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이다

아마그것은 어대인가

「불가견(不可見)」의세 게를

내다보고잇슬것이다〔…〕

〔…〕ああ彼らの目には もはや何ものも見えなくなって しまったのだろうか

いやいやそんなはずはないで あろう

きっとそれはどこかしら

「不可見」の世 界を

眺めているのだろう〔…〕423

423‘寂滅’前掲書、19321115 日付。改行は原文ママ。上の拙訳は‘寂滅’第1回に引用された朝 鮮語訳の「眼」を筆者が日本語に再度翻訳したものであり、原文の日本語訳ではない。この詩のフランス 語原文の全文と日本語訳はそれぞれ、G. Walch, Sully Prudhomme(1922)Anthologie des poètes français contemporains : le Parnasse et les écoles postérieures au Parnasse (1866-1921). Delagrave pp.306~

307と、シュリィ・プリュドムほか(川崎竹一ほか 訳)(1971)『ノーベル賞文学全集23』主婦の友社 p.26 において接することができるが、これらを引用すると以下のようになる(それぞれの解釈や翻訳などに関 連する問題についてはここでは措くことにし、今後の研究課題としたい)

「Bleus ou noirs, tous aimés, tous beaux, Des yeux sans nombre ont vu l'aurore;

Ils dorment au fond des tombeaux, Et le soleil se lève encore.

Les nuits, plus douces que les jours, Ont enchanté des yeux sans nombre;

Les étoiles brillent toujours, Et les yeux se sont remplis d'ombre.

Oh ! qu'ils aient perdu le regard, Non, non, cela n'est pas possible!

Ils se sont tournés quelque part, Vers ce qu'on nomme l'invisible;

Et comme les astres penchants

Nous quittent, mais au ciel demeurent, Les prunelles ont leurs couchants, Mais il n'est pas vrai qu'elles meurent:

Bleus ou noirs, tous aimés, tous beaux,

183

3. 3

本章のまとめ

本章の最後に、ここまで取り上げてきた初期小説‘髪’、‘借用証書’、‘愛情の悲哀’、‘私 と玉女’と‘寂滅’に登場する男性知識主人公らの性格と恋愛の様相を以下にまとめるこ とにしたい。

3. 1

節で見た四つの短編小説において、主人公らはいずれもが積極的で大胆かつ強気な性 格と、それとは正反対の感傷的で悲観的、憂鬱で陰気な性格の極端な二つの側面を同時に 併せ持っている人物であると考察することができる。これらの二つの性格は作品内で交互 に表れていたり、時にはほとんど同時に描かれたりしている。‘髪’の主人公

A

と‘私と玉 女’の主人公「私」に関しては両者の比重はほぼ同じと言えるが、‘借用証書’の文浩は泣 き虫で臆病者、小心者であった幼少期から血気盛んな力強い青年へと成長し、大胆で強気 な性格の持ち主へと変貌したことが作中で強調されて描かれていると言える。反対に‘愛 情の悲哀’の「私」は敬愛に対する強い恋愛感情から積極的で強気な言動を見せる場面も

Ouverts à quelque immense aurore,

De l'autre côté des tombeaux

Les yeux qu'on ferme voient encore.」

「青くあるいは黒くみな愛されて美しく 数かぎりのない眼が暁を見た

その眼はみな墓の深みにねむり それでもまだ太陽は昇るのだ。

夜はひるよりもずっとやわらかで 数かぎりのない眼をうっとりさせた そして星くずは変わりなく輝き 眼は闇でいっぱいに満たされた ああ! 眼はまなざしを失ったのか いやいや、そんなはずはない。

眼はどこかへ動いて廻ったのだ 見えない世界という方へ そして傾く星の群れは

私たちから去る、が空には住んでいるように ひとみには沈む陽が見えても

それが死ぬとは真実でない

青くあるいは黒くみな愛されて美しく どこかの広大な暁に向かって開いていて 墓場のずっと向こう側で

人が閉じた眼はまだ見ているのだ。

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見られるが、失恋の体験を通じて深い悲しみに沈む陰気で感傷的な性格、小心者で消極的 な性格のほうがより強く表れていると見ることができる。

植民地期当時の朝鮮社会における貧困・就職難といった問題に対する告発を中心的な主 題とした‘髪’、‘借用証書’とは違い、‘愛情の悲哀’と‘私と玉女’は恋愛小説の範疇に 入れるべき作品と見てよい。これらの中で男性主人公が抱いている恋愛感情は一般的なそ れとは隔たった特異なものとして注目される。‘愛情の悲哀’の「私」も‘私と玉女’の「私」

