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集団的意識

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第 3 章 福祉先進国における障害のある人びとの自立生活への道

2.2 集団的意識

社会運動に関する理論では、集団的意識は問題が個人的な努力や能力の欠如からでは なく、社会からの不公平な扱いに起因することを示しており、特定の問題に焦点を当てる ことや戦略の提示、集団的行動の必要性を生み出す機能があると指摘されている(Klein 1987: 23)。また、Barnartt and Scotch (2001)は、障害者運動が発生するには、社会環境要 因の他に、運動成員メンバーの統合の目標や集団的意識が必要とされることを指摘した。

この意識によって、社会の変革を求め、自らの要求を正当化させることができ、さらにこ のような社会変革を求める人びとを動機づけることが促進することができる(Barnartt and Scotch 2001: 31)。しかしながら、障害分野では、障害種別によって異なるニーズが生じ ているので、それぞれの障害種を持っている人びとの統一したニーズを求めるのは難し

いと考えられる。この節では、それぞれの国における障害のある人びとが、何を、どのよ うに求めたか、そしてどのように集団的意識が形成されたのかについて検討する。

2.2.1 アメリカ

Barnartt and Scotch(2001)は、アメリカ障害者運動の集団的意識を考察するにあたって、

1970 年代以降のすべての障害のある人に共通する要求や運動に注目した。その結果、ア メリカ障害者運動の集団的意識は、女性や黒人に認められた公民権を求めることと、自立 生活の要求であることが分かった(Barnartt and Scotch 2001: 31)。

アメリカは奴隷解放宣言が公布された後も、黒人に対する差別が相変わらず根強く、白 人と同様の「アメリカ人」としての権利を獲得するために、1950 年代から公民権運動が 発展してきた。1964年に公民権法が制定され、黒人に対する差別が禁じられた。その後、

黒人の他に、人種的マイノリティや女性等の市民の権利を向上させるための社会運動が 前進した。これをきっかけに、障害のある人びとも同様に権利運動を展開したため、1960 年から盛り上がった障害者運動はこの公民権運動の一環と言える。この時期、障害に対す る固定観念を転換させ、従来の障害を医療的な側面から捉える観点や、個人の努力で解決 されるべき問題とする見方を否定し、現在では「アメリカの障害の社会モデル5」と呼ば れる意識が提示された。

また、既存の公民権の一部として認めることを求めるのは、障害問題が福祉や医療で解 決できるものではなく、社会からの差別を解消することにあると主張したからである

(Barnartt and Scotch 2001: 33)。このように、当時のアメリカ障害者運動の集団的意識は、

障害のある人びとの公民権を主張し、社会からの差別や偏見に対する抵抗を強調するこ とにあった。

次に、アメリカ障害者運動のもう一つの要求としての自立生活について述べる。アメリ カにおける障害のある人びとの自立生活への意識は、第二次世界大戦後から存在してお り、エド・ロバーツが1960年代初期にカリフォルニア大学バークレー校に入校すること でさらに注目を集めることとなった(Barnartt and Scotch 2001: 42)。

1960 年頃においては、障害のある学生は自由に学校で行動することができず、特に重 度の障害を持っている人は他人の介助が必要なので、大学病院で生活せざるをえなかっ たというのが当時の実情である。こうした状況に対し、14 歳でポリオを患い重度の障害 があったエド・ロバーツは他の学生と同様に地域で生活するために必要なサービスを大 学に要求して、その結果、大学が彼の生活に必要な介助サービスの費用を負担するように なった。その後、バークレー校に入学する障害のある人が増え、1967年には12名の重度 障害のある学生が在籍した。彼らは自らの生活の不自由について考え、自立や自助の概念

を検討するようになった。また、社会の固定観念に抵抗し、自分の生活を自分でコントロ ールしようとする思想に影響され、やがてロバーツたちも、「なぜ障害者は医療的な側面 からしか捉えられないのか」という考え方を提出した。

その後、彼らは「自分たちを病人、患者扱いするのはやめて、他の学生と同じキャンパ ス・ライフを保障しろ。そのために病院ではなく、アパートや学生寮で生活できるように、

アクセスや介助システムや学習に必要なサービスを作れ」と要求した。そして、専門家に 支配されたくないことや、クライアントでなくサービスのコンシューマー、つまり消費者 や利用主体であるべきだという観点が示した(Shapiro 1993=1999: 80-81)。さらに、1970 年にはPDSP(Physically Disables Students Program、身体障害学生プログラム)を開始し、

