である。またこの内容によれば安懐 南の詩作品は習作段階のものも含め「五十編余り」にもなるが、これらについても筆者は未確認である。

133

が、彼女の婚約が決まった時に私はそれを打ち明けて過ちを後悔し、我々二人は再び義理のきょうだい として温かく手を取り合ったのでした。

しかし以上の全てのことは恋愛の成就に至るまでの単なる一つの過程に過ぎず、我が初恋だと言うこ とは難しい事柄です。我が初恋と言えばおそらく現在の私の妻との「ロマンス」だったでしょう。私の 祖母が反対するのを私たちは三年間もかけて持久戦を繰り広げた末に結婚まで辿り着き、先日には男の 子まで生まれましたが、私と妻との恋愛については随筆や小説でこれまでに多く話してきました。とこ ろで、六歳の時に相手となったその女性が妻の実の姉だったと後になって知り、私は妻と二人で笑い転 げたのです。〔…〕313

最初の恋愛体験を「初恋」と表現しておきながら、最後の段落では「我が初恋だと言う ことは難しい」としている部分に矛盾が生じているようだが、上の内容を要約すると彼の 恋愛遍歴は①六歳(満五歳)頃に隣家に嫁いできた新婦(鄭玉卿の実の姉)に対して、②十六、

七歳頃にメリー・フィルビンに対して、③二十歳余りの頃に六歳年上の有名な妓生に対し て、④別の妓生に対して314、⑤十八歳になった義妹に対して、⑥鄭玉卿に対して、となる。

①、③に関して上の‘私の初恋記’以上に詳細な記述は他にないと見られるが、②につい ては前節でも取り上げた‘メリーフィルビンの幻影’にも当時の体験が簡単に綴られてい る。また‘私の学生時代行状記’315には徽文高等普通学校時代に金裕貞と交わした会話の 中で、将来有名なボクシング選手となってメリー・フィルビンに会いに米国に行くと誓っ たことや、彼女に宛てて書いたと見られるファンレター(実際に送ったかどうかは不明)の内容、

「第三学年丙組懐南君の研究論文」という題名で書かれた彼女の略伝などの内容が記され ている。

④の恋愛体験に関しては

1936

12

月の‘東の道を歩きつつ’に以下のように回想され ている。

(42)〔…〕그당시 나는 정□貞姫라는 기생과 서로 사랑을 속삭이었읍니다. 무슨 연고로였는지 그기 생은 나에게 하로 두차례식의 편지조차 빼놓지않아였읍니다. 나는 나의 어린 문학적기술(文學的

313‘私の初恋記’前掲書、pp.301~303

314 ③、④の妓生の名前はそれぞれ「S」「貞チ ョン ヒ」であったとされている(‘メリーフィルビンの幻影’前掲 書、p.93)

315 안회남(1938)‘나의学生時代行狀記 曼蘭菲爾賓’“조광”(安懐南(1938)‘私の学生時代行状 曼蘭菲爾賓’“朝光”)411号 193811月 p.173~184。「曼蘭菲爾賓」は「メリーフィルビン」

の当て字と見られる。

134