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であると言える368。この引用は本作品の末尾に当たるが、‘愛情の悲哀’とは逆に作者は「私」

の玉女に対する思いを上のように誇張された表現を用いて描写することで、読者に向けて 彼の情熱的な恋愛感情を印象づけようとしたのだと推測できる。最後の部分で「私」は玉 女に対する恋情について、彼女が「貧しく哀れでああやって病に臥す身」であるために彼 女を愛するようになったのだと自己分析しているが、こうした彼の心情は‘愛情の悲哀’

の主人公の恋愛感情とほぼ同じだと見てよい。本作品の「私」も前作と同様、玉女が「貧 しく哀れ」だから、「病」だからという観念的・抽象的な理由や要因に自己陶酔して妄想を 繰り返した結果、それが彼女に対する熱烈な恋愛感情へと変化していったのものと受け止 められる。本作品における「私」のこうした特徴的な恋愛感情も、安懐南の初期小説にお ける恋愛というモチーフを考察する上で欠かせない要素として注目に値するものである。

3. 2‘寂滅’

続いて取り上げるのは‘寂滅’である。本作品は“毎日申報”紙に

1932

11

15

日か ら

12

10

日まで、安懐南の本名である安必承の名前で全

26

回に渡って連載された中編小 説である。この作品はこれまでの安懐南研究史において皆無と言ってよいほど議論の対象 とされたことがないばかりか、各文学全集や選集・研究書・学位論文などの作品目録にさ え大部分載せられたことのなかったほぼ無名の作品である369。この点についてだけでも、

本作品が今日まで安懐南の作品中でいかに例外的な扱いを受けてきたかが分かるであろう。

また他にも第

3

回の連載分の末尾に作者が付した「作者より」という短いコメントからも、

1930

年代の安懐南文学における本作品の特殊性を窺い知ることができる。その全文は以下

368 こうした両極端の性格が作中で交互に表れているのが本節で見た知識人男性主人公らに共通する姿で あるが、全く同じことが同じく初期小説の‘彼ら夫婦’についても言うことができる。本作品の主人公で あり無職者である 庚キョンイ ル(引用(29)などに言及されている人物との直接的な関連性は薄いと見られる)も、

カフェの女給として働く妻の玉オ クス ンと口論した挙句に足で彼女を押しのけるという乱暴な姿を見せている一 方で、後になって自らの言動を反省し、泣きながら後悔している場面も描かれている(안회남(1931)“그들 夫婦”“혜성”(安懐南(1931)‘彼ら夫婦’“彗星”)第19号 193112月、p.157、159)。こうした 彼の言動も上の四作品と同様、1930年代前半の作者自身の性格がよく反映されているものと判断すること ができるだろう。

369 管見の限りでは、これまでの先行研究中で本作品を取り上げたことのあるものは一つもない。また文学 全集の中では安懐南(1995)前掲書 の作品目録に題名と発表年月日が記されているのみで、本文が活字化 されたことは初出の“毎日申報”紙以降今までに全くないようである。ただし安懐南の幾つかの身辺小説 や評論・随筆を見ると、以前に‘寂滅’という小説を書いたことがあるという言及を確認することができ るため(‘故郷’、‘文芸評論の階級的立場問題’‘春の夜と少女’など)、研究者の間で全く存在が知られ ていなかったわけではないと思われる。

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のようになる。

(56)누구나 나희가 어릴적에는 공상(空想)을 만히 갓습니다 이소설은 筆者에게잇서서 가장오래도 뇌수에박혀잇든공상을 체게화(體系化)하고 작품화(作品化)식힌것입니다 공상은 그대부분 커ー단「파라독쓰」입니다 이「寂滅」은그 「파라독쓰」를 토대로하야 어떤 실재해잇는것을 그린것이아니라 잇슬수잇는것을 그린것입니다 그러하면서 그러치안흔 또는 그러치 안흐면서 그러 한개의 긔언(奇言) 한개의 괴론(怪論) 한개의 역설(逆說)입니다 다만이것은 一九三一年 작년가을에쓴 중筆者에게잇서서는 구작(舊作)에 속하는것인데 그것을지금 조곰도 가필(加 筆)을 못하고 그대로발표하게된것 이것 하나가 심히 유감입니다

