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秋になると誰もが食欲が増して健康になるのだと皆思っているようだが、私はその限りでないことを 毎年経験する。夏の盛りには読み書きの手を休め水泳などの運動に心奪われていても、乾いた落ち葉を 踏み禿げた木々を眺めているとつい胸がひんやりとし、果てしない感傷に浸り込んでしまうのである。

読み書きを再開しても私の心身は神経とともに弱ってゆく。〔…〕281

(36)〔…〕그러나 가을은 凋落의 때이면서도 한편意氣의 季節이기도 한것이다. 한참 繁盛하든 여름의榮華가쓸쓸히 落葉과함께 슬어지고마는것을 目睹하면 虛無하기도 하지만 또한 痛快한맛도 있는것이다. 그것은 衰敗이기 보담凋 落이기 보담于 先한 改革이 아닌가 생각되는것이다.

여름은 怠慢하였다. 느리고 게으르고 분수넘첫섰다. 그러면서 그 虛榮은 無限하야 天地를 물드리고 있었다. 그것들이 지금 저렇게 慘憺하게 스러 떠러지고 짓밟피고 썩어저가는것은 새로운것을 約束하는 改革인것이다. 모든 아름답다고 생각하였든 것 온갓 高貴하다고 녁였든것을 때려부시고 있는 가을은 한 征服者요 革命家이며 그것은 우리에다시올 理想的인 새봄을 선사할것이라고 믿게되는것이다.〔…〕

〔…〕しかし秋は凋落の時でありながらも一方で意気の季節でもあるのだ。一時の盛りを見せた夏の栄 華が落ち葉とともに寂しく消えゆくのを目にするのは空しいことではあるが、そこにはまた痛快な味わ いもあるのである。それは衰残であるよりも凋落であるよりもまず改革ではないかと思われるのである。

夏の間は怠慢だった。のろまで怠惰で生意気であった。そうでありながらもその虚栄は無限に天地を 染め上げていた。それらが今ああして枯れて落ち、踏みしだかれて腐っていく惨憺たる様は新たなもの を約束する改革なのだ。美しいと考えてきた全てのもの、高貴だと思ってきたありとあらゆるものを叩 き潰している秋は一人の征服者、革命家であり、それは我々に再び訪れる理想的な新しい春を贈り届け てくれるのではないかという信念を抱かせてくれるのだ。〔…〕282

このように本随筆には秋に対する安懐南の相反する感情が綴られているが、‘一九三一年 落ち葉を踏む感想’や‘一九三二年秋の感想’に見られたような、枯れた木々や落ち葉を 前にしてひたすら感傷的な思いにばかり浸っていた少年期、及び

1930

年代前半とは異なる 彼の精神状態の変化を上の文章から感じ取ることができる。(35)は昔から続いてきた感傷 的で「センチメンタル」な彼の性格がそのまま継承されているものであるが、(36)からは

281 안회남(1936)‘凋落의가을・意氣의季節’“조광”(安懐南(1936)‘凋落の秋・意気の季節’“朝 光”)211号 193611月 p.122

282‘凋落の秋・意気の季節’前掲書、p.123

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視点を変えてその光景を「改革」の好機と捉え、人間的に成長しようという積極的で情熱 的な気概を読み取ることが可能である。本随筆が発表された

1936

年後半ば頃は安懐南が身 辺小説家から本格小説家への変身を試みていた時期と重なることから、「改革」や「征服」

といった表現は彼のこうした作家的意欲を暗示しているものとして解釈されよう。安懐南 は依然として「凋落の秋を目にして衰滅の悲哀に浸る」感傷的な性格の人物であると同時 に、「いつの間にか意気の秋を前に征服の情熱に燃える」283熱い心の持ち主でもあり続けて いたのである。

ところで安懐南は運動をし体を鍛える健康な人物、責任感ある立派な一家の主としての 模範的な私生活ばかりを送っていたわけでもなかった。1930年代後半の安懐南の随筆作品 の特徴の一つは、怠惰で不健康な私生活の一面を赤裸々に公開したものが幾つか見られ始 めることである。まず

