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三ヶ国の障害者運動の特性

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第 3 章 福祉先進国における障害のある人びとの自立生活への道

3.2 三ヶ国の障害者運動の特性

上記の障害者運動の社会運動としての成功要因に基づき、アメリカ、イギリス、日本の 障害者運動に対する比較分析から、各国の障害者運動の主な出来事と特性をここでまと める。

まず、アメリカ障害者運動を取り上げる。アメリカの運動の特徴として、「社会問題」

を人権問題としてとらえる伝統があると示され(Barnes et al. 1999=2004: 213-214)、障害 者運動の特徴も、公民権の一部として障害のある人びとへの差別の撤廃を訴えたことに ある。アメリカの障害者運動においても、自立生活運動がその主要なものと言える。ポリ

オによる四肢麻痺や呼吸器障害等重度障害者として初めてカリフォルニア大学バークレ ー校に入学したエド・ロバーツは、その後1972年に最初の自立生活センターを設立し、

その後1999年までにアメリカで400ヶ所以上の自立生活センターが設立された(Shapiro

1993=1999: 87-88)。1973年に、障害のある人の完全な社会参加の確立を目的としたリハ

ビリテーション法が成立したが、3年が経っても法律の施行規則はなかなか公布されなか った。障害のある人びとがこれに対して一連の激しい抗議活動を行った後、ようやくリハ ビリテーション法の施行規則が公布された。だが、その実質的な効果は期待されたよりも 限定的であった。そこで、さらに運動が展開され、多くの障害者団体の支援や関連組織の 協力で、ようやく1990年に「障害を持つアメリカ人法」が成立した。

他方で、イギリスでの障害者の運動は平等な市民権を求める運動として始まり、その後 入所施設の福祉サービスの管理や隔離・抑圧に対する抵抗を契機として、全国に数多くの 組織が誕生した。イギリス障害者運動の展開に大きな影響を与えた組織であるUPIAS(「隔 離に反対する身体障害者連盟」)は、「障害者は社会によって抑圧されている」という新 しい障害の考え方を提示した。これは、「障害の社会モデル」と呼ばれる。障害の社会モ デルは、障害のある人びとが障害者とされるのは、その人の何らかの機能損傷によってで はなく、社会の側が障害のある人びとを障害者とし、社会への参加を阻み、排除している という見方である。この社会モデルの創出は、障害当事者を自己に対する恥や否定的な感 覚から解放するとともに、社会の認識の変革を迫るものとなった。UPIASはその後、全国 連合組織へと発展し、そこから二つの自立生活センターが設立された。1985 年には障害 者団体が障害者に対する差別の存在を指摘し、理論研究を援用して「慈善ではなく権利を

(Rights not Charity)」をスローガンとしたデモやキャンペーンを実施した。この一連の 運動の推進をもとに、1995 年にイギリスの障害差別禁止法が成立している。また、田中

(2005)によると、イギリスのIL運動はアメリカで主張されている自立生活というより、

統合社会を追求することがその特徴の一つである。アメリカの CIL サービスが公的サー ビスや専門家主導のリハビリテーションに抵抗したのに対し、イギリスのDCILでは行政 や従来の慈善組織と協調し、供給されるサービスの統合を目指した。さらに、1990 年に アメリカで「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act: ADA)」が成立し、

それがイギリスの差別禁止法制定の動きを後押しすることになった(田中 2005: 71-73)。

こうした施設入所者から組織された抵抗運動をはじめとするイギリス障害者運動と、

公民権の一部として差別禁止を求めるアメリカ障害者運動と異なり、日本の障害者運動 は、社会からの否定に対する抵抗から展開されていた。日本の障害者運動も60年代後半 から70年代前半に始まり、障害を社会の側の問題とする認識が広がっていった。よく知 られる「青い芝の会」の運動がとりわけ重要である。「青い芝の会」は、1970年の「障害

