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中でも安懐南の身辺小説論と日本の私小説論との比較に関する研究において今後論点と なるであろう問題は、(11)に見られるように安懐南が日本の私小説論を旺盛に受容してい ながらも、なぜ「私小説」を「身辺小説」に意図的に入れ替えてしまうほど、身辺小説と いう用語に強い執着を示していたのかという点である。この問題について示唆を与えてく れるのが、大正時代に小説家・劇作家として活躍した久米正雄の代表的な私小説論「私小 說と心境小說」177である。本評論は本格小説の価値を主張した中村武羅夫の「本格小說と 心境小說と」178に異議を唱え、「私はかの「私小說」なるものを以て、文學の、―と云つて 餘り廣汎過ぎるならば、散文藝術の、眞の意味での根本であり、本道であり、眞髓である と思ふ」、「「私小說」を除いた外のものは、凡て通俗小說である」として私小説を肯定的に 評価したものであるが、この中で久米は私小説からさらに発展したより優れた小説の概念 としての「心境小說」というものを提示している。少し長くなるが、以下にその該当部分 を引用する。

(14)〔…〕人の生活と云ふものは、全然、醉生夢死であつてすらも、それが如實に表現されゝば、價値を 生ずる。甞つて地上に在つたどの人の存在でもは、それが如實に再現してある限り、將來の人類の生活 の爲に、役立たずには居ない。〔…〕

卽ち私は、「私小說」の本體なる「私」が、如何にツマラヌ、平凡な人間であつても、いゝと極言し たい。そして問題とすべきは、只その「私」なるものが、果して如實に表現されてゐるか否か、にかゝ る。本ものゝ「私」か、僞ものゝ「私」か、にかゝる。そして本ものゝ「私」なら、その「私」が表現 したい意欲を感じた限り、きつと一個の存在價値を持つ事を信ずる。

だから、私は此處に繰り返して云ふ。凡ゆる人は、みんな「私小說」の材料を持つてゐる。そして、

誰でもが、表現力に於て惠まれてゐるならば、一つ一つ私小說を書き殘して、死んで行くのが本當なの だ。が、其中で、自己の中なる「私」を眞に認識し、それを再び文字を以て如實に表現し得るもののみ が、藝術家と假りに稱せられて、私小說の堆積を殘して行くのである。

その「如實に」とは、倂し決して寫實的な意味で、其儘の形で、との謂ではない。歪みなく、過不足 なき形ではあるが、素材のまゝで、との謂ではない。

177 久米正雄(1925a)「創作指導講座「私」小說と「心境」小說」『文藝講座』7号 19251月 pp.1~7、

久米正雄(1925b)「創作指導講座「私小說」と「心境小說」(二)『文藝講座』13号 19255月 pp.1

~6

178 中村武羅夫(1924)「文藝時評 本格小說と心境小說と」『新小說』19241月号 pp.18~24

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其處には必ず一つの、あるコンデンサーを要する。「私」をコンデンスし、―融和し、濾過し、集中 し、攪拌し、そして渾然と再生せしめて、しかも誤りなき心境を要する。これが私の第二段の「心境小 說」の主張である。

玆に於て、眞の意味の「私小說」は、同時に「心境小說」でなければならない。此の心境が加はる事 に依つて、實に「私小說」は「告白」や「懺悔」と微妙な界線を劃して、藝術の花冠を受くるものであ つて、これなき「私小說」は、それこそ一時文壇で稱呼された如く、人生の紙屑小說、糠味噌小說、乃 至は單なる惚の ろ、愚、管く だ、に過ぎないであらう。〔…〕179

ここで久米は私小説の優劣は描く「材料」の良し悪しによるものではなく、それをいか に「如實に」描き出すことができるかどうかにかかっているのだとした上で、しかしなが らその「如實に」とは「材料」を単にありのままに写し取ることを意味するのではないと 述べている。彼にとって「藝術の花冠を受くる」価値のある真に優れた小説とは、その「材 料」を「コンデンス〔凝縮〕し、―融和し、濾過し、集中し、攪拌し、そして渾然と再生せ しめて、しかも誤りなき心境」を描き得たもののことを指し、このような理想的な小説の ことを久米は「心境小說」と定義していることが分かる。このような考えは宇野浩二の「「私 小說」の面白さはその作者の人間性を掘り下げて行く深さであると私は思つている。卽ち 心境小說と稱せられる所以である。一寸見ると、「私小說」では作者は「私」の身邊だけし か書いてゐないやうに單調に見えるが、「私」を掘り下げて行つたところに總てがあるとい へないことはない」180という発言にも受け継がれており、これらの評論においては描く対 象を写実的に描写しただけの私小説よりも、そこにさらに作家的な考察を加えた「心境小 說」のほうを優位に位置づけていると見ることができる181