1937

1

月の‘礼式的虚装’において彼は過度の酒と煙草や「浪費 性」、即ち浪費癖が原因の「債務」によって「債鬼」(借金取り)に追われ、「心身ともに極度 に披露しています」と明らかにしている。そして新年からはこういった生活を改め、酒や 煙草や借金によってではなく「素晴らしい事業」をすることで心も体も疲れることができ るよう「改過遷善の計画」を立てている最中であると述べた284。しかし以下の類似した一 連の随筆を見ていくと、こうした彼の私生活改善の決意は目に見える大きな成果を見せな いまま、結局

1940

年代前半まで続いていってしまったことが明らかとなる。

上の随筆と同月に発表された以下の文章からも、この頃の安懐南の不規則で怠惰な日常 生活の様子を容易に窺い知ることができる。

(37)〔…〕아츰 열시쯤이나 되어야 나는 잠자리에서 이러날 줄을안다. 이러한 習慣이 몸에는 해롭지만서도 무엇을 工夫하고 硏究하는대는 大端히 좋다.

떡하니 안해의 경대를 잡어다니어 얼글을 빛우어 보면 于先푸수수한 머리가 그럴듯하다. 나가서 洗手를하거나 冷水摩擦을 한다거나하면 朝飯자시고 散步 喫茶 談話 飮酒 이런 코쓰를 밟어가지고는 하로를 虛費하고 말었지 讀書를 한다거나 原稿를 쓴다거나 하는일은 못하고 마는것이다.

어제 저녁부터 册床머리에서 밤을 새이고 그리고 오늘 새벽녁에 다시 그모양 그대로 蓬頭垢面을하고 있어야만 그야말로 읽고 쓰는대 絶好한 컨디숀이생기는것이다.〔…〕

283‘凋落の秋・意気の季節’前掲書、p.124

284 안회남(1937)‘新年所感 禮式的虛裝’“여성”(安懐南(1937)‘新年所感 礼式的虚装’“女 性”)21号 19371月 pp.19~20

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〔…〕朝十時頃にならないと私は寝床から起き上がることができない。こうした習慣が体には害である が、何か勉強し研究をするのにはたいへんよい。

妻の鏡台をおもむろに手繰り寄せて顔を映してみると、まずぼうぼうの頭がなかなか見事である。部 屋を出て洗顔をしたり冷水摩擦をしたりすれば朝飯の後に散歩、喫茶、雑談、飲酒、こうしたコースを 踏んでは一日を浪費してしまい、読書をするとか原稿を書くといった仕事はできないで終わってしまう のである。

前の晩から机の前で夜を明かし、そして今日の明け方にもその乱れた髪と垢じみた顔の格好のままで いなければ、それこそ読み書きをする絶好のコンディションとはならないのである。〔…〕285

そしてこうした怠惰な生活が祟り、安懐南は実際に

1939

年の半ばにはしばらく病床に臥 す生活を強いられたようである。以下は同年

6

月に“朝光”誌に掲載された「製綿所」小 説‘機械’の本文内に付された、‘病床有感’という題名の囲み記事の全文である。

(38)病床에 누었을 때처럼 내마음이 착해지는 때는 없다 제가 잘못한것이 있으면 곳잘 생각나고 또 良心的으로 後悔하는 마음이들고 未安했던 친구들이 떠오를때엔 眞情으로 그들의 손목을 잡어주고 싶고……

지금 내가 이런 經驗을하고 있다. 이번 내病이 술其他 나의 放蕩한 生活에서 말매맘

マ マ

은 것인지라 속에 깊이 뉘우침이있어 앞으로는 내文學의 길로 精進함으로써 罪를 씨스리라 決心하였다.

이제에도 病苦를 무릅 쓰고 『朝光』六月號에 넣을 短篇小說『機械』를 脫稿한 것도 이 연유가 있음으로써이다.