児殺害事件」11をきっかけに運動が始まり、「福祉施策が不十分であるからといって障害 児殺しが正当化されえぬことはもちろん、そこで言われる福祉それ自体が、施設への隔 離・管理というかたちで障害者を社会から排除・抹殺する棄民政策に他ならない」(倉本

1999: 222)と彼らは主張した。これ以後、1972 年に優生保護法改正への反対や、交通ア

クセスからの排除に対するさまざまな運動の展開等が起こった。さらにその後、府中療育 センター闘争で地域での生活を求める運動と環境改善のための介助料要求運動が行われ、

アクセスの要求行動や自立生活の運動も全国に広がっていった。80年代に入ってからは、

障害当事者の発言権や決定権を求める要求活動として政策への参加も強めていった。

こうした障害者運動から、アメリカやイギリスにおいて障害学が生み出された。障害学 とは、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動」である。それは従来 の医療、社会福祉の視点から障害、障害者を捉えるものではない。個人のインペアメント

(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組 みからの脱却を目指す試みである(長瀬 1999: 11)。現在、世界の多くの国で批准された 障害者権利条約の内容も、この「障害の社会モデル」という障害学が生み出したアイデア を中心に制定された。このような障害当事者の活動が社会に変革をもたらしたと考えら れる(杜・田邊 2018)。

このように、 アメリカ、イギリス、日本の障害者運動は、ほぼ同時期の1960年代に発 生し、障害のある人びとが異なる社会環境の中で、いずれの国においても、生態的集中、

組織と集合行動のフレームの形成、不満といった4つの運動発生の社会要因、すべての障 害のある人が求めるものである集団的意識、そして共通の社会空間、個人・組織間のネッ トワーク、政治資源の獲得といった3つの運動発展の社会文化要因が形成され、社会の改 革として運動を展開していた。特に日本とイギリスは、弱者として扱われる障害観への批 判や、既存福祉制度への抵抗が顕著である。これに対し、アメリカでは公民権の視点から 他の人種差別や女性差別と同様に社会からの差別を改善し、平等な権利を主張すること を強調している。その他、自立生活思想は、いずれの国でも集団的意識として形成されて きたが、日本ではアメリカやイギリスが強く主張する「大型施設からの脱出」や「専門家 への批判」の以外に、家族のコントロールからの脱出という意識も同じく強調している。

一方で、いずれの国においても、重度障害の人の介助サービス保障を要求して、サービス の「受け手」から「提供者」になることと、「自己決定権」の強調、および障害のある人 の「当事者性」という自立生活理念の核心的な思想には共通している。

1 田中(2005: 59)の訳文を参考にした。

2 同上

3 文部科学省,2010年7月,「資料3‐3 障害者制度改革の推進のための基本的な方向 第4日本の障害者施策の経緯」

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1295934.htm アクセス日2020年7月30日

4 厚生省人口問題審議会による「人口資質向上に関する決議」(1962年)において、

「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増すように配慮するこ とは、 国民の総合的能力向上のための基本的要請である」と提出した。そのための方 策の1つは「国民の遺伝資質の向上」である。

5 アメリカの障害の社会モデルについての理念は、第1章に詳しく述べたので、ここで は再び検討しない。

6 日本語訳は杉野(2007)に依拠した。

7 日本語訳は田中(2005)に依拠した。

8 1964年に入所施設に替わる生活の場を提供するために「The Fokus Society」が設立さ

れ、重度障害のある人に対して住居、介助サービス等を提供した。また、普通の住宅 街にあるアパートや、パーソナルアシスタンスの24時間サービス対応システムが確保 された。大規模施設の縮小版を避けるために、障害のない人も入居できると規定した

(清原2018:226)。

9 田中(2005: 108)の訳文を参考にした。

10 同3。

11 横浜で、母親が2歳の障害児を殺す事件が起きた。近隣の住民や同じように障害児を もつ親らを中心に、減刑を嘆願する運動が起こった。

第 4 章 当事者団体による障害者運動 ———「一加一」と「瓷娃娃自立生活項

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