正にこの点が日本の私小説論と安懐南の身辺小説論との大きな違いであるだろう。上の 宇野の「「私」の身邊だけしか書いてゐない」という表現や、「自我の身邊におこる瑣事」182

「身辺雜記小說」183といった用例が示すように、日本の私小説論において「身辺」という 語句は大部分が否定的なニュアンスで用いられてきた反面、(11)など安懐南が一連の身辺

179 久米正雄(1925b)前掲書、pp.3~5。ルビは原文ママ。

180 宇野浩二(1925)「私小說」私見」『新潮』192510月号 p.21

181 安懐南も(10)や後掲の(27)などのように心境小説という語を用いたことがあるが、(27)に見られ る身辺小説と心境小説という語句の使い方から察して、彼は両者の区別を厳密にしておらず、むしろほぼ 同じ意味の語として混同して用いていたのではないかと推測される。

182 徳田秋声ほか(1926)「心境小說と本格小說の問題」『新潮』19266月特集号 p.11

183 中村武羅夫(1935)「私小說とテーマ小說 純文學としての私小說」『新潮』193510月特集号 p.7

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小説論で用いている「身辺」という語句の多くにそのような否定的なニュアンスは含まれ ていないようである。安懐南は久米や宇野の述べたような「心境小說」における「「私」を コンデンスし」たり、「作者の人間性を掘り下げて行く」ことの重要性を殊更に強調するこ とはない。逆にそういった作家的考察の過程を強いて踏まずとも、「作家が最もよく知って いる世界や内面的心理」をそのまま描いたり、「作家の実際的経験」や「日常生活の極めて 素朴な情景」をありのままに描写したりするだけで、「より素材の真実味が増」し、「読者 を魅了させ感動を与える」ことができるのだというのが彼の主張である。安懐南が自身の 小説の代名詞としている「身辺小説」という語には、日本の文学者らとは異なった彼独自 のそのような小説観が反映されていると考えられよう。

それでも安懐南は自らの身辺小説に絶対の自信をが持つことができなかったと見え、確 固たる作家的立場を築けずに動揺する不安な心情を以前から幾度か露呈させたり吐露した りしたことがあった184。そのような中で彼が本格小説創作への意欲を明確に表明し始めた のは‘現代小説の性格’とほぼ同じ時期に当たる

1936

年の半ば頃からである。

(15)〔…〕그는 근래 문학을 좀더 사랑하고 창작에 더욱 마음과힘을 다하고싶은 생각이들었읍니다.

아까 안해에게 그가 취직하여있는 상사회사를 그만두고 나와서 구루마꾼이 된다는게나 지게꾼이 된다는것이 조금도 농담으로 한것이아니오 정말 그러한 실생활을 몸으로 파고들어가서 그는 풍부한 문학의 소재를 얻어보고 싶었든 것입니다. 그는 조그마한 작가로서 오늘날까지 오로지 자기자신만을 바라다보며 생각하고 이르는바 신변소설(身邊小說)을 써왔는데 이제부터는 고개를돌려 여러가지모양의 사회를 드려다볼가 하였든것입니다.〔…〕그는 깔깔대고 웃으며 이것이 어린아이같은 꿈이아닌가 순간 불안스러운 생각을하였읍니다. 그러면서도 그불안 그어색함 그것을 뚫고 돌진해 보아야겠다 마음먹었읍니다. 작가라는것은 꼭 그러한태도를 가져야 훌륭한 문학을 낳아놓을수있다는것은 아니지마는 생활 그자체로서만 두고 생각하더라도 지금의 그

184 例えば19333月に見られる、評論活動においてはプロレタリア文学派でも純文学派でもない「自由 主義的立場」を取るが、小説の創作においては芸術性重視の「芸術無上主義の態度」を取りたいという、

やや中途半端とも言える自らの立場表明(안회남(1933)‘=文藝評論의=階級的立場問題’“제일선”(安 懐南(1933)‘=文芸評論の=階級的立場問題’“第一線”)33号 19333月 p.78)や、19366 における、「今でも何をどう書くかということについてかなり悩んでおり、本当に信条にできる何らかの固 定された創作方法はないと告白するしかありません」という心情告白の言葉(안회남(1936)‘創作方法 리아리즘作家(3)『心理主義的리알리즘』과 小說家의小說’“조선중앙일보”(‘創作方法リアリズム作家

(3)『心理主義的リアリズム』と小説家の小説’“朝鮮中央日報”1935710日付(後掲の引用(26) などを挙げることができる。