誰でも幼い頃は空想をよくするものです。この小説は筆者にとって、最も長い間脳髄に刻み込まれてい た空想を体系化し作品化させたものです。空想はその大部分が大きな大きな「パラドックス」です。こ の「寂滅」はその「パラドックス」を土台にし、実在している何らかのものを描いたものではなく、何 かしらあり得そうなことを描いたものです。そのようであってそのようではない、またはそのようでは ないのと同時にそのようでもある、一つの奇言、一つの怪論、一つの逆説です。ただこの作品は一九三 一年、昨年の秋に書いたものの中では筆者にとって旧作に属するものですが、それを今少しも加筆でき ずにそのまま発表することになったこと、ただこのことだけがたいへん遺憾に思われます。370

上の中で特に注目されるのは下線を引いた部分である。本作品の発表までに安懐南は前 節で見た‘髪’、‘借用証書’、‘彼ら夫婦’、‘愛情の悲哀’など数編の短編小説を発表して きた371。だが彼の言葉によると‘寂滅’はこれらの作品と比べても「最も長い間」構想を 練りそれを「体系化」、「作品化」した小説、言い換えれば彼自身が自負するほどこれまで で最も力を入れて書いた小説だということが述べられているのである。また二つ目の下線 部から分かるのは、本作品が「実在している」事柄、直接見聞きした話などを小説化した ものではなく「何かしらあり得そうなことを描いたもの」、即ち作者が頭の中で作り上げた 虚構であると自ら認識しているという点である。この点は引用(27)の‘自己凝視十年’

で語られていたように、安懐南が

1930

年代を通じて主に「自分の恋愛の話をし、貧乏の話

370 안회남(1932)‘作者로부터’“매일신보”(安懐南(1932)‘作者より’“毎日申報”)19321 117日付

371 引用中にも述べられているように、安懐南が本作品を実際に書いたのは1931年の秋、時期的には同年 11月の‘借用証書’よりも前の時点であると考えられる。本作品の最終回である19321210日付の 連載分の末尾に「一九三一、九、五」という脱稿日が記されているのを確認することができるからである。

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をし、結婚の話をし、妻の話をし、男の子を授かったことの話をし、友人の話をし、亡く なった私の父親の話をしてき」たという以後の身辺小説の特徴とは大きく異なるものであ る。当然のことながらいかに身辺小説的・私小説的な小説であっても全ての小説は虚構で あるという大前提を看過してはならないが、1930年代の朝鮮文壇において身辺小説作家と しての地位を確保することになった彼が‘寂滅’に限ってはこのような認識を基に小説を 書いたと認めている点は大きな意味を持っていると見なければならない。

‘寂滅’の特殊性は他の面からも見出すことができる。一読すれば明らかなように、語り 手と舞台が一つのみに固定されるのではなく、複数の語り手によって視点を変えつつ話が 進行している点や、それに伴って舞台も幾つかの場所を行き来していたり、あるいは手紙 や夢に見た内容の回想部分が挿入されている箇所があったりする点が注目される。こうい った設定の工夫も、安懐南の他の初期小説や以後の身辺小説群、ひいては戦後の作品中に 至るまで類例のほとんど見られない極めて特異な点と言えよう。度重なる視点の転換・舞 台の移動という彼の作品としてはとりわけ複雑な設定がなされていることが、上で見た「最 も長い間」構想してきたという言葉に反映されている可能性もある。

本作品は

A

という

1930

年に二十二歳を迎えた文学に志を抱く青年が、幼少期に地方で親 しく過ごしたものの現在は居場所どころか生死すら分からなくなってしまった聖ソ ンス クという 女性に恋をし、その熱烈な恋愛感情から最終的には悲劇的な死に至るという恋愛小説であ る。肺病を患った彼は病院に入院したり家で闘病生活を送ったりする生活を強いられてい る極めて虚弱な体質の青年であるが、彼を看病してやっている友人として小説家でありか つ物語の中心的な語り手である

K、そして哲学と酒を好む P

がいる。主要な舞台は

A

K

が住んでいる京城と

A

が幼い頃に暮らしていたとある山村372、そして

P

の居住地である江カ ンウ ォン ドの原ウォンジ ュに大きく分けることができる。時期は比較的詳細に記されており、A の少年期 が彼の口から回想される形式の

1919

年頃の逸話と、

1929

年冬の肺病の発病から

1931

年夏 の彼の死、そして後日譚までの約二年間の出来事の二つが主に描かれている。

A

K

はともに安懐南自身と彼の親しい友人であった金裕貞の性格や経歴などが互いに 混ぜ合わされる形で人物設定がなされているものと思われる。まず二人は「W 高等普通学 校」の出身であるが、これは安懐南と金裕貞が通った徽文高等普通学校の頭文字「Whimoon」

372 本文中に地名が明示されているわけではないが、安懐南が幼少期に一時住んだことのある父安国善の故 郷の京畿道安城郡が舞台のモデルとなっていると推測される。