も、本能的・不可抗力的で無意識のうちに感じられてしまうはずの通常の恋愛感情とは違 い、彼らの恋愛感情は「縁談」や「妻」、「貧しく哀れな女」、「病」といった本来恋愛感情 とは関係のない観念的・抽象的なもの、実体の見えにくいものに自己陶酔し、妄想や空想 を膨らませた結果、それが異性に対する強い恋情へと変化したものと解釈される。愛する 女性に対する二人の恋愛感情はいずれも熱烈でたいへん激しいものであるが、それに加え て作中で一人称の語り手となっている‘愛情の悲哀’の「私」に関しては、その恋愛感情 の激しさのあまり理性的な思考力が失われ、非理性的な言動を露呈させている「信頼でき ない語り手」と見なすことができる点がもう一つの特記される点である。

3. 2

節で取り上げた中編小説‘寂滅’も恋愛小説であるが、本作品の主人公

A

はこれら

短編小説の主人公らよりもさらに多様で複雑な性格の持ち主であった。第一に彼は自分の 周囲にいる他人全般を非常に嫌っており、他人との接触を極力避けようとする非社交的な

「厭人症」の人物である。彼の嫌悪感や敵対心は特に若い女性らと自らの家族による看病 の拒否という形で作品内に明確に表れており、また献身的に介護してくれる親友の

K

P

に対してさえ時に冷淡な態度を取ることもあった。彼は日頃から周囲に対して無口で陰気 な「沈黙主義」者の態度を取っている人物である。

第二に

A

は感傷的で悲観的な性格の持ち主であった。この側面は少年期には生き別れに なった聖淑に対する「センチメンタル」で「厭世的」な感情として表れ、これに加えて肺 病を患った青年期には悪化していくばかりの肺病に対して、そして余命いくばくもない死 を待つだけの状況にいる自らの運命に対する絶望感・悲壮感としても表現されている。

A

という人物を最も特徴づけていると言える第三の性格の側面が「モノマニアック」、「偏 執狂」という性格、即ち偏った考えを頑なに信じて他人の意見を受け入れようとしない頑 固者という性格である。この性格が肺病と自らの運命に対する悲観・絶望から起こる妄想、

及び恋人聖淑への激しい恋愛感情による盲信を深刻化させていく決定的な要因となってい

185

る。このように目に見えず実体のない抽象的・観念的なものを頑なに信じる「モノマニア ック」、頑固者としての彼の性格は、「現実というものは、目に見えるものだけではない」

という彼の信念や、友人

P

と繰り広げる討論の場面において

A

が「唯心論者」として描か れている場面、さらには作品の冒頭と末尾に引用されている詩において象徴的に表現され ているものである。

彼のもう一つの注目すべき性格は、聖淑に対する恋愛感情に起因する積極的で大胆であ り、かつ非理性的でもあるという側面である。本作品における

A

の恋愛の様相とは一言で 言えば彼女に対する一途で熱烈な情熱的恋愛である。彼は若い女性ら全般を嫌う一方で幼 少期から親しかった聖淑に対してだけは熱烈な恋愛感情を抱いており、十代の頃は学問・

文学に対する熱意も同程度に持ってはいたものの、二十代の青年期に入ってからはそれよ りも聖淑への恋情が常に上回り続けるようになったという変化も読み取ることができる。

A

は聖淑のためならば自らの病気や命をも顧みないほどの強引で積極的な言動を作中で見せ ていた。しかしそれは無理をしすぎて病気を悪化させたり、主張する内容に論理的な矛盾・

飛躍を見せたりするような非理性的な姿を露呈させることにも結びついている。たとえ聖 淑と生き別れになった後に彼女の生死すら分からない状況に置かれたとしても、むしろそ のような二度と会えない状況に置かれたからこそ、

A

は命の尽きる最期の瞬間まで全力を尽 くして彼女を愛しきったと言うことができるだろう。

このような聖淑に対する激しい妄想癖とその妄想を頑なに信じ込んでしまう頑固な性格、

及び彼女への熱烈な恋愛感情が原因となり、

A

は次第に正常な理性的思考力を失っていった。

結局彼は肺病の悪化という身体的な崩壊、及び過度の妄想と盲信による精神的な崩壊の過 程を経て、ついには悲劇的で壮絶な死を迎えるに至ったと考察することができる。

以上のようにして初期小説‘髪’、‘借用証書’、‘愛情の悲哀’、‘私と玉女’と‘寂滅’

における知識人男性主人公らの性格と恋愛の様相を分析・考察してきた。先に述べたよう に、この時期の作品群は作品自体の未熟さもあってか先行研究では疎かに扱われる傾向に あり、詳細な分析・考察がほとんどなされてこなかった。だが後の時期には見られない特 色を持った作品が書かれる一方で身辺小説的なものや恋愛を扱った作品も幾つか発表され ており、これらの作品には今後さらなる分析と議論が要される。本章で取り上げた五作品 の共通点としてはいずれもが

1920

年代後半から

1930

年代前半にかけての安懐南自身の性 格と極めて貧しかった当時の経済的状況、及び幼少期からの幾つかの恋愛体験や恋愛観と