病床に臥している時ほど我が心が善良になる時はない。私の過ちはと思いを巡らせばすぐに思い当た る節があり、また良心的に後悔する気にもなって、友人らのことが思い浮かぶと申し訳なくて彼らの手 を掴みたくなり……

今私はこんな経験をしている。現在の私の病は酒その他、自身の放蕩な生活によるものであるが故に 心から悔やまれ、今後は我が文学の道へと精進することで罪を拭い去ろうと決心した。この度私が病苦 を顧みず、『朝光』六月号に載せる短編小説『機械』を脱稿したのもこうした理由があってのことであ る。286

285 안회남(1937)‘精神과肉體를 酷使한表情’“백광”(安懐南(1937)‘精神と肉体を酷使した表 情’“白光”)第1輯 19371月 p.41

286 안회남(1939)‘病床有感’“조광”(安懐南(1939)‘病床有感’“朝光”)56号19396 p.349

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別の告白によると具体的な病名は「関節炎」287であったというが、1939年のこの時点に なっても「酒その他、自身の放蕩な生活」から脱却できずにおり、1937年の年始に誓った

「改過遷善の計画」が全く実現されていないことが窺われる。(38)の中で安懐南は病気を もたらした自らの怠惰な私生活を深く後悔し、「我が文学の道へと精進することで罪を拭い 去ろう」という「決心」を再び表明している。しかし前述の通り、作家的側面においては 本格小説家としての完全な変身を果たすことができず、私生活の側面においても上のよう な状況が続いていった。1939年末の‘私の家庭生活公開’でも昼近くになって起床し、一 日中顔を洗わない(37)と何ら変わりのない日常生活が綴られ、「私は元来怠け者でしたが、

結婚してからは明らかに一層怠惰になったようです」と述べられると同時に、友人たちか らも「天下の怠け者」と呼ばれていることが告白されている288。そしてここでも「私自身 のため家庭のために、この悪い習慣を改め一度生活を改善してみようかと計画しています」

289という誓いが表明されているが、それにも拘わらず翌年の‘原稿の約束’では原稿の締 め切りにいつも間に合わないことに対し、「生意気で元から責任感がないからだとか、怠け 者だからとか、酒の飲みすぎで病気になったからだとか言っても今では弁明の余地もあり ません」290という謝罪の言葉が見られる。さらに

1941

年の年始にも彼は節約・勤勉・健康・

貯蓄を新年の目標に挙げているが291、同年

5

月の‘悔改’においても「今の私は完全なア ルコール〔中毒〕患者であり酔漢である。取るに足りない酔っ払いである」292という率直な 告白の言葉を見つけることができる。以上のような安懐南の怠惰な私生活に関する一連の 随筆からは、彼の私生活における自律性のない精神的弱さ、完璧を追求しきれず目標を実 現させることができない不徹底な性格を読み取ることができるだろう。確かに家庭では 日々運動に励む健康な男性、責任感ある夫・父親であり、かつ作家的にも主義主張や信念 が一貫しているような完璧な人間など当然のことながら存在し得ないであろう。しかし安

287 안회남(1939)‘隨筆 病苦’“문장”(安懐南(1939)‘随筆 病苦’“文章”)15号 1939年6 月 p.160

288 안회남(1939)‘나의家庭生活公開’“여성”(安懐南(1939)‘私の家庭生活公開’“女性”)4 12号 193912月 pp.48~49

289‘私の家庭生活公開’前掲書、p.49

290 안회남(1940)‘私設放送局 原稿約束’“조광”(安懐南(1940)‘私設放送局 原稿の約束’“朝 光”)6319403月 p.113

291 안회남(1941)‘二千六百一年元旦의誓’“가정지우”(安懐南(1941)‘二千六百一年元旦の誓 い’“家庭之友”)39号 19411月 p.9

292 안회남(1941)‘悔改’“신시대”(安懐南(1941)‘悔改’“新時代”)15号 19415 p.209