具体的には障害のある人が自立できるようになるために、アクセス可能なアパートを探 す手伝い、介助を提供する介助者リストの作成等を行った(Shapiro 1993=1999: 69-85)。

また、学校以外に地域で生活する障害のある人びともこうしたサービスを求めたので、

1972年に彼らはバークレー自立生活センターを設立することになった。

自立生活センターは「障害のある人のニーズは、当事者が最もよく理解している」とい う理念に基づき、施設や家族に頼るのではなく、地域で生活する障害のある人自身が障害 のある人に必要なサービスを提供し、それと同時に権利擁護の運動を行う、という障害者 団体の新しい形式を創設した(Zukas 1975)。このように、障害のある人にサービスを提 供する事業体の側面を持っていると同時に、権利主張を行う運動体の側面も持っている。

また、当時は連邦政府の資金を受けて、パーソルアシスタンス、ピアカウンセリング、自 立生活の技能訓練等のサービス支援とともに、権利擁護を行う形式で成立した CIL は、

急速に全国に広がっていった(Crewe and Zola 1983)。

また、自立生活運動の中心的な要求は、障害のある人びとが自立して生活することがで きるように社会が支援すべきだというものである。それは施設に入居させるのではなく、

自分でコミュニティーや住居、生活等を選択して決定することを要求するものであった

(Barnartt and Scotch 2001: 42)。この新しい自立観の提示が、多くの障害のある人の支持 を集め、自立生活運動も急速に普及した。このように、公民権の一部と自立生活に対する 要求は、アメリカ障害のある人びとの間で共通して認識され、障害者運動の集団的意識が 形成されるようになった。

2.2.2 イギリス

1970 年代からのイギリス障害者運動の集団的意識を考察する。障害種別を超えて全て

の障害のある人びとが認められるのは、障害意識の転換をもたらす「障害の社会モデル」

と、「当事者の自己管理を強調するサービスの供給」にあると考える。

1972年に障害者施設に反対する当事者たちによって設立されたUPIASは、「障害者は 社会によって抑圧されている」という新しい障害の考え方を提出した。彼らの声明書であ る「ディスアビリティの基本原理」では、以下のように記している。

「私たちの考えでは、身体的にインペアメントのある人びとを無力化するのは社会な のである。社会から不必要に孤立させられ、社会への完全参加が阻まれることによって、

私たちはインペアメントに加えてディスアビリティを課せられている。したがって障害 者とは、社会の中で抑圧された集団なのである6」 (UPIAS 1976: 14)

彼らが「障害の社会モデル」を提出し、impairment(機能障害)とdisability(社会的障 壁)が区別され、障害の問題は社会によって作り出されていると主張した(Oliver 1990)。

そして、disabilityの定義について、「身体的機能障害を持つ人を、全く或いはほとんど考

慮せずに、社会活動のメインストリームへの参加から排除している現代社会を原因とす る、活動の制限や不利益である7」(UPIAS•DA 1976: 3-4)と意味付けられた。

また、障害問題の原因は当事者がもつ impairment から引き起こされた障害による不幸 を個人的に悲劇として捉える従来の障害に対する個人モデルを批判した(Oliver 1996)。

つまり、障害のある人びとが障害とされるのは、その人の何らかの機能損傷によってでは なく、社会の側が障害のある人の社会への参加を阻み、排除しているという見方によるの である。この社会モデルの創出は、障害当事者を自己に対する恥や否定的な感覚から解放 するとともに、社会の認識の変更を迫るものとなる。Klein(1984)は、この社会モデルに よる社会変革の意義について「生き残り、相応しい生活をすることを阻む無力さは、個人 的な失策ではなく、社会制度の責任である」と認識し、政治的な運動の開始をもたらすと 考える(Klein 1984: 3)。さらに、社会モデルによって、障害のある人びとが自らのこと を肯定するアイデンティティーを獲得するようになり、「もはやお願いするのではなく、

要求する」という意識形成ができた(Oliver and Barnes 1990: 12-13)。

これは障害問題の根源が個人の努力によって解決できる問題ではなく、障害のある人 を排除する社会側に問題があるという主張であり、それがさらに障害者運動の正当性を もたらすことによって、異なる障害種の人びとの間で「集団的意識」の形成ができるよう になった。当然ながら、社会を変えることは簡単にできることではないので、その後のイ ギリス障害者運動を契機に、「統合社会」の実現に努めている。その他、社会からの排除 を受ける障害のある人びとは、大規模な施設に入所させ、前文にも述べたようにそれによ って多くの人が生態的に集中することができ、運動発生の社会的要因を形成した。